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八重の桜・第25話

八重の桜・第25話の感想です。

今回はまさに「会津戦争へのカウントダウン」でした~~~
「8月20日 新政府軍が城下に入る3日前」とか刻々と出てきて、ああゾワゾワ;;
ヤですね~~、こういう「敵が来るのを、ただじっと待ち受ける時」って。
戦の渦中になっちゃえば、ある意味やるべきことが多すぎて、余計なこと考えてるヒマはないんだけど、こういう「もうすぐ確実に来る」っていう状態の時は、恐怖と不安がピークに達しますね

特に今回は、会津観光スポットでも上位であろう「滝沢本陣」はじめ、「母成峠」に「十六橋」、「日橋川」に「戸之口原」と、行ったことあるとこ、行ったことないけど聞いたことあって、場所もなんとなく「あ~あそこら辺ね~」とわかるとこ等々がズラズラなので、本当に「来たよ来た近づいてきた」とゾワゾワしました(願わくば会津戦争シーンはできる限り会津ロケでやってほしかった;;)。セリフも今回は「会津を守る」「会津を守る」と、いつにも増して「会津」テンコモリだったし。
思いつきですが、県外の八重の桜ファンの皆様、もしも月曜日にお休み取れるようであれば、日曜に会津に泊まるなんてのはいかがでしょ? 昼間は鶴ヶ城など会津観光して、夜はお宿で、昼間訪れた場所を思い浮かべながらの「八重の桜」、たぶん不思議な臨場感がありますよ~。大河に限らず映画とかでも、現地でその舞台となった作品を見るのって、妙に身近な感じがするんですよね~(8月からは舞台は京都になるので、7月末までがオススメ!?)

さてそんなカウントダウンが始まった会津藩ですが、もちろん、ただただ待ってたわけじゃありません。男どもは、ついに能力主義(この場合は戦闘能力主義特化)に方向転換して、若い2人が家老に大抜擢。女子どもは、薙刀隊が始動。
こちらの目的はあくまでも「照姫様の護衛」なんですよね。別に初めから市街戦に出るつもりで結成したわけじゃなく。
で当然「八重さんも」という話になりますが、八重は「私はちょっと」と言葉を濁すだけ。幸いちょっと気心通じ合ってた竹子さんが引いてくれたから、女同士の泥沼にならずに済んだけど(一説では、竹子ご賢母が「なんで薙刀隊に入らないのか」と、後に八重に謝るほどキツく言ったとか言わなかったとか)。
私もユキと同じく「なんで八重姉さまは「いや私は鉄砲でいきますから」と言わなかったのかしら」と思いましたが、そうか薙刀の無力さが心底わかってるがゆえに何も言えなかったのか。この時の竹子さんたちの薙刀が、見てるだけでも動きが鋭くて、素晴らしかっただけに、八重の何も言えない忸怩たる思いもより伝わってきました。男たちも女たちも、すごく真摯で必死なんだけど、でも・・・という。

一方、奥羽越列藩同盟は、着々と崩れはじめ
ああ長岡はやっぱしあれでオシマイなんですね 河井さんが死ぬとこくらいはやってもよかったんじゃないかなあ、奥只見の観光支援にもなるし ちなみに河井さんは、この1週間前くらいに会津・只見町で亡くなってます。
しかし会津って、改めて地図を見せられると、ちょっと笑っちゃうくらい峠の連なりですね 確かに現代でも、新潟行くにも郡山行くにも、つまり会津を出入りする時はかっなっらっずトンネルの2つや3つや4つは超えるのですが、それにしてもこんなに峠があったとは 新政府軍は既に周りを包囲しているから、この峠のどこから来るか判らない→すべての峠に軍を置かなきゃって、いや~これは大変な状況だな~~(と今更ながら理解) 途中、新政府軍が重い大砲引きずってヒーコラと山道歩いてるシーンがありましたけど、攻めるも大変守るも大変。てかあの山道にひそんでゲリラ戦するわけにはいかなかったのかな?ちなみに河井さんが新潟から会津に入る時に超えた八十里峠も、けっこうな難所だそうです。

そしてついに「8月21日 新政府軍が城下に入る2日前」、手薄だった母成峠を新政府軍が突破!!
うわ~もう「母成峠」って聞いただけで「ううついに来たか」とゾワゾワです
「家並みの触れ」が町を駆け回り始め、ああいよいよ会津戦争が現実になる~~~

山川健次郎君も白虎隊として出征していきます。
この時の登勢さんの言葉がすごかった。「手柄は立てなくてもいい。命を・・・」と来たんで「ああさすが山川家はインテリ=リベラルだな。手柄なんか立てなくてもいい、命を粗末にするなって、現代でも通じる価値観を当時から持ってたんだな」と思った私の横っ面をひっぱたくように「命を惜しんで後れを取ってはなりません」
すみません武士ナメてましたm()m インテリであろうとリベラルであろうと、まず最初に当時の上級藩士ならこれが必ず根底にあったんですね。そしてこれは昭和初期に至って、国民一般にまで敷衍し。

おとっつぁまと尚さんも出征していきます。
「勝ち栗(たぶん)」とかを珍しげにマジマジと見る尚さんもよかったけど(佐久さんあたりのセリフで品物紹介してくれるとなおよかったのに)、このシーンはなんといってもおっかさまがグー 「私も連れて行ってくれ」と頼み込む八重をひっぱたいていわく「そんな無茶を言い続けて、大事な儀式を滅茶苦茶にするな!」と。
現代の母親である私だったら「あんたの気持ちもわかるけどね~。まあ続きは後で話そうよ」とか言って、グダグダに拍車をかけてしまいそうなので、余計にスッキリしました うんだっておっかさまの言うとおり、男子に登城命令が出たのに八重を連れてくなんて無理だし、今はそんな「ワガママ」通してる場合じゃないもの、いよいよ大黒柱が戦場に行くって時なんだもの。尚さんがそんな一部始終を、あえて口を出さず、ただ見守っているのも、逆に万感の思いが伝わってくるようで好感でした。

ほんとに、八重さんの気持ちもよーーーーーくわかるんですけどね。銃に関しては、出征していく尚さんの師範級なんですから。その尚さんが戦場に行くのに、自分は何もできない、しかもただ「女だから」って理由なだけで、なんて、八重さんにとっては、現代の私たちが戦場に行くよりもヤな心境だと思います。そうじゃなくても、ただ待っているだけ、周りがジワジワと死んでいくのをただ見ているだけって、かな~~~り耐えられない状況で。

後に沿道で、明らかに新政府軍にボロ負けであろう旧式銃を担いで出征していく白虎隊≒教え子たちの面々に、「よーく引き付けてうつのよ」等々、たとえKY極まれりであっても叫ばずにいられない八重ちゃんの姿には、なのでグッと来てしまいました おそらくこの言葉も敵の新式武器の前には焼け石に水で、そもそも「敵は遠くから撃ってくるけど、あんたの銃はたぶん敵に届かないから引きつけて」という身もフタもない事実がもう半分終わってるんだけど、それでも、だからこそせめて少しでもよく戦えるように、無駄に死なないように。「死なないで」という祈りの言葉の代わりに。

猪苗代城では、ついに新撰組が退却を。
この時の土方vs.斉藤もよかったですねーーー。斉藤の「会津に残る」という決断は、そんなにありえないもんだったのか!と、この時の土方の驚愕で初めてわかりました
「今、会津を見捨てるのは義にあらず」
ありがとうドラゴンアッシュありがとう しかしこんな感動的なセリフに対し土方が何を言うかと思ったら「惚れた女でもできたか」って、何であんたそんなに冷めてんのよ 見事言い当てられた(?)斉藤もまた「惚れたのは会津」とかって何「今うまいこと言った俺」状態になってんのよ そんなこんなも含めて、いいシーンでしたここは♪

猪苗代が落ちた知らせを受けた殿は
「出陣する」
との決意を。
たぶんねえ、容保公が後々まで会津の人に悪く言われてないのは、人柄とかも大でしょうけど、こういうのもちょっとあったのかなと。やっぱし、安全な会議室の向こうから出てこない司令官と、部下たちと生死を共にしようとする司令官じゃ、どうしたって後者の方に感情移入してしまいますもんね。戦況にはあまり影響を与えない、というか、もしかしたら白虎隊的にはマイナスになる選択だったかもしれないですけど、こういう選択をするのも含めて、ほんとに「いい人」だったんだろうなと思います。
私なんでか容保公のことは、ど~~も悪く思えないんですよね~~。例えれば東電の人とかに対するのと同様、不運だったなと思うだけで。たぶん自分が被災してないのと同様、会津戦争の渦中にいないから=自分と距離があるからなんでしょうね。

頼母も出陣の身なりを整えて。
頼母が涙をこらえつつ、ちょっと笑顔を投げかけてから出て行くのがよかったですね。自分はもちろん、おそらく妻女も自害するであろうと、こないだの会話から頼母にはわかっていたはず。
対して千恵さんが普通に泣いているのは予想外でした。決して涙はこぼさないみたいな強いイメーがあったので。

そして伝説の「白虎隊士中2番隊」に、運命の出陣命令が。
この時の「うおう!」というどよめきが、ほとんど「お前ら全国大会に出場決定だぞ!」と言われた時と同様なのが、命令する側の殿の方が苦悶の表情だったこともあいまって、余計に切ないです。忠誠心、情熱、名誉e.t.c.伊東君の「やったぜ」高木君の「頑張ってこいよ」という無言のアイコンタクトも、いかにも中高生の仲間ぽくて
ちなみに白虎隊で戦に出たのは士中2番隊だけではないそうで。これに関してはとっても詳しいサイトがありましたので、よろしければご参考に。
個人的には、戸の口原でのおしくらまんじゅうはどうかと思いましたが(まあ夏の雨と違って寒さもひとしおだったとは思いますが)「ウサギかと思ったら敵だった」っていうのはビックリしてよかったです。ていうか個人的に「わっびっくりした」とTVの前で白虎隊以上に驚いてしまいました

そして今回、いっちばん好きなシーンだったのが、影ながら長年山本家を支えてきて、その時々にいい味をかもし出してくれてた、徳造&お吉とのお別れ及び、山本家での最後の夜シーン。
「子女の方々は乱暴されないように自害すると聞いております」と、さりげなく会津戦争の説明を入れてくれたお吉のセリフもグーでしたが、このままお別れなんてとんでもねえ!とあくまでもいとまごいしようとしないその誠実さがもう
この2人って、てっきり夫婦で住み込みかと思ってたんですが、それぞれにお金を渡すってことは別の家なんですね。しかし2人とも「心は1つ」で、どうしてもお別れしなきゃならないなら、せめて今日の夜まで手伝わせてくれと。
もうカンカンが鳴ってるんだから、危ないんですよ。一刻も早く城下から立ち去らないと、マジで巻き添えになってしまうというのに。
ほんとにこの時代の人って、殿も会津藩士たちもお吉たち庶民もそうだけど、「奉公」=「誰か(何か)のために自分の身を役立たせる」という意識がガンとしてあったんですね~~~。もちろん同時代人でも人によって強弱はあるでしょうが。
私はどうもバブルを知ってる世代=こういう考え方が近年一番薄くなった頃を通過してきた世代なせいか、こういう意識って強制になるとこわいけど、でも大事だよな、と、こういうドラマを見ると目を開かれるような感覚があるのですが、けど今ってけっこう、こういう意識が揺り戻しのように来ている時代って気もうっすらします。震災の時とか、全体的にボランティアとか「何か役に立ちたい」という気持ちがすごく表面化したような気がしたもんなあ(と他人事のように)。これは昔の徳造&お吉や白虎隊とかと同じなのかなあ?同じな気もするし、違う気もするし。
そういえば、この時「もしかして死ぬつもりじゃないですか」と問われた山本家の人々は、「自害するだけが能じゃない」「お城に上がってもやることはいっぱいあります」と口々に言ってお吉を安心させますが、これも「命を惜しむ」が真っ先にあるからじゃなくて、「自分の身を役立たせる」がまず真っ先にあるからなんですよね。上は殿から、下は徳造&お吉まで共通する「そのためなら結果的に死んでもかまわない」が背後にセットでくっついてくるような。なんたって山本家もパリパリの上級藩士ですし。決して、生き延びるための「方便」としてお城へ上がるとか言ってるわけじゃ、少なくとも気持ちの上では全然ないという
そう思うと、白虎隊の「美化」とかって・・・いや、やっぱり考えがまとまらないな。来週にしよう。

で、その夜、2人はその言葉通り雷雨の中を食料保管したりして、最後まで山本家とともに「お城への一時避難」の準備を。
「(もしも)帰ってきたら食べられるように」と説明するお吉に「じゃあお吉の好きなかぼちゃも埋めないと♪」って、永の別れをまったく判ってないみねさの優しさが泣ける 私もお吉になりきって思わず涙目
傍らでその会話を聞きながらうらが縫うのは、そんな状況まったく判っちゃいないみねの名札。もしも生き別れたり、最悪死に別れた時に、身元がわかるように。ああ~~~
八重はひとり、角場に別れを。ああ三郎もこうして別れを告げていましたね。おとっつぁまやあんつぁまや三郎や、そして尚さんとの思い出がいっぱい詰まってる場所。今までの自分を育んでくれた場所。そしておそらく二度と戻らない場所・・・時は「8月22日 新政府軍が城下に入る前日」。

余談ですが、このドラマ、人が死んでいく時とかに、あえてメジャーコードの、明るくも荘厳な感じのBGM流しますよね。
あれが「くそ~その手には乗らないぞ」と思いつつもかなり効果的で。ちょっと賛美歌みたいな感じで、反射的に「ネロとパトラッシュを天使が迎えに来た図」とか思い出して、涙腺が刺激されてしまいます まあネロとパトはあのまま現世に生きるよりは天使に迎えに来てもらったほうがむしろハッピーかもしれないそれが悲しいといった感じだけど、こっちは「死」にハッピーのハの字もないのに「神の祝福」みたいな音楽ってどうなのよ(と言いつつ涙目

そして運命の8月23日!
ついに敵が城下に入ったことを告げる鐘の音が!!
そしてついに山本家には、スペンサー銃を担ぎ、三郎と化した八重が!!!

キターーーーーーー!!!
来たよ八重さん!!!この時のために皆「つまんない」「主人公が空気」とブーブー文句たれつつ見ていたのよこの半年
もう気分は、子供を仲間を守るために、忌み嫌っていた刀を抜いて「てめえら今すぐ十字を切って祈りやがれ」とタンカを切ったシスター今日子、及び彼女に「二代目っ!!!」と涙ながらに声を掛けるチンピラです 「二代目はクリスチャン」です。そういやあの話も、このシーンを描くためにすべてが逆算して作られてるような話だったなあ。

というわけで、いよいよ前半最高の山場を迎える「八重の桜」。
次回はついに八重のスペンサー銃が火を噴き、白虎隊は飯盛山中に散り、西郷家の婦女子21人は・・・と、一瞬たりとも目が離せないシーンの連続になりそうです!刮目して待つべし
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

八重の桜展

県立博物館でやってる企画展「八重の桜」に、遅ればせながら行ってきました♪

ちょうど修学旅行(いや社会科見学か?)シーズンらしく、博物館内外は小学生でいっぱい
「来館ノート」みたいなものにも、小学生のコメントいっぱいで、「本宮小」「渡利小」「(会津美里)本郷小」などなど。「すげーおもしろかったです」とか「本もののじゅうを見れてよかったです@小6女子」とか「原子力がばくはつして放しゃのうにめいわくかけられてるけど、がんばろう」とか、それぞれに味がありすぎ
ウキャウキャとたわむれる小学生たちとともに、展示室に1歩入ると、そこにはどでかい「ボロボロ鶴ヶ城」の写真が!圧・巻!!
この写真は鶴ヶ城でも他でも比較的よく見かけるものですが、こうして壁一面に引き伸ばされたボロボロ鶴ヶ城がどどーーんとあると、迫力です。大きいからボロボロ具合が細かいとこまで見てとれて、感無量。

ここから会津~日新館~京都守護職~孝明天皇~・・・と、時系列に沿って色々展示されてるわけですが、その中から、印象に残ったものをご紹介(撮影禁止なので、写真がないのが残念ですがm()m)

まずは「これがそもそもの元凶その1」である家訓。いやこれを作成した保科公にも、これを守ろうとした容保公にも、そして家訓そのものにも、罪はありませんがね ドラマ内で慶喜公にトカゲのシッポ切りされた時、綾野殿がアドリブで家訓をつぶやいたのは、容保公が憑依していたとしか思えません(宣伝番組で綾野さんが容保公のお墓に手を置いた時から、乗り移ってたのよきっとそうよ
展示されていた家訓は、題字が殿で、家訓が山川浩=大蔵でした。
私は「書」ってまったく詳しくないのですが、線が太いか細いか、止めハネ払いとかが丁寧かあるいは心のままに(?)か、そんなあたりから、書いた人の性格や状態なんかが伝わってくる気がして、ちょっと興味あるところです。で、そんな素人の私から見た大蔵の字は、わりとぶっとくて丸まっこくて、なんかカワイイ 殿の題字が、それこそ止めハネ払いの隅々まで神経行き渡ってそうなので(ま題字ってこともあるでしょうけど)、その対比が面白かったです。

そうそう「これがそもそもの元凶その2」である孝明天皇の御宸翰&御製もありましたよ♪ いや孝明天皇にも容保公にもその歌とかにも罪はないけど
孝明天皇の御宸翰&御製は・・・ドラマでは孝明天皇が自ら筆を取ってたけど、そうなのかな~??なんか御宸翰と御製で随分字が違うな~と思ったんだけど、片方は歌だからそういう崩し字なのかしらん??(←ここら辺が素人) わりとノビノビした感じの字だな~という個人的印象。
ここには後年、この御宸翰を賜ったいきさつを容保公が書いて、一緒に入れといたという添書&錦の袋も展示されていたのですが、この字が!That's 殿!!線が細くて几帳面で丁寧でっていう。そのチマチマ具合がいとしくて、思わずなでさすりたくなりました(←ホメてるのか何なのか

そうそう切腹を控えた萱野権兵衛宛ての、殿&照姫の書状もありました。
「自分たち親子の身代わりになってくれてすまなんだ」「面会も許されないのがつらいが、なんかあったら言ってくれ」等々、こもごもに書いてらっしゃいました。が、この殿の字は、上記のチマチマぶりが全然なくて、まるで殿じゃないみたい。最後の「萱野権兵衛」だけはすっごくキレイでチマチマしてたけど。
照姫の書は、歌が多いせいか、字がどれも芸術的でよくわからず 和歌を書く時って、なんかみんな「書き散らす」みたいな字になるんですね(とことん素人です

新撰組関係の展示もありましたね~。禁門の変の時の、幕府から新撰組への賞状(とは言わないな 「よくやった」っていうおほめの書状)とか、島田魁さん(だったかな・・・?)の日記とかもありました。この人の字がまたすごい神経質そうな達筆で驚き てか昔の人ってみんな字上手ですね~

会津戦争になると、なんと言っても、奥羽越列藩同盟旗のホンモノが!どどんと!!
米沢からお借りしたものだそうですが、この大きさそして本物の迫力はさすが できればガラスケースに仰向けじゃなく、棹にさして翻るサマを見たかった!
ゲベール銃やスペンサー銃もありました。スペンサーの方が、若干細くて確かに軽そうだったかな??(でも素人目にはほとんど同じ

個人的に面白かったのが、「本当とは違う会津戦争」みたいなタイトル(うろ覚え)で展示されていた「官軍勝利会津落城の絵」。そもそも「落城」してない鶴ヶ城に、縄梯子かけて官軍がよじのぼってる真っ最中とゆう 明治期の物らしいですが、何かの物語の挿絵とかなのかなあ?それともプロパガンダの一種か?いずれにせよ興味深いです。

もう1コは、鶴ヶ城にも甲賀町通りにもあってお馴染みの「降伏調印式の絵」。
これって「会津軍記」という本の中にある絵だったんですね!こちらは上の絵とは対照的に、官軍はみんなおっかなそうな顔に、容保公&喜徳公は目元涼やかに描いてあります
ここで私が一番見たかった、実物「泣血氈」が!おお・・・これかあ・・・

そうそう南会津での戦いの絵もあって、これ見て初めて、鶴ヶ城開城後も南会津で戦が続いていたことを知りました。

京都編では。
やっぱしジョー&八重の部分がいいですね~♪フローリングに、ソファ、テーブルセット、ドアという新島邸再現コーナーなんかもあったのですが、いやこれは八重さん大変だったろうなと
隣の洋食器やランプなど実際に2人が使っていた雑貨コーナーに写真もあったのですが、その説明いわく
「八重の写真は、ジョーの生前は洋装和装両方あるが、ジョーの死後は和装の写真のみ。これは八重にとって洋装は(好きで着ていたわけじゃなく)「ジョーの妻だから」というプライドで着ていたことを表している」
みたいなことが書かれていて、なるほどな~~と。そんな八重さんにしたら、椅子とテーブルの生活は、少なくとも慣れないうちは、まっっったくくつろげなかったと思います。

そうそうジョーから八重にあてた手紙もあって。
これがまた面白かったですね~。何しろ長いの 旅先であったあれやこれやをこと細か~~~く書いていて、「ちょっと八重さん聞いてよ。ジョーはこんなにがんばっちゃいましたよ」みたいな 最後の方には「風邪とのことですが大丈夫ですか」なんて聞いていて、きっとマメに手紙をやりとりしていたんでしょうね~。「そういえば鹿肉は丸焼けになっちゃったそうですが仕方ないです。次はもも肉買ってきて、塩漬けにしてください」とか、めっちゃ日常くさいことが書いてあったりしてウケました 
なんでも八重からの手紙は、現存するのは封筒だけで、中身は残念ながら残っておらず。ジョーからの手紙は何通か残っているそうですが、どれも2m超える長さだそうです。2mって書きすぎ

ジョーのコートもありました。これがま~コムデギャルソンみたいな、黒でスタイリッシュなコートで、現代でも余裕でイケるカッコよさ けどデザインのせいか、妙にちっちゃく見えたな~~。レディースものみたいでした。

そして今回の展示の中で一番気に入ったのが、八重の手芸作品。パッチワークっていうのかな?布を張り合わせてキレイなお花の絵を布にくっつけてるんだけど、「山本八重」っていうハンコが押してあって。
「男まさり」「裁縫は嫌い」という話が伝わる八重ですが、これをコツコツと作っている姿を想像すると、実はそれは表面的なほんの1部分が、拡大して伝わっただけなんじゃないかな、と思えて。
何より、この布の裏。そこには「Yae Niijima Yae Niijima・・・」と、筆記体がびっちり書かれてるんですよ~~~
説明曰く「表の手芸は、ハンコから結婚前だろう。裏はジョーとの結婚が決まった後と思われる。結婚の決意なのか、サインを練習したのか、何を思って書いたのかは本人にしかわからない」みたいなことが書かれてあったのですが。
1人机に向かって、何回も「Yae Niijima」と英語で書いている八重を想像すると、なんだかすごく微笑ましくて、かわいらしくて

最後には、昭和3年、秩父宮妃ご成婚の年に京都で行われた、会津人同窓会(正式名称は「会津会秋季例会」)の記念写真大型パネル。
思わず笑っちゃうレベルにそっくりな、会津松平家ご当主と、勢津子妃のお父様(=ご当主兄)。「うわさすがじーさんになってもピシッとした顔してるなあ」と感心する柴五郎氏、柴五郎氏をもうちょっと怖くないじーさんにしたような山川健次郎氏、そしてすっかり柔らかい感じの八重さん。戊辰は遠くなりにけり、かなあ。
しかしこの写真を並んで見ていた小学生たち、友達同士と「つまりババアなのに銃で戦ったっていうのがすごい人・・・」云々と言いながら出口へ向かっていったのは、おばちゃんの聞き間違いだと信じたいです

というわけで、他にも色々貴重な、興味深いものたくさんの「八重の桜」展。
感想は、これまた小耳に挟んだ見知らぬ人の会話「これで千円なら妥当だな」と、まったく同じでございました

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八重の桜・第24話

八重の桜・第24話の感想です。

覚馬がついに「管見」口述筆記開始!
先週「輝く未来を夢見ていたはずなのに、どこで間違った?何ができる?」と嘆いていた、その答えがこれだったわけですね。
しかしこのお弟子さんが一緒に捕まったのは、お弟子さんは大変だったでしょうがよかったですね~ 「管見」っていうと、イコール山本覚馬って感じですが、影にこの人があったればこそ完成できたんですね♪
山本覚馬の「管見」って、私は「これで岩倉や西郷を感心させた」としか知らないのですが、検索してみたらこんな素晴らしいサイトがありました
上のサイトで紹介されているものは、正しくは「管見」ではなく「建白」だそうですが、しかし内容はほぼ同じ、その違いも説明されつつ紹介されているので、興味のある方はぜひどうぞ♪
個人的には、「時勢之儀ニ付拙見申上候書付」で、「(あなたがた薩長はもちろんすぐれた考えを持っているけれど)しかし幕府も会津も国を思ってのことだったのです。それがこういうことになったのは行き違いです」とか、相手を立てつつ一生懸命会津を擁護しているのが好感でした。だって私も、「会津がどこかで間違った」とは思えないんだもの。もし間違いがあったっていうなら、それは突き詰めると「お前がお前のようであること、それ自体が間違いだ」になっちゃうようなもんで。そんなん、誰かに言える人間なんてこの世にいないだろうと(それとも、そうして突き詰めるのが間違いかしら?)
余談ですが、この牢番が最初めっちゃヤな奴として出てきたのは、後に見逃してくれる伏線だったんですね おそらくNHK的には、覚馬の「岩窟王」ばりの、「思う念力岩をも通す」を描いていたのでしょうが、私的には「大っ嫌いなヤンキーが濡れそぼった捨て猫を抱いてるところを目撃してしまって、ヒロイン胸キュン」みたいな「サルまん」として見てしまいました

八重のところには、年を誤魔化して白虎隊に入れたことを純粋に喜ぶ伊東君と、先を越されたと純粋に残念がる山川君。
ああここで明暗が しかも「八重様に鉄砲を教えてもらったおかげです♪」なんて、後々まで八重の十字架になりそうなことを、純粋に感謝をもって。
尚さんも少年たちのことを、八重さんと同じく、微笑ましくも複雑な目で見ていましたね。この人の場合は「反射炉も新式銃も、何もできないまま戦争になってしまった」という、これまた十字架を背負ってしまったことにより。
後の世から見ると、伊東君と山川君の運命の差は「伊東君アンラッキー。山川君よかったね」オンリーですが、山川さん本人は生き延びてよかったどころか、後年でも白虎隊の話になると涙を浮かべたとか。あの戦とかでまったく活躍できなそうな非・体育会系として、少年たちにからかわれていた山川君にしてからが。
ああでもわかる気がします。山風さんは「戦中派不戦日記」のあとがきに
「忸怩たらざるを得ないのは、結局これはドラマの通行人どころか、「傍観者」の記録ではなかったかということであった。むろん国民の誰もが自由意志をもって傍観者であることを許されなかった時代に、私がそう得ありえたのは、みずから選択したことではなく偶然の運命に違いないが、それにしても-例えば私の小学校の同級生男子34人中14人が戦死したという事実を思う時、かかる日記の空しさをいよいよ痛感せずにはいられない」
「それに「死に時」の世代のくせに当時傍観者でありえたということは、ある意味で最劣等の若者であると烙印を押されたことでもあったのだ」
と書いてらっしゃいますが、おそらく当時「心ならずも自分だけ生き残ってしまった」世代は、多かれ少なかれ皆こういう忸怩とした、つまり後ろめたさの混じった割り切れない思いを抱えたまま、長い戦後を生きていたのではないでしょうか。この後ろめたさは、戦争を継続させるのにも極めて有効に働く種類のもので、てことはけっこうおそろしいもんかもしれないのですが、しかしそう思ってしまうのは「死んでいった同世代をそれだけ痛切に悼む」からこそであって、てことは戦争の抑止力にもつながるものでもあって。
何より、美しいものだからおそろしいものだから以前に、そういう思いを否定しきれない、むしろ否定したら人間としてどうなのか、とも思っちゃうのが人間なんですよね。正しい思いと間違った結果は(会津藩みたいに?)表裏一体というか、美しさと、その美しさが織り成すおそろしさは分離不可能で、割り切れないようになっているのが念入りに残酷な構図というか。

小松左京さんなんかもその世代で(山風さんより10歳近く下だけど)、wikiによると
「終戦時は14才だったが、当時は徴兵年齢がどんどん下がっており、「このまま戦争が続いて、自分も死ぬのだろう」と考えていたが、思いもよらず生き残った。そして、沖縄戦で自分と同年齢の中学生の少年たちが、銃を持たされて多数死んでいるのを知り、「生き残ってしまったものの責任」を考え、文学をそして、将来SFを書く契機となったという」
だそうです。あの有名な「日本沈没」も、SF的大事件が起こったらどうなるかという単なる思考実験ではなく、「日本が一億玉砕したら」という思いが底にあって書かれたものだそうで、つまりそれだけ自分の中で消化できない、どうしてもこだわってしまう部分だったんですね、「敗戦体験」は。
(ちなみにwikiには続けて「小松に限らず、日本のSF作家第一世代の多くは、「敗戦体験」が創作の基盤となっている」ともあります。これらの人がどんどん亡くなって、どれくらいのことが伝わらないまま消えていってるんでしょう?)
さらに、そういう思いをもって「日本沈没」を書いた小松さんにしてからが、実際に日本人が「日本」を失った後の世界を描く第2部では、wikiいわく
「「日本人」としての固有性を守るべきか、「国土を失った民族としてコスモポリタニズムに貢献」すべきか小松に迷いが生じ、長く執筆されなかった」
のだそうです。実際第2部を読むと、ナショナリストとコスモポリタンが、上のテーマのため対決し(この対決=議論の部分はすっごく面白いです!長いので引用不可能ですが、もしも古本屋さんなんかで見かけたらぜひ!ちらっと「戊辰戦争」も出てきたりして、日本の国を考えるのに戊辰戦争は欠かせないキーなんだということもうっすらわかったり)、結果的にコスモポリタンが日本人を救うのですが、そのコスモポリタンを「彼は日本を愛するように他の国を愛することができた。それは日本の外に出たことがないからだ。だから理想を語ることができた。日本という国にこだわることなく、人類の存続を考えられた。だが、僕には無理だった」とナショナリストをして解説させ、やがて数百年たって、かつて「日本」という国が存在していたことすら忘れつつある時代、宇宙へ移民する日本人たちが、遠ざかる地球を眺めながら「君が代」を歌うシーンで、物語の幕を閉じています。

一方、日光口で苦戦していた新政府軍は、進路を棚倉~三春~二本松へと。
日光口を守備するは、見るたびどんどん進化している大蔵 「はやるな!」はカッコよかったな~ しかしこの人、初めの優等生設定は絶対いらなかったと思う もとからヤンチャな悪ガキなら、今の進化も「さもありなん」だけど、「八重の桜」を見る限りでは「おろしやってどんなすごいとこだったんだろう?」という感想しか浮かばなくて

棚倉を落とされたと知った頼母は、鶴ヶ城に急ぎ戻り(あの白河小峰城はホンモノですよね?映像そのものは合成ぽかったけど)、殿に「ここにいる家老全員の首を差し出しても停戦すべき」と、涙の直談判。
なんかねえ、言葉だけ見ると頼母の言ってることに、従って頼母の必死の真情にも、全然シンパシーわかないんですよ。「家老の首を」もそうだけど、「最新の武器をかき集めて」「今から反射炉を作って」等々、土佐たちが口々に言うように「アホか」「できるならとっくにやってる」「だから今こうなってるんだろうが」のオンパレード。そもそもこれは言われなくても頼母もわかっているはずのことで、つまり単に「錯乱して感情論になってる」だけなんですよね。「同盟への信義にかけても、今更やめるわけにいかない」と「武士としての矜持」という感情論で思考停止している他の家老と同じように。
そもそも頼母は一貫して、現代的価値観の代弁者として描かれていましたから、むしろ視聴者としては頼母の方に感情移入しやすいはずなんですよね。先の大戦だって、あと1年、いや半年、いや2週間でも1週間でも早く終わっていれば、どれだけの人が死ななくて済んだかとか、いつも思いますもん。数もそうだけど、死んだらその人はもうそこで終わりなんですから。二度と戻ってこないんですから。
と強く思いはするのですが、そして以前ならそこで止まっていたはずなのですが、しかしそんな私にしてからが、会津の主戦派に感情移入できる描き方になっていたのが「八重の桜」の素晴らしさ
これは「故郷(の尊厳)を守りたい」という思いとシンクロしてしまう福島県民ゆえかな~(ま私は今たまたま福島にいるだけで「故郷」じゃないんですが)とも思うのですが、たぶんそうじゃない、「どうも頼母って正論なんだけどさ・・・」という受け止め方してしまう他県の人もきっといっぱいいる気がします。それだけ、ここに至るまでの会津が味わった理不尽さ、悔しさ、そして融通の効かない頑固なバカ正直さが丁寧に描かれていて、「でもそれは決して悪いこととは言えないんじゃないの?」というのが共有されているのではと。

んが、TVで西田頼母がそんな錯乱状態に陥ってるのを見ると・・・頼母にあまりシンパシー持ってなかった私にも、その必死の真情がものすご~~~く痛切に伝わってくるんですよね~~。さすがもしもピアノが弾けたならです(←意味不明)。家老全員の首を差し出して藩は今後どうなるのか、いやそもそもこんな中途半端なとこで新政府が矛先を収めるのかかなり疑問ですが、それでも頼母の「停戦」案の方がやっぱり真っ当で、それをはねつける側の方が、頭ガチガチに思えてしまう。たぶんこの後に控えてる二本松少年隊とか、あるいは白河のボロ負け具合とかを頼母とともに先週から見てきたせいもあるのでしょうが。
んで錯乱してあれこれ言った挙句、すべてダメ出しされて思わず「だからあの時都から引き揚げてれば!」と、「殿は養子だから」と同じくらいの「言ってはいけないこと」を言ってしまう頼母。ああ~今回やっとシンパシー抱けた頼母に、ここです~っと引く思いがどうしようもなく私の中に
それを代弁してくれるのが、かつては頼母と膝突き合わせて「困ったよ」と話し合う仲だった、神保父。「お前は京都で俺たちが味わったあの苦労を共有してないからそう言えるんだ」
ぐ~~~わかる ほんとに、ほんとにそうだと思います。
しかし同時にこれは国家老として、長らく国許の疲弊具合を目の当たりにしていた頼母が、あるいは白河で「敵に弾が届かない」という悪夢を目の当たりにした頼母が、京都守護職時代や今この場で、殿たちにぶつけている思いまさにそのものでもあって。「お前らは見てないからそう言えるんだ!」という。
つまり両者の間にはどうしようもない「断絶」があって、そこはどうしてもわかりあえないんですよね。これを乗り越える手段は果たしてあるのかしら?「共有してないからこそ役割分担できる」といったように。

というわけで、頼母は失脚。まあこの人はもともと恭順派なのでおそらく戦に対して消極的だったろうし、加えて大蔵みたいに戦場での作戦能力が優れているわけでもなさそうなので、この処分自体は双方のためにもよかっただろうと思います。しかしこれを言い渡された時の、もはや何も言えず、ただ目に涙をためるのみの西田頼母はやっぱりよかった

というわけで、「戦争やむなし」→「いややっぱ戦争はいかんよ」→「でもなあ」と、TVの役者さんたちとともに私も二転三転した今回のお話の中で、唯一一番スッキリしたのが春嶽パート。ほんとに、この人は私が、というかおそらく視聴者が言いたいことをすべて言ってくれる 「合議制の新しい国を作るって言ってたのに、結局徳川があんたらに代わっただけじゃねーか」「会津の謝罪恭順も受け入れず、私(や勝)の会津赦免嘆願も聞き入れず、帝の名の下に必死に内乱を起こそうとして、これがあんたらのやりたかった新しい国づくりか」「そんなら歪んでるよ。悪いけどその歪みは後々絶対ヘンな形で出てくるよ」多少私が勝手な言葉をつけくわえてしまいましたが もちろんこんな暴言(?)が聞き入られるはずはなく、スッキリしただけで再度越前へ退場です。いやスッキリさせてくれただけで充分ですけど そういやこの人も赦免嘆願してくれてたんでしょうか?そんならスッキリに加えて、とってもありがたいですm()m

あ、もう1つあった、スッキリというか心地よいシーン。それは新撰組と白虎隊のコラボ。
「さすが会津藩士の子供たちだ。俺があのくらいの年の頃はケンカしか頭になかった」と、さりげなく会津をほめてくれつつバラガキ発言する土方 「バラガキ」って銀魂で知って、なんで昔の人ってこういう風流な名前をつけるんだろうと(相手をバラバラにしてバラ肉にするとか、そんなんじゃないらしいです
土方&斉藤が、子供たちを微笑ましく見てたり、会津との信頼関係を語ったりするのが、なんとも言えずしみじみと良いシーンでした。

そして舞台は二本松へ。
だからさ~~「刀が抜けなくてムジャキに笑う少年たち」とかやめてよ~~。いかにもお涙ちょうだいであざといわ~~~(←と言いつつまんまと術中に) そうそう頼母邸での「さあこちらが今度自刃する婦女子一同です」と紹介するための姫君勢ぞろいシーンもかなりあざとかったですね~~。しかし千恵子さんが言ってた「頼母の名を辱めません」は、もちろん当時の武家としてあるべき(どころか昭和の軍人家族まで残っていた)心構えだったのでしょうが、プラスやっぱり、家老たちに総スカンされ、ほとんど裏切り者扱いになってしまった頼母の真情・潔白を、家族全員の自刃でもって証明するという心理もあったのかもな~などと、とってもリアルに思えてしまいました。
おっと二本松に戻って。木村銃太郎先生が、八重と同じことを思ってましたね。「鉄砲を教えたことが仇にならなきゃよいが」。そういや先の大戦時、純粋な使命感と信念をもって、または心ならずも義務感で、「忠君愛国」を説いた当時の先生たちは、戦後はどんな心境で過ごしたのでしょうね?
しかし当然の如く、少年たちは戦場へ。
ここら辺のシーンは、向こうの大砲が何度も命中してそのたび吹き飛ばされたり、畳を銃弾が貫通したりといった映像が思い浮かぶだけで、上のような長々とした感想があまり思い浮かびません。「渦中」ってそういうもんなのかもですね。
(余談ですが、「畳で弾よけ」って、彰義隊を描いたマンガ「合葬」にも出てきました。「こんな畳で防げるのかな?」という少年隊士に、もう1人の少年が「イモ侍のヘロヘロ弾なんか、これで充分さ」みたいな)
そして子供たちをかばいたい一心で、蜂の巣になって死んでいく若先生。罪滅ぼしの気持ちもあるでしょう。矜持もあるでしょう。あんましこういう生き死にの場面で、簡単に「わかる気がする」なんて言うのもどうかと思いますが、しかしやっぱりわかる気がしちゃうんですよね~。「死ぬんだぞいいのか」っていう気持ちが、こういう興奮状態の場で、他の色んな気持ちが渦巻く中で、思いっきり後ろに下がる一瞬があるのが。
斬りこんで亡くなる少年も、まさにそうでしたね。そういえば、やたらカッコいい反町巌が「よく戦った。早く家に帰れ」というシーンは、たまたま見ていた6歳児Uすらも「敵キャラなのにいい人だね」とわかる良いシーンでしたが、その後、自分が少年に斬られながらも必死に「殺すな」と味方をおしとどめる敵キャラは、さらにいい人ですごく印象に残りました。反町巌だったら、ああ言っときながら自分が斬られたら途端に返り討ちにしそうだけど(個人的偏見)、殺されかけながらなおも「助けてやれ」と言えるのは、すごいなと。

八重が、息を引き取った子供を抱きしめて泣いたりするのは、覚悟していたのであまり涙目にならずに済みました
(ついでに、後に八重が片目を光らせて、胸に炎を宿したシーンでは、6歳児Uも「あっ変身した!こわい人になった!」とわかるほど鬼気迫る演技でしたね~
むしろ不意を討たれて「あ、ヤバイヤバイヤバイ」になっちゃったのが、その後の「紀行」で、「生き残りの少年曰く、「出陣前夜は修学旅行に行くみたいな感じだった」」
うんうんきっと本当にそうなんでしょう。武家に生まれた少年たちなら、武門の誉れだし、自分の力で自分たちの郷土を守れるし、「東京大空襲では焼夷弾が逃げ道を断つように落とされて、子供を自分の下に敷いて助けようとした母親もろとも焼死して」とか、そんな具体的な「戦争の悲惨さ」を知ってる現代の私たち(ま現代の私たちも実際には知らないですが)とは、戦争に対するあらゆる価値観が違うと思います。決して「修学旅行に行くみたいな気分で戦争に行くのは間違ってる!」なんてことを言いたいわけじゃ全然なく、たぶん当時なら、そして少年ならよけいに、そういう高揚感に包まれるものだろうと、素朴にわかる気がして、うんうんと思う同時に切ないなあと涙ドバ。

最後に、またまた山田風太郎さんの「戦中派虫けら日記」より、昭和18年、学徒出陣する友人を東京駅に見送った時の描写。
こちらは二本松少年隊よりも白虎隊よりも年長で、その分、悲壮感も強いのですが、しかしやっぱり、それは高揚感の後ろに下がってしまう、というか、悲哀、絶望といった悲壮感が強ければ強いほど、高揚感がそれらを後ろに下がらせてしまうのかもしれませんね。
「宮城前の広場には、かがり火と歌と万歳の怒号が渦巻き返っている。嵐にもまれるようにゆらめく提灯、吹きなびく幾十条の白い長旗、それに「A君万歳、L大学野球部」とか「祝出征B君、Y専門学校剣道部」などの文字が躍り狂っている。
右を見ると、長髪弊衣、黒紋付角帽の群れが木刀を打ち振り、朴歯の下駄を踏み鳴らして「ああ玉杯に花受けて」と高唱している。左を見ると、真っ裸に赤ふんどしをつけた若い群れが、「弘安4年夏の頃」と乱舞している。
仰げば満天に零れ落ちんばかりの星屑、蒼茫の大銀河、広場をどよもす「赴難の青春」の歌声-。みんな泣いている。みんな笑っている。情熱に酔っ払って、旗と灯影にゆれ返る無数の若い群像の上を、海の潮風のように渡ってゆく声泣き悲哀、絶望の壮観。
「死んで来うい!」
「俺たちもすぐゆくぞ!」
「フレー、フレー、フレー!」
胴上げされて宙に舞う影、ちぎられて火の輪のように回る赤褌、その中からやがて出陣の学生を神輿みたいに担いで、駅の方へ走り出す。みるみる前後左右を、数団のお神輿がうわーっとつむじ風のように駆けてゆく」

学徒は、当時「尋常小学校高等科」で終わりも当たり前だった時代に、高学歴のエリートとして存在していたので、その分、個人の運命に対する絶望は、またそれに相反して社会に対する使命感・責任感は骨身にしみていたことでしょう。そんなところは、白虎隊とかぶってしまいます。彼らがみな生きて帰ってきたら、どれほど戦後の復興に力を発揮したことか。
というわけで次回はいよいよ学徒出陣、じゃなくて白虎隊出陣です。
純粋さと悲惨さが、背中合わせで分離不可能なゆえに、いっそう残酷な構図がまた来週も

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八重の桜・第23話

八重の桜・第23回の感想です。

今回はなんといっても世良修蔵でしたね~
たかだか桜前線の北上をもって「何もかも遅れた土地」とほざき、いい気な歌詠んでご満悦。「僻遠の地の国主なんか、手柄でも立てなきゃ(俺みたいな)出世はできないぞ」なんて、こいつに言われても「ハイがんばります」どころか、おめーみたいになったら落ちぶれたもんだわとしか思えないという いつ見ても酒飲んでるし、酒こぼすし、どう見てもただのチンピラ。ていうか見た目がそもそもチンピラ
もし世良がこのとおりの人物だったとしたら、いやここから悪人要素を3割引きくらいしてもいいな、そんな世良を送り込んだ時点で、新政府は奥州を怒らせて戦争したかったとしか思えません。それくらい、マンガのようなチンピラでした世良修蔵 

こんなのに頭ごなしにあれこれ言われて、腹に据えかねる思いがあった仙台・米沢は会津を訪ね、平馬たちとともに話し合いを。
「(容保公の首を差し出すなんて)理不尽な。それでは徳川宗家よりも罪が重くなる」
と、吼えた大蔵GJ うんそんなハルノート受け入れられるはずないわよねえ。
鳥羽伏見の首謀者の首という譲歩案も拒否し(でもそんな甲案・乙案で譲歩しても「こんな首いらん。容保の首持ってこーい」@世良という、死に損で終わりそう)、交渉決裂かと思われた時、平馬の命がけの談判、そして尚さんの「会津一国のことではございません」の説得により、空気が変わり、会津・庄内救済の為の嘆願書を出すことに。
さすが尚さんうまいです。いくら「絆」なんて言って煽っても、やっぱり「自分のこと」でないと結束力が弱まるのは当然ですもんね。
この列藩同盟に至る仙台・米沢の、ベースとなる感情、すなわち奥羽鎮撫使≒新政府に対する感情というのは、ノベライズを読んだらすごくわかりやすく書いてありました。以下引きますと
「奥羽鎮撫使は仙台藩に対し、強硬に会津出兵を迫ったため、3月、仙台藩は会津藩境に出兵していた。数度の交戦もあった。だが形ばかりの交戦だった。仙台藩と会津藩は事前に申し合わせをし、空砲を撃ち合ったのである。もちろん犠牲者は一人も出ていない」
「会津藩主は既に恭順の意を表している。京都守護職として会津が尽力し、孝明天皇の時代には厚い信頼を寄せられていたことも知っている。仙台藩に会津を討つ理由はない」
「「奥羽の賊徒は奥羽に討たせる」と、自らの手を汚さずに会津を抹殺しようとする態度にも反発を覚えずにいられない」
「伊達政宗を藩祖と仰ぐ仙台藩は、奥羽の雄である。そこに一片の武士の矜持もない奥羽鎮撫使一行が突然乗り込んできて、仙台藩を侮り、権力を誇示し、我が物顔にふるまっている」
「問答無用で会津への討伐に固執する世良の態度にも疑念を持っていた。新政府勢力内部にも強硬派と穏健派がいるであろう。融通の効かない世良のような人物を最前線の交渉の任に当たらせたという新政府の狙いはどこにあるのか」
「ここで奥羽の力を見せておかねばならない」

というわけで、ついに奥羽諸藩が集結
「25藩も!ありがてえなし」という八重の言葉。「みんな同じ奥羽の仲間だ」というおとっつぁまの笑顔。ああこの時の山本家シーンは、ほんとによかったな~~~ 2年前、あの「絆」という言葉が満ち溢れた時、あの時の、「がんばろう東北」と一丸となって何かしようとしていた気分とか、「ありがたいなあ」と思った気分とかを思い出すというか。
もっともこの時の八重たちのうれしい、ワクワクする気分は、やがて色んなことがあって「絆なんてウソッパチ、押し付けがましい」という気分が見え隠れしてくるのと同様の末路をたどるわけですが(あくまでも「見え隠れ」であって、その気分一色に変わったわけじゃもちろんないですが念のため)。でもそれは、状況が細分化して、それを気分じゃなく現実として解決しなきゃいけない以上、ある意味仕方ないことでもあり。
そしてたとえ全体的な気分がもし変わったとしても、あの時感じた(そして今も感じ続けている)「がんばろう東北」「ありがたい」という気分は真実であり。
そうそうこの時の「じゃあ会津が逆賊じゃないことも、明らかになる?」とワクワクする八重に、「なるべ」と答えたおとっつぁまが「そもそも、そもそも会津には、なんも、なーんも非はねーんだ」と重ねて言うのが、いかにも口下手な頑固オヤジのあふれる真情という感じがして、かわいらしくてツボりました やっぱしおとっつぁま好きだわ~♪
個人的に、「会津が逆賊」という悔しさは、私の中で「福島への風評被害」の悔しさと重なっちゃってるとこもあるので、こういう「濡れ衣が晴れそうなシーン」とか、あるいは「会津に罪はないことは奥羽諸藩みな承知している」みたいなセリフには、余計にぐっと来ちゃったりして。

このうれしくもワクワクな気分を、あっさり足蹴にしてくれるのがやっぱり世良 さすが世良 世良の上司である九条さんにしてからが呆れて目をむいてるけど、いいのよあんたはそれくらいで
嘆願状なんぞコケにして、旅館で呑む打つ(←オシリを)買うの1人大騒ぎしていた世良修蔵は、「奥羽皆敵」にアタマ来た仙台・福島藩士たちによって暗殺。
登場から退場まで、まったく迷いのない悪人ぶりでGJでした お姉さんにまで刀隠されてるし(一番の殊勲賞はこのお姉さんかも?) ちなみにノベでは「翌日阿武隈川の河原で斬首」となってたけど、TVでは自分のオシッコで濡れた(?)庭先でしたね

これでもう頼母いわく「総督府に奥羽を討つ口実ができた。攻めてくんべ」の状況になり、当初は数の圧力で和平交渉するための集まりだったはずの諸藩は、軍事同盟「奥羽列藩同盟」に。
やっぱし口実欲しさだったんでしょうかね~世良が参謀になったのは。だとすると世良も「使い捨ての駒」ってことになりますが。なんせテキは「薩摩藩邸焼き討ち」による成功体験もありますしね~。
それとも世良が殺されたのはさすがに新政府としても想定外だったかな?後世から見るとついつい「起こった事件ありき」で考えてしまいがちだけど、実際はそんな計算づくの方が少なかったりしますしね往々にして。尚さんも「総督府といえども奥羽全土を敵に回す戦力はない。これで譲歩してくるでしょう」と言ってるし。
しかし私としては、「革命には血祭りがいる」→「目に見える形で革命を成就し、後顧の憂いを除かねば」というスタンスの新政府には、広大な奥州を「中立」みたいな形で温存しとくわけにはいかなかったのかもしれないな、とやっぱしちょっと思っちゃいます。

というわけで、私の理解の仕方では「戊辰戦争におけるミッドウエイ」である白河の戦いが勃発。いえ海戦じゃないですけど、後の世から見ると、ここで以降の流れが決まっちゃった感がある戦いという意味で。
新政府軍が、の~んびり大砲撃って「おお~当たったぞ~♪」とか、緊迫感のキの字も見当たらないような戦いしてる一方、ドカドカ撃ちこまれてる会津側では「敵に弾が届きません」「あんだって?」「敵に弾が届きません!!」
この時の、思わず聞き返すカトチャ、じゃなくて頼母もよかった どうもやっぱり中通り言葉なのか、頼母が何かトボけて言ったりするとどうしても加藤茶さんを思い出してしまうのですが、なんかもう笑うしかないくらい絶望的で、バカバカしい状況っていうのを、西田さんのトボけた口調が引き立たせていました。
しかし「お前たちは戻れ。わしは斬り込む」「おやめください」のシーンは、個人的にどうも頼母にシンパシーが今一つなせいか、ちょっとシラけちゃったなあ。頼母のやむにやまれぬ心境を表しているのはよくわかるし、実際「向こうの弾はドッカンドッカンなのに、こっちの弾は」なんて、夢に見そうなくらい恐ろしい状況で、その責任者なんてなったらもう、瞬速で胃に穴があきそうなんで頼母の心境もわかるんだけど

で、白河口は奪われ、戦場で壊れた武器を修復する尚さん。
想像以上に旧式な武器に、暗澹とする思い。火縄銃はないわーーー
八重さんは傷の手当てに。日新館がとりあえずの病院になってたんですね。
思わず立ちすくんで、ユキの手をとる八重さんがよかったです。
最初はいまいちピンとこない、遠い中央からのニュースばかり。やがて家族が出征し、戦死の知らせ。仲のいい近所の奥さんも未亡人スタイルになり、そしてついに、目の前に負傷兵が。
こういうふうにだんだん、だんだん近づいてくるんですね。

と、世良つながりで一気に終わりまでいってしまいましたが。
もちろん他にも印象深いシーンはありました。
まずは何回か、しかしさらっと出ていた、「今年は雨が多い。作物の育ちが悪い」「凶作にならないといいが」
これは前回書いた「合葬」にも出てきました。4月の江戸でさらっと出てくる会話に「正月から3日と続いておてんとさまが出ない」。
会津の場合、収入は基本、昔ながらの「米」頼みだったので、ますますキツかったでしょうね。戦争目前で出費増のこの時に。
そういえば会津の大火の時も「不作」と言ってた気がするし、つまりここ最近ずーーーっと、藩の財政は火の車だったんですね。
いや会津に限らず「今年は凶作の恐れもある。誰も戦なんかしたくない」っていうのは、この時の東北の共通項だったわけで。

江戸では上野から慶喜は水戸へ出立し、ここで名実ともに江戸城無血開城が成立。
勝に向かって
「そなたが仕えていたのはわしではない、徳川幕府だ」
と、それまでの孤独感を吐露する慶喜公。あらこの人もやっぱし「寂しい」とかそういう人間らしい感情がないわけではなかったのね。
と、ちょっと同情しますがしかし
「わしに家臣が居ただろうか。会津のように君臣一体となる家臣が」
ってそれはあなた「隣の芝生は青い」よ~。あなたの性格なら、「君臣一体」となる家臣団なんて「ウザくて足引っ張るだけのバカ集団」にしか思えないかもよ~
第一いっくら忠義の家臣でも、あなたがあーんなことしたりこーんなことしたりすれば、そりゃ君臣一体なんてムリムリ あの「家訓」に骨がらみ縛られて忠義心しか頭にないような容保公にしてからが、最後はあなたに愛想つかしてたじゃん あの人が愛想つかすって相当だと思うわ~~~ 
ま会津藩は魑魅魍魎の幕府と違って、もともとがそういう「君臣一体」型の藩だったってのもあるかもしれないけど。でも容保公も養子で入って、そんな藩に馴染んで「一体化」するまで行くには、かなーり苦労があったと思うわよ~。
ってこのシーン見たらおばちゃん、つい慶喜説教モードになってしまいましたスッキリ~ いやこういう「誰にも愛されず、誰も愛さず」みたいなキャラも決して嫌いではないですけどね。「2人の王女」のオリゲルドとか(って唐突にガラスの仮面

会津では、新撰組の土方&斉藤(じゃなくて山口。オニカンも不思議がってたけど、なんで名前を変えたんだろう??)がしみじみと
「会津の殿はよいお方だ。領内に局長の墓を立ててやれと」
野良犬の集まりみたいだった新撰組と、頑固で融通効かない会津藩、いつしかほのかな信頼関係で結ばれていたんですね~。だから斉藤一とか恩義を感じて会津に残って。こういうの好きだわあ 墓前際が今でも営まれてるくらい、斉藤一が会津で人気あるのもわかる気がします。
ちなみに斉藤一は時尾ちゃんと一緒に七日町の阿弥陀寺に眠っていますが、近藤勇の墓は東山の天寧寺というところにあります。当時東山温泉で療養中だった土方が作ったと言われていて、2人の墓碑が並んで立ってるという(レポこちら)。
たぶん土方や斉藤も、実際にこのお墓の前に佇んだこともあったのでしょうね。余談ですが柳沢慎吾ちゃん扮する萱野権兵衛や、その息子・郡長正のお墓も天寧寺にあります。

そうそうそれから、新潟出身者としては「出てきたがね♪」とうれしい河井継之助。
当初中立を貫くはずだった長岡藩は、ノベライズによると
「「人民を苦しめ、国土を荒廃させる戦は避けたい」と新政府軍と交渉したが、決裂したという」。
で、説得に来た佐川に、妙にうれしそうにガトリング砲の図面を見せる河井さん。武器マニア?
個人的には「薩長に劣らぬ武器らて」ってのがよかったです♪「だすけ」や「らて」がつくと、一気に新潟弁度アップするんですよね

ともあれこれで、奥羽越列藩同盟成立!
東北・新潟7県がずらずら~~~っと埋まった地図が出た時は、やっぱり胸が熱くなりました。これほど大量の藩が一つにまとまるなんて♪と(しかしなまじ参加藩が多かっただけに「ほんとは参加したくないんだけど皆参加してるから」という板ばさみ→寝返り藩も多くなっちゃったのかもだけど

ちなみに9月3連休に行われる「会津まつり」には、長岡チームが毎年、奥羽越列藩同盟旗をなびかせて参加してくれます。河井継之助によるガトリング砲実演は、藩公行列の目玉の1つ
この「会津まつり」、長岡はもちろん、桑名藩である三重県桑名市の方々や、斗南藩の青森県むつ市、黒船時代に「会津には海がねえ」と言いつつ海防をまかされていた関係から神奈川県横須賀市、あるいは蒲生氏郷出身地の滋賀県などなど、色んな県が会津ゆかりの縁でもって集まって、盛り上げてくれるおまつりです。2年前、あの風評まっさかりの時期に発せられた「桑名藩主・松平定敬、兄のために馳せ参じた~~~」という口上は、もう感謝以外の何物でもなく
最近では福島市で東北六魂祭もありましたが、こういうふうに色んな地域が集まって何かやるのってほんといいな、ありがたいなと思います だから列藩同盟なんかも、どうしてもどっかで心ワクワクしてしまうんですよね。そのために犠牲が増えてしまったのはよくわかっているのに。  
と同時に、というかそれゆえにというか、同じ「列藩同盟」(?)でも、軍事同盟じゃなく、お祭りとして集まれる現代は、ほんといい時代だと心から。

司馬遼さんは「街道をゆく」の白河編で
「列藩同盟は、徳川への忠誠心を結束の芯にすることができず、せいぜい薩長への反感と会津への同情心という二つの感情を共通項にしてまとまらざるをえなかった。この程度の感情が長続きするわけはなく、まして藩と個々の生命を犠牲にするほどの大義名分にはなりえなかった」
と書いてらっしゃいます。
うんうん「たかだか他藩への同情のために、自藩と個々の生命を犠牲にする」なんて、なかなかありえない、というかほとんどありえないことです。だからこそ来週の
「我が二本松は、敵に寝返って生き延びるよりも同盟の信義を貫くことを選んだ!誇りを持てー」
という言葉はあまりに重くて・・・ただコウベを垂れるのみ・・・

というわけで次回は、あの白河だるまの無邪気な少年たちが
ドラマではあんまし泣けない私も、今度ばかりはタオル持参かもです;;

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八重の桜・第22話

八重の桜・第22話の感想です。

「江戸城登城禁止」っていうのがどういう意味を持つのか、私の中でイマイチぴんと来てないんですけど、これはあれなのかしら?例えば苦しい時は「あれしてくれこれしてくれ」って散々援助してもらっときながら、持ち直した途端に「いやもうあなたとは何の関係もありませんから。あなたに援助してもらった記憶なんてありませんから」って居留守使うようなもん?それとも散々援助してもらったあげく、援助してもらった人を代理人にしたてて夜逃げしちゃったみたいなもん??どっちにしてもそうされた側にとっては、はらわた煮えくり返るのは変わりませんけど

というわけで会津は江戸を追われ、あの京都守護職拝命から6年ぶりに、やっと、磐梯山の待つ故郷に帰還。
ああ終戦直後もみんなこんなふうに外地から引き揚げてきたのかしらん??って、どうも何かにつけ先の大戦とくっつけて考えたくなるのが私の悪いクセですが、けどあの戦争責任を日本が問われた時に石原莞爾が「そんならペルリを呼んでこい」と屁理屈合戦したのも有名ですしやっぱし歴史の流れ的にも、人の価値観的にも、幕末から昭和の終戦までは何かと相似形な気がして仕方がないんですよね。なので片方を理解すると、もう1つも理解しやすくなる気がして。

ともあれあの時の整然とした、そして京都での晴れがましい武者行列がウソのような帰国 たとえ怪我をしていても、旗がズタボロでも、結果が「勝利」とかであれば報われるんでしょうけど、何一つ報われることがない時は、その怒りや悔しさをどこへ持って行けばいいんでしょう(たぶんこれが、今回の大河のテーマなんでしょうね)

ずっと江戸詰めだった竹子さんの家族も帰ってきました。
竹子さんや優子さんとかってほんと、江戸生まれの江戸育ちで、でも江戸っ子じゃなく会津っ子なんですよね~。秩父宮妃のエッセイなんか読むと、いかに東京育ちで会津に来たことも見たこともない人でも、しっかり「会津人」アイデンティティを培われて育つんだな~と驚きます。
ここで、竹子さんが八重ちゃんに対し、微妙な表情で去っていったのが、ちょっとツボでした。「うちは帰ってきてよかったけど、八重さんとこはまだみたいだし、なんか気まずいわ」みたいな。前回仲良くなったと思ったけど、まだちょっと距離があるのね。それがなんだか女子校生活みたいなリアル。
そして二葉様も無事帰還。乳飲み子抱えて京都~江戸~会津と、お疲れ様でしたm()m
八重たちの元にも尚さんが無事帰ってきました。悲報を持って

あの南天の刺繍はほんとゾクッとしました~ 穴の開いた軍服は資料館の展示品みたいに見えたのに、あの刺繍で一気に「うわ三郎だ」と。そういや史料館の展示品も、肉筆の名前なんかがあると、一気にモノじゃなく「人の一部」に見えてきてゾワっとします。
そしてやっぱり、おとっつぁまが泣かせます~ 「討ち死には男子の本懐」「2人とも山本家の男として恥じることは無い」と、八つ当たりする八重さんを留めて、オフィシャルに尚さんをねぎらい、悲しみという私情を露にするのは、角場というプライベート空間に行ってから。
子供の頃、ご飯食べながらTVで戦争ドラマを見ていて、ダンナの戦死の知らせを受けた奥さんが、集まったご近所の人たちに「ありがとうございます。夫は名誉の戦死をしました」みたいなことを言って讃えられて、奥の仏壇の前で1人泣くというシーンがどうにも気に入らず、というかそれがいかにもしっかりした良妻賢母の姿であーるみたいに描かれていたのがウソくさく、「死んだのに悲しまないで「名誉」だなんて言い切れるくせに、1人になったら泣くなんて偽善者じゃん。悲しいなら悲しいって人の前でもちゃんと言えばいいじゃん」みたいなことを親に言ったことを覚えているのですが(確か「そう言えない時代だったんだよ」的な答えが返ってきて、一応それは情報として知ってた子供としては「そんな時代ヤだな」という思いが改めて補強された記憶が)。
しかし今思うと、「悲しい」=「本音」=「正しい」で、「名誉」=「タテマエ」=「ウソ」ってわけでもなかったんじゃないかなと。いや「本音と建前」というより「感情と理性」かな??いずれにせよ、どっちかだけが本心でどっちかはウソ、ってわけじゃなく、どっちも本心で、というか「意味のない死」だとほんとに悲しいだけで救いがないから「お役に立てた」と思うことで悲しみを少しでもやわらげたいという、そういった感情から要請された装置というか思いというか、そういう働きもあったんじゃないかなと何となく。決して「悲しいなんて非国民なことを言うな」という「国民精神総動員」的な上からの強制「だけ」じゃなく、「この死には意味があった。ひいてはこの人は素晴らしい人だった」と遺族が思って救われるための。一見(本音と建前みたいに)対立しているように見えるけど、実は対立じゃなくて補完しあってる(だから一概に「どっちが正しいどっちがウソ」って言えない)という構図って、世の中によくあるもんですしね。そもそも「理性と感情」とかも時々、「感情に理屈付けしたもんを「理性」って言ってるだけじゃないの?」って思えてしまう場合もあるし
「そうですとも奥さん!よくやりました名誉の戦死」みたいな一見無責任なご近所さんとかも、実は「そうは言っても奥さん辛いだろうな~」というのは、みーーーんなわかってて。このご時勢で他人事じゃないし。そして奥さんもそれをわかってて、だからお約束として「素晴らしい名誉の戦死」「ありがとうございます」と、もしかしたらある種の「優しさ」すらもって、言葉を交し合って、そして世界は破綻することなく、戦争も続く(ああまた青臭いことを長々書いてしまった

一方京都では、牢屋に覚馬を訪ねる大垣屋&時栄ちゃん。
大垣屋さんみたいに世知に長けた人が会津藩にいっぱいいたら、会津戦争は起こらなかったかもな~。そのかわり「会津藩があったから日本を信じられる」という司馬遼さんみたいな感想は、まず出てこなかっただろうな
2人が見たのは、叫びすぎて声も枯れはて、目も足も危うくなり、それでもなお会津を救おうとする覚馬の鬼気迫る姿 西島さんすごいと感心しました。そんでまた、こういう悲惨な場面って、なんだか「大河ドラマっぽ~い♪」とワクワクして たぶんに「獅子の時代」がインプットされてるからだと思いますが
そんな悲惨な覚馬の姿を見て、思わず手をとる時栄ちゃん。ああこれがうらさんならなあ。うらさんがここにいたら同じように(それ以上に?)心配し、覚馬の力になろうとしただろうに。なんだか「砂の城」のナタリーとジョルゼを思い出しちゃいましたよ
「あなたはきっとフランシスの大切な人で、あなたもずっとフランシスのことを思ってて。けどあの人を助けたのは私なんです!私がそばで看病していなかったらあの人死んでいたんです!」
あ、そういやフランシスとナタリーも言ってたなあ。
「誰も悪くないのになんで悪いことが起こるんだろう。ヘンだよね」「誰も悪くないから人は余計傷つくのよ」

さて会津では「恭順などもはや無意味。朝廷への謝罪書も新政府に握りつぶされた」状態の中、喧々諤々の家老会議開催中。
私もなんだか「恭順なんて無意味」と思えてきちゃいましたよ だって敵がもうやる気マンマンなんだから、いくらこっちが謝罪してもないことにされるんじゃ、もはや無傷で終わるとはとても思えないし。絶対なんだかんだ難癖つけて結局戦に引きずり込まれるに決まってるんだから。これはその後150年の歴史でも普通~~によくあることで。しかしだからって
「勝てばよいのです」
はないわ~~~。気持ちはよ~~~くわかりますけど、気持ち「だけ」じゃ勝てませんて。その後150年の(略)。
実際勝てるわけないことは(オニカン以外は)たぶん誰もがわかっていて、う~んじゃあほんとにどうすればいいのかしらね??という時に、修理父の「戦に負けることよりも、武士としてのプライドが貶められる方が耐えられない」といった、その場の空気を代表する言葉が発せられて、空気が抗戦派に傾いたその時、殿が下した判断は
「あくまでも恭順を貫く!」
おおさすが殿、冷静だな~と思った後に続けて、「しかし向こうから攻めてきたら受けて立つ!」
うん・・・やっぱし私もその場に居たらそういう判断すると思うわ~~。今更軍制改革なんて遅すぎなんだけど、かと言ってと今からでもやらなきゃ仕方がない。もうね、逃れようがないんですもん。恭順しようが何しようが殿の言うとおり「戦はこの会津で起こる」としか思えないものね。
しかしこのドラマ見てると、無条件降伏なんかできるかバカヤロウって気持ちがなんだか理解できちゃう気がするわ~ 山風さんの「戦中派不戦日記」に出てきた、8月18日の親父さんみたいに。
ましてや「武士が汚名を着たまま戦わずして降伏」って、昔ながらの頑固な気風=会津魂が美徳である会津藩なら、尚更無理だろうし。太平洋戦争中はそれが「大和魂」ということで喧伝されて、かなりの人が一億火の玉状態になったわけだけど、そこからあまりも遠い価値観がしみついてる現代の私たちも、やりようによってはそういう状態になりうるのかしら?今回も「1つ違いで白虎隊に入れない」と残念がる伊東君とかを見て「なんでそんなに残念なの?」とKKが言ってたけど、今心からそう言ってるKKも「15歳の少年兵」みたいな状況に置かれたら、伊東君と同じようなことを心から言うようになるのかしら??私は、かな~~~りそうなるんじゃないかという思いが、自分を省みても沸いてきてしまうにつけ、「今ある自分の価値観すら信じられない」との思いしきりですが。

とかグダグダ考えてる間にも、ほらほら世良修蔵がほえてますよ「降伏の条件は容保の首」
ハルノート来ましたーーー しかし「領土で色々ちょっかいを出して挑発する」とか「絶対呑めない条件を出す」とか、なんとか戦争を始めさせようという時に使う手段は、古今東西変わらないものなんですね~。いや呑めないでしょう、会津藩にこの条件は。他の日和ってる藩ならともかく。
それにしてもこの世良修蔵、見た目がすごすぎです 基本「誰も「悪人」ではない」と言っているこのドラマにしては珍しく「さあもうどこからどう見ても「悪人」をご用意しました。思う存分憎んでください」みたいな♪次回の世良の鬼畜ぶりが楽しみになってきてしまいました

ここで出てきました今回のタイトル「弟のかたき」シーン。
弟を殺された怒りと、そしておそらく「三郎がもっと強ければ、死ななかったはず」との思いから、三郎を鍛えるつもりで少年たちを指導する八重。
やっと、大声で泣いて、三郎の死を受け入れることができました、という。。。
個人的には、三郎は工藤選手の息子さんじゃなく(彼そのものはステキな三郎だったと思いますが)、もっと吹けば飛ぶよな役者さんがやってれば、「ヒョロヒョロ三郎」の言葉通りの悲しさが見え隠れしたんじゃないかと残念ですが、それはともかく、ほんとに、信じられないのよね。この世にいるのが当たり前の人が、もうどこにもいないなんて。せめていなくなってから5年くらいたたないと。いや5年くらいたっても「いないことに慣れる」だけで、やっぱりどっか信じられないかも。
「あの木立の向こうにも あの坂の向こうにも この地上の どこまで行っても 果てまで走っても
 あの子はもういない もう会えない どこにもいないんだ」(「アイシテル~海容)

そしてついに、ああついに、歴史に残る西郷&勝会談。
「あんたと私と、立場を入れ替えて考えてもらいたい。あんたは主君の首を打って差し出せるか。武士の誇りを捨てて、丸腰になれるのか」
「条件を聞いてもらえれば城は引き渡す。だが攻められればこちらも応戦するほかはない。その時はこの町は火の海になる。あの屋根の一つ一つの下には人間が住んでいるんだぜ」
「あんたが作ろうとしている新国家は、そんな人たちから家や命を奪うのか!」
1つ1つが、そのとーーーーーり!!!
なのに、江戸はこれで助かり、会津は助からなかったんだなあ。勝の言ってることは会津の言い分とまったく同じなのに。
てことは、その言い分が正しいから通ったんじゃないのよねきっと。その言い分を通させる力関係やら代役の存在やら、なんかしら俗なカードがあって初めて、正論が通るもんなんでしょね。「奥州討伐を控えてる今、江戸での戦を避けるのはかえって得策」とかね。

というわけで「さてじゃあ振り上げた拳をどこへ落とそっかな♪」
この時の勝先生の佇まいがなんとも言えず憎い!!!常々天気予報なんかを見ては「お日様が照ってるとこって、雲がかかってないからなんだよなあ。もっと言えば雲の下で雨に降られてる場所があるから、お日様に当たっていられる場所もできるんだよなあ」と思ってしまうのは、関東と笑っちゃうくらいお天気が違う冬の日本海側在住者の被害妄想かもしれませんが勝先生の顔を見たらその天気図を思い出しちゃいました 雲がいい感じに江戸をそれて福島にみたいな。
この西郷どんの言葉は、司馬遼さんのエッセイかなんかに、そのままの言葉で出てきた記憶があります。「革命には「血祭り」がいる」という言葉とともに。
その時は「なるほどそういうことだったのか」と納得するとともに、「そのまま静かに拳を下ろせばいいだけじゃない。別のとこに落とさなきゃ気が済まないなんて、血に飢えたケダモノか」と思わずにいられませんでしたが
しかし太平洋戦争終戦時の、陸軍大将阿南さんの自決なんかを思い浮かべると「やっぱしこういう「血祭り」の存在って必要なのかな」とも。どこかで叩き潰しておかなかったら、雨後のたけのこのように次から次へと反乱分子が出てくる→だから一発で革命を成就するには、目に見える形で芯棒を破壊しておかなきゃいけない、みたいな考え方ね。
阿南さんは徹底抗戦を叫ぶ陸軍の親玉的存在で、降伏会議の最後の最後まで徹底抗戦を貫いた人。部下たちはもしポツダム宣言が受諾されたら、クーデターを起こすことを計画していたそうです。
その阿南さんが、降伏決定後、「一死をもって」の遺書を残し、自害した。抗戦派の親玉が死んで、大規模クーデターは結局起こらなかった。
西郷は阿南さんを求めていたのかもしれませんね。本当なら江戸城が落ちるのが、目に見える形としては一番わかりやすかった。だからこそ無血開城した江戸城のかわりが、西郷には必要だった。
何よりあんまし情熱が逼迫してくると、「拳を静かに下ろす」みたいにパワーを制御するより、その勢いのまま拳を落とした方が力が要らなくてラクでしょうしね。なるほど前回の修理はまさに阿南大将だな。そして日本全体で見れば修理は会津藩でもある。日本(新政府も幕府も)は会津を犠牲にし、会津は修理を犠牲にし。
こういう相似形って、極めてよくありますね。大きなところから小さなところへ、小さなところからより小さなところへと、相似形で繰り返されていくというのは。私がそういう相似形の存在を知ったのは沖縄米軍基地でしたけど、そんな「国」とかじゃなく、もっと小さい組織でも、およそ人間の集まりだと大概ありそう。

さてそんな中での、覚馬と西郷の再会。
しかも一度は味方同士だったのに、方や牢獄の中、方や最高司令官。う~んまるで「幼馴染が罪人と看守として再会」みたいないい設定 もうちょっと仲良しシーンが以前にあれば、もっと味わい深いシーンだったろうけど、まあそれはどうでもいいです
ともあれこれで覚馬は処刑を免れ(一緒に捕まっちゃった人のためにもほんとによかった)、さらに会津赦免の嘆願までも一度は届きそうになるものの、「反政府勢力が会津に集結している」との報でチャラに。ああ~~~~~

これは、私的幕末傑作マンガの1つ・杉浦ひなこさんの「合葬」にも描かれていました。
時間的には、この江戸城無血開城が成った後、慶喜公が水戸へ発った後から始まるんですが、上野戦争で負けた彰義隊が「会津へ」の合言葉とともに散り散りになっていき、主人公3人のうち唯一助かった少年も、会津へ向かうところで終わるという。
最初に読んだ時は、会津が戊辰戦争な町だなんて露知らずだったので、「なんで唐突に会津なんだろう??」と不思議でしたが、そうか当時はもしかしたら「会津ならやってくれる」「信頼できるのは会津だけ」という存在だったのかしら?反政府側にとっての「会津」は。

この「合葬」って彰義隊を描いた話なんですけど、ほんと読めば読むほど味がしみ出てくるような、上等スルメみたいないいマンガです(←めちゃめちゃホメてます念のため)。
「江戸の風俗万般が葬り去られる瞬間の情景」が、例えば「仇討ちの滑稽さ」から「品川宿の風景」「ポトガラピー」「戦場での介錯」など、あらゆる背景となって現れていて、それらを背景に「彰義隊に居場所を得た少年」「バカげた戦だという大局観を持った少年」「主君に殉じる決意をした少年」たちによる上野戦争を描いていて。
解説の方いわく「この三少年の姿は、実は1人1人の少年の中にそっくりあったものだろう。太平洋戦争末期に少年だった我々もそうだった」と。
うんうんわかる気がするな~~。義に殉じるという情熱も、それがバカげているという冷静な思いも、等しく1人の中にあって、でも結局は、時世の流れに押し流されていってしまう。長崎に戻ってフルベッキの講義を受けることを楽しみにしていた少年は、たまたまその日彰義隊と行動をともにしたばかりに、戦に巻き込まれて殺されてしまい、武士として徳川に殉じようとする少年は、「士道も名も恥じもない戦」を絶望の中戦って、家を追われ賊軍呼ばわりされながら切腹していく(そういえば西郷&大久保が公家衆のことを「今まで徳川の顔色をうかがってきた奴らが、徳川を殺せの大合唱」と皮肉っぽく言ってますが、「合葬」にも同じようなシーンが出てきます。ただしこちらは庶民のことですけど)。すべてを見届けた少年は会津へ、しかしどこでもない、今度こそ自分の居場所を自分で作り上げるべき場所へ。「かくて江戸は過ぎ、遠のいていく」

彰義隊は江戸っ子たちに大変人気があったそうで、吉原の気風のいいお姉さんたちに「情夫(イロ)に持つなら彰義隊」と歌われたくらいだったそうです。もはや大義名分も失われ、初志とかけ離れた軍事同盟と化していった彼らが、上野戦争で勝つ見込みはまずありませんでしたが、もしも形勢逆転したら、白河の関を超えて、関東奥羽越列藩同盟になっていたかもしれませんね(その意味でも関東と奥羽を結ぶ白河は重要な拠点だった)。
「八重の桜」好きな方には、きっとオススメなマンガの1つです。

というわけで次回はついに、奥羽越列藩同盟・計31藩が成立!!!
タイトルがいつの間にか「奥羽の誓い」から「会津を救え」になってて「タイトルだけでもはや頭が下がる」という思いヒシヒシですが、個人的には直球ズバリな「奥羽越列藩同盟」とかがよかったな。「レッパンドーメー」って、なんか響きがかっこよくて(しかし「オクウエツ」なのか「オウウエツ」なのかいまだにわかってません
ともあれ「越後5藩とともに、加わりますがいやー!」と新潟弁で威勢よく叫ぶ河井継之助も出てきたりして、新潟出身者としても楽しみですが、一番見たいのはやっぱり世良修蔵だったりして

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

祭りだワッショーイ

福島市では、東北六魂祭!
郡山市では、ふくしまフェスティバル!

と、お祭りづいてる今日のハッピーアイランド
福島市上空では、夏のような青空をブルーインパルスが舞い、開成山の並木道ではミッキーたちがハピネス衣装に身を包んでパレードとか。いや~今日の中通りは派手でいいですね~

そうそうブルーインパルスって、東北(宮城)の部隊だったんですってね(今日知って驚いてるという
昔「ファントム無頼」というマンガが大好きで、それでブルーインパルスも知ったんですが、その中に「さらばブルイン」みたいな話があったんで、てっきり今は無き「伝説の部隊」なのかと思ってました まさか現役で、しかも東北チームだったなんて、うれしい驚き♪

確かここ松島基地もあの時は津波に襲われ(仙台空港があの状態でしたもんね)、救助用ヘリなんかも使えなくなってしまったんですよね。インタビュー受けた自衛官が「もっと多くの人を助けられたはずなのに・・・すみませんっ」と、思わず涙目になる場面をどこかで見たような読んだような。
そんなこんなの色んな思いを包み込んでの、今日の東北六魂祭&ふくしまフェスティバル!
会津からだとイマイチ遠い&おそろしいほど混んでいそうなので、会津地方民としてはヨークベニマルの特設TVでしばしお祭り気分にひたりました しかしすごい人出みたいだな~~~ 
 
さてそんなお祭りつながりで(?)会津では、早くも今秋の「会津まつり速報」のチラシが配られました。

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最大の目玉・藩公行列は9/23(祝)です。
6/15(土)から、有料観覧席の販売も始まるそうです。遠方の方、確実に見たい方は「会津バス」までぜひご連絡を
気になるゲストは・・・9月に入ってからのお楽しみでしょうかね~♪ 私的にはぜひ殿を!あるいはオニカン・斉藤・大蔵の会津藩やんちゃトリオで、ぜひお願いします(あれ主役は?

テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

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