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八重の桜・第21話

八重の桜・第21話の感想です。
いや~・・・重い回でしたね~

いきなり壮絶な戦シーンから話は始まり。
ここはオニカンの独断場でしたね~♪ 敵が近づいてくるのに耐え切れず、飛び出そうとする三郎に「スレッガーさんかい、早い、早いよ」じゃなくて「もうちょっと引きつけてからだ」と、現場経験者としての貫禄を。
いやオニカンだって戦国時代の武者じゃないんですから、そんな「歴戦の勇者」とかじゃ全然ないはずなんですが、何か戦国武士みたいな「戦を肌でわかってる」感がすごいのは、性格ゆえか獅童さんゆえか。初めて間近に経験する肉弾戦に、思わず腰を抜かす三郎といい対比になっていて、迫力ありました

そうして一夜明けた鳥羽伏見では、やはり会津側が苦戦の真っ最中。
「こうなったら槍で特攻」と、どこまでも現場な人・佐川が考えている時に到着したのは、救いの神・大砲隊を率いる大蔵!
史実ではこの登場シーンで1億2千万人が笑ったと言われています(言われてない)。だって大蔵様ってば、とめどなく派手に自由になっていくんですもん 最初の頃は「この優等生がなんで彼岸獅子入城なんつーぶっ飛んだことを思いついたんだろう?」と不思議でしたが、なるほどこれほど自由人なら彼岸獅子くらいやりかねん もはや昔日の優等生の面影はカケラもなく、どっからどう見ても佐川や斉藤のマブダチ。個人的には、目に力入れすぎて話すたびにいちいち鼻にシワが寄るのが、非常にヤンキーくさくて気になります

ところで、今回一番見るのを恐れていた、錦の御旗が上がるシーン
会津が朝敵になる瞬間なんか絶対見たくないし、予想では「なんだあれは?」「旗のようだ」「あのマークは・・・錦の御旗だ~~~」「うそだ~~我らが朝敵に~~~」と、阿鼻叫喚となる会津側みたいなのをイメージしていたので、そのシーンは
(/ω\)
(/ω・\)チラッ
としか見れないんじゃないか自分、と思っていたのですが 
予想外にアッサリでしたね~~ そしてそのアッサリ具合が、なんだかとっても現場っぽいなとリアルに感じられて。
上がった旗を実際に見たのは、よく考えればほんの一握りなんですもんね。そもそもその旗自体、慶喜が言ってたように「そんな旗は存在しないはず(偽造したな)」だし。
それが、口伝えで「錦旗が上がったらしい」という情報が駆け巡るうち、その意味というか価値もくっついて、現在理解しているように「錦旗が上がった=一巻の終わり」になったのかなと。現場は「朝敵」云々という、形而上的な(?)アイデンティティ喪失の危機よりも(もちろんそれもかなりあったでしょうが)、「それによって寝返りが出る」という現実的懸念の方がむしろ重要で。

しかしそんな中、「最後の一騎になるまで戦いつくすぞ!」と演説し始める慶喜。
もはや容保公が、あの忠義の人・容保公までがシラッと眺める煽りぶりです。なんでこう罪作りなことするのかなあ慶喜公は
百歩譲って「この時は本気でそう思ってた」ってんならまあ仕方ないけど、でもこの後の行動を思うにどうも違う、せいぜい「この時はそういう気分だった」くらいにしか思えないし 気分で人に命捨てさせすのヤメてよ~~~

そして慶喜公に呼び出される修理。
もう呼び出された時点で「ああついにこの時が」と思ってしまうのは、この後の修理の運命を知っているからに他なりませんが、なんとなく京都守護職を押し付けられた容保公とカブります。目を付けられた時点でもうオワリみたいな しかし何で修理だったのでしょうか?修理は普段からそういう、慶喜公と殿のパイプ役みたいな役目でもあったんでしょうか??
マジメに、犠牲を増やしたくない一心で、ある種の決意を持って「兵たちを率いていったん江戸へ戻り、戦略を立て直しましょう」と主張する修理。
確かにある意味これだけで、「敗戦の責任(の一部)」は修理にかかってくるかもしれませんが。
しかし「兵たちを率いて」「江戸へ戻り」「戦略を立て直す」ですからねっ!?兵を置き去りにして大将がトンズラするのとは、もう全っ然違いますからね!?頼みますよ慶喜公~~~

と、修理の運命が誰も知らないところでひそかに決定された同日同刻、会津パートを飾るのは修理の父&妻。
あ~も~諏方神社シーンもそうだけど、あざといわ~ まあ「ここでこのシーンを入れないでどうする」なシーンかもしれないけどさ。
しかしまだ会津には、開戦の知らせすら来てないのね 大事件は知らないうちに準備され、知った時にはもはや「起こったこと」になってしまっていて、なすすべもなし。

そして現場では、三郎が。
あの、腰を抜かしていた三郎が。腰を抜かすくらいスレてなくて純粋だったからこそ、進退の「要領」なんて不純なものは頭になく、ただやみくもに「お役に立ちたい」「山本家の男として恥じない戦いをしたい」という一心のあまり。

しかし国許の家族がガラスを割っちゃうってまたベタだな~ しかもそれで指を切って血がとか、「昭和の少女マンガへのオマージュかしら」と思うほどの既視感が
同じ既視感なら「あれっ今角場に三郎がいたような」の方がいいなオバケ好きとしては。いえね子供の頃、とあるオバケ本で読んだ、海軍士官として出征中のお兄ちゃんが好きだったピアノ曲が、ある時家族全員に聞こえて、あれっと思ったらずぶぬれで微笑みながら敬礼しているお兄ちゃんを(遠く離れて住んでいた家族も同時刻に)見た、後にそれが撃沈された時間だとわかったという話がすごく印象に残っていて。「へ~ほんとにそんなことあるのかな」という疑問とともに、死ぬ時にその思い出深いピアノ曲が、家族1人1人の顔とともに頭に浮かんだのかななんて思うと、なんだか死んでいくまでの時間がすごくリアルに伝わってくる気がして。

ともあれ三郎は、大蔵に見送られ
大蔵は一応現場の指揮官のはずだけど、そして何よりもはや手がつけられないくらい派手なアクションになっちゃってるけどいいです。三郎を看取ってくれるなら。大事な八重さんの弟だもんね、ドラマだし

それにしてもこのドラマって基本淡々としてるんで、こういう「残酷描写」みたいなのはそれこそサラッと場面転換でもしそうなところ、なぜかこういう時だけ妙にねちっこいんですよね~。覚馬が捕まるシーンもそうだったけど、やけに長く映してたり、スローモーションでダメ押ししたり。
元が淡々としてるから非常に違和感あるんですが。いえ残酷描写は嫌いじゃないからいいんですけど しかしこの分だと、竹子や大蔵嫁や雪さんなんかも、息を引き取る最期の瞬間まで映されるなきっと

そして激戦のさなか、急遽撤退を命じられて、頭の血がのぼりまくる会津藩士たちに取り囲まれる修理。
「戦を続けたら犠牲が増えるばかり」という修理と、「今戦を終えたら先に犠牲になった者の命が無駄になるってことだ」という現場の人・佐川。
く~どっちもわかる 特に佐川の言葉はよくわかる!!!今までの「現場の人」描写がここで効いて、そうか現場っていうのはこういうものなんだなと、佐川の心情がストレートに胸に。
修理の言葉は、犠牲となる現場を思う一心なんだけど、実際に現場にいる人には「何もわかってない。むしろ迷惑」にしかならないこともあって。
実際「わかってない」んだろうな。視点も違うし経験もないから「わかろうとしてるんだけどわからない」。頭で考えることと感情で思うことも違うし。いや人は一応、理性と感情の両方持ってるから(傾向の強弱はあるだろうけど)、佐川も修理も両方自分の中にいるんだけど、だからどっちもわかって切ないんだけど、わかるだけで相容れない面もあるのよね。
余談ですが、こないだたまたま「とくダネ」笠井アナが書いた「ぼくはしゃべるためにここ(被災地)へ来た」を読み返してたら、こういう「理性と感情の相克」みたいな話が目白押しで。いやずっと「理性」と言ってるけど、もしかしたら「別の感情」かな?2つの「正しさ」が相反する中で引き裂かれ続ける話ばかり。
目の前で助けを求める人がいる。でもそれに応えてしまうと、後々マズイことになる。さあどうするかという。
「助けたい」という感情か、「マズイ」という頭での判断どちらかを、「だってこっちが正しいんだから」と、片方全肯定&片方全否定でヒョイっと選べればラクなんですよ。でも自分の中では「どっちも正しい」あるいは「どっちも正しくない」という割り切れない思いがある。そこをあえて割り切って、最終的にはどちらかを切り捨てる決断をしなきゃいけないんだけど、でも決断したからってスッキリできない。切り捨てた方のことは、ずっと心に残り続ける。
私やっぱし、これが人間のスタンダードな姿だろうと思います。というか個人的に、こういう葛藤がない人(なんているかどうかわからないけど)は、あんま好きじゃないかもなとか。慶喜公とかはその点比較的、ヒョイっと選べる人、あるいは決断後にあんまし心に残らない人なんだろうななんて思ったり
(さらに余談ですが、この本の中で笠井さんは、基本的に「割り切って」、目の前で助けを求める人に「それはできません」という態度を取ります。が、たまに、割り切ることができず、個人的な助けの手を出してしまうことがあります。その時
「今やっている行為は、被災地ではギリギリなんだということを考えながら行動しないと、踏み誤ることになる」
とおっしゃっています。この「ギリギリ=一線」という感覚の有無も重要だなと。これがなくて、一方の正義感や使命感、高揚感などのままにずるずると引きずられて、気づけば「それは誰のため何のためにやってるのか?」という状態になってる例が、どれほど多いことか)
(しつこく余談ですが、この本の中で笠井さん、こういう「理と情の狭間」言い換えれば「個人として向き合う問題か、属する社会の一構成員として向き合う問題かの判断」により、対立が生まれ内部崩壊するのを防ぐための教訓として
・連絡手段の確保
・本社との価値観の共有
・充分な準備と継続的な取材班への支援
この3つを挙げてらっしゃいます。これはあくまでも「被災地における取材側」としての心得ですが、わりとどこでも(戊辰戦争でも!?)応用が利きそうな気がします)

しっかし慶喜は相変わらずの慶喜節♪
「あれは皆を静めるための方便だ」ってよくもまあアッサリ~。明らかに静めるどころか火を着けてたくせに~
ここで初めてはっきり、容保公が反旗を翻してましたね、徳川ご宗家に
もちろん「いやそれだけはカンベン」は今までも多かったんですけど、それはどちらかと言えば哀願というか、お願いであって。
こんなに、怒りをもって「断固拒否」ってのは、たぶん初めてじゃないかと。
ああ、なのに、これほど強い怒りも「徳川を朝敵にせよというのが会津の家訓か」「家臣たちが朝敵の汚名を着て死んでもいいのか」などなどの殺し文句で、問答無用に消火され
実際「じゃあどうするのが一番よかったのか」と言われたら、私はもうまったく何も言えないのですが。うーんここまで来たらもう自動的にこういうズタボロ状態になっちゃうしかないのかな。やっぱし「ここ一線」てのは大事ですね。なんだか一線を踏み誤って引きずられてしまった典型例にも見えてきます容保公&会津が
(ていうかそもそも家訓が「一線なんか引くな。殉じろ」だしね)

というわけで、容保公は泣く泣く慶喜とともに退場
私が社会科の授業で習って、唯一覚えている徳川慶喜のエピソード「鳥羽伏見で逃げた奴」も、今までの慶喜が慶喜だったんで、「ああこいつならやりかねん」と素直に思えるのがスゴイです
しかしここでご宸翰を置いていったのは、この重苦しい展開の中で唯一ほっとしたシーンでした おかげで「慶喜に拉致されたんだ」ってのがはっきりわかってほんとによかったと。
戦に負け、さらに置き去りにされたオニカンたちの、もはや怒りすらも沸いてこない虚ろな空気といったら ほんとに、今更だけどほんとにダメでしょ総大将がこんなことしちゃ!!!

さて会津存亡の危機に際し、国許では家老会議。
しかし萱野ってあんまし出ないし、出れば小者っぽいし、不思議な描き方だな~。これは最期を際立たせるための伏線なのかしら??
修理父の「死ねばよい」と力を込めて言い切るサマもすごかったですね。武士としての覚悟もあるのでしょうが、何より親にああ言われちゃ、外野はそれ以上のことは何も言えません。唐突ですがビートたけしの孟母が、その昔たけしが事件を起こした時、「こういう時に親が子供をかばうと、外野はもっとうるさくなる」という信念のもと、TVカメラの前で「死刑にしてくれ」と言い放ってたけしを救おうとしたことを思い出しちゃいました

山本家にもようやく、大砲隊全滅の知らせが。もちろん覚馬は捕まってるなんて詳細情報はなく、大砲隊に所属して戦っていること前提で。
さらにそれを受けた山本家では「今頃江戸に戻って三郎と再会しているかも」なんて希望を必死に話してて、覚馬の詳細どころか、三郎も江戸に留学中という情報で止まっているのが切ない
こういう情報の時差は・・・ましてや非常時なら仕方ないんだろうなあ。「情報化社会」の現代ですら、情報には個別の時差があるんだから(ていうか、なまじ「情報化社会」ってことになってるから時差の存在が許されず、疑心暗鬼が深まって、世の中全体にいらん不信感が生まれてる気もしなくない)。そもそもその情報を知ってもどうにもならんしなあ。
しかしやっぱし、おとっつぁまはいいな~。というか、おとっつぁまも含め、家老や佐川たち現場の会津藩士たちの気持ちが、これまでの積み重ねでよく伝わってるから(プラス、個人的に3.11後「郷土を守りたい」という心情が前よりも身近にわかる気がするようになったことから)、一概に「ここは尚さんの言うとおり、恭順一択でしょ 何を悩むことがある?」とか思えないもんね、この「反戦平和!9条護持!」な私ですら。以前は「戦をしたいなんて、しかもどう見ても勝ち目の無い戦をしたいなんて、主戦派ってバカの集まりじゃないの?」としか思えなかったのに。

なのでその後に続く八重の言葉もよくわかります。「何年も都をお守りしてきた会津がなぜ朝敵?」「だからこそ取り返したい。負けっぱなしなんてイヤ」
私よく太平洋戦争を思う時「あの時満州を返しときゃよかったのに」「国際連盟でタンカ切って飛び出して、気持ちいいだろうけどやってることはバカ。それを讃える庶民もバカ」とか思ってたんですけど。
しかし今は当時の人が、なぜそれほど満州に執着したか、そして松岡の言動になぜ喝采したかも、なんとなくわかる気がします。「今満州を返したら、先に犠牲になった者の命が無駄になる」という、まさにオニカンが憑依したような思いが実感としてあったからなんですねたぶん。プラス「こっちはなんも悪いことしてないのに、なんでそんな要求呑まなきゃいけないんだ」という、これまた強い実感も。
これはなんというか、ある意味当然な思いというか、たぶんどこの国だってそう思うでしょう。いやむしろ外国の方が「自分たちの血を流して奪い取った領土なんだから、返さなくて当たり前」という思いは常識かも。日本は島国だから、「勝ち取った領土」という意識の蓄積は、たぶん欧米とかより薄いだろうしね。
もちろん、だからってその思いのままに行動するかどうかはまた別で、それがとっても重要なんですけど。少なくとも「我が方の犠牲の上に成り立った満州」や「列強にいいようにあしらわれる悔しさ」みたいなのに、私みたくまったくシンパシーを抱かないまま結論出すのと、思いっきりシンパシー感じてる上で結論出すのとじゃ、同じ結論でもなんか違うというかね。そうちょうど笠井さんが感じたあの相克のように。

「でっち上げでもなんでも、今は新政府が官軍会津は賊軍」とアッサリ言える尚さんは、もちろんそんな会津に思いっきりシンパシー感じてる人です。こういう人は時に味方には理解されず、敵にはもちろん敵と見なされ、なかなか孤独ですけど、そんなグチもこぼさず、自らのすべきことを淡々とする尚さん、よいわ~~~ほんとにいい男と夫婦になったね八重ちゃん(と思うにつけ猪苗代の別れが

そしてまったくの無実の罪で幽閉中の修理。
一緒に見てた子供にも「なんでこの人が切腹?」と聞かれたんですが、実はママにもよくわかりません(ついでに「切腹ってどうやるの?1人で切腹しても死なないじゃん」とも聞かれましたが、こちらは懇切丁寧に「頚動脈を」とか「中には何時間も苦しんだ人も」とか具体例を挙げてまで答えて、KK&Uを固まらせました)。
目を皿のようにしてこの40分見ていたはずなんだけど、やっぱりなぜ修理が切腹なのかわかりません 流れはわかる。けど理由がわからない。あの怒り沸騰の、その場の空気?江戸引き上げ=結果的に敗戦を進言した、その責任?もしそうなら、いずれは負けていたわけで、いずれは誰かがその責めを負ったわけだよなあ。あっその誰かってもしや慶喜公??だとしたらほんとうまいよな~~慶喜~~。さすがあの引き際がうまい元総理の息子え?それは関係ない?
いやそれとも慶喜公なら、たぶん容保公あたりに責めを負わせるよな。それがある意味容保公の役目だし。そうかじゃあ修理はまさに、容保公の身代わりになって死んでいったのか??ん~やっぱり納得いかない。

この2人の対話シーン、とりわけ修理は、今までは「殿に付き従うひたすら忠義の人」という、わりと飼い犬的な感じオンリーだったけど、ここでは容保公を包む兄みたいに見えました。「いいんだよ。悲しまないで」という、守る人・修理と、守られる人・容保。守る側もつらい立場だけど、こういうふうに守られる側も、また辛いだろうな~~
「どうしても、どうしても助けることができない」
と、その一言にあまりある悲痛な心情がこもっている容保公と対峙して、静かに笑みさえ浮かべる修理。「じゃあ私は殿のお役に立てるんですね」みたいな。ああなんだか武士道に同性愛がくっついてくるのもわかる気がするわ~(←この涙腺攻撃シーンでよりによって何を考えてるのか)あるいは「僕が死ぬことであなたを救えるなんて光栄です。そんな役目を僕に与えてくれてありがとう」という、キリスト教的価値観にも通低するような。
その後の「殿の命によって逃亡しやすくなってます。どうか生きてくだされ」というのもよかったですね。まあそれで実際に修理が逃げるとは、おそらく殿も秋月も思ってないんでしょうけど、でもそうせずにいられない、もはや「祈り」みたいな。

こういう時の辞世の句って、普通だったら自分の無罪やその悔しさ、あるいはその喜び(というのはヘンだな。つまり使命感というか)とか、そういう「自分の信念」みたいなもんを訴えたがる気がしますが。中野竹子の「もののふの~」はまさにそうですね。
でも修理は違うんですね。「(自分はいいけど)親が心配だな~悲しむだろうな~」という。ななななんて器が大きく、優しい人なの~~~ なんかこう、人間としてのバランスが取れてる人なんだな~みたいな印象を受けました。

というわけで次回は、「戦雲、東へ」が変わって「弟の仇」
江戸へ行ってたはずの三郎の死が山本家にもたらされ、ついに八重の中にジャンヌダルクの萌芽が!
さらに私的に(/ω\)(/ω・\)チラッになりそうな「江戸城無血開城」も次回登場です!
「さて、そうとなったら、振り上げた拳をどこへ下ろすかだな」ゾワゾワ~
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意外と一番のハマリ役!?

昨日、拙ブログでKさん宛てにコメントを返信した中で
「オダギリジョーがオーラの泉で除霊されてた」
という話を何の気なしに書いたんですが。

自分で書いたらその場面をもう1度読みたくなっちゃって「オーラの泉」を文字起こしされてるサイト(既にお気に入り登録済み)をもういっぺん拝見してみたら。

と、余談ですが「オーラの泉」って私、実はリアルタイムで見たことないんですよね
確かあの頃は子供がまだちっちゃくて、そんな夜中まで起きてらんない寝る!みたいな感じで そもそもあの江原さんがど~にもうさんくさ~く思われたしね(アヤシゲな本を大量に出してるのも、うさんくささ二倍増し
ただ友達とかに評判良くて「松岡修三とかめっちゃ面白かった!」などの声を聞くにつけ、やっぱし見てみたかったな~と。

そしたらネットには、先述のように「オーラの泉」を文字に起こしたサイトがいくつかあるんですね~
読むと確かにめっちゃ引き込まれるし、出てくる芸能人の顔を思い浮かべるとなんだか「ああ~なるほど」みたいな気もしてくるしで(たぶんどんなふうに書いてあっても、それなりに「ああ~なるほど」と思う気がしますが)、「おおこれは面白いわ」と。何よりゲストが多彩!

と、めっちゃ面白い「オーラの泉」の中でも、とりわけ印象に残ってたのが、Kさんへのコメントにも書いたように「番組中に急遽除霊が始まったオダギリジョー
しゃべりの文字起こしだとその場の雰囲気はなかなか伝わりにくいのですが、これリアルタイムで見てたらかなり騒然とした回なんじゃないでしょうか?その場で実際に除霊なんてしたの、私が読んだ限りではこの時だけですもん

で、それを思い出してもう1度読んでみたいなと、何気なくオダギリジョーの項を拝見したら。
江原さんいわく、ジョーの直近の前世は
「江戸時代の日本、武士の家系」
「そんな特別な武士ではないけど、学問、今で言えば哲学を修めたいという気持ちが強くて、海外に出ようとした。日本をとにかく脱出したかった」
「で、日本に戻ってきたけれど、政治思想家として、ちょっと危険人物とされていた。隠れながら生きていた」

そうかオダギリジョーってば新島譲の生まれ変わりだったのか!!
と思ってしまうのは私がアホちゃいまんねんパーでんねんだからでしょうが(そもそも「前世」ってのがどうなの?って話
しかしどうにも新島ジョーとかぶってしまうわ~名前もかぶるし(え?それは関係ない?) 「政治」や「経済」じゃなく「哲学」っぽいやつを学んだとか、特にキーワード「日本を脱出」とかね。まあでも隠れながら生きてたってのは違うから別人物かな~?だいたい「哲学」ってキリスト教も入るのかしら?

と思ったら、そのもう1こ前の「前世」について江原さんが語って曰く。
「江戸時代よりもっと古い時代だけど、イタリアもしくはその周辺国において、修道士だったのが見える、それで布教して回っていた。
「海外協力隊とかそういう気持ちになるのは、色んな所へ行けるとかそれだけじゃなく、人に対して助けていきたいという哲学があるから」

そうか新島襄ってばイタリア修道士の生まれ変わりだったのか!!(←パーでんねん)
ちなみにそれを受け、ジョーさんいわく「哲学好きです。特に宗教哲学が好きです」
しっかし今回の「八重の桜」って、容保公そっくりさんの綾野とか、ドンピシャの小泉慶喜とか、キャスティングの妙が冴え渡る大河ドラマですが、もしかしたら一番ぴったりなのは、予想外のジョーじゃないの!?
なんて、これ読んで思っちゃいました まさかとは思うがNHKの人、オーラの泉見てジョーにしたってことはないよなあ

ともあれこれで、京都編のジョーが楽しみになった「八重の桜」だったのでした
ちなみに今「オーラの泉」があったら、ぜひとも綾野剛さんを霊視してみてほしいです
「あなたの前世は・・・江戸時代の日本で、屋根が赤いお城にいるのが見えますね~・・・」

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八重の桜・第20話

八重の桜・第20話の感想です。

先週、徳川の世が1日でひっくり返り、それを受けて今週は慶喜公&殿そして会津藩士たちの大阪行きが決定。
怒り沸騰の会津藩士たちを収めたのは、修理の言葉「殿が朝敵になっちまうぞ」。
ああこの言葉を修理が言うのは、もはや二重の暗示ヤダワ~

というわけで皆が京都を離れることになった中、こちらは一人残ることを決意する覚馬。
骨の髄から会津藩士で=幕府への忠誠心を持っていて、しかもけっこう熱血漢であるあんつぁまがこの決断をするのは、人一倍辛いことだったでしょうが、「後方支援業務」に道を見出し。失明の運命をだんだん受け入れつつあるんですね。

京に来ていた家族たちも、同時に都落ちの準備を。
二葉さんは江戸に行くんですね。あらまあこれがあの時の赤ちゃんですか 会津のあんちゃんたちが3人揃って楽しそうにしていたあのシーンを思い出します
そうかあ武士の子はこんなちっちゃなうちから「武士なら泣くな」と教えられて育つのか。そういや武者小路実篤は、戦前の学習院を描いた小説で「公家の子は親に「喧嘩をするな」と言われて育ち、武家の子は「喧嘩に負けるな」と言われて育つ」みたいなことを書いてたな~。

ようやく江戸にたどり着いた二葉様。これって徒歩ってことですよね いやはや~こういう時、つくづく現代に生まれてよかったと思います
と思ったところで、チンピラ浪士に遭遇 薩摩がこうした浪士たちを使って、なんとか江戸の方から戦争を起こさせようと挑発を繰り返してたんですね。そして真珠湾攻撃へ
勝気な二葉様がヤバくなったところで、ここを助けたのがテイという女人。うお~う時栄さんに続き、この人も出てきましたか こちらはどういう経緯を辿るのか具体的に知らないので(個人的には覚馬&うら夫婦より泥沼な印象がありますが)、今後が楽しみというかなんというかです
無事に平馬さんとも再会できて、久しぶりの一家団欒。ほのぼのシーンを象徴するように飾られる懐かしのあのお人形ですが、テイさんの名前が出たところでピシッとヒビでも入るんじゃないかと思って緊張しました

とそこに、庄内藩がパールハーバーへ飛び立ったとの知らせが しかも慶喜が、海外使節たちとの会談にいい手ごたえを感じていた時に
(いやもちろん、薩摩藩邸焼き討ちとパールハーバーじゃ、計画や背景は全然違いますけど
私も会津藩士同様、単に「逃げたのか」としか思ってなかった慶喜公の都落ちですが、大阪で次の手をちゃんと打ってたんですね しかもかなり効果的な手を!
幕府の上の朝廷の上の外国勢力の権威を借りるなんて、いや~なかなか思いつかない盲点だわ~~~ 「海外との関係」という発想がぱっと出てくるあたり、やっぱしこの人の幕政改革はきっと方向的に間違ってなかったんだろうと直感的に思います。ほんとに~武力倒幕なんてやっぱ必要なかったじゃんね~(まだ言うか
しかしことここに来ては、もう後には引けない西郷たち。必要ないどころか、こうなったら是が非でも武力倒幕せにゃならんという。あ~こういう考え方になるのもよくわかります わかるだけですけど。
「人は変わることを恐れる。たとえそれがどんなに悪い世でも」
っていう、これまた一見説得力があって「そうだ!俺はそんなふうに変わることを恐れる臆病者なんかじゃないぜ!」みたいな勘違いを大量に生みそうなセリフを吐いての対抗策が、「江戸で暴れる」。
もう「なりふりかまわず」ってやつですね。勝さんも、柿握りつぶしてグヘとか笑っときながら、今更「俺は驀臣だ。西郷みたいなモンスターに火をつけちまったのはこの俺だ」とか言っても遅いです~ 西郷じゃなくても「ヘイユー!幕府なんか潰しちゃいなYO」にしか見えませんでしたもんあのシーンは
ともあれ今回はこのシーン、不吉な琵琶の音に乗って、燃える夕焼けの中を現れる西郷さんがサイコーでした「これはギャグか?」とか思って
この大河ドラマって時々「カッコよすぎてもはや笑っちゃうシーン」を、なぜか無意味に入れてきますよね、覚馬が弾丸をよけたりとか 西郷が退出する時なんか「琵琶の人、弾きすぎ」とか思っちゃいましたよ(それともあの人には何か深い意味があるのだろうか??)

しかし慶喜も、これにはガックリ来たろうな~~。幕政改革がうまくいってたとこでガックリの大政奉還、しかしその大政奉還をなんとか逆手に取ったところで王政復古、めげずにその巻き返しを図って、しかもそれがうまくいってたとこで今度はパールハーバー。私だったらなんかもうやめたくなっちゃうな 
なのでこの時の慶喜のガックリはかな~りわかる気もするし同情しますが、しかし「戦をしなきゃあの怒りが俺に向かってくる」って、えっちょっと待ってちょっと。それが理由~~?だってトップってそういう役割なんじゃないの~??って下々の者は簡単にすべてをトップに押し付けてしまってごめんなさいだけど、やっぱしそれがあるからトップって普段うまいもん食うのが許されたり皆に気遣われたりするわけで。

さて会津パート。
「わがんねえ。なんで会津が都を追われにゃならんのか」
と、「まったくだ」とうなづいてしまう感想をもらしながら、おとっつぁまたちも続々と登城。ちなみにこの「雪の鶴ヶ城」はホンモノでしたね♪ やっぱしホンモノが出てくるとうれしいです~~~ 篭城戦も、できる限りホンモノでロケしてほしかった。もっともそのために再びボロボロ鶴ヶ城になっても困りますけど

一方、会津の女たちもいよいよ「銃後の女たち」な様相になってきて、皆で諏方神社への願掛け奉納物製作を。
八重はもちろん、山川家や西郷千恵さん、ユキに時尾に竹子さんにさらには照姫と、久しぶりに女性主要メンバー勢ぞろいでしたね~♪今回はいつものなぎなたの道着じゃなく、ちゃんとした着物なので、集まるとそこはかとなくセレブな雰囲気が漂ってて「あ、やっぱしこの人たちって上流階級の武家の子女なんだ」と初めて思えました。

ところで私こういう「お国のために」と張り切っちゃう女たち、例えば「国防婦人会」みたいなのって、ヤーなイメージしかなかったんですけど なんかほら、「私たちはお国を支えるために一生懸命です」を過剰にアピールするあまり、人間らしい情を解さないというか、ちょっとでも自分らの価値観からハズれてる人を見つけようもんなら、女特有のヒステリックさで糾弾する、監視組織みたいな印象が ほらあの、遅れてきた竹子を口やかましく非難したおばちゃんみたいなのの集まりなんでしょみたいな。
でも今は、もしかしたらそういう「国防婦人会」とかで頑張ってたおばちゃんたちって、今なら被災地で率先して自分たちで炊き出ししちゃうような、そういうおばちゃんたちだったのかもという思いがじわじわと。中にはもちろんそういう正論好きなヒステリックババアもいただろうけど、そんなんばっかじゃなく、自然と「何かしたい」と思っちゃうような、そんなおばちゃんたち。さっきからおばちゃん扱いしてすみませんが、どうも私の中ではイメージ的に
この「私もお役に立ちたい」という気持ちは、よーくわかります。竹子の「数にも入らぬ我が身なれども」という思いですね。とても素直な、当たり前の感情で、世界をステキなものに変えてくれるのはこの気持ちだと思います。
であるとともに、この気持ちは世界をグロテスクにもするという実感もヒシヒシと。私の理解的には、ガン細胞を死滅させてくれるけど、他の細胞も殺しちゃうよという、抗がん剤みたいなって何その突飛なたとえ。いやでも「お役に立ちたい」に限らず、世の中のいいもん悪いもんって、たいていそういうもんよね。いいもんか悪いもんかで分けると、大抵はいいもんでもあり悪いもんでもある。そして僕は途方にくれる

おっと会津に話を戻してと 
この竹子の歌は、娘子隊として城下へ向かう時、なぎなたに結びつけた歌だと言われていますね。この歌はほんとにいい歌だと思います。真情をカッコよさでくるんで、しかも余韻がある。
ちなみに「娘子隊」っていうのは、中野家の女たちが中心となって、照姫様の護衛をしようとなぎなた片手に城下を移動するうち、戦乱に巻き込まれてしまったというもので、「白虎隊」みたいにちゃんと組織された隊ではありません。ただ「城下で戦(うハメにな)った女たちのグループ」という意味ですね。
八重の歌は、技巧があんまなくて真情そのままの素直な歌だという感じがしました。これも実際に八重が詠んだ歌なんでしょうかね?
照姫様はその美貌もあいまってか、ひとつひとつに説得力がありますね。篭城戦では女子たちの精神的リーダーだったそうですが、納得の存在感です。

そして八重ちゃんちに遊びに来た竹子ちゃん。
このシーンもよかったです♪竹子もやっぱ美貌のせいか、言うこと1つ1つがキッツく感じるんだけど、相手が負けず劣らず気が強く、しかも大らかな八重ちゃんでよかった 何より「わたしも同じ~~♪」と理解しあえる友達の存在っていいもんだな~とか再確認させてくれるような。

さて京都では、いや大阪か?ついに始まった鳥羽伏見の戦い。
あーんな近いところで向き合ってたのかしら!?なんか、私が戦争の現場を知らないせいか、三郎が参戦してきて「おお来たか~!」「会津の男らしく立派に戦え!」なぞと言われているせいか、個人的にどうも戦の恐怖よりも、運動会の騎馬戦前みたいなドキドキ感の方が大で。まTVで見てるだけだからでしょうけど
でももしかしたら、もしかしたら実際の戦もこういう「血沸き肉踊る」みたいな感覚が(死の恐怖を忘れるためもあって)死の恐怖を上回ってたのかもしれんとか。いや人によるかな。やっぱしよくわかんないな。戦の前と始まっちゃった後ではまた違うだろし。
というわけで、戦シーンはよくわからず。わきあがる感想としては
・なんか最近、どんどん斉藤一がカッコよく見える あの野良犬みたいなギョロギョロ上目遣いがやたらハマってて♪
・砲弾の音って京都にまで聞こえたのか!(京都と鳥羽伏見の位置関係ほとんど知りません) ついにあんつぁまが薩摩につかまってしまいましたね~
・前回銀ちゃんがフィーチャーされてたのはこのためか!しかしまさか、「権助座り往生」とは!!(これは史実??じゃないよねえ
これも私的には「弾をよける覚馬」や「琵琶の音とともに現れる西郷」と同じくらいの「ギャグ!?」としか思えないんですが、まさかそんな不謹慎なこたするわけないしなあ 実際私の父ことじーちゃんなんかは、満州引き揚げの際、四つんばいでカッと目を見開きカッポリと口を開けという、無念極まる恐ろしい形相で死後硬直していた遺体と対面したことがあるそうですから、気を張った戦場での座り往生も描写としてはアリなのかもしれませんが
しかし、銃を構えてるとこに槍で突撃って、指揮する林さんとかも切ないだろうな~~~。会津側の大砲ももはや無用の長物みたいになってるし。やっぱしそんな戦はしちゃいかん、させちゃいかんと痛切に思います。

次回は・・・ついに錦旗が上がってしまいますね~~~ ああやだな~。そのシーンを見たいような見たくないような。
そして修理が、三郎が。ああ~~~~~次回はひたすら重苦しい話になりそうな予感です

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

八重の桜・第19話

八重の桜・第19話の感想です。
いや~~~面白かった
今回は、個人的に一番だった京都守護職の回を越えて、今までで一番面白かった回でした!
やっぱり「戦争前夜」っていうのは、戦争を描く上で「終戦前夜」と並んで特別な緊迫感がありますね~。山田風太郎さんの本「同日同刻」の緊迫感たるや、すごかったもんな~。

この緊迫感って言い換えれば、「戊辰戦争に至るための「(私が思う)肝」が今描かれた」からってところもあって。
前も書いた気がしますが私は、公武合体でもよかったんじゃないかと、ずっとうっすら思ってたクチ。
しかしながら「公武合体=帝の下に諸侯が集まって合議制で」なんて、そんな悠長なことはこの時代に合わないやり方だったのかな~??とも思って自信がなかったのですが。
けど確か薩摩も当初はそれ目指してたはずだし、勝だって「この時期に内乱なんかしてる場合か」と、その1点からの幕府批判だったはず。ここには出てこないけど和宮だってかわいそうだしね
さらには佐久間象山にも背中を押された気がして、見ているうちに「やっぱりそういう道もあったんじゃないの?」と。
そもそも「幕府が弱腰」という不満が尊王攘夷になったのがすべての始まりなわけで、慶喜の改革により幕府が強くなったんなら、当初の目的はすべて達成してるじゃないですか。ならあとは一致団結、協力すれば。
なのになんでそれが「武力倒幕」しなきゃならん趨勢になっちゃったのか。「この時期に内乱はちょっと」はどこへ。
と思うと、どうしても「公武合体」から「倒幕」に至るどっかで、「手段が自己目的化した」という分水嶺があったとしか思えないんですよね今の私的には。
この「手段の目的化」って、言い換えれば「本末転倒」「歯止めが効かない」ってことですけど、私そういうのほんとにグロテスクに思えて嫌で。こういうのって社会的な市民運動から個人の趣味に至るまで、真剣になればなるほど陥りがちな中毒症状で、決して珍しいことじゃないから、よけいに「意識してかからんと」という危機感がヒシヒシと。

で、前回の「錦旗」もそうだったんだけど、今回は討幕派の「手段が自己目的化した瞬間」言い換えれば「タガがはずれた瞬間」が、わかりやすく描かれているな~と。私的にはまさに戊辰戦争へ至る「肝」。
本当なら「誰もが望んだ合議制=大政奉還」で終了、のはずが、「それじゃ徳川が生き残ってしまう。更なる手を打たねば」という。
徳川が生き残るなんて当たり前です(としか私には思えない)。合議制いうからには、旧守派の徳川も、革新派の倒幕側も、すべての立場をいれて考えなきゃ。まあこんな考え方だから私は悠長で結論が出ず、結局日和見になってしまいがちなのですが。
でもここで「徳川が生き残ったら、俺たちの思い通りにできない」というエゴがむき出しになっていくあたり、「なるほどな」という感じで。まあその「エゴ」っていうのも、例えればすっごく急進的な反原発運動とかと同じで、本人たちはエゴじゃなく真剣に「世のため人のため」と思ってやってるんだけど、ハタから見ればその急進的な部分が排他的でなんか身勝手に感じちゃう、時には迷惑だなみたいな 急進的であればあるほど、歪みや反動も絶対大きくなっちゃうから。

いや「王政復古の大号令」はまだそこまで行かない、その手前の「目的のためには手段は問わない」状態かな。でもこれ言い出したらかなり分水嶺だとは思うけど こうなったら今度は引き返した方がリスクが高まる、ゆえに進み続けるしかないっていう道に踏み入るってことですから。
しかしそのために岩倉が言いだした「2500年も遡れば、たかが300年の徳川なんてチョロイぜ」ってのは、後付けにしてはかなーりうまい理屈だと感心しました 言われた瞬間はなんだか納得しちゃいますもんね よくよく考えてみれば、まがりなりにも300年続いた直前の歴史を無視して何か作ろうとしたら、そこにできるのはかなーり歪んだもんだろうと想像される、いわば机上の空論なんだけど、こういう発想が出るあたり、さすがお公家さんだなあと。
余談ですが、日本の建国記念日が他国のように「近代国家になった日」とかじゃなく、「神武天皇の即位日」なのはこのためだったんですね!「各国の建国記念日」表を見たら、日本と韓国だけが思いっきし紀元前で、そのマイペースぶりが面白かったです
けど大日本帝国って、こういう後付けの理屈で、しかもイメージ的には「泥棒を捕まえてから縄をなう」みたいな急ピッチで作られた国のわりには、ま~成功しましたね~~~ その点はほんとにすごいと当時の人たちに頭が下がります。
 
しかし「いったん更地にして一から作り直すのだ」なんてセリフに、わけもわからず血沸き肉踊る人もいっぱいいそうだなあ。それがどういうことかリアルで把握してるわけじゃなく、ただイメージで。って今、西南戦争の士族とかが浮かんでますけど。「我らが待ち望む新しい世界を作るため」と信じて、血沸き肉踊らせて倒幕に命をかけ、作り上げた新しい世界は実は自分たちの居場所がない世界だった。それこそ西南戦争のイメージだけで言っててごめんなさいですが

ブラック三巨頭が、こちらはリアルに把握して血沸き肉踊らせ話し合ってる次のシーン、間髪入れずに出てきたのが容保公のご尊顔アーンド京都の会津方。
いやこれも緊迫感ありましたね~~~ もうここまで来たらサッカーの試合のごとく(?)どちらがいい悪いとか、どちらがアウェイとか関係ない、ただ純粋なる「攻」と「守」の必死なせめぎあいという感じがして。

そして会津にももたらされる「大政奉還」の報。
今まで会津シーンにつき物だった時差がないですね。いかに全国的に驚天動地の大事件であったかがわかります。
ていうかこれからはどんどん時差が縮まっていくんだろうな~。会津が舞台になっていくから
ここでのおとっつぁまが相変わらずかわいかったですね 子供のような本質的な質問を八重に聞かれて「ん~どうなんだろう?」尚さんの助け舟を聞いて「あ、なるほどね」とか、横でなんか一人でやってる いや一応上級藩士で、若かりし頃は京に留学したくらいの秀才なんですから、知らないなんてことはないと思うけど、とっさに答えが出ないくらい、この形態が崩れるなんて今まで考えもしていなかったんですね。もう年取って頭も固くなってるし
助け舟を出した尚さんの方はというと、くらーい顔のまま、黙々と反射炉の設計図作成。本当なら「あの時ダメ出しした家老ザマ見れ」という、承認欲求が満たされた喜びになりそうなところ、その喜びが未来への暗澹に取って変わってしまうのが「八重の桜」の硬派なところです。てことは逆に、承認欲求が満たされた喜びが、未来への喜びと直結しながら進んでいくのが、倒幕派の物語と言えるかしらん??

そして会津パートでは、個人的に好きな黒木竹子もお久しぶりに
なぎなたシーン、かっこよかったです 寸止めとか難しそ~とか思いながら「おお!八重ちゃんキマってる」と。
相変わらず八重たちとは空気が違う(というか服が違う)都会の人っぽい竹子さんだけど、でもタカビーに見下してるようなヤな奴でもなさそうだなという感じではありましたね。2人が仲良くなるシーンを早く見たいです

会津パートではお久しぶりの頼母&千恵も。
「屋敷には姑小姑が大勢いて」
と、さりげなく自刃21人墓のアピールを う~ん21人はやっぱし多いですね~
「今こそ会津に引き揚げろ。京都守護職を命じた幕府がなくなったんなら命令もなくなる」
と、「おおそうだよ。話しながら気づいたけどこれってすごく論理的じゃん。これなら誰にも文句言われないだろ?な?」的な感じで訴える西田頼母ウマイ そしてその感覚がなんだかリアルだわ~。しかし修理のおとっつぁまいわく「その道理が京では通じない」。ああこれもまた現場の感覚がリアルだわ~。頼母も、現場がしょってるあれこれを、その言葉一つでテキメンに察知して、二の句が告げなくなってしまいましたね 「外務省は伏魔殿」と言ったマキコさんも、この西田頼母のような気持ちだったのかしら

京都では今回もう1人、思いがけずおとっつぁまのようなかわいさ発揮する人が
これまたお久しぶりの林権助。相手のことを心配すればするほど、正面から心配をぶつけられない。心配しているなんてテレくさくて悟られたくなくて、目もあわせられずボソボソ言っちゃう。さらにはくだらないギャグまでくっつけずにいられない。またそれが、普段ギャグとか言い慣れてないから、面白くも何ともないオヤジギャグで、そんなギャグを突然言いだすあなたがむしろ面白いという ああ~父ことじーちゃんてば、なにドラマなんかに出てるんすか
心配を悟られたくないがゆえのこういう言動こそが、実は心配ダダもれで これを意図してできるのが「役者」ってやつなんでしょうね~。さすが銀ちゃんGJです 覚馬にもその心情はきっちり伝わってたのが、微笑ましくも切ない場面でした。

覚馬の目も順調に悪くなっていて こうやって、だんだんだんだん見えなくなっていくんだな~というのが、またリアルでした 死病とかもそうだけど、一番最初の宣告が一番ショック&不安で、それから日数をかけてゆっくりと弱っていくうち、だんだん「ああこうして終わっていくんだな」みたいな、ある種の受け入れ態勢になっていくんですよね。でもそうは言っても、ほんとの終わりは常に「まだまだ」としか思えないから、実際にその日がやってきた時は、まさか今日終わるなんて!そんな急過ぎる!って感じで。

この後は時栄さんが初登場ええっ時栄さんってこんなキャラか!これは意外。
しかし松方親方はさすがですね~。この、かゆいところに手が届くような気配り手回しは、やはり大物
今回の浪人相手は、ハッタリが効いて助かったけど、これはやっぱり、飛び道具の方が刀より強いという認識が広まっていることを描いているんでしょうね。
そういえば浪人がらみでお久しぶりの斉藤一も出てましたが(今回はお久しぶりの人が多かったな~)、やっぱし野良犬っぽい感じがよかったです 「おさめんか!」の咆哮とか、「おおうハマってる」と思っちゃいましたよ 「今まで浴びてきた血はなんのためだったのか」「武家の棟梁なんて当てにならぬものだな」も、その気持ちはとってもわかる!という具合にリアルな言葉でした。

さて京都パートの最後を〆るのは、おべんじょコーロギが飛び交うボロ屋敷から華麗に復活した岩倉による王政復古
参内する時、うれしくてニヤニヤしちゃうのはちょっと嘘くさかったけど、いかにも小者っぽくて、このための小堺さん起用かとまで思っちゃいました 小堺さんのルックスはこういう「大事件を起こす小市民」にハマるのよね~(古畑で見ただけだけど)。一見小市民っぽいからよけいに黒さが際立つ=黒さを際立たせるための小市民設定。
ここでの会議で、私的に一番ツボったのが、山内容堂さんによる
「帝が幼いのをいいことに、政権を我が物にするたくらみではないか!」
そのとおり~~~ 容堂さんよくぞTVカメラの前ではっきり言ってくれました
そうそれが言いたかったの。それが私的な「肝」なの。

しかしその言葉は西郷の、刀をちらつかせての「だから何?」により終了。
これで徳川の領地返上が決まり、ここではっきりと徳川の世が終わることに!
これでいきり立つオニカン筆頭とする会津藩士たちに、更にもたらせたのは、慶喜と容保が大阪へ行くという知らせ!!
大蔵の「逃げるのか!」に呼応するようにオニカン「殿を道連れにはさせぬ!」
殿は決して逃げるような人じゃない、殿を巻き添えにするなという思いが、家臣たちの胸中に一瞬のうちに。この信頼関係はすごいですね~~~。溢れる緊迫感もあいまってこの場面、私はちょっと感動してしまいました(*^^*)テレ 元・優等生の大蔵さんが、今じゃオニカンの舎弟にしか見えないのにはウケましたが

という怒涛の勢いをもって、次回はいよいよ「海鮮!」じゃない、「開戦!鳥羽伏見」です!
戊辰戦争が、ついに始まってしまいます~~~!!

あっそうそう、最後になってしまいましたが、今回最初に、これまたお久しぶりな白虎隊の2人が出てましたね♪
久しぶりなあまり、近所の子供からすっかり今時のお兄ちゃんになってて、最初は「誰これ?」でしたが
髪切るシーンは何か用事してて見逃したのですが、その前、八重に「命のやり取りする道具なんだから!」とビシーっと叱られた時とか、高木君がなんだか面白くなさげな顔してたのが、今時のお兄ちゃんぽくて面白かったです このドラマって、二本松少年隊や三郎もそうだけど、少年藩士たちを「ハッかしこまりましたーっ(ビシィッ」みたいな「優等生」には描きませんね。すごいのを見れば「すげえーー!」と素直に目をキラキラさせ、注意されれば素直にふてくされる、反抗期があったり家族愛があったりという、いつの時代も普遍的な、人間臭いキャラたち。
「命のやり取りするんだ」という八重の言葉が、年齢からしてイマイチピンとこなくて、だからわけもわからず頭ごなしに叱られたような気がして、素直に「なんだよ」みたいな表情になっちゃう。
そう思うと、虎隊の悲劇ってもしかしたら「人間としての素直な感情が極限まで高まる一方、命をやり取りするという実感は欠落したまま、戦争と対峙することになった悲劇」とも言えるのかなとか。いやこれはあまりにも現代人的な見方かな?「戦争反対」が当たり前だけど、戦争をリアルには知らないもんね私とか。ありがたい時代ではあるけれど。

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剣道って面白い

今回は親バカ気味であることを、初めにお断りしておきますm()m

さてこの春、中学校に入学したKK。
このたび剣道部に入りました!
なんでもクラブ紹介で、剣道部が一番カッコよかったそうで。

KKは小学生時代、習い事もスポ少も一切なし。「野球やサッカー、好きだよ」とは言うものの、ママから見たところ、さほど好きってわけでもないみたいで、それよりはゲームゲームゲーム(略)
性格的にも打たれ弱く、お調子者なのでほめられたり機嫌が良かったりすると天高く舞い上がりますが、ちょっとでも機嫌を損ねると「おなかいたーい」みたいな感じで、決して運動神経は悪くないものの、これは体育会は無理そうだとママはひそかに まあパパもママも体育会系じゃないしね~
(ちなみに下の子は我が家で一番打たれ強い性格で、この子なら体育会系でもついていけるだろうと思うのですが、肝心の運動神経がダメダメという うまくいかないもんです)

で、中学に入ったらパソコン部かな~とママはひそかに怯えていたのですが(なぜ怯える)剣道とはいい選択「腕立て100回!」みたいな体育会系ではたぶんないだろうし、もしもまかりまちがえば礼儀作法が身につくかもしれないし

はっ!でもここは会津。会津と言えば会津魂!白虎隊!そういやこないだ「八重の桜」で中野竹子が「銃なんてただの道具。剣にはもののふの魂がなんちゃら」とか言ってなかったっけ?ももももしかして会津の剣道部って、体育会系以上に体育会系な、「ならぬものはならーぬ!」の怒声が飛び交う精神修練の場なんじゃ なんたってKKの中学、体育館の名前がなんだか忘れたけど日新館の鍛錬所だかなんだか、その名前をつけてあるくらいだからな~

とか若干心配していたら、意外にもというか当然というか、まったくそんなことはない、どころか実にゆる~~いクラブであることが、最近続々と判明
ある日帰宅したKKによる「今日クラブで初めてマジメな会話を聞いた」っていうのが、これまた忘れたけど「布団が吹っ飛んだ」レベルのダジャレみたいなやつで、そそそれがマジメな会話なの??いやあそりゃとってもいいクラブに入ったね~KK
さらにある日帰宅したKKいわく「KKうまいってほめられちゃった!」
なんでも先輩たちが口々に「これはもう3年の○○先輩を超えている」「今年の1年はすごい」と、歯を浮かせておだてまくってくれたそうです♪なんてステキなクラブ しかし会津魂はどこへ

実はKKのパパもじーちゃんも剣道経験者。入部前にパパから即席で習ったのがよかったようです。しかし普段「俺は剣道やってたぞ」とかあんま言わないパパなのに(もちろん剣道なんか教えたこともなし)、子供がしっかりやりたがるというのは不思議ですね~

そうそう、「剣道部に入る」っていうんで、この前竹刀買いに剣道屋さん(とは言わないな なんて言うんだろ、ああいう武道の道具を売ってるお店)に行ってみたら。
いや~ほんとに剣道って「これは道具ではないもののふの魂だ」ってな感じなんですね 竹刀の大きさごとに、またまた忘れたけど「白虎」とか「玄武」とかそういった「ジャパネスク!」な名前がついてて。
頭にまく手ぬぐいみたいなのも「文武両道!」とか「なんとかかんとか!」とか、四文字熟語がビシーっと!へ~~カッコいい~←と言いつつ笑ってる
余談ですが手ぬぐいは入部後しばらくして、学校からプレゼントされました。福島県剣道なんちゃら連盟みたいなところから頂いたようですが、これもすごかった!墨痕鮮やかに「狂事徳成」!KKに意味を聞かれてもママわからん! でもなんだか吉田松陰が言いそうですね ん~たぶん「がんばろうぜ~イエーイ」ってことじゃない?(「違う」@松蔭

とりあえず竹刀だけ買ってきて、その後パパと練習してたんですが、帰ってきてぽいっと玄関に投げてあった竹刀を、Uがふんづけて歩いてるのを見たパパ「お前それは武士の魂だぞ!」。わ~パパにもなんか憑依した~~
どうでもいいけどこういう時、パパがUを叱ったら、じゃあママもって感じで「KKもちゃんと片付けなさいって言ったでしょ~」とKKに一言文句つけてしまうのですが、そうするとKKは「なんでママはKKばっかり」ってなっちゃうんですよね~ だって今のは、ふんだUも悪いけど、ふまれるように置いとくKKも悪いんじゃないの?Uもわざとじゃないし、自分の大事なものならさ~。と思っちゃうんですが、そうするとKKいわく「Uばっかりかばってる」になっちゃって、難しいところです 以上「育児って難しい」グチでしたm()m

というわけで今んとこ、KKは剣道楽しんでるようです。
ちなみにKKに聞いたところ、野球もサッカーも人気あるけど、なにげにテニス部が大人気とのこと。
へ~~テニス部って今もすごいのか 「テニスの王子様」とかの影響かな?
ママの頃はTVで「エースをねらえ」をやってた時代なんでいやもう大人気でしたね~。1年生が70人だか入って、だから1年生のうちはほとんど球拾いにマラソンに、って感じなのでどんどん脱落して、その中を残ったのが栄えある2年生みたいな。だから先輩とかも厳しくて有名でね~
一方、KKの剣道部は1年生数人。全部で10何人だそうで。そっそれじゃ試合とかほとんど全員出ちゃうんじゃない? いや~どこまでもゆるいクラブでほんとによかった

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八重の桜・第18話

八重の桜・第18話の感想です。
今回はなんといっても、「尚&八重と行く、秋の猪苗代・白河ふたり旅」
いやるるぶじゃなく、尚さんにとっては純然たる視察旅行なのですが。
しかし少なくとも八重ちゃんと私にとっては「るるぶ特別版・GWは会津に行こう♪協賛NHK」です 背炙峠、猪苗代湖、崎川浜、阿賀川とかなじみの地名がぞくぞく出てきて、さらに安達太良山、阿武隈川、安達が原、そして白河小峰城など、行ったことないけど聞いたことある福島名物スポットがワンサカ♪ありがとうNHK
けどできればもうちょっと、各地のおいしいもの食べたり、お城を隅々まで映すとか、もっと旅番組みたいだとうれしかったな~ 期待してた分あっさり終わっちゃったのが残念でした。いえまあ、1億2千万人が「やっぱり」と突っ込んだと言われる(←言われてない)八重ちゃんに追いつけなくてヘバる尚さんシーンとか、実物をマジマジと映してくれた白河小峰城や白河だるまなんかは、ほんとにありがとうでしたが。

そしてついに出てきた二本松少年隊!私はあんましドラマのいかにもなシーンでは泣けないタチなんですが、今回はヤバイ!「安達が原の鬼ババじゃないよ」「アハハハ」のシーンだけでなぜか目頭が
だって遊びに来るKKの友達とか、年恰好から空気から、ほんとこんな感じなんですもん。みんなでゲームしてはぎゃはぎゃは騒いで、笑って、素直で。こんな子たちがみんな戦死していったのかとかうっかり思っちゃったら、反射的に目が
ある意味、白虎隊より悲劇的だったのに白虎隊より有名じゃない二本松少年隊。私自身、二本松少年隊は福島に来るまで知らなかったので、今回八重の桜で見れるのが楽しみというと語弊がありそうですが楽しみです 願わくば「もって瞑すべし」という描き方でありますように。

そういえば「安達が原の鬼婆」は、この間もちょろっと触れた「島津斉彬を霊視してみた」のトンデモ本(「闇の検証」)にも出てきてました。松平容保公や白虎隊を霊視する前に立ち寄ったのよね
霊能者さんによる霊視結果では、この安達が原伝説は「姥捨てが元になっているのでは」とのこと。「ここら辺の人たちは気持ちが優しい」という言葉が印象的でした。

新婚生活にぴったりの白河だるまは、結局八重さんが少年隊士の1人にあげちゃったけど(「ああ~お前ズル~」みたいな子供たちの歓声が聞こえてきたのがまたリアルな感じで、ヤバイヤバイ)、尚さんがニコニコして眺めてたのがほっとしました。うまくいってるんだな~と♪
生活習慣や趣味の相違なんてのは、ともに生活する上では重要そうに見えて意外と大したことないんだけど、こういうとこで出る価値観の相違は、些細なことながらも根本的なことだったりするんですよね。しかし尚さんに「いいんですよ」とか「よいことをしましたね」とかじゃなく「また買いに来ましょう」と、後の悲劇をチラつかせるセリフを言わせるあたり、「八重の桜」って

にしても八重と尚さんは、ほんとにいい夫婦ですね~。お互いのことをよくわかってるから、相手を思う気持ちがすんなり相手に伝わって、感謝できる。背炙山案が、お久しぶりの萱野シンゴにダメ出しされた時に、2人で銃の手入れをするシーンとか、よかったです~。何も言わなくてもいい的な安定感。尚さんが「居候させてください」と言った時も、お互いの気持ちはよくわかってるという感じで。
ついでにこの時「ほんじゃ・・・仕方ねえ」と破顔しそうになるのをこらえて言うおとっつぁまも、安定のかわいらしさでしたね ほんとこの人見ると私の父ことじーちゃんを思い出してしまいます。昔の男の人って全般的に、こういうふうにテレ屋さんというか、自分の感情をあんまし正直に出さない癖があったんでしょうかね~

さて一方、京都パートは。
あのナチュラルボーン生徒会長だった大蔵が生まれ変わった!いやどうもこの大蔵さんは、玉山さんの顔のせいか雰囲気のせいか、会津高校の生徒会長だった頃から、じゃなくて会津在住の優等生だった頃から、ちょっとした表情や佇まいがどうにもヤンキーぽく思える一瞬があってその役柄と微妙に違和感あったのですが、ここにきて解禁!義兄・梶原平馬みたいにギラついた男になっちゃいましたね(ロシアで何があったやら)。いやでもこの人はこれでいいと思います。全然違和感ないし

そして衝撃!「ええじゃないか」がこんなに派手なもんだったとは!
どう見ても新潟下駄総踊りです。って数年前に新潟で始まった威勢のいい踊りなんですが(江戸時代の踊りをモチーフにしているらしい)、カッコいいし、かぶいてるしで、お祭りにこの人たちがいると個人的に「いいもん見たな」という気分になれます そうかあ「ええじゃないか」もこんな感じだったのか!教科書に出てきた時は「なんでこんなのが流行ったんだろ」と思ったけど、これなら流行るわ、カッコいいもん
なんて言ってる場合じゃない 踊りの中に西郷を見つけてキレるも、会津の者とわかってあわや暗殺されそうになるあんつぁま!そうか~いまだに会津ってだけで目の仇か~;;「会津は敵を作りすぎた」という前回の容保公の言葉が重いです でもそれ会津が悪いわけじゃないのに~

ここを救ってくれたのがお久しぶりの松方親方。
「あんなヘンな踊りを流行らせてるのもたぶん薩長」と、敵憎さのあまり陰謀論に傾く広沢にも、「今は庶民マジで苦しいから」と冷静なコメントを。まあそんな庶民感情をさらに煽ろうとしてるでしょう薩長、とは思いますが ともあれこういうリアルな庶民感情を伝えてくれる人は大事よね。
私の知る限りでは大正~昭和初期もなんだかそんな感じだったと。今ある「個人の自由」とか「権利」みたいな意識は、このころ既に芽生えていた一方、貧富の差は大きく恐慌も起こり、「大学は出たけれど」という言葉が流行語になったり、東北では飢饉が頻発したりで、なんというか、都市部の一面では豊かではあるんだけど、行き詰まり感もあって、その豊かさを横目で見るしかない層には「チクショー戦争でも起きねえかなあ。そうすりゃ全部ひっくり返るのに」みたいな時代の気分があったと。まあ「どっか外国でやってる勝ち戦」しか経験ないですしね当時は。現代の気分もそこまで行かないにしろ、ちょっと似てきてるのかな~と、ここ20年くらいず~っと思ってたんですがどうでしょう?もっとも東日本大震災で、そんな気分はかなり横っ面ひっぱたかれたようにも思えますが。
ともあれこういう感情は怖いです。戦争でも起こしてひっくり返してくれる指導者待望論にもつながりますしね。そんでそういう輩にこういう感情は、利用され増幅されがち。今の状態をひっくり返したい薩長にとっては、こういう庶民感情は追い風ではあるでしょうね。

「今のままでいいとは思ってないのは同じだけど、薩摩や長州とは目指す先が違いすぎる」
そうなのよね~。思いは同じでも、それを形にするための手段が違いすぎると敵になっちゃう。ある意味これは頼母と容保公の対立と同じで。
しかしそれに対して松方いわく「じゃあまた戦して相手をねじ込めるのか?」
そっそれは薩摩や長州に言ってやって!戦争したがってるのは、戦争用のお金がたんまりあって倒幕したがってる向こうでしょうよ~。

倒幕側には今回、未来の捨松ダンナ・大山巌まで出てきましたね~。鶴ヶ城攻めのシーンでも、黒熊か何かになって足を撃たれるシーンが出てきましたが、八重のスペンサー銃も前回出てきたし、ここでも「いよいよ近づいてる」という感じです。

しかし今回は何よりも、こいつでしょう。
い~わ~く~ら~~お~の~れ~~~
これほど500円札が憎く思えたことはありませんでした ついに登場した「錦の御旗」なんか、「これか」と思わず睨み付けちゃったりして
やっぱし、仕立てたんだな朝敵に。仕立てられたんだな会津は。

しかし向こうも、1歩間違えればおおやけどという、先の見えないヒリヒリした状況の中で駒を進めてたんですね。
「ここからは、ちょっとの油断が命取りや。一歩間違ったらこっちが逆賊となって真っ逆さまやぞ」
という岩倉の言葉が、すごくリアルでした。後の世から見ると、大政奉還やら明治維新やら、もう既定のルートのように見えるけど、今ある歴史なんて実際は、その時その時にほんのたまたま分かれた道の1つに過ぎないんだよな~というのが、ふと実感されて。
しかしこういう「のるかそるか」みたいなことを実際にやるのって、好きな人にはもう脳内物質ドバドバでたまらんだろうな~。小堺さんの、人の良さそうなニヤニヤづらが、妙に黒幕っぽくハマってて背筋ゾワゾワでした。

しかしこれで終わらない!一方の慶喜は、ついに大政奉還の決意を!!
すごい!まるで倒幕ブラック会談を聞いていたかのようなこのあっさり決断!!やっぱりこの人すごいです~。ましてや、いかに将軍やる気なかったとはいえ、一応幕政改革を進めていて、それなりに手ごたえもあったところだろうに、これを決断できるのは素晴らしい!
私とかTVでブラック会談を聞いてたから「それこそ向こうが今一番困ること。素晴らしい一手」と思えるけど、さらにもともと土佐の山内さんみたく「公武合体でいいじゃない」と思ってたからいいけど、そうじゃなかったら容保公同様、絶対理解できません。幕府がなくなるなんて、感覚的にはたぶん国境がなくなるとか、それくらいの大激変でしょうから。
容保相手に慶喜が語ることは、一から十までまったくそのとおりで、信用できない人がこういう「そのとおり」なこと言うと二重に困っちゃうんですけど、でもそのとおりなのよね。ただしやっぱり「ここが勝負どころよ」「捨て身で行かねば道は開けぬ」には一抹の不安が だってこの人勝負ごととかあっさり捨てられる人だし、そもそもこの人が捨て身なんて、人に身は捨てさせてもこの人が身を捨てることはまずありえないから
しかし一抹の不安はあるにしろ、まさかの庭先でゲーゲー吐いてしまうあたり、この人も精一杯なんだなと見せ付けることができて救われましたね。カステラバカ食いしといてよかったです じゃなくて、岩倉はじめとする討幕派も、それを受けて立とうとする慶喜はじめとする佐幕派も、一手先すら見えない状況の中で、必死だったんですね(でもやっぱり個人的に、仕掛けてきた倒幕派の方にはシンパシー薄いですけど

次回はしかし「慶喜の誤算」こと王政復古で、せっかく慶喜が庭先に吐いたゲロも無駄に
いやそれは無駄にしていいです しかし「大政奉還」=「政権は返しても領地は返さない」=「名目よりも実を取る」という、かつて「家督はついでも将軍職は継がない」なぞという斜め上なことを思いついた慶喜ならではの卓抜したアイディアが、王政復古の大号令によりすべてご破算に。これで公武合体の望みはカンペキになくなりました 個人的にはせめて2~3年は、公武合体でやってもよかったんじゃ?とこの期に及んでも思ってしまうのですが。急激な変化は嫌いです。

といくら言っても仕方なく、ついに容保公も慶喜に従って大阪へと、歴史とともにどんどん話が進んでいく八重の桜なのでした。あそうそう、京都編のプチ重要人物・時栄さんも次回ついに登場です!

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八重ちゃんに再会♪

唐突ですが子供の頃、マンガ雑誌といえばまず「なかよし」または「りぼん」でした。
私の記憶が確かならば、「なかよし」では「キャンディキャンディ」がもうすぐ終わりそう、りぼんでは「砂の城」のフランシスが寄宿舎にいた頃(年がバレる~)。小学校のクラスではなかよし派とりぼん派が二分してましたっけ(ちなみに私はなかよし派
個人的には同時期「リリカ」も忘れがたいのですが、これは先の2つよりメジャーではなく。しかし手塚治虫の「ユニコ」はじめ、執筆人の顔ぶれや高い志など、子供心に「この雑誌はちょっと違う!」と思った記憶があります。

中高生になると「別マ」または「別フレ」。
別マで「ホットロード」とか連載していた頃だったかな?子供の頃の「なかよし/りぼん」のように、当時はこの2つが人気を二分していた印象が。
しかし個人的にはこのころになると、雑誌ではなく、単行本で好きな本を読むようになって、以来マンガ雑誌とはごぶさたに。
(ちなみにこのころ人気な単行本は「ガラスの仮面」「パタリロ」などなど、花とゆめ系列が全盛でした♪)

今の本屋さんには、ちょうどそのころのマンガで育った私たち向け、すなわち主婦向けマンガ雑誌もいっぱい出ているんですが、「やたらドメスティックでドロドロしてるんじゃ?」という恐れがあって、ここら辺のジャンルは常々素通り
しかしたまに「こ、これはなんという傑作!!!」と感動するものに出会うので、油断できません 「アイシテル~海容」とか、ほんとあの時たまたま雑誌を立ち読みしてよかった~と心から思う作品ですし、めちゃめちゃハマった「清らにたかく」も、まさに「傑作!!!」の1つで。

で、今回買ったのは「エレガンスイブ」。
ここで、「清らにたかく」の八重ちゃんに再会できるのです♪

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さっそく購入してワクワク読み始めましたが、最初のページがなんと会津稽古堂で、既に心わしづかみ
稽古堂に入ってる会津図書館、私的にはTSUTAYAと同じくらい馴染みの場所ですから♪ 「うおー稽古堂だ図書館だ~」と(ちなみに図書館には、作者しよりさんの絵が飾ってあります
今回のお話は、この図書館を東日本大震災が襲うところから。
会津は海沿いの地域より震度は小さかったんですが、それでも震度5強くらいはあったんですよね確か。
当時震度4か5弱くらいだった新潟にいて、あまり震災の実感を持ってなかった私には(震度が大きくなればなるほど「弱」と「強」の差は著しく)、突然子供の世話を任された司書のお姉さんが「私だってこわい、家に帰りたい」とガクガクするシーンが、とてもリアルな恐怖をもって伝わってきて。
このお姉さんが、自分も恐怖に震えながらも、泣いてる子供たちをなんとかなぐさめようと、山本八重について語り始めるところから、お話は始まります。

「清ら~」では思い出として描かれていたチビ八重時代、すなわちヒョロヒョロ三郎のかわりに銃を撃つシーンや、尚さんとの初対面、さらには「清ら~」ファンにはもうこの言葉を見るだけで、チビ八重ちゃんのあのワクワクした顔が浮かんでくるであろう「ずっと会津にいてくなんしょ。ずっと八重と鉄砲の稽古をしてくなんしょ」などの名シーンが、すべてリアルタイムの物語として読めるのが、まず最高です。
尚さんはやっぱり、クールでどこかつかみどころが無い人みたいな感じで。というかほんとに兄妹みたいな間柄で。
八重の桜では、尚さんの方がいち早く八重ちゃんに惚れてましたが、こちらのように「どうしても妹に思えてしまう尚さん」という描写の仕方も、「そりゃそうだろうな~」とまたリアル。
対して八重ちゃんは、「清ら~」と同じく、一途でかわいらしくて「ああうれしい♪また八重ちゃんに会えた」と 「清らにたかく」のアナザーストーリーみたいな感じで楽しめました。
(途中あのかんざしが出てくるシーンでは思わず、「あっ信さんもきっとどこかにいるんだな」と勝手な解釈を ライバルキャラだけど信さん好きなんですよね~ 最後に八重さんが「よかったあ」と心からの涙を流すところも含めて、しよりさんの描き方が優しくて好きだな~と)

おとっつぁまの最期や、尚さんとの離縁話、そうそういかにも悪ガキなチビ大蔵など、「清ら~」では出てこなかったワンシーンなどもあって「おおっ」と(大河ドラマではナチュラルボーン生徒会長みたいな大蔵でしたが、実物は絶対こっちの方が近いと思う。オニカンや斉藤一とも気が合うみたいだし。しかし尚さんと並んで会津藩二大イケメンだったのか大蔵)。

「八重は現代に生きる私たちと同じです。家族が好きで、会津が大好きです」
という言葉のもと、いよいよ八重が篭城するところで「次回へ続く」ですが、ああ待ちきれない!早く続きを読みたい!!
妹みたいな存在の八重ちゃんが、尚さんの中でどう変わるのか、しよりさんの描く篭城戦は、そしてその後は・・・?

余談ですが、八重ちゃん目当てで買った雑誌「エレガンスイブ」でしたが、これが意外と面白くて♪
表紙にもありますが、まずは「金子節子」!
知ってる!!りぼんの「オッスGパン先生」とか、タイトル忘れたけど「デカンショデカンショで半年暮らす~♪」とか歌いながら登場する熱血先生モノとか、大好きで、コミック持ってましたもん
私は「なかよし」派でしたが、「Gパン先生」や「花ぶらんこゆれて・・・」もちろん「砂の城」といったりぼんモノも、あわせて好きだったのよね~♪へ~今はこういう主婦向け雑誌で描いてたのか!出てくるキャラが、基本的に当時と変わらない性格なのもとっても懐かしく、内容も面白く。
他にも風間宏子さんとか大谷博子さんとか、「ああ~なんだか聞いたことある~」な名前が。そしてまたやっぱり、話が面白いんですよ!こりゃ~「主婦向けマンガ」とか言って食わず嫌いしちゃいかんな~
中でも印象に残ったのが、震災後の南相馬で、インドアパーク及び公園を立ち上げる「想いのツリー」という一編。
「僕は「南相馬はもう大丈夫」と「早く南相馬に戻ったら?」この2つの言葉は言ったことがありません。言ってはいけないと思っています。
どちらの選択も正しいと思います。そうして僕は「南相馬に残って生きる決心をした家族を全面的に応援したい」今はその言葉しか言えません」
という言葉に象徴されるようなお話。おそらく実話を基にしているのかな?
広告ページを見ると、「3.11あの日を忘れない」というシリーズになっているそうで、読み終わった後、思わず1巻を買いに行ってしまったくらい、引き込まれたお話でした ちなみに1巻は飯館村の「ほんの森」のお話と、仙台で復興した「喜久屋書店漫画館」のお話の2本立てで、こちらももう・・・

よろしかったら「エレガンスイブ」、ぜひ読んでみてください!そして巻末アンケートにはぜひ「八重~会津の花~」に1票を!

って最後は宣伝になってしまいましたが マンガを読む楽しさにどっぷり浸ってしまった1日でした

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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