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八重の桜ノベライズ

松尾しよりさんの「清らにたかく~ハンサムガール」の最終回&2巻を、早く読みたくてウズウズしている今日このごろ
折しもTVでは八重の桜の予告編が流れ始め、禁断症状に拍車がかかる~~

「八重の桜」予告編・5分バージョン

このロングバージョンでは驚いたことに、鶴ヶ城の紙芝居を見る綾瀬はるかちゃんの姿まで!
私たちも以前見た時に「ここに綾瀬はるかちゃんが座ってたんですよ」と教えてもらいましたが、こんなに真剣な顔で見ていたとは。なんか感激
Uも「あっこれ前見たやつだよね!」と感激してましたが、鶴ヶ城がバンバン攻撃されてるシーンでは「ほらあのお城がこんなことに」と驚かそうとするママに「CGじゃん」とクールな答え。6歳児のくせにCGとかチッ

さてそんなこんなで、こないだはついに「八重の桜」小説版まで購入。
もうNHKの思うつぼねアンタ いやお正月休みに読もうと思って~

大河ドラマのノベライズって、読んだの初めてなんですが、セリフ&「歩いた走った」等の行動描写だけかと思ってたら(だから買う気がしなかった)意外と、地の文で説明するところ多々なんですね。これどうやって映像でわかるように描くんだろう?というところが何カ所もあって興味深かったです。

本当はお正月休みに読もうと思っていたこのノベライズ、買ったら予想外に面白くて、一気に読んでしまいました またいいところで1巻が終わってるんだわ

やっぱり会津視点で描かれるのがいいですね~♪会津好きにはたまらないと思います
といっても過剰な会津賛美ではなく「会津は頑固で、軍制改革や鉄砲など、新しいことはなかなか受け入れない」といった、後年の戊辰戦争の負けっぷりにつながる要因なども描かれていますし、京都守護職を拝命する際には「無骨な会津に策謀は不得手」という、暗雲を予言する自己評価なども出てきます。秋月など会津藩にとって重要な人を、ほとんどメンツで重用しなかったり。後年の、神保修理の悲劇などにもつながってくるところですね。「義を貫く誠実さ」というのは、時にこうした「頑固さ」と表裏一体で。

で、読むとやっぱり、どっちの気持ちもわかるんですよね。覚馬をはじめとする「we can change!」な若い人の言い分も、「事を急くな。秩序を守れ」という年寄りの言い分も。だって自分自身が若い頃はそう思ってたし、年取るとやっぱり「守る」ことの重要さもわかってくるんだもの。せめてあの曲のように「もう少し時がゆるやかであったなら~」。

今から見れば「あの時ああしておけば。若い者の意見をもっと聞いておけば」ですが、渦中にいたら、将来がどうなるかなんて、ほんとにわからなかったと思うんですよね。ごく少数の人を除いては。
で、どんどん状況が変わっていくわけですが、読んでるとなんか「完全試合は悪魔のプレゼント」という言葉を思い出すような。昔の野球用語で、完全試合した人は意外と大成しないことからそういう言葉ができたそうですが、容保公&会津藩もなんだかそんな感じで。
井伊直弼の暗殺で寛大な処置を求めた容保の意見が受け入れられたり、雨の天覧行事がうまくいったり、8月の政変を収めて帝の親任がますます篤くなったりと、その時はいい結果になった~と思って、登場人物とともに安堵のため息ついた事柄が、実は後の悪い結果を招く萌芽でもあるという。けれどその時はわからない。この恐ろしさ

また、周囲も黒いですね~ 上にも書いたとおり「無骨な会津には不得手な、企みや策がうずまく」公家衆はじめ、春嶽が黒い。海舟も若干。慶喜なんか真っ黒 私ど~も慶喜って鳥羽伏見での悪印象が強いキャラなんですが、それにしてもこれほど黒いか おかげで、真綿で首を絞められるようにジワジワと戊辰戦争の負け戦に追い込まれていく容保・会津藩の様子に、背筋がゾクゾクしっぱなしでした

京都での政変の後、焼け出された庶民の様子や、「俺を殺して攘夷か。夷狄を切って攘夷か」という、攘夷運動への違和感なども織り込まれていて信頼感増します。そういえば銀魂の幾松さんも確か同じようなことを言っていて、一気に銀魂好きになったものでした

さて肝心のキャラたちは。
八重ちゃんはまあキャンディキャンディかな。ってどうゆう見立て いやなんか昔の学園ラブコメの主人公みたいなキャラだなと。明るくておてんばでひたむきで、片思いされてることに気がつかないとか、で実はおとなしい親友がその男の子のことが好きだとか、どこのキャンディとアニーだ

いやそれはそれでいいんですけど 話はぐいぐいひきこまれますし、この八重ちゃんのまっすぐさは読んでて気持ちいいです。ただキャラとしては、やっぱり私は「清らにたかく」の八重ちゃんの方が好きだな~と。
全体的な内容は、周辺状況をテンコモリ盛り込める大河ノベライズの方が詳しいですが、キャラの魅力は個人的に断然「清らにたかく」に1票 私にとっては「清らに~」の八重ちゃん=スケバン刑事ですから。ってどうゆう見立て いやなんか、底にこう悲しみがあるところとかね。それ言ったらキャンディだって底に悲しみはあるんですが、とりあえず個人的に、明るいあまりどっか押しつけがましいキャンディより、麻宮サキの方が好きだってことで
「サキさんは優しい。本当は例えようもなく優しいのに、周囲を守るためにその優しさをひきちぎって戦うしかないんだ」
「もしもあの人が守る側でなく守られる側であったなら、どんなに優しくたおやかな女性だったろう。ねえ神さん」(「スケバン刑事」で三平がサキを評して曰く)

そういえば八重ちゃんが、頼母とあまりにもいい感じに偶然(しかもたびたび)接触してるのは、ドラマならではの面白さ。この頼母もキャラ立ってていいですね~。ていうか基本、登場人物が皆それぞれにキャラ立ちしてていいですね~♪覚馬の妻・うらとかもいいし、どの立場にもすんなり感情移入できます。

たとえば蟄居を命じられた頼母。会津を思う心は同じなのに、手段の違いでわかりあえなくなってしまう。どの立場でもない、本で読むだけの読者には、そのどちらの気持ちもわかるから切ない。
「夫の忠義に偽りはないから」と、非難されても堂々とふるまう頼母の妻・千恵もグーです
戊申戦争時、娘たちとともに一族で自刃した人。そうした女人は会津城下に他にも大勢いたけれど、千恵は頼母の忠義を証明するためにもそういう道を選ばざるをえなかったのかもしれないなと思わせるキャラ設定でした。嫌々自刃したという意味ではなく、「夫の名誉を守るために自分がすべきことはこれだ」という。
そういえば明治の世、郡長政という、戊辰戦争終結時に頼母その他の身代わりとなって切腹した萱野権兵衛の息子が、ちょっとした雪辱を注ぐために、切腹して死んでいくのですが、そのエピソードを思い出しちゃいました。自分がこうしなければ、偉大な父の名が、家名がすたるといったような。

他にも、新撰組・斉藤一の初登場の直後に、失恋して「私は一生お嫁に行かない」と宣言するアニー・フラナガン、じゃなくて高木時尾のシーンが出てきたりして、うまい 大丈夫よこの人と結婚するから
斉藤一も、ドラゴンアッシュってどうなの?と思った配役でしたが、これ読んだらイメージ的にけっこういいかも なんかすごく印象深い斉藤一になってます。これは楽しみだな~♪

1月6日午後20時。NHK「八重の桜」に期待しつつ、よいお年を
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

またまたふれあい科学館♪

ひさしぶりに、郡山・ふれあい科学館カルチャーパークに行ってきました♪
KKは今マインクラフトでプラネタリウムを作っているので実地見学(?)に、Uはからくり人形が目当てです。

クリスマス当日から翌日にかけて、会津では粉雪がもっさり降って、歩くとキュッキュッと音をたてるくらい。
この音を聞くと反射的にスキー場が思い出されます
ところがこの雪、ほんとに会津地方だけなんですね~
猪苗代IC、磐梯熱海IC・・・と、高速を順調に進んで白い景色を眺めつつ、やがて磐梯山をくぐりぬけると・・・あらっ雪がない!!
郡山ICで降りて市街地に入ったらそこはもう「11月?」って感じで。
冬場、新潟から清水トンネルを超えて高崎に入ると、まさに同じ気分を味わえて「これが裏日本と関東の差か」とか必要以上に自虐してみたりするのですが同じ県内でこれとは、恐ろしま福島

相変わらず雰囲気のいい開成山通りをひた走り、ビッグアイ=モルティ到着~
いつもながらこの駅ビル内に一歩入ると、都会の香り~
と思ったら入り口で香水の宣伝してたのでした レディー・ガガ香水だって。ん~なんかちょっとねちっこいな~
しかしやっぱし郡山は都会だな~。基本「会津は都会だ」と思っているママですが、10代後半の姪っ子に贈るこじゃれたプレゼントみたいなのが、会津にはないんですよね~(と、こないだのクリスマスに痛感)。時間さえあれば、クリスマス前にここ来たかったな~
と思いつつ、ガガ様の香りを嗅ぎながらエレベーター乗って、科学館到着~♪

久しぶりのプラネタリウム、良かったです~
今は「冬休み企画」ということで、このスペースパークができた(だかリニューアルしただか?)2001年に上映していたという、上空から見た郡山映像との2本立て。
これがまたグー 猪苗代湖の上を、さ~っと滑るように郡山に入り、安積疏水の紹介などを挟みつつ、駅周辺の大都会を空中遊覧。ドーム映像で、ただでさえ座席が動いているような迫力がある上に、音楽がまた妙に盛り上げ系で。郡山に思い入れ深い人なら泣きそうレベルかとオススメ
その次が本編・純正プラネタリウム。
これもよかったです ちょうどKK&Uが星座に興味あったのもよかったのかも。映し出された星座覚えようとみんなで真剣に見たもんね
今回のテーマは「100万年後の星座」ということで、今ある星座は100万年後にどうなってるかというのを、ドームいっぱいに、軽く10万年単位でぐわ~~~っと動かして見せてくれるのですが。いや~10年一昔どころか、10万年3秒ですよ もう人類とか、この3秒の間に滅亡してるでしょ(KKいわく「いや別の種族になってまだ生きてるはず」)。
なのに星とか、意外と動かないんですよね。いや動くことは動いてますけど、人類滅亡なんていうスペクタクルに比べたら牛歩みたいな。そうして目の前で一気に流れる百万年。絶対その場にいないのに、それを見ているって不思議だわ~。なんか死んだ人が、ビデオテープの中では元気な頃と変わらずしゃべったりしている不思議さと似てるような。

などと、子供とともに口あけて、悠久の時にしばし浸ったプラネタリウムでした。
そうそうからくり人形も面白かったです。私はとことん理系がダメなので、ああいうゼンマイ仕掛けとか歯車とか考えつく人は尊敬してしまうのですが(数学の「歯車AとBの回転数」とか、イヤすぎていまだに覚えてるくらい)、実際にそうした仕掛けに触れるのは子供のみならず楽しいです♪ 歯車使って回転数を変えるとか、上下運動に変えるとか、ほんとよくこういうことを思いつくよな~と。
余談ですが、ミルクをなめてる猫が、からくりの糸がある程度ゆるんだタイミングで突如倒れるという仕掛け人形があったのですが、説明が「ミルクを一生懸命なめた疲れで、目が回って倒れてしまいます」なのにタイトルが「POISONED MILK」。
ってこれ毒ミルク飲んで死んだんじゃ?と言ってると、横から忍び寄る係員さん「実はそうなんですよ~」
作った人はイギリス人なんですが、イギリスには「農薬の体内濃縮」から来るそういう風刺話(?)みたいなのがあるそうで。「ただ子供向けにはどうかということで説明を変えたのですが、タイトルがそのままで・・・
ちなみにチラシでも使われている「お風呂でスパゲッティ食べるからくり人形」あれもちゃんと背景話があるのだそうです。親切な係員さんが教えてくれるので、お子様と一緒にぜひどうぞ♪

帰り、進むごとに1度ずつ気温が低くなる会津への道のりを、思わず「わ~~~♪」と歓声が上がる猪苗代スキー場のきらびやかなナイターの灯りを眺めつつ、時折「ガガッ」と不吉な音を響かせてブレーキ効かなくなりながら帰ったのでした いや高速はいいんですけど下道がね。夜はほんとにツルッツルで。皆様もどうぞお気をつけくださいませ。

テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

家庭内民主主義

クリスマスも無事終わり。
子供たちがなかなか寝ないので、車に隠したブツを取りに行くタイミングがつかめないままサンタさん寝てしまい、「じゃあ私の車に乗って取りに行きなさい(←見知らぬ人)」「ああ~~もうすぐ子供たちが起きてくる時間だ~」といった、旅行前に必ず見る焦らせ系悪夢(「チケット忘れた」とか「飛行機に間に合わない」とかね。あれ本当に心臓に悪い夢ですよね)にうなされてやっと目覚め、無事プレゼントを渡すことができました。もっとも上の子はさすがにサンタさん信じてないですが、とりあえず上下ともに大喜びで何より♪

子供といえば、下の子が生まれた時
「男兄弟は、小さいうちは喧嘩ばかりで当たり前。甥っ子たちなんか足がぶつかっただけで喧嘩してたぞ」
と、優しい気質の姉妹に挟まれておっとりと育ったダンナが言ってて。
これまた一人っ子につき「喧嘩」というものを知らずに育った私は
「ええ~~~なんでそんなことで喧嘩になるの???」
と、不思議でしょうがなかったのですが。足がぶつかるなら「ごめんね」「いいよ」っつって、足どかせばいいだけじゃんと。
しかしダンナいわく
「足をどかすという選択肢がない。時にはわざとぶつけたりする。そして殴り合いになる。けれど次にはまた懲りずにくっついて座ったりする」
わから~~~ん。その謎の行動が一人っ子にはさっぱりわから~~~ん

と思って早幾年。小6&年長男児になった2人ですが、今やほんとに足ぶつかっただけで喧嘩してます(大笑い)
ていうか「足がぶつかったから」ならまだ正当な理由ってくらいで。歌歌ってたら一緒に歌われて腹が立ったとか、描いてる絵を覗いたとか、頭に触ったとか、前を歩いたとか後ろを歩いたとか、「微笑ましい兄弟間のコミュニケーション」がすべて火種!まるでヤクザの因縁のごとくどんなことでも理由になる!そして文句言われても引き下がらない(どころか2倍増しでやる)ところも予言どおり!
で「へばーかばーかばーか」「うざい!兄ちゃんうざい!」「ああそうですかーキモキモキモ」「兄ちゃんウンチーー(ボカスカ)」「(ビシバシ)」やめなさ~~~~~い

「下の子が生まれた時、上の子を大事にするのが足りなかったかしら」
「もっと言動をきめこまかく躾けるべきだったかしら」
と、親としての反省点がテンコモリに浮かんでくる日々ですがそれはさておき。さておくな。いやなんかもうめんどくさくて
そして、一人っ子につき、こういう兄弟喧嘩とは無縁だった私には、なんというか目からウロコみたいなとこもあって。
「悪いことしないのに殴られることがある」「悪いことしなくても暴言吐かれることがある」
こういう理不尽さを日常として受け止めてる子(主に下の子)は強いなーと。私が理不尽だー理不尽だーと人一倍気になりつつも乗り越えられない「この世に当たり前の顔して存在する理不尽」がほんとに当たり前で、更にそれに「対立してもいい」となってるところがね。私とかは理不尽さに折り合いつけようとするあまり「そういうもんだ」とあきらめちゃいがちだから。

そう、私「対立」ってのが苦手なんですよね。
これは一人っ子だからかなと思ってたんですが、司馬遼太郎さんいわく
「日本人は競争はするけど対立は避ける」
と対談集で言ってて、じゃあ日本人全体がそういう傾向なのかしらと。
いやうちの男児たちだって日本人ですけどって思う反面、けど確かにそういう傾向はある気がするんですよね。こないだ山田風太郎さんも「「もう帰ってくれませんか」が「お茶漬け食べていきませんか」になる」と言ってたけど、この「対立を避けてふわっとやりすごす」ってもう、「日本人論」としてはスタンダードになってる気がします。
そういえば坂本龍一さんも「朝鮮半島までは金属音で来るのに、日本に入って時間がたつと角が取れて基音が強くなってくる。言葉も、朝鮮半島の濁音、鼻濁音いっぱいふくんだものが日本語になると平準化される。どうもそういう傾向が日本にある」と言ってました。音ですら丸くしてしまうとは、おそるべし「和」の国。

「基本的に農業の国だから、農業に欠かせない協調性・集団性を維持するためにそうなった」
「島国で、異民族に征服されたことがないからそうなった」
等がその理由としてよく言われてますが、まあ納得です。戦いなんかそりゃ誰だって気分悪いし、それをしなくて済むなら越したことは無いわよねえ。で日本の場合は幸いにも、海が砦になってくれたおかげで戦わなくても済んだ、むしろ戦いなんて農業やる上では害悪でしかないという長い歴史の蓄積が。もちろん武士という戦い専門員もいますけど、あれはやっぱり日本の構成員の中では特殊な上位数%かと。あんまり他国に侵略されたされないといった兄弟喧嘩の経験が少ないあたり、日本=世界の一人っ子みたいなとこがあるのかしらん?

昔の村落共同体では「寄合」という制度があったそうで。村のことはそこで話し合って決めるという。
それがまたえっらく長い話し合いだったそうで。皆が合意に達するまで、下手すりゃ昼夜ぶっ続け、2日くらいかかっても話し合い続ける。途中ご飯食べに帰ったり、手弁当持参してまで合議を続けるという、時にはそういうえらく気の長い話し合いになったみたいです。どっかで読んだだけのうろ覚えなので確証ないですが。

私これ読んで「ああ日本の民主主義って別に戦後の憲法で始まったわけじゃなく、根っこにあったんだな~。ある意味欧米より民主主義に関しては先進国だったのかもしれないな~」と目からウロコで。
でもそうなんですよ。「自分と同じ権利を持っている、自分とは違う他人とうまくやっていく」てのが民主主義の基本だと思うんですが、ある意味それは日本すごい上手なんじゃないかと。正面切って対立せず、ふわっとやりすごしたりするのも、長く培われてきた技法の1つで。「日本に民主主義をもたらした」ってことになってる欧米だけど、けっこうジャイアンでうちの兄弟みたいなことしてる欧米もこういう民主主義を見習えばいいのにとか

なんで日本はこういうふうにできるかというと、やっぱり他者への「信頼」があるんかな~と。
寄合にしろ何にしろ、その民主主義的な場に集まってるのは基本「同じ村の人間」という信頼が前提にあって、そこから生じる「どんなに時間がかかっても、いずれはわかりあえる」という信念のもと、2日でも3日でも話し合っていられるんじゃないかと。
そうした村落共同体につきものの「余所者に冷たい」なんてのは、その「信頼」の強さを裏側から表してるもんだと思います。共同体への信頼が強いからこそ、そこに属さない者は信頼できないという。
じゃあなんで「同じ村」なら信頼できるのか。うーんやっぱり「言葉が通じる」からかなあ。つまりベースの価値観というか。
その共同体を成り立たせるための約束事みたいなものを、その共同体成員なら当たり前のように共有しているから、その盤に乗って議論できる。その上で、手段とか利害とかそういうものだけ調整すればいい。盤を壊すようなことは、同じ共同体なら絶対しないだろうという安心感、信頼感。

翻って欧米はどうかというと、なんか出発点が違というかベースがもう全然違うような印象が。
盤を共有しない者同士で、いかに議論を出発させるか。そういう、日本とは違うかなりシビアな状況から生まれてきたのが欧米流の「自由と民主主義」という気がします。価値観も共有してない、信頼なんてもちろんない、そのままなら戦争になっちゃうような相手と、なんとか戦争をしないために決めたルール、それが欧米の民主主義。

言い換えれば、ベースに必ず「対立」を抱えているのが欧米流の「民主主義」って気がするんですよね。
日本では「和」の象徴というか、「戦争なんかやめてみんなで仲良くやろうよ」というのが民主主義って気がしますが、欧米の民主主義は戦争の代理手段というか、「いつでも対立準備オッケー」的な闘志が底にある的な。

と思ったのは、大河ドラマ「山河燃ゆ」についての話を読んでた時。
これについては前にも書いたのですが、「こんなドラマを放映されては困る」という声が日系アメリカ社会から挙がり、NHKはそれを受けて前代未聞の「アメリカにおける放映中止」を決定。
それに対してやはり日系アメリカ人の声の1つとして
「まずは放映するべきだ。そしてそれを見た上で批判なり次に生かすなりすればいい。それが言論の自由であり、私たちはそのために戦ったのだ」
という意見があって。
けっこう驚いたんです私 「すごいな~。何か「信頼」があるんだな~」と。
放映して、意見を戦わせた方がいい結果になるという、その方法への信頼みたいなもんがあるんだな~。その方法が「戦って勝ち取った」ものだから余計にそう信じられるんだろうな~という。
私からすると、放映してなんか取り返しのつかないような悪い結果になったらどうすんのと。それくらいなら封印しちゃった方がいい。そうして何もなかったようにやりすごせば、あとは時間が解決してくれるという感じで。

私の考え方は明らかに「日本人こうあるべき」の見本市です さっき「日本は他者への信頼がある」と書きましたけど、本当はこういうふうに、全然「信頼してない」んです。というか、信頼してるのは話が通じる人たちだけ。民主主義が成り立つのはそういう「信頼している人たち」の間だけ。「こんなドラマ放映されたら困る」というような、盤をぶちこわしかねない反対意見を出す「純正の他者」は、もう「反対意見を出す」って時点で信頼できないんですよね。だから「議論したってかえって関係悪化するんじゃ」とか心配してしまう。そんで対立をやり過ごす。対立=「失敗という終着点」だから。自由を許すあまり失敗に行き着くくらいなら自由はいらない、自由よりも対立しないことの方が重要。
「戦争も外交の一手段」という言葉、私には非常~~に違和感で「何をどっかで聞きかじったようなこと偉そうに言ってんだ。戦争になったらそれは「失敗という終わり」だろうが」としか思えないのですが、これは別にサヨクの専売特許ではなく、案外モロに日本的な考え方なのかも?

けれど「放映しなきゃ始まらない」という欧米にとっては対立=文字通り「出発点」であって。
「自由を認めるから対立する。それが何?なんでそんな当たり前のことを言ってるの?」みたいな。
「日本人はよくわからない」という印象には、これも一役買ってるのかもしれません。「なんで嘘ついてまで対立を避けるの?」とか。いやそんな印象あるのか実際は知らないで言ってますが。
けどこれはかな~り大きな違いですよね。「自由」や「民主主義」といった具合に、なまじ名前が同じで「なんとなく良いもの」という価値観も共有しているだけに、違いがわかりにくくていっそう始末が悪い。
私は上でも書いたように「日本の民主主義(=和の精神)って最高じゃん。欧米も見習えばいいのに」と本気で思ってますが、しかし日本でそれが成り立ってるのは出発点をネグって、最高の終着点になるよう調整された盤の上で民主主義してるからだという思いもぬぐえず。そりゃ「最高の民主主義」になるわよね。欧米が目指す民主主義の到達点だけがあるんだもの。すごろくのゴールからスタートしちゃってるような感じ。

出発点をネグって「民主主義の理想の到達点」を成り立たせる盤、それがすなわち自民党改憲案などにある「公益、公の秩序」なんだろうと思います。
「公共の福祉」には「皆が盤の上に乗っていい。そこから秩序を作っていこう」という、欧米流の姿勢がありますが、自民の改憲案は「公益・秩序」によって盤の上に乗れる人を制限し、その上で民主主義を行うという。必然的に「根本的な対立」なんかは生まれませんね、その秩序を受け入れた人だけが民主主義に参加しているんだから。
問題は、その盤に乗れない人はどうすんのかという。「公益」に値しない人は参加の権利なし、ってすっごく残酷な切捨てですけど。「公益に値しない」って言い換えれば「お前の存在価値無いよ」です。そんな残酷な宣言を、さらに恐ろしいことに「秩序」として正当化。「公益」に基づく「公の秩序」ってわかりやすく言えば「存在価値ない人が自分の権利を言い立てるのはルール違反、迷惑」ってことですから。ああ~でもなんか、よくある言い草ですね~こういうの。生存競争で頑張ってるのは切り捨てる側も切り捨てられる側も変わらないのに、片方は「公益・公の秩序」によって守られ、片や「公益・公の秩序」によって切り捨てられる。しかもそのことに文句も言えない。
もっとも欧米流の「公共の福祉」すなわち対立前提で全員が盤に乗れるっていうのも、残酷であるとは思いますけど。日本流の残酷さとはまた別種の。

で、日本にしっくり来るのはどっちかというと、やっぱり自民党改憲案なんだろうなと思うんですよね。
ず~っと、不文律的にそれでやってきて、役割分担という盤がグラついてなかったのが、戦後「自由と権利、民主主義」みたいな流行がやってきて、それが混じったから今その盤がグラグラしてるんだと思いますもん。中途半端に「空気読み」で、中途半端に「個人主義」で。
と同時に、あっさり「自由と権利、民主主義」に塗りかえられず、中途半端までしかいかないっていうのがまた、いかに日本流「秩序重視」が根深いかという証かと。それほど根深い(もしかしたら聖徳太子にまで行き着くかもしれん)日本的な体質を、人工的に変えようとしたらどっかに無理が出るだろうから、そんなら無理せずそっちに戻った方がいいんじゃないか、ゴタゴタも減るだろうし、とかね。何より日本方式だと「どうやってこのお互いの違いを乗り越えればいいのか」とか考えなくていいんでラクですから。いざとなったら「そう決まってる」と秩序を持ち出せばOK。

「だから日本はぶらさがり民族になるんだ。同調圧力だけ強くて異論を認めない。そんで戦時中もあんなことになったじゃないか」
という思いが、戦後民主主義を歓迎し、受け入れた根っこにあると思うんですが、しかしやっぱりいいとこどりはできずゴタゴタになってしまったんですね。欧米流の「自由と民主主義」って、日本人の体質である「対立しない」をリセットしないとマネできないですもん。そしてマネしたからって果たしてそれがバラ色かと言うと決して。「民主主義すごろく」のいまだ途上なんですから、うちの兄弟げんかみたいなのが頻発するだけで。それならなまじそんな本格的なやり方を、体質改善という無理をしてまで目指すより、出発点が違うおかげでゴールに近いというこの状況を守った方がいいのかも。

けどね~。ゴタゴタを解消するために、日本の良さへ反動回帰すればそれで済むかって言えば・・・う~んやっぱ双手を挙げて賛成できないわ~~。堂々巡りだけど、でも本当に、日本の良さって上のような悪い面と表裏一体だから(まどんなこともそうだけど)。ゴタゴタを解消するために人工的に日本の良さを注入したら、そのゴタゴタのためにかえって悪い面だけが浮かび上がっちゃうかもよ。

って、長々書いてきましたけど、「日本人とひとくくりにできるのか」「欧米っていうけど欧と米はかなり違うだろ」「つーか欧の中だってずいぶん違うだろ」といった具合に、しょせんは穴だらけ、主観だらけの印象論に過ぎませんm()m
ただ、自民党の改憲案を見て
「せっかく戦後に勝ち取った・・・じゃなくて負け取った素晴らしい理念なのに、現状だけ見てあっさり捨てるのは、いかにも「豊かさの中で生まれたから豊かさの弊害だけを知っててありがたみを実感したことない子供」みたいだな」
と思ったのと
「しかし日本ならではの良さと、自由民主党・・・じゃなくて自由・民主主義は確かに相容れない部分もあるんだよな。自由・民主の良さや、日本ならではの良さみたいな「いいところ」って「悪いところ」と表裏一体だから、片方の悪いところをもう片方の良いところで打ち消せればいいんだけど(そのつもりで戦後受け入れたのでしょうが)、悪いところを消すと大抵おおもとの良いところも消えちゃうのが困ったもんだ」
と思ったのを言いたかっただけなのが、こんなに長くなってしまったのでしたm()m

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

八重の桜・予告編

八重の桜、もうすぐですね~
昨日初めて、TVで予告編見ました♪

八重の桜(予告編)

私が見たのは、これよりもっと長くて。
途中にもっと、八重ちゃんが鉄砲持って移動するシーンとか、雨をバックに八重ちゃんと川崎さんがしゃべってるシーンとかブレンドされてて、思わず見入っちゃいました 「ここ絶対鶴ヶ城の茶室だよ!」とか盛り上がりながら♪
予告編とともに自治体の方たち数人の挨拶なんかも入ってたので、もしかしたら特別に編集したバージョンだったのかもしれませんが(たまたまつけたらやってたので、何の番組だったかイマイチ覚えてないという)。

いや~いいですね~
教授の音楽も迫力あるし、字幕でもセリフでも会津会津って何度も出てくるし、もううれしいったら♪
そうそうナレーションの「あいづ」が「アイス」と同じイントネーションだったので「ふっふっふ違うのよ。通は「まいう~」と同じアクセントで言うのよ」と、自分も最近覚えたもんだから鬼の首取ったかのように指摘してみたり
特に八重ちゃんの会津弁がかわいいですね~~ 幼稚園のママさんとかの会津弁は「強くてハキハキしてる、肝っ玉母さん」という感じに聞こえるんですが、八重ちゃんの会津弁は「ちっちゃい子が一生懸命しゃべってる」的なかわいさが まあ母は強しってことでしょうか

余談ですが、会津=おっとり、おとなしいという印象もあるかと思いますが、少なくとも私の知る会津のママさんたちは決してそんなことありません むしろどんなことでも冗談にして笑い飛ばして、っていうパワフルな印象の方が強いです それが会津弁で繰り出されるとパワー2倍増しという感じ
かといって「押しが強い」とかそういうわけでもなく。そういえば会津のママさんに会津のおでかけスポットなどを教えてもらった時とかによく聞くのが「会津は田舎だから~」「何もなくて~」とかなんですが、「やっとミスドができた~」っていって行列になっちゃうような町から来た私には、「全然田舎じゃないのになぜ!?」という感じで。お店はあるしお城はあるし、田んぼを潰して住宅地にしたような我が実家近辺と違って、他県から遊びに来るくらい歴史と魅力ある町なのに。でもそこがまた奥ゆかしいような、そういうとこも好き

「会津には海がねえ」っていう(たぶん)覚馬のセリフとかも、「そうそうだからKKの修学旅行も松島なのよね」とか、極めてどーでもいいことを思い出しながらもリアルな感じ。冒頭のあの黒船ズラ~リの衝撃とか、きっと当時の会津にはピンとこなかったでしょう。でもそれはもう仕方がないことなんですよね。今の自分だってきっと色んな面でそういうことがあるはず。

というわけで、予告編見たらまたいっそう楽しみになった「八重の桜」だったのでした。
とりあえず第1話は録画しとこうかしら♪

テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

選挙・・・

選挙・・・どこに投票なさいましたか?皆さん・・・
私は結局、共産党にしました(比例は民主)

とにかく「維新と社民はイヤ」ってのだけはハッキリしてて。
で自民と共産で迷ってたんですが、自民に票が集まりすぎると困るので共産に。こっちはそうそう議席増えないだろうから、安心して入れられるというか。
でも共産党とかに入れるのって、自分が隠れ党員になったみたいでなんかドキドキしますね(はっきり言って共産党に入れたのなんか初めて!) 正直、薄らピンクに過ぎない左派には、真っ赤な共産党ってちょっと敷居が高いので、早く社民党マトモになってほしいです

そういえば今、社会科で選挙のことも習ったらしいKK@小6は「どこに入れてきたの?」などけっこう興味ありげ。
「KK共産党がいい!だってこないだTVで見たら、すごいいいこと言ってたよ
なんてことも言ってて
「うんまあ確かに言ってることは悪くないんだよね。ただあそこは目的のためなら手段は問わないってとこがあるからな~」
と、あんまりそっち方面に深入りしてほしくない親はそれとなく阻止
まあママも確かに赤旗とか読んだら(読んだんかい)「あれ、共産党ってマトモじゃん」とは思ったけどね。トコトン庶民(ていうか「人民」)の味方だから、当然ちゃ当然なんだけど。
ただそういう「いい記事」に混じった「今週はナントカ支部が赤旗読者○名獲得!」とか「ナントカ支部の読書会に新規青年○名参加!」みたいなのが私的におっかなくて 「よかったこういう記事があって。絶対近寄らない方がいいってわかるから」と思いました なんか「オルグ」とか「シンパ」とかの言葉がまだ活きてそうな、つまり「宗教」なんだなって感じで。

ま共産党はどうでもいいんですけど(←投票したくせにこの言い方)、まさかここまで自民党が勝つとは・・・
前回の民主党と同パターンですが、私的には前より悪いと思います。だって野党が民主・維新・その他と分散されちゃってるんだもの。
前は民主圧勝とは言え、それでもまだ自民党が100以上残ってたから、一応普通の二大政党っぽい動きではあったかと。それでも3:1って比率はちょっとバランス崩れてて危ないなーと思いましたけど、今回はそれ以上。
野党で大連合でもすれば、与党の対抗馬としてまだしもですけど、まとまるなら選挙前にとっくにまとまってるわよね 民主と維新なんてもう水と油だろうし。

てかこの維新が。維新が民主と並ぶ議席だなんて 私的に最大のショックです。
いやまあ維新が野党第1党なんてオソロシイことにならなかっただけでもよかったのかもしれませんが、でもたった 3 議 席 差って 誤差の範囲でしょうこれ。
んで維新がどっかの党とくっついたら、軽く野党代表。下手すりゃ自民とくっついて与党になるかもしれん、おおうオソロシイ

ど~~も私、維新がナチスにしか見えないんですよね。過大評価しすぎかしら?
ナチスだって最初から、あやしい、胡散臭いと思われてたけど、だからこそそんな胡散臭い弱小党がまさか政権取るとは思えなかったのよね。でも取っちゃったらもう最後よ、何でもやるから。そんでそういうのに庶民は「行動力がある」「待ってました」って拍手喝采。
50年後とかに「なぜ日本はあの時ファシズムに舵を切っちゃったの?」なんて聞かれたら「いやっ!国民全部が支持してたわけじゃ断じてないのよ!」と強く言いたい今回の選挙結果でした。

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風の遺言

-あえて今の日本のこういうところに注文がある、もの申すみたいなことはございませんか?
「ないねえ。初めあると思ってたけれども、今はない(笑)。よくいうことだが、日本にこれほど幸福な50年は、今まで1回もないからね。平安期を見ても、室町時代をとっても、江戸時代をとっても、明治をとっても、どの時代をとっても、今が一番幸福な時代ですよ」

-江戸の安定期よりもいい時代なんでしょうか
「第一、今の方がごちそうが食えるもの。昔なら、初鰹なんて言ったって、当てになるもんかっていうことだった。冷蔵庫はないし、みんな半分腐ったようなのを食べていたに違いない」

-(今の日本は)景気の悪化、官僚の汚職、家族の問題、青少年の凶悪犯罪・・・と、いろいろな点で、日本は大きな曲がり角にきているのではないかと思うのですが、先生はどのように
「太平洋戦争の敗北の時でさえしのいだんだから、あれにくらべりゃ、今はコップの中の嵐みたいなもので、破滅状態にはならんと思う」

-日本は敗戦でめちゃくちゃになった時代も乗り越えてちゃんとやってきた。それに比べれば今の状態など、たいしたことはない、大丈夫だと
「大丈夫だろう。ただし見方によれば、明治の時よりもこの状態が悪いって言えば悪い。あのとき日本は、少なくとも日本の国土を保っていたけれど、今じゃ沖縄なんて占領下にあるのと同じだ。自分の国土が自国の力で守れないんだからね。アメリカ軍にいてもらわないと困るという状態だ。
どうしたもんかねこれ。アメリカ軍におってもらった方がいいのか、沖縄にあんなに基地があるのが順当なのか。けれどアメリカ軍は、ドイツにもフランスにも駐屯してるんですね。日本だけじゃないんだから」


-日米の軍事同盟、このままの形を続けたらいいのか、日本自身が、憲法上のことなどをクリアして自衛隊を軍として認めて、自主防衛という形でやった方がいいのか
「僕らがそこまで考えたってどうしようもない。僕らの及ばない世界のことだからね」

-先生としては、心情的には、日本の国土自体が占領下にあるようなところが・・・
「それが残念無念だ。しかし軍備するとなると大変だこれ(笑)。前にも言ったけれど、ものすごくカネがかかるからね」
「ところで、日本人の悪い癖は、嘘をつくのが平気なことだ。アメリカじゃ、やってることが正しいか正しくないかは別として、議会で嘘をつくと言うことは考えられないね。
ペリーが来た時に、談判するのに、会合して、その結果、この前言ったことと違うことを平気でペリー側に言うんですよ。
それで、向こうは、日本人はどこまで信用していいかわからない民族だという印象を最初に受けたらしい。できないならできないということをはっきりいえばいいんだけれど、ごまかして、問題を先送りしちゃうんです」


-日本人が平気で嘘をつくというのは、今に始まったことじゃなくて、昔から・・・
「いい意味でも、悪い意味でも。いい意味では、事を荒立てたくないもんだから、とりあえず問題を先送りしちゃうことです。京都で、客が帰ろうとすると、「茶づけでもどうどすか」とか言うから、「じゃあ」なんて座りなおしたら、えらく評判が悪い。無粋だといって。「だって食っていけって言ったじゃないか」というのは通らないんです。日本人全体にそういうところがあるのではないかね」

-それが昔から日本人の持っている性質だと?
「そうですね。いわゆる九州男児、あれが日本男児の標本みたいに言われているが、あれは朝鮮系が入ってるからじゃないかと思うこともある。朝鮮人というのは、すぐ自殺したり、腹切ったり、直情径行的なところがある」

-九州男児は、本来の日本人の性格とはちょっと違うということですか?九州男児の嘘をつかないとか、直情径行的なところが日本では男らしい人と言われるけれど、それは朝鮮系が混ざっているからで、本来の日本人の性格はどちらかといえば京都系の方で、表面は「お茶漬けでも」といいながら、本音では「帰ってくれ」と。先生としては、もちろん九州男児が好ましいわけですね
「好ましいわけだ」

-戦後50年、日本人は一生懸命働いて、経済大国と言われるようになりました。ところが、日本人は、何のためにおカネを儲けるかという目的が失われてしまって、おカネを儲けること自体が目的になっている。それが今のような社会を現出させたと指摘する人もいますが
「しかし僕が思うに、日本人は存外カネを欲しがらないですよ。人におごったりするとき、みんな気前いいもの。「ワリカンにしろ」なんていう人はほとんどいないし、払える者が「俺、払うよ」とかいってるからねえ」

-確かに、そういう面もありますね。国家としても、東南アジアなど世界各国に援助金も気前よく出してますからね
「そうそう。日本では金持ちなんていったって、別に誰も尊敬しないしね。外国ではリッチマンに対して、もっと尊敬するんじゃないだろうか。日本人はカネにわりあい淡白なほうの民族だと、僕は思っているがね」

-東南アジアなどでは、一族でほとんど富を独占するといったことがよくありますね
「だから本当の文明開化国になれない。みんな、一族で賄賂もらったり、それが普通のことだと思ってるんだ」

-日本もアジアの一国ですけど、他のアジア諸国と日本はそこが違うと・・・
「違うと思う。日本人はアジアの代表だとは思ってないんですよ」

-それは、明治維新以来の近代化で変わったのか、それとも、その前から、日本人は、他のアジア諸国とは違う体質があったのか
「あったのでしょうね。日本人はアジアの諸国を同じ民族だとは思ってないもの。明治維新以来の、中国と仲良くしろという論評も、いつのまにか消し飛んじゃったからね。もとより、そうすればよかったんだろうけれども。「脱亜入欧」は幕末の時からあるんだけれども」

-今、経済を含めて、日本はどこへ行くのかといったことが盛んに議論されています。そこで、今の日本人がいかにダメになったかと言うことをいっている論客などがいますが
「そんなことないですよ。同じ日本人ですよ。昔と変わらない」

-ダメになったという人たちがいうように、昔の日本人には武士道という芯が通っていて、美しかった、よかった、ということはあったんでしょうか
「はたして、そんな時期があったかねえ・・・」

-戦前のお父さんは、今のお父さんみたいにか弱くなく、強くて尊敬できるお父さんだったのか、ということですね
「「父よあなたは強かった」(笑)。いやあ、我々が戦争に行くとは思わなかったもの。昭和12年でしょう。支那事変がおきたのは。毎日、中学校の校庭から出征兵士が出て行って、駅まで送るんです。こっちは15歳くらいだった。
それまでの日本は、日清でも日露でも、半年くらいで戦争をやめちゃうんだ。だから、僕らが徴兵される年齢に達するまで戦争をやろうとは、その当時は思ってもいなかった。それでまた、戦後、みんな、「やりゃあ日本が負けるのは判っていた」なんていうけれど、誰もわからなかったんだよ」


-勝つと思ってたんでしょうね
「勝つとは思ってなかっただろうけれども、いいとこまで攻めれば、アメリカはくたびれちゃうだろうと思ってた。アメリカ人は強いんですよ、あれでね。ぜいたくに慣れてるから戦争で戦うなんてダメだと思ってたら、とんでもなかった」

-日本は精神力で勝つと思っていたんでしょうね
「それしかないからね」

-アメリカに負けて、日本は抵抗するどころか、もろ手を挙げて、考え方も様式も着る物も、全部アメリカ的になろうとしましたね
「かつて、こんなに全面的に服従した国家ってないね。占領されても、やはり反抗する奴がおるものだ。インドならガンジーのように。それが日本にはまずいなかったね。僕たちなんか、抵抗を感じつつも、アメリカという国はなんだかんだいっても大したもんだなと思うようになっちゃったからね(笑)」

-日本人はそういう意味で順化されやすい?
「そうでしょうね」

-日本人自身がそうだから、朝鮮を侵略しても、簡単に日本的にできる、みたいなことも思ったということなんでしょうかね
「秀吉なんかもそう思ったに違いないんだ。朝鮮など日本にすぐ従わせることができるって」

-いい悪いは別として、日本人的な性格があるということですね
「たとえばシベリア抑留でも、ドイツ兵もたくさん収容されていた。待遇改善について、ドイツ兵はすぐに団体を作って申し込むんだけど、日本人は何もしないの。服従するか、密告するか、どちらかなの」


1998(平成10)年4月3日の、山田風太郎さんのインタビューです(「いまわの際に言うべき一大事はなし」)。

やっぱり、当時をリアルで知ってる人の言葉って説得力あるなと。
昭和初期~敗戦とかは私もかろうじて両親が経験者なので直接個別の印象を聞くこともできたけど、生活空間はもう、戦前の雰囲気なんて体感することはほとんどなし。
昭和初期以前~明治あたりにいたっては、もうまったく本でのみ知る世界。いわばとっても「観念的な過去」なんですよね(昭和オババですらそうなんですから、平成世代はどんだけかと)
そうするとどうしても自分の興味に沿っちゃうから、過去のある部分だけ拡大されたり、縮小されたりと、ピントが合わなくて非常に遠近感のゆがんだ過去図になりがち。もっともリアルにその過去にいた人の過去図であっても、その人の目を通す以上どうしても遠近感の歪みは生じるんだけど、それならバーチャルでしか体験できない私たちの図はどれだけ歪むかっていう そもそも「図」には決して載せられない「空気」とか「体感」みたいなもんは決定的に欠落しちゃうし。意外とそうした「空気」や「体感」こそが重要な動機だったりすること多々なのに。

満州で赤紙受け取った父ことじーちゃんとかは、筋金入りの朝日新聞・社会党って感じで、娘の目には「反戦平和!軍隊なんてなきゃないに越したことはない」っていう信条の人でしたが、しかしだからって当時の軍人を目のカタキにするとか、そんなことも娘の目から見る限りはなかったです。個別に好きな軍人、キライな軍人とかはいたでしょうが、基本的に楠公はヒーローで、高山彦九郎は偉大で、という教育を根っこに持ち続けた人ですからね~「帝国陸軍の○○大将」なんて言ったら理屈よりまず「偉い人」っていう感覚が、そんな人の名前すら知らない私なんかの世代とは比べ物にならないくらい刷り込まれてるし、そこには「あの苦しい時代をともに生きた人たち」というシンパシーもあったんじゃないかと。ただ方法論とか価値観とか、そういうとこで相容れないものはあったにしろ。

そこら辺が、リアルじゃなく観念でしか受け止められない現代になると、どうしても二者択一的になるというか、「どっちが正義だ」的になっちゃうんですよね。戦争が嫌なら当時の軍人もすべて否定すべき、軍人にシンパシー抱くなら当時の戦争も讃えるべきみたいな。「~すべき」が先走って「体感」みたいなもんがこぼれおちちゃう。んで図が歪んじゃう。
ま他人事なら簡単に「~すべき」ってスッパリ割り切って言えますよね。でも自分が実際に体験するとなったら、それどこまで通用するかな?
「当時の軍人さんも一般人もみんな頑張った。みんな死力を尽くして戦った。でもあんな戦争は二度とゴメンだ」
っていう、ごく普通~~~の感覚が通用しなくなる世の中はこわいです。

そうした歪みを若干矯正するのに、こうしたリアルを知る人たちの言葉は貴重だと思うんですよね。
「同じ日本人ですよ。昔と変わらない」「今が一番幸せな時代」「日本人はわりあいカネに淡白」等々とか、うんうんそうでしょうそうでしょうと。
私も元々そう思ってたんですが、昨今の「日本は、日本人はこのままでいいのか!?」的な勇ましい言説があまりにも飛び交う状況を見ると「自分も危機感持たなきゃいけないのかな。確かに「日本は全方位このままでOK」とは言えないしな」なんてグラついてくるんですよね。
でもリアルを知る人がこういうこと言ってくれると、「やっぱしあの勇ましい言説は煽り目的も多々なんだな」「ヘタに危機感持ってどーーーっと流れができちゃうとこに加担するとこだった。危ない危ない」とか、落ち着けて安心する気が。いやどっかり安心しても困るでしょうがそういう錘みたいなのは体内に入れとかないとね。
「自国を自前で守れないのは残念無念。だけど自前で守るのはカネがかかって大変だ」「我々が戦争に行くとは思わなかった」
とか、まさに当時を知る人ゆえの、リアルな思いだな~と。

そういえば司馬遼太郎の一連の対談集なんかにも、同種の感銘を受けます。司馬遼はじめ、敗戦当時既に成人していて、日本が戦争になだれ込む空気を肌で知っている人たちがゾロゾロ登場して。
中には物心ついた時から祖父母に戊辰戦争の体験談を聞いていたなんて人もいてびっくりです!そうか~じゃあ当時は明治大正なんて、まだリアルにそこら辺にあったんだな~(そういえば私の伯母さんも関東大震災経験者だったな)

個人的に、山風さんの物事の見方・考え方が好きっていうのもあるんですけどね。
俯瞰する位置がすごーーーく高いので物事公平に見ている&レンズの性能がいいから遠くてもぼやけないというか。例えば空にぐおーっと上がってって、そこから地面を見下ろして、町がこうなってるのは、この川がここで蛇行しているからなんだな、といった具合に、客観的に判断できる、視野が広いから判断材料がいっぱいある、という印象。
驚くべきは山風さん、20代にしてすでにそうだったことです。学生時代の日記「戦中派」シリーズとか、今読んでもまったく違和感なく。20代なんて自己の確立期で、自分のことで精一杯だから、何でも自分の主観でぶったぎっちゃうこと多々だと思うんですが、そうした「若さゆえの思い込み」みたいなとこが全然ないんですよね
ナンシー関さんとかもそうでしたが、そういう「客観的な目玉」をもう体質的に、自然と持ってるという方々が、時にいるんですね。こういう人の言うことは個人的に、すべてに賛同というわけじゃないけど、やっぱし信頼度上がっちゃいます。「日本人はアジア諸国を同じ民族とは思ってない」とか、ああそう言われりゃ確かにそうだな~とか。

ともあれこういう、当時のことを自分の言葉で語れるという人がどんどんいなくなってるのは、時の流れとはいえ、決定的な取りこぼしが発生しそうで、ちょっと不安でもありますが。

-先生、最後に一言・・・
「いまわの際に言うべき一大事はなし(笑)」

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選挙!

選挙!誰に投票するか、決まりましたか皆さん!?

私は未だに決まらなくて
だって会津、自民と維新と共産と社民なんですもん
私にしたら「なんで思いっくそ右と思いっくそ左しかいないんだ!?」という感じで もっとも他の党が混じってたとしても、真ん中はどれだか、もはやわからない状態ですが

こういう決まらない状態の時、私が入れるのはだいたい「議席が減るのは確実な党」または「社民党」。
「議席が減るのは確実な党」は、自分だけでもそこに入れとけば、票が分散されてバランス貢献になるかと思って。
今回その党は民主に当たりますが(前は自民)、会津は今回、民主の擁立ナシ。渡部恒三ついに引退ですって ええ~~小学校の運動会の時は元気だったのに~~
党としての足腰がもともと弱かった上に、震災でかなりガタガタになってしまったという感じの民主ですが(というかこれはサヨクの宿命かもしれん。あの反原発騒動もそうですが、危機的状況に弱いという)、あれは民主「だけ」のせいじゃないと思う。ここぞとばかり足引っ張ったり、この機に乗じようとする他政党との攻防とか、「この一致団結しなきゃいけない時に、オマイラ何やっとんじゃ~」って状態だったし。

「社民党」は、親の代から社会党だったのでね~ これまた議席が少ない党だから、バランス崩すことなく、安心して票を投じることができる気がするという。まさか共産党より議席が減るとは思いもしませんでしたが
しかし今年は、そんな私でも社民党には入れたくないなと。3.11パレードとか忘れられないので

というわけで、どこに入れようかな~~~~と、未だに決まらない今日この頃。
こんなサイトを見つけました
日本政治.com 投票マッチング

「消費税を増税すべきであるか」「TPPには参加すべきであるか」といった質問20個に答えていくと、その思想信条に一番マッチした政党を選んでくれるという。
おおまさに私のためにあるようなといそいそとやってみたところ

「あなたに一番近い政党は「自由民主党」です」

うそーーーん 親の代から社会党の立場は
てか自民党って、国家に都合よく改憲しようとしてるという、もっぱらの評判じゃないですか。憲法は国民から国家への約束事であって、国家が国民を管理しやすいように憲法を変えるなんてもってのほかよ。質問の「9条を改憲すべきか」なんて、力強く「 反 対 」をポチったのにな
あ、でも迷って「中立」にした項目も多かったからな、よし今度は「やや賛成」とか「やや反対」にしてみよう、と再度試してみたら、今度は

「あなたに一番近い政党は「公明党」です」

ついに新興宗教レベルーーー
まあ、なんちゅーかつまり、「与党」ってことなのね(それは自分でもわかる気がする)。
って自民・公明は今んとこ与党じゃないけど、個人的には、自民党=与党の時代が長かったせいで、どうも民主=与党がピンとこないんですよね。てかそもそも、民主自体が自民の支店としか思えない

5回試したところ(←バカ)マッチング1位はほぼ公明、マッチング2位はほぼ共産でした。
っていったいどこがどうマッチしてるとゆうのか お互い正反対じゃないのかこの2人。それとも「宗教もどき」ってことで似てるのか。でも私は宗教なんてキライだぞ~

ちなみにマッチング最下位は常に維新で、これだけはアイデンティティ崩壊の危機を免れてほっとしました そうでしょ~維新なんて大っ嫌いだもん
けど維新と自民って、基本路線とかけっこうかぶってんじゃないかと思ってたけど、1位が自公で11位が維新なら、内容はけっこう別物なのかな?(まあ1位が自公で2位が共産だからアテにはなりませんけど

というわけで今度は、「う~ん自民にすべきか共産にすべきか」という極端な選択肢で悩むことになった面白テストだったのでした。てかこんな選択肢、昭和じゃありえん

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雪~~~

会津地方、雪マークオンリーです
窓の外から聞こえる除雪車の音で目覚める毎日。夢うつつなせいもあって、ちょっと夜汽車っぽい、不思議にノスタルジックな感じがしますよね。「あ~今朝も雪かきか」と布団の中でガックリするのも確かですが

けど、昨日今日あたりは日中、陽も射して、体感はまだそんなに寒くない感じ(新潟比)
てことは雪が超~重いので、雪かきが大変です スノーダンプが動かないったら

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↑写真は積雪の重みでか折れた柿の木 実もたんまりなって重そうだしね

この調子で行くと、今年はスキーシーズンも早く来るのかな?
去年は裏磐梯はともかく、表磐梯の方は年末でもちょっと降雪量が少ない感じだったけど。
と思ってゲレンデ情報見てみたら、15日オープン予定だった猫魔スキー場は、なんと明日オープン!グランデコに至っては既に(一部)オープン済みたい!(アルツは22日オープン予定) 冬将軍さんかい?早い、早いよ!@カイさん

雪はヤだけど、こういう冬ならではの楽しみがあるのはうれしいですね~♪
KKもUも、学校&幼稚園にスキーウエアを持っていき、いよいよ本格的な冬到来!の会津です。

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「山河燃ゆ」はいまだ燃ゆ?

鈴木嘉一・著「大河ドラマの50年」を読んでたら、「山河燃ゆ」の章がとっても琴線に触れちゃって。
あまりに長くなりそうだったので、ここだけスピンオフしましたm()m

さて前記事にも書きましたが、1983年当時の日本はいよいよ低成長時代に。
中曽根内閣による行政改革を断行中で、この年に放映開始して大ブームを巻き起こした朝ドラ「おしん」大河ドラマ「徳川家康」とともに、「おしん、家康、隆の里」という流行語が生まれたそうです。すなわち「忍耐」ってことですね。
とはいえ時代はロンヤスの日米貿易摩擦まっただ中。
「忍耐」とは言え日本の貿易黒字はものすごく、おしんの時代はもはやファンタジーである一方、対日赤字がかさむアメリカでは、日本車ボイコットなどジャパンバッシングの流れが。
これらを解消すべくプラザ合意がなされ、日本が狂乱のバブル景気に突入するのはもうすぐ、1985年です。

こうした世相の中、大河ドラマは時代劇のマンネリズムを打破するため、「近現代路線」へと思いっきり方向転換します。
その第1作目が1984年の「山河燃ゆ」。原作は山崎豊子「二つの祖国」です。

これは原作はもちろん、見た記憶もまったくなくて ただオープニングの、どこまでもどこまでも続く1本道を延々と走っていく画面だけ覚えています。海外旅行とか無縁の頃だったので「へ~外国にはこんな広い野っ原があるのね~」と非常に印象深く。
今思えばアメリカ西部、おそらく舞台となったあたりの光景だと思うのですが、この映像一発だけで、日本とアメリカがもう国土からして(てことは気候風土文化歴史すべてが)まったく違うこと、および未知なる広い世界への憧れを思わせるオープニングでした。

内容は、太平洋戦争時の日系アメリカ人の群像劇。
明治時代に移民としてやってきた日系一世と、その子供世代の日系二世が、真珠湾攻撃から東京裁判にいたるまで、どんなことを経験し、どんな思いをしたかという。

「大河ドラマの50年」を読んで、一番見てみたくなったのが、実はこの「山河燃ゆ」でした。
本で紹介されていたあらすじがあまりにも私好みでさっそく会津図書館で原作「二つの祖国」を借りてきたところ。
いや~。。。想像以上にぐいぐい引き込まれました。

そもそも私、日系アメリカ人についてほとんど知らなかったんですよね。
いや箇条書きの情報として「昔のアメリカには排日移民政策があった」とか「戦時中は日系人用の収容所があった」とかは知ってましたが、実際のところ、例えば「馬糞が残ってるような厩舎に押し込められた」とか「忠誠を誓うテストがあった」とか、そういう具体的な、ひっでーーことは何にも。
なのでショックでしたね~~。「棺おけを担いでいけば成功する(かも)」とまで言われた荒地を、明治時代から開墾して、やっとのことでお金を貯めて持つことのできた自分の家や店や職などを、ある日突然全員奪われて、ただ「日系人」ってだけで収容所に行かなきゃいけなかったとか、「こ、こ、これじゃユダヤ人をゲットーに追いやったナチス同様じゃないか」と。しかも移民歴の違いか肌の違いか、同じ敵性外国人であるドイツ系・イタリア系にはそんなことはせず、日系移民にだけ。
アメリカには、日系アメリカ人には、そんな歴史があったのか~!!

戦争中につき、敵性外国人として反日感情が高まるのは、まあ当然かもしれません。おまけに戦前のアメリカは「自由と民主主義の国」である一方、人種差別が合法化していたという二面性を持つ国。
けど、ほとんどは善良な「アメリカを愛して生活してきた日系人」たちなのに、いきなり「スパイ予備軍」みたいに扱われ、すべてを奪われて収容所に入れられてしまったら、「アメリカに裏切られた」という思いが生じるのもまた当然ですよね。本当は敵じゃなかったのに、そうされたから敵になっちゃったって場合も。
自ら敵を作り出してしまう、こういうことはよくありそう。

また私「日系アメリカ人」って、単に「アメリカに引っ越して永住した日本人」であって、英語はベラベラだし、市民権も持ってて、要は顔は日本人だけど中身は純粋アメリカ人ってな印象しか持ってなかったんですよね。NYとかで普通によく見る「○○系アメリカ人」のうちの1つというか。特にアメリカなんか移民の国で、色んな人種がいるのが当たり前だし。
一言で日系アメリカ人と言っても、背景がこれほど違っているなんて思いもよらず。

例えば、それこそ明治時代に移民としてやってきて、日本語しか話せないような日系一世。アメリカで生まれ母国語は英語であるような日系二世や三世。そうそう同じアメリカ移民でも、例えば日系人の割合が比較的高かったハワイ移民と、この本の舞台である西海岸に移住したアメリカ本土移民では、受けた人種差別の度合いが、てことはつまり「祖国感情」の土台も、まったく違ったそうですね。
また同じ二世でも、子供の頃に日本に渡り、日本で教育を受けて帰ってきた「帰米」二世、帰らず一人で日本にいる二世、日本をまったく知らない純粋アメリカ人である二世、日本人に親切にされたことがあったりして、日本への良い印象を持っている二世、同様にアメリカへの好印象を持つ二世、逆に日本人またはアメリカ人(あるいは両方)に差別され続けて、良い印象はまったくない、あるいは覆された二世e.t.c.
同じ「日系アメリカ人」でも、こうした個人の背景が違えば、自分のアイデンティティである「祖国」も、「祖国」に対する思いも違ってくるわけで。
皆が共通して持つ「アメリカに裏切られた」という思いは、その背景の違いを受けて、様々な道となって現れてきます。
「プロ・ジャパン」として大和魂を鼓舞し、大本営発表を信じる二世、「日本人」的なメンタリティはまったくない「プロ・アメリカン」なのに、アメリカ人からは「日系人」として扱われる二世、アメリカに家族がいるからと、日本人から差別される二世、家族の名誉のために「血の証」を立てようとアメリカ人として戦場へ行く二世、アメリカの正義を貫くことで日本のためになるべく、アメリカ市民としての責務を果たそうとする二世、日本やアメリカに何の希望も抱かず、誰の助けも借りず、ただひたすら生き延びようとする二世、老境に入ってすべてを失い、ただ遠い故郷を思って死んだように生きる一世e.t.c.

こうして遠くへだたったところから本で読むと、すべての登場人物に感情移入してしまいます。その相反する思いすべてわかる。けれどわかりあえない。同じ境遇の中で生きる、同じ日系アメリカ人ならば尚更、時に他国人同士よりもわかりあえない。同じなればこそ、違い=裏切りとなるから。

日系アメリカ人ならずとも、これは普遍的なことですね。立場を超えた理解はありうるのか、その立場の違いはどこから来るのか、その立場になった時、自分は果たしてどうするのかe.t.c...小はご近所づきあいから大は戦争まで。ただ大=戦争という非日常・極限状態になれば、それらはもっとあからさまに、大きな道の違いとして現れてくるというだけで。ちょうどこの「二つの祖国」で描かれているように。

そういえば「二つの祖国」では、東京裁判の部分が、被告はもちろん検察側や弁護人、さらに被告の家族や庶民感情といったところまで詳しく描かれていて、とっても引き込まれたのですが、それら日本人の姿もどこか、ここで描かれてきた日系アメリカ人たちとかぶります。それまで信じていた拠り所を失い、アイデンティティがゆらぐ中、自分はどうあるべきかと必死に運命と対峙する各々の姿。
「日本の自衛戦争であった」という清瀬博士による渾身の冒頭陳述に対し「過去の悪夢だ。あれは間違いだった」と筆を揃えて報道した日本の新聞(の鏡である庶民感情)を、米軍人として東京裁判に接する二世の主人公が「なぜアメリカのお先棒のような記事を書くんだ」と憤慨するところは皮肉です。私自身も「間違いだった」と思ってるとこがあるので余計に。
そういえば主人公の妻・エミーが、一貫して「愚かな人」として描かれているのですが、この人もかわいそうだなと。生粋のアメリカ人か、現代の日本人として生まれていれば、とりわけ放映当時のバブル日本に生まれていれば、「普通の人」として幸せだったかもしれないのに

ともあれそうした普遍的なことをガッチリと描きつつ、当時の日系アメリカ人が置かれた境遇・歴史、様々な考え方などを知ることができた「二つの祖国」、そんなわけでとってもいい本でした。「現代日本に安住している日本人」としては、こういう相克、幸いにもあまり体験しなくて済むおかげで、その立場になるまで実感として知らない・わからないままなんですよね。それでますます誤解を生んだり、理解から遠ざかったりする。

なのにこのドラマ、思いもよらぬことに
「日系アメリカ人像を歪めるドラマなのではないか」「日本人の反米感情をあおり、日米関係を悪化させるのではないか」
という反発が持ち上がったのだそうです。しかも当の日系アメリカ人社会から。
なぜーーーーー
私が日系アメリカ人だったら
「そうともよく書いてくれた!」「こういうことがあったことを忘れないでほしい。一人でも多くの人に見てほしい」
としか思えない内容なのに。

当時のNHKチーフプロデューサーは、そうした反発に対し、朝日新聞にこう書いています。

「私どもはこのような日米両国のかけ橋として生きた無名の人々を描きたく、その布石として主人公を2.26から日中戦争中の日本におきました。彼はこの青春時代に日本の犯した偏見の不当さ、報道管制の恐ろしさを体験した上でアメリカに戻る。だからこそ、戦争の狂気のもたらす様々な事態に、自由と平和を尊ぶ一個の人間として生き抜き、多くの人々の共感を得て、アメリカと日本の真の友好の基礎を築いていくのです。
つまりこのドラマは、単なる日系二世の物語ではなく、日本人が自分たちの生きてきた時代を振り返り、こうした人々の姿を通して戦争や人種を超えた人間の美しさを見出すところに目的があります。アメリカはもちろん、文化を異にするすべての国や民族との相互理解に役立ち、真の世界平和を考えるよすがともなるに違いない。そういう願いを込めて製作されているものです。
私どもには、決して日系米国人の祖国アメリカに対する忠誠と名誉を傷つけるつもりはなく、それが血や種族の問題を超えて、すべてのアメリカ人にとって当然の心の問題であることも、理解しています。前述のようなストーリー展開が「誤ったナショナリズムで反米感情を煽る」ものではないことはもちろんです」

まさにそのとおり!
私からすると、強くうなづきこそすれ、反発する部分はまったくないように思えるのですが。
しかしそう思うのは、やっぱり私が「現代日本に安住している日本人」だからなんですね。
どんなに理解したいと思い、そして少しでも理解できたつもりでいても、それはやっぱり、時間的にも距離的にも遠い「他人事」としての理解に過ぎなくて。
それがよーーくわかったのが、上記の翌日に、同じく朝日新聞に載った、アメリカ在住・白井昇氏の文章↓。「カリフォルニア日系人強制収容所」という著作もある方です。

「何よりも日系人を刺激しているのは、「日系人とは2つの祖国感情によって祖国に対する忠誠心が二分されている人たちだ」と、米国人一般が受け取りかねない点である。今後米国主要都市でNHKの「山河燃ゆ」が放映され、米国のマスコミで煽られることにでもなれば、それでなくても対日感情が悪化している時期に、排日圧力諸団体を揺さぶると憂慮されるのである。今日系人が懸命に運動している(大戦中の強制収容に対する)補償請求問題も、反対者に口実を与えかねない。
戦後、日米間に甘い蜜月が続いて日系社会は平穏無事に見えたが、打ち続く貿易摩擦によって、今では完全に冷却してしまった。蜜月時代は史上稀で、日米関係には常にどこかに、排日感情が滞在してきた。
日米間に事あるごとに、日系人がもろに飛び火を被る。米国人にとって、日本人と日系人の見極めがつかないからだ。皮肉なことに、父母から伝承した日本の文化を身につけて日本にある種の親近感を持つ日系人、特に二世たちは、日米間の板ばさみになり被害を受けながらも、日米親善を祈らざるを得ない立場に置かれている」

前述のように、当時のアメリカはジャパンバッシング真っ只中。
「二つの祖国」の東京裁判シーンで弁護人が、「歴史における戦争の大部分は経済戦争ではなかったか」と主張するシーンがありますが、アメリカで生活している日系アメリカ人にとって、「山河燃ゆ」に書かれていることは過去のことじゃないのか!今も戦時同様、星条旗への忠誠を疑われ、試される現実が続いているのか!そしてそれはもしかして、アメリカに限らず。

本の内容に驚き、さらにそれが過去じゃないことに驚き、と思いがけないダブルパンチを受けた「二つの祖国(山河燃ゆ)」でした。
しかし強制収容の歴史を描いたドラマが、まさかその補償請求の足かせになるなんてなあ。善意の暴走にも似た構図かなあ。

これらの議論を受けて結局、NHKはアメリカの在留邦人・日系人向けのTV局で「山河燃ゆ」を放送中止としました。
一方、読売新聞には日系アメリカ人としてのこんな声も。

「私も戦争中、米陸軍日本語学校や情報部に勤務した。私にとって「米政府に忠誠を誓う」とかは形式の問題に過ぎず、米憲法の信条デモクラシーの支持と擁護のために戦ったと、自負している。
NHKのドラマ解説書で読む限り「山河燃ゆ」の内容には私も批判的である。二世、三世の気持ちもよくわかる。しかし、TVドラマは放映されて初めて賛否の対象となる。米憲法は言論の自由を保障する。まずはドラマを放映させるべきではないか。
(その上で)内容に不備があったら視聴者が批判し、次の作品に生かしてもらうこと。それが言論の自由の意味するところだし、民主主義の基本だと思う。そのためにこそ私たちは闘ったのだから」

この意見を書いたのはニューヨーク在住で、主人公と同じ「帰米二世」である方。
アメリカで生まれ、戦前の日本に15年間暮らして大学教育を受けるも、日本の軍国主義に反発して帰米。日本の赤紙がアメリカまで届けられたそうですが、デモクラシーのない日本の徴兵に応じる気はなく、日本国籍を捨てたという経歴の持ち主です。
「二つの祖国」には、「これのどこが自由と民主主義の国じゃーい」という場面多々ですが、しかし作中に確実に存在する、心あるアメリカ市民及びこうした意見を見ると、アメリカの自由と民主主義はやっぱしすごいな(良くも悪くも)と思ってしまいます。

社会問題になってしまった番組の責任者として、局内外の対応に追われたチーフPは、NHKの廊下を歩きながら「この一件でどこかに飛ばされるかも知れないな」と思うこともあったそうです。

「プロデューサーの仕事の1/3は、トラブル時の危機管理です。どこへでも出向くし、どんなことにも耐えなければならない。矢は外からだけではなく、局内からも飛んできました。報道局の幹部からは「言わんこっちゃない。大河は秀吉か家康をやってりゃいいんだよ」と非難されました」

そんな逆境の中、製作側は結束して収録に当たりましたが、視聴率は平均21%とふるわず。
次作「春の波濤」も視聴率が上がらない上に、持ち上がったのが盗作騒動。
そうしたあれこれに心折れたNHKは、当初5~6年は続けるつもりだった近現代路線大河を、3作目・橋田壽賀子オリジナル「いのち」で終わることに決定しました。
しかし中にはこんな声も。

「世を挙げての軽薄短小ばやりの今の時代に、その風潮に流されず真正面から「現代」に取り組み、時代の中での人間の行き方をひたむきに問いかけたこのドラマ(山河燃ゆ)の意義は大きい。
平均視聴率20%は確かに低いが、これだけ内容の濃いドラマを、日曜の夜、20%もの人が見たことの意味の方が重要なのだ。
(主人公の生き方には)戦後日本の原点がある。その意味で、これは明治の自由民権への苦闘を描いた「獅子の時代」の系譜に繋がる歴史ドラマだったといっていい」日経新聞編集委員(当時)・松田浩

もって瞑すべし。

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大河ドラマにドラマあり~最終回

さて「獅子の時代」が先鞭をつけた脚本家オリジナル路線。
これは次作「おんな太閤記」@橋田壽賀子にも引き継がれました。というか、原作・永井路子という案に対し「山田さんが書いたんだから、私にもオリジナルを書かせて」と橋田センセイ自身が申し出たんだそうです
「それまで原作もののお話を頂いても、断っていたんです。だって当たれば原作者が誉められ、失敗すれば脚本家のせいにされるでしょ」
なるほど~それはあるかもな~。でも司馬遼太郎とかは「幕末は当たらない」のジンクスになってしまったことを、けっこう気にしてたみたいですが。

ともあれ幸いなことに「戦国版ホームドラマ」こと「おんな太閤記」は大当たり。最高36%、平均31.8%という高視聴率を記録し、後の「毛利元就」や「利家とまつ」に引き継がれる路線の先駆的作品になりました。
「長ゼリフになるのは、画面を見ないで聞くだけでもわかるラジオドラマのつもりで作っているから。主婦は何かと忙しく、家事をしながら見聞きすることがあります。私は若者や男の人は意識せず、30代後半から上の女性に見てほしいんですよ」
という、橋田壽賀子の明確な姿勢がスッポリはまった結果でしょうか。しかし
「合戦シーンはいりません。できれば「関が原の戦いは東軍の勝利に終わった」という一行のナレーションで済ませたかった」
てのは、「さすが」ってくらい自らの姿勢を貫いてますね~。関が原が一行で終わる太閤記って

実際これは主婦に限らず、子供でも面白かったです。たぶん、私的大河視聴歴では最も見たドラマ。というのも
「毎週「おんな太閤記」を見ること。そして最終回終了後に感想文提出」
という、あんたはNHKの回し者か的な宿題が、小学校の担任から出て
おかげで毎週欠かさず見たので、「おかか」「おまえさま」とか、泉ピン子ちゃんの朝日姫とか、桜中学校長先生による大政所とか、今でも印象深く覚えてます(渡鬼の時代ならそれほど違和感なかったんだろうけど
そういえば相手役の秀吉候補には、西田敏行とともに武田鉄矢が挙がっていたんだそうです。しかし武田鉄矢が金八先生の腐ったミカンシリーズを抱えていたので、西田敏行に決定したそうで。校長先生と金八先生による秀吉親子、見たかった~

ちなみにこの感想文、後に担任がクラス全員の分をまとめてNHKに送ったところ、なんと佐久間良子から直筆の返事が来て!
給食の時間にみんなでそれを見た記憶があるんですが、見てびっくり!巻紙に筆文字で流れるように!達筆すぎて判読不可能
確か担任が各家庭にコピーしてくれましたが、てことは現物は担任がもらったのか?なんだよ感想文書いたのはうちらなのに~

てな後日談も含め、この大河ドラマは微笑ましくも懐かしい思い出の1つです。このドラマで佐久間良子を覚えたおかげで、後にこの方がやった単発の「天障院篤姫」や鹿鳴館ものなどの時代劇も好んで見るなど幅が広がったし、思えば担任、いい宿題を出してくれました

しかしこのドラマが染み付いて、未だにねねさんやまつさん=とっても素晴らしい人、淀君=美人で気位高いヤな人(池上季実子ぴったり!)という印象が個人的にぬぐえないのは困ったもんです あっそれから前田利家ね♪滝田栄の前田利家は「なるほどねねさんも一目惚れするわ」ってくらい、カッコよかった~~~
滝田栄がこの後「徳川家康」の主役に抜擢されたのは、この利家があまりにもカッコよかったからだと思ってます♪余談ですが、同じ頃にNHKで放送されたドラマ「マリコ」の寺崎英成役もカッコよかったですね~。「おんな太閤記」(での前田利家)を見たおかげで、このドラマも興味深く見て、「そうか戦争になるとこういうことにもなるのか」って今でも覚えているくらいですから、今更ながらあの宿題に感謝です。
 
続く「峠の群像」「徳川家康」。
ここら辺で、私の「大河ドラマへのワクワク感」はなくなります 音楽もまったく心魅かれず。
いや「峠~」は振るわなかったと言っても最高33%、平均23%というまずまずの視聴率だし、「家康」は最高37%、平均31%で大ヒットと、決して評判は悪くなかったようですが。
しかし個人的にあの「黄金の日々」「獅子の時代」の興奮は。てかこの2つはなんであんなに好きだったんだろうな~??

ちなみに両作の主役・すなわち緒方拳と滝田栄は、なんと「戦メリ」の候補にも挙がっていたそうですが、この大河ドラマ主役の話があったので、大島渚が遠慮したんだそうです。
「徳川家康」はその滝田栄だったので、それなりに一生懸命見たと思うのですが、やっぱし前田利家ほどカッコよくなく 「の~ぶ~や~す~~」と絶叫するシーンでは「斬新な家康キャラだ」とは思ったものの、大口開けて号泣する利家はあんまし見たくなかったという女心が(だから利家じゃ
ちなみに池上季実子が築山殿にハマってたのが印象に残ってます。ほんとこの方は淀君といい、こういう役がぴったりでしたね♪
あとそうそう、忘れちゃいけない役所広司!このドラマで初めて知った人ですが、前田利家の滝田栄と同じくらい、「家康」での信長=役所広司はカッコよかったです~~ みんなそう思ったらしく、このドラマで爆発的人気を博してスターダムに駆け上ったんだそう。
同じく大河の信長役で一躍スターとなった高橋幸治を彷彿とさせますが、私的には目玉ギョロギョロして怖い高橋信長より、情熱的な若者って感じの役所信長がイチオシ 「おんな太閤記」にも織田信孝役で出てたそうですが、覚えてないな~

ちなみに当時の日本はいよいよ低成長時代に突入。
中曽根内閣による行政改革を断行中で、同年に放映開始して大ブームを巻き起こした「おしん」とともに、「おしん、家康、隆の里」という流行語が生まれたそうです。すなわち「忍耐」ってことですね。
とはいえ時代はロンヤスの日米貿易摩擦まっただ中。「忍耐」とは言え日本の貿易黒字はものすごく、おしんの時代はもはやファンタジーである一方、対日赤字がかさむアメリカでは、日本車ボイコットなどジャパンバッシングの流れが。これらを解消すべくプラザ合意がなされる結果、日本が狂乱のバブル景気に沸くのはこの2年後です。

こうした世相の中、大河ドラマは「いつも戦国~幕末ばっか」「いつも三英傑や忠臣蔵ばっか」といったマンネリズムを打破するため、思いっきり方向転換します。
すなわち近現代路線3部作「山河燃ゆ」「春の波濤」「いのち」。

この中では「春の波濤」だけ記憶があります。このころちょうど「鎌田行進曲」で松坂慶子を覚えたとこだったので、印象強かったのかも。中村雅俊が歌うオッペケペーも、うっすら耳の底に残っているような。
しかし全体的には、特にバンツマ好きで「花の生涯」から見ていたような昭和一桁両親なんかは「なんだかな~」「大河はつまんなくなったな」とブーブー言いながら(それでも)近現代モノを見てました。
おそらく大多数の大河視聴者もそうだったんだろうと思います。NHKもそうなることは充分わかっていて、それでも思い切って冒険してみたのでしょうが、視聴率はやっぱり苦戦。そして何より、思いがけない大問題が。

ここはあまりにも興味深かったおかげで、文章めちゃ長くなっちゃったので別の記事にします。

どうでもいいですが、「古畑任三郎」のスペシャル「すべて閣下の仕業」って、あれ「山河燃ゆ」へのオマージュ入ってませんか?いえ単なる松本幸四郎つながりの思いつきですけど
日本と南米のかけ橋として(私服を肥やしてるのはアレだけど)ひたすら前進するも、最後ピストル自殺する松本幸四郎って、どうしても「山河燃ゆ」とかぶってしまいます。犯人が自殺して終わる古畑ってのもこれだけだし(他は古畑が断固として止める)。
ちょうど「新撰組!」に取り組んでた最中の三谷幸喜さんが、大河へのオマージュを込めて作ったのかな~なんて、楽しい妄想しています

さてそんなこんなで近現代路線は3作で終了。
時代劇路線に復帰した次作「独眼竜政宗」は大当たりし、第2作の「赤穂浪士」の平均視聴率31%をはるかに超えて歴代トップという快挙に!地元仙台では、なんと60%を越えた回もあったとか。
時代劇は着々と冬の時代に突入していたのですが、まだ新人だった渡辺謙の存在感もさることながら、勝新や北大路といった重鎮、ジェームズ三木の脚本などすべてが合致した結果でしょうか。
個人的には「役所広司にやってほしかった」と思った程度で、特別な印象はない大河なんですが、岩下志麻の政宗母がめっちゃ怖かったのを覚えてます 「なるほどこれは政宗たまらんわ」という説得力がハンパなく。

続く「武田信玄」「春日局」も大ヒット。
「武田信玄」のプロデューサーは、準備段階では気乗りがしなかったそうです。
「だって「政宗」が大当たりしてるし、僕らの次はヒットメーカー・橋田壽賀子さんが決まってる。僕らは「谷間」かって暗い気持ちになりましたよ」
しかし、ハイビジョン時代を控えて大画面TVが急速に普及している状況に対応し、「スケールの大きい作品」すなわち大河初の本格的オープンセットなども含め、重厚な時代劇をという目的が当たったのか、「政宗」には及ばなかったものの歴代2位の視聴率に。「今宵はここまでにいたしとうござりまする」というナレーションはその年の流行語大賞になったそうです(覚えてないな~)。

ここら辺は個人的に「天才たけしの元気が出るTV」に移行していたのか、もうさっぱり記憶がなく。
歴代3位を記録した「春日局」は、大原麗子を見て「こんな美人じゃないだろう春日局は」と父ことじーちゃんがぶーたれてたのを覚えているのみ。
ついでにじーちゃんは、続く「翔ぶが如く」の後「太平記」での楠木正成=金八先生を見て「これが楠公かよ」とも嘆いていました 戦中派が受けた学校教育だと、楠木正成ってなんかもう神様状態だったそうですね。

その後も、NHKの島会長による「ペレストロイカ」、「1年間放送」の不文律を破り、東北と沖縄という辺境(?)から日本を眺めた「琉球の風」&「炎立つ」、「花の乱」の後本流に返り咲いて、視聴率も返り咲いた「八大将軍吉宗」(子役から西田敏行に交代するシーンは今でもすごいと思う)や「秀吉」(竹中直人の勝利)、そして得意の幕末・戦国・忠臣蔵路線&女性・若者向けホームドラマ路線などなどありつつ、今に至る大河ドラマ。
ここら辺はぜひ鈴木嘉一・著「大河ドラマの50年」を!「竜馬伝」までの各大河の裏話はもちろん、記事に載せなかったこぼれ話も多々なので、大河ドラマ好きな方には必ず楽しめる一冊だと思います
またNHKのHPにも少しだけ→ 「歴史ドラマにも歴史あり」

大河ドラマの50年を俯瞰してみると、イメージ的には「保守的なものの極み」であるNHK大河ドラマが、いかに斬新な試みの連続で、時代を先取りしつつ時代を映す鏡であったか、よくわかって面白いです。
今年の清盛はなんだか残念な視聴率だったようですが、大河ドラマ自体はまだまだ続いて欲しい!この歴史を見てしまったら、このままフェードアウトしてしまうのは勿体無い!

そして来年はいよいよ「八重の桜」
「復興応援大河」という今までにない位置づけのもと、「一般人がオープニング画面に」など斬新な企画もあって、今から既に楽しみな大河。願うことはただひとつ「どうぞ来年はコケませんように~~」

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↑オープニング参加希望者にNHKから送られた、坂本龍一氏のサイン(の印刷)です。
オープニングを手がけるスタッフが「何かメッセージを」と頼んだら、「八重の桜」のスコアの裏に書いてくれたんだそうで
「たかが電気」で評判を落とした感がある昨今の教授ですがYMOの頃からやっぱり好きだわ~。「戦メリ」だって見に行ったもんね♪

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