城下町さんぽ

この頃、KK&Uが時間差でインフルBになったり、そのまま春休みに突入したりで、PC触る時間が激減
なので今日は、先週ふらりと立ち寄った大町~七日町周辺の写真を中心に、バーチャル散歩気分で。

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先週、野口英世青春広場で「あぐりカフェ」というのをやってたんですよね。
会津地方の食堂やカフェ、農家なんかの方々が出店するイベント。豆乳ケーキやスコーン、イチゴのタルトなど、おいしそうなものがいっぱい♪毎年この時期にやってるみたいです。

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↑喜多方の食堂(名前失念)。ここのマサラチャイがおいしかった~~~
この日はけっこう寒くて、ずっと外にいるお店の人たちは大変だったろうと思うのですが、そんな寒風の中で飲む甘いミルクとジンジャー風味は、とっても「あったまる~」という感じで

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家にいるインフル2人&パパには「べこの乳ヨーグルト」&「ベコの乳ヨーグルトアイス・くるみ味」をおみやげ。
特にKKは「べこの乳」関連物が大好きで、KKいわく「味が濃厚で、ほかのとは一味違う」んだそう(ママは牛乳あんまし好きじゃないのでイマイチわからない
おいしいだけあって高いので(特にアイスなんか、1個250円。ハーゲンダッツ並み)、たま~にしか買わないのですが、ここは何だかスーパーより若干安かった気が

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今回は寄らなかったけど、一度は食べたい(?)トミーフードのカレーやきそばも、この野口英世青春広場にあります。
なんでもこの「カレーやきそば」、新潟と深い関係があるようですよ♪

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ここ大町(の南側=野口英世青春通り)は野口英世が青春を過ごしたところだそうで。
通りにはゆかりの物件がそこここに。

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野口英世ご本人もそこここに(?)
今年からは「新島八重」も加わりました

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新旧混ざり合った景観が、なんとも言えずツボな通りです。

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この通りにあって、いっつも気になる「胃腸病院」。
やってるのかな~?すっごい昭和初期な雰囲気なんだけど。

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青春広場の向かい「ホテルニューパレス」では、あぐりカフェの一環で、会津野菜の直売をやってました。
大根・ほうれん草・カブ・春菊など、軒並み100~150円で安い~~!!(さっそくワサワサと買い込み
JAあいづパックのイチゴは真っ赤に完熟、スーパーのように流通途中で下の方が痛むこともなく、しっかり固くて甘~い♪しかも400円が350円。もちろんこれもお買い上げです

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ホテルニューパレスの入り口横には、何かの石碑がありました。読めないけど
さすが古くからの城下町だけあって、大町っていたるところに石碑が立ってる印象があります。

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青春通りを北上していくと、七日町通りへとぶつかる大町四つ角に到着。
愛しの「セイロンティーガーデン」があります

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「戦国武将」と「大正浪漫」と「紅茶専門店」が同じ場所に佇んでいるのは、歴史ある城下町ならではの面白さ。
(このセイロンティーガーデンの灰色の建物、大正時代は銀行だったそうです。お店のレジスターも年代物)
そうそう「戦国武将」と「大正浪漫」のコラボといえば、こんなのも↓

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これは会津でしかありえないコラボ(!?)
118号から見て、大町よりもう1本向こう側の本町通り、旧・融通寺通りです。
この通りに今もある小舘稲荷神社には、当時伊達政宗のお母さんが住んでいて、お母さんが政宗をそこで殺そうとしたという ええ~~じゃあ政宗、この通りあんまし好きじゃなかったろうな~
時は流れ、同じここ本町通りに竹久夢二も一時住んでいたそうで。
こちらは会津のことをけっこう気に入ってくれてたみたいです
阿賀川堤防から北会津を望む渡し舟跡には、竹久夢二が磐梯山を詠んだ歌碑がありますね。

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さて大町四つ角から西へ垂直に伸びる通りを行くと、そこは七日町。
お散歩には格好の通りです。
だって風景がこんなですもん♪↓

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蒲生氏郷がひらき、戊辰戦争で壊滅的被害を受けつつも、明治~昭和と再び庶民の町として復興した元・城下町。
「商店街」というスタイルが成り立たなくなった昭和後期~平成初期には、ご多分にもれずシャッター通りと化していたそうですが、これら江戸~昭和初期の建物を観光資源として「まちなみ再開発」を長く取り組んだ結果、今みたいな賑わいある魅力的な通りとして復活したのだそう。

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↑向こうに映ってる黒い建物が、その中心となった「渋川問屋」さん。
隣は工事中だけど、扉のガラスとかが、これまたすごくタイムスリップ感。
他にもタイムスリップ感溢れる建物がぞろぞろ。

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この日は七日町でお祭りしてたので、「太郎庵」とかにも紅白幕が。

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お祭りは新撰組記念館前の通りで、地元の人たちが集って日向ぼっこしてるような、のんびりした空気でした
わたあめ100円、ポップコーン150円とか。

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太鼓の演奏。見えにくいけど、屋根が「八重の桜」です

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新撰組記念館も「八重の桜」でした。

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新撰組と言えば、七日町通り入り口の大東銀行
ここに土方歳三や吉田松陰が泊まったのだそう。
(もう1人の写真は「宇田成一」さん。すみません知らなくて

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吉田松陰と言えば、朝ラーも出来る「大笑屋」(これは七日町じゃないけど)
このラーメン屋さんの向かいは、吉田松陰に影響を与えた「山鹿素行の生誕地」=「直江兼続の住居跡」です。
これも会津ならではの偶然コラボ(?)

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(↑こちらは白虎隊と警察による絶妙なコラボ(?)

お天気も日に日に春めいてきた今日この頃。
お散歩が楽しい季節の到来ですね

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沖縄道

と言っても、沖縄行ったら欠かせないあの高速道路のことではなく、「沖縄問題の本質を考える」ための本。
宮城能彦・著「沖縄道」。

沖縄大学教授である宮城先生、私はよしりんの「沖縄論」で知ったのですが、その時からこの方のバランス感覚は素晴らしいなと(私はもうちょっと昔の宮城先生の感覚に近いサヨクなので、若干意見の違いはあるのですが、それでもそう思う)。
よしりんも本で言ってたように「沖縄で「小林よしのりに協力する」だけでもけっこう大変なのに、実名出してあちこち案内してくれる。たいした男だ」その言葉通り。
ともすれば軍人目線で極端に突っ走ってしまうよしりんに、あくまでも住民目線を手放さないこういう方が案内人として側にいるのはとっても安心だなんて、一読者(ただしアンチ)として思っていたのですが、なんでゴー宣から離れちゃったんだろう・・・?

と、そんなふうに以前から気になってた方の本なので、さっそく注文して読みました。

内容は基本的に「沖縄論」や「誇りある沖縄」などで書かれていたことの再確認。それを宮城先生自身の言葉で再度伝えてくれるという感じなのですが、今読むと、書かれた一語一句がどうしても原発事故後の福島にまつわるあれこれとリンクしてしまい。
改めて、基地問題と原発問題、及びこうした問題が起こった時の人心の動きというか、形成される流れの類似点を思わされてしまいました。

例えば、新石垣新飛行反対運動の頃の、島のおばぁの言葉「飛行場を持ってこようとするのも大和人、それに反対するためにわざわざ来るのも大和人」
どうしても、主に首都圏の反原発グループを思い出してしまいます。twitter上で非難ゴウゴウだった企画「311パレードin福島」とかね。
反対することに反対してるわけじゃないんですよね。ただそれ以前に「葬式デモ」とか「福島に住むと死ぬ(と言わんばかり)」とか、さらには「今まで補助金もらってたんだからいいだろ」みたいな、それまでの騒ぎにすごく嫌な気分にさせられてたから、このパレードも「どうせそういうもんなんだろ」と受け止めちゃったというか。人の死を悼むどころか、それを運動のネタにしてるみたいに思えてしまって。

「沖縄県民が本当に怒る時は、実はこういった人間としての尊厳が冒される時や、沖縄人としての誇りを傷つけられた時なのだ」
と先生はおっしゃってますが、まさにそのとおり!上記のようなことをひっくるめて「フクシマ」として扱われるから怒りたくなるんです。
って私は所詮転勤族で、福島が故郷だという方の思いとは比べようもないのですが、そんな転勤族ですら事故後の福島にまつわるあれこれには憤ること多々だったという。

ただ先生は注意深く「「沖縄対大和」の図式にしてはならない。それが沖縄を腫れ物扱いにしてしまう」と警告してらっしゃいます。それを一番憂慮しているとも。
私は性格的に、既存のシステムより、無理解な人たち(?)の言動によりカチンときてしまうタチなので、これは気をつけなきゃな~と思ってしまいました。今は良し悪し含めてあれこれ言われてるけど、今後福島が「なんとなくアンタッチャブルな存在」にならないとも言い切れませんものね。

それにしても、上で「無理解な人たち」と書きましたけど、私も沖縄が好きでコザが好きで、だからこそ「基地賛成/反対なんてそんなに簡単に言えないんだよね~地元は」なんて、わかったようなことを思ってたわけですが、いかにその底にある思いをわかってなかったか、なのにわかってるつもりになってたか、去年の福島で生活して初めてそれがちょっと理解できた気がします。少なくとも、底にある「悔しさ」とか「もどかしさ」みたいなものは、実感としてまったくわかっていなかった。そう思うと、例えば被災した人の実感、福島が故郷である人の実感、それらは今きっと全然わかってないんだろうな~と思えて、つくづく「理解する」ことの難しさを思ってしまいます。言葉ではわかってたつもりだったけど、実感として理解していない、こういう「無理解の善意」がどれくらい厄介なものか。福島でそれを実感したつもりなのに、自分も立場の違う人に無意識にそれを侵してしまう可能性があるとは。

しかし一つだけはっきりと変わらず思うのは、やっぱり「賛成/反対と簡単に割り切れない」ということ。
これは原発にしろ放射能の安全/危険にしろ、やっぱりそう思います。宮城先生も、基地と原発の類似点に触れた章でおっしゃってます。
「原発事故以降、反原発的なムードが一気に高まり、自然エネルギーの可能性が「クリーンで再生可能な夢のエネルギー」として一気に注目されている。しかしかつては原子力も「夢のエネルギー」としてアピールされてはいなかったか」
「安全か危険か。白か黒か。ゼロか百かというだけの発想。今の日本に蔓延している空気」
「もう「これ一つで一気に解決」という「夢」の解決策はない。エネルギー問題も安全保障も、日々コツコツとバランスを取りながら工夫していくことの積み重ねが重要なのだ」
まさにまさに。もっとも安全保障は、私は基本サヨクで、どうしても「軍隊はなきゃないに越したことはない」という思いが捨て切れませんが(というか捨てちゃダメだとすら思う)、それを基底部に置いてバランスを取っていくことはできると思う。。。と言うのは簡単、実際は非常に難しいですが。

この難しさは「日本国民であり沖縄人であること」という、伊波普猷について書かれた章に、個人的にリンクします。
「日琉同祖論」を主張した伊波普猷。「琉球処分」で近代国家・日本に組み込まれ、同化していくのは、ある意味避けられない過程だったのかもしれない。
しかし日本に同化されていく過程で、失われていく琉球の文化や心、さらには日本による沖縄蔑視と、それ以上に沖縄自身が、自分たちの文化が劣ったものと否定してしまいがちになる、そうしたことに彼はどれだけ心を痛めたか。
沖縄を日本として肯定するなら沖縄独自の文化は否定される、沖縄独自の文化を守り肯定したいなら日本に同化できない。
こういう二者択一と戦ったのが伊波普猷なのですが、しかしこれは・・・難しいですね。というか単純に、二者択一にすると簡単で、物事進みやすいから、どうしてもどちらかに色分けしようという流れになってしまうわけですが。
「基地や原発と共存してきた町を否定せず、基地反対・原発反対を唱える」という難しさとまったく同じです。私はこれができないから、基地賛成/反対とすっぱり割り切れないんですもん。そしてこれは、基地や原発の賛否のみならず、放射能の安全/危険とか、単なる人間関係ですら、あらゆるところに存在している。
ここをエイヤっと飛び越してどっちかに属すればラクではあるんでしょうが、そうしたら最後、本当に知りたいことはわからず、ほんとうに目指したいところには到達できない。自分にとって正しいと思うことがはっきりしていれば、そもそもこんなことで悩みませんから、悩む時は悩んだままでいればいいとか思ってしまいます。この難しさから逃れるために単純な結論を求めるとロクなことにならないっていうのは経験則。しかし世の中、結論(=往々にして二者択一)を出さなきゃいけないことが多すぎるのも事実で。。。

「「基地に反対するのはわかる。では何をどうしたいのか示してほしい」という外部の声に答えるのが、沖縄県民としての課題」
と宮城先生はおっしゃってます。ああLIVE福島でのTOSHI-LOWさんの言葉が思い出されるなあ。あの時TOSHI-LOWさんもまさにこうおっしゃってたのよねMCで。
しかしこの結論の出ない状況で、これに答えるのは、やっぱり難しい。。。福島でも、浜中会津それぞれで状況や、そこから来る要望が違うし、個人の職業や環境、状態によっても違う。そして一個人の中ですら、相反する複数の思いがある。個人的には自分の答えを見つけるまでいつまでも考え続けていたいけど、そういうわけにもいかないんだろうなあ。。。
「沖縄県民のある個人が一貫して反米や反日というのではなく、その時々の状況や立場によって態度を使い分けているということもある」という言葉や、そこで紹介されていた、職場では「移転賛成」、家では近所の人に頼まれて「移転反対」の署名をしたという方のエピソードなんかに、私はすごいシンパシーを覚えてしまうのですが

そんなわけでこの本は、どこを取ってもシンパシーだらけという感じではあるのですが、中でも一番共感したのは「母が遺したもの」について書かれた章。
以前「集団自決は軍命か否か」の議論が盛り上がったことがありました。「沖縄ノート」の著者・大江健三郎を相手取って「軍命を下した」とされた側が訴訟を起こしたりと、色々な意味で切ない盛り上がりでした。
その訴訟で「軍命はなかった」という証拠となったのが、宮城晴美・著「母の遺したもの」。
実は私、あの騒ぎの時に名前はよーく聞いたものの、この本読んだことなかったんですよね。
にも関わらず、宮城先生がこの本について書かれていることは、「あ~わかる~そうだろうな~」と、とっても共感してしまって。以下ちょっと長いですが引用。

「これはあまりにも悲しい書物である。特に後半、宮城産のお母さんが晩年「実は軍命はなかった」と隊長に告白して以降、次第に態度を硬化させた隊長が、軍命問題の最大の責任者は当時の役場職員にあるとして反撃していく様子は、悲しすぎて読み進めていくことが辛い。
お母さんが「軍命がなかったこと」を胸に秘め続けなければならなかった日々を思って胸が詰まり、同時に、極悪人にされて残りの人生を辛く生きてきた隊長のことを思って胸が詰まる。そして、隊長に反撃されて以降の、お母さんの苦しみ。戦争で苦しんだ人たちが数十年もたった後もさらに苦しみ続けなければならないこと、戦争で生き残った人が行き続けていくと言うことの営みの悲しさで涙が溢れてしまって、なかなか最後まで読み続けることが出来ない。
「母の遺したもの」は、軍命があったとか、なかったとか、そんな表面的なことを言うために書かれた本ではないと私は思う」


まさに!まさに!(と読んでもいないのに
そうなんです!あの集団自決の騒ぎの時も、今回の福島に関するあれこれも、どうしても生じる憤りに近い違和感は、「利用されている」感から来るんです。「どちらかの陣営に都合のいいネタとして利用されてる」みたいな。しかしそうするとどうしても敵味方、賛成反対という二者択一になってしまい、共有したい思い、わかりたいことなんかはどっかへ行ってしまう。何より失礼ですよね。隊長も役場の人間も住民も、それぞれ色んな思いがあってああなってしまったのに、それを自分の主張のために利用するなんて。それこそ「人間の尊厳や郷土への誇り」を踏みにじる行為じゃないですか!しかし救われないことに、それは「無理解な善意」がなせるわざであって、しかもこんなこと言ってる私自身がそれに足をすくわれること多々なのですが。

そもそもこの本に書かれた逐一を福島の現況に結び付けて勝手な解釈するのも、「沖縄」をネタにしているだけと言われればそのとおりという気も。沖縄を理解するための本なのに、勝手にこっちとの類似点だけ見つけて喜んでるような。
しかし「自分の頭で考える」ために「自分にひきつけて考える」のが、結局一番誠実な態度であるような気もして。
そうすることによって相違点が浮かんできて、両方ともがより理解しやすくなる気もしますしね。
ともあれこの本は、私にとって読んでよかった本でした。

他にも例えば、辺野古移設に絡む利権の話。この「利権」も原発と切り離せないんでしょうが、それに加えて「「利権」って私たちと切り離された「悪」じゃなく、私たちの欲求を、この資本主義社会で形にしようとすると「利権」という形になってしまうのかもなあ」などと思わせてくれたり。
あるいは「(たとえ普天間問題などで連日ニュースになっている時も)TVや新聞を見ない限り、たとえ「沖縄」という「現地」にいても、どこかよその出来事」という感覚。とてもよくわかる気がするわ~~。そしてこの感覚は、意識して片方に持ってないといけない気がするわ~~

「同じように平和を願い、同じように「二度と沖縄戦の悲劇を繰り返してはならない」と考えているはずなのに、どうしてその手段がこうも異なってしまうのか」(そしてそんな、単なる手段が、いつしか目的化してしまう)
この本で書かれていることは、すべてこの疑問が形を変えて表れたものだとも言えます。そしてこれは、沖縄に限らず、ウヨサヨが関わるすべての問題、ひいては友人同士、家族同士の間でも、およそ人間社会ならば普遍的なことで。
この文章は「「殉国」ではなかったのか」という章にあるのですが、今までならば「殉国」とすることに一抹の危機感を覚える私ですが(サヨクですから)、「福島」に当てはめると、自分の中でけっこう反転してしまうものがあるんですよね。殉国美談が嫌いなのは変わりませんが、そんな美談仕立てにしなくても、そのベースとなる感情はある意味自然なものかもしれないと実感するような。だからこそ、使い方を間違えたり、極限状態になるなどして、それが強調されると恐ろしいんですよね。「殉国」に限らず、真逆の「命を大切に」だって、行き過ぎた結果の危険性はまったく同じです。こんなこと、去年以前はまず考えなかったな。もっぱら「殉国」方面の危険性しか考えられなかった。

と、長々書いてしまいましたが、これでもまだ半分くらいです
もっともっと、引用したかった言葉はテンコモリなんですが、キリがないのでこの辺で。

う~むしかしなぜ宮城先生、ゴー宣から退いたんだろう??

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彼岸獅子 in 鶴ヶ城

会津の春は、獅子舞とともにやってくるとか。

春のお彼岸期間中には、会津の町のあちこちで獅子舞が舞われるそうです。人呼んで「彼岸獅子」。
ママ&Uも春分の日、鶴ヶ城に彼岸獅子を見に行きました♪(KKはインフルB型につき、自宅待機

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鶴ヶ城の南口。
私たちが鶴ヶ城へ行く時はいつもこちら側からなんですが、入り口入るとなぜかお墓が並んでたりして、どう見てもこっちは「裏口」 江戸城の「不浄門」みたいなもんなのかしら?
余談ですが、鶴ヶ城の北側「北出丸」方面は、裁判所や市役所など官庁街(?)、西側は神明通りや大町通り、七日町などの商店街が広ってます。東側はご存知東山で、偶然かもしれませんが鬼門に当たる北東には飯盛山があり、会津藩ゆかりの神仏が、町を見下ろしつつ眠っています(で南側はお墓や沼の埋立地と)。

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裏口なので(?)こんな庶民的な看板も。
「犬の散歩中オシッコはやめてください。ここは歴史ある鶴ヶ城です」
みたいなことが書いてありますが、「歴史ある鶴ヶ城」なのに犬の散歩Okっていうのがそもそも太っ腹だな~というか、庶民に愛されてるお城なんだな~というか。

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こないだまで真っ白だったお堀もすっかり溶けて。
カモがさっそく戻ってきてました

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ここで幼稚園のお友達とばったり
去年中通りから会津に引っ越してきたご一家。今日は初めての彼岸獅子を見に来てみたとのことで、同じ同じ♪
「なんかつまんなさそ~」と行く前はぶーぶー行ってたUは、思いがけずお友達に会えて大喜び!2人で手を繋いでさっさと先に行っちゃいました

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本丸跡にほど近い広場には、既に人垣が輪になっていてびっくり
私たちは、演者の方々が待機しているあたり=獅子舞の背面になるので人垣が一番薄い場所、にもぐりこみましたが、獅子舞と鶴ヶ城を一望できる正面なんかは、立派なカメラを構えた人たちが大勢スタンバイしていて。
保存会の方が「今年は多いな~~」とおっしゃってました♪
ほどなくして、笛太鼓の音色が流れ。

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彼岸獅子の始まりです。
音楽とともに3匹の獅子が、厳かに中央に進み出てきました。

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「会津彼岸獅子」、昔は町ごとにそりゃもうたくさんのチームがあったそうですが、戊辰戦争やその後の戦争などを経て、数が激減したとのこと。
今残っているのは、鶴ヶ城の東側、近藤勇の墓のある天寧寺や温泉を有する東山の「天寧獅子」や、北会津の「小松獅子」、磐梯町の「赤枝獅子」、喜多方の「下柴獅子」などなどなど(って私的には充分「いっぱい残ってるな~」という感じ)
ここ鶴ヶ城で舞っているのは「天寧獅子」です。獅子舞のグループによって、衣装や動きなどそれぞれ特徴があるそうで、見比べると面白いかもですね♪

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けれど、どこの会津彼岸獅子にも共通の大ポイントとしては「3匹の獅子がそれぞれ舞う」こと。
これが私の目にはけっこうカルチャーショックで
私の知ってる「獅子舞」って、唐草模様の風呂敷かぶった2人組による前足と後ろ足の、四つ足で動き回るという、もろ「動物」。時々歯をカタカタ言わせたりして、子供が噛まれると健康に育つみたいな。
けどこちらはご覧のとおり、わりと「人間」なんですよね。太鼓叩いたりするし。呼び方は同じ「獅子舞」でも、全然別物!
天寧獅子」のサイトには「起源」として、こんな説が載っていました。
一口に獅子舞と呼ばれているものの中にも、大きく分けて二つの流れがある。
一つは神楽獅子の系統に属する獅子舞であり、もう一つは鹿踊りの系統に属する獅子舞である。
この両者は同じ獅子舞と呼ぱれるものではあっても、その発祥、起源については大きな違いがある。
一方のは神楽獅子であり、真っ赤な顔をして頭が大きく、ライオンの系統を引くと思われる中国の獅子頭や狗犬とよく似ているので、一見して大陸で形づくられたものであることがわかる。
(←私が知ってるのはこっちだな)
しかして一方の鹿踊りの系統に属する獅子頭には二本の角があり(まれには一本のものもある)、地方によっては枝のついた角や、あるいはずばり、鹿の角をそのままつけたものもあり、大陸渡来の獅子とははっきり異類のものであることがわかる。
結論から先に言えば、後者の獅子舞は古代人の狩猟生活の中に起源があるものと考えられる。

つまりこの「会津彼岸獅子」の方が、日本古来の流れを汲むものなのかも?

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そういえば、こないだ大熊町の写真展で見た熊川稚児獅子舞
確かにあれはもろに「鹿」でしたね。頭の両側に角(というか木の枝みたいな?)もついてたし。
「福島の獅子舞は、私が知ってる獅子舞とは違うな~!」と思ったのはこの時でした。今回の彼岸獅子も、それを確かめたくて見に来たような面も。
新潟出身者としては、「太鼓を下げて踊る」「子供が演じる」などは、「越後獅子(=角兵衛獅子)」を思い出してしまうのですが、獅子のお面が全然違う感じ。角がついているのがとっても「異文化~」という感じがして。
熊川稚児獅子舞の説明には「宮城や岩手のものに近い」とありましたから、角兵衛獅子の出現以前から、こういう文化が東日本にあったんでしょうね。
「獅子舞」をwikipediaで見ると、ざっくり分けて、大陸由来の動物っぽい「神楽獅子」は西日本、1人舞いである「風流獅子」は東北・東日本、といった記述もあって興味深かったのですが、しかし「あさきゆめみし」では、夕霧&柏木も、獅子頭みたいなのをかぶって踊ってたんですよね。もちろん京都で。
上記の「起源」にもありましたけど、越後獅子も大熊町の獅子舞も、会津彼岸獅子も私の知ってる神楽獅子も、色々混ざり合って各々現在の形になっているようで、なかなか奥が深そうです。

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さて初めて見た「会津彼岸獅子」、第一印象としては、基本ゆったりした動きだけど、どっかこう芯があるな~というか。
動きの折々に、こうカクッと、頭を振るんですけど、それがなんかすごくピシッとして見えるんですよね。
天寧獅子」のサイトには、こんな説明がありました。
武士団からの支援を受けた天寧の獅子は、その舞の中にも武道型が鋳込まれるなどして、天寧獅子ならではの独特の風格がつくり出され、芸格に磨きがかけられたのである。
それは例えば、腰を下しても身体の安定を保ち、足を四もくに踏んで舞い終るまで腰を伸すことを許さないとか、武骨にして、しかも優雅に舞うとか、その舞の姿勢美は特に尊重されたようである。

基本的に会津の獅子舞は、城下町が発展し、商売繁盛を願って縁起を担ぐ商家の勢力が強くなるに従って、縁起の良いものとして愛され盛んになったそうですが、「天寧獅子」は、鶴ヶ城のおひざもと・東山という場所柄、武士の影響も受けた様子。

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ところで「武士の影響」と言えば忘れちゃならないのが、北会津に伝わる「小松獅子」。
戊辰戦争の時、田島口を守っていた若干、24才の国家老、山川大藏(後の陸軍少将山川浩)は、敵が若松の入口、飯寺まで迫った時、一計を案じ、小松の獅子を要請しました。
小松では早速、板木を打ち叩き、お殿樣へのご恩に報いようと一組の獅子を結成し、堂々と突進し敵軍はこのいで立ちに、あっけにとられてしまい入城を許してしまいました。ろう城していた者もその獅子の笛の音を聞き、黒金御門を開けて泣いて迎えたといわれています。
その後、明治4年に御薬園において、松平容保公が小松獅子の功績をたたえ、太夫獅子の頬掛けに葵の御紋を与え、高張提灯に使用を許可したという歴史を持っています。
(「北会津彼岸獅子」ホームページより)
「太夫獅子・雌獅子・雄獅子」の3頭の胸元にそれぞれ垂れ下がっている頬掛け、チームにより文様は様々ですが、葵の御紋をつけているのは「小松獅子」だけだそう。

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それにしても、この色鮮やかなコスチュームを見ると、私的にはどうしても沖縄のエイサーを思い出してしまいます。
もっとも衣装もチームによって違い、たまたまこの「天寧獅子」が個人的に紅型っぽく見えるだけですが(「獅子舞と言えば緑の唐草」な目には尚更)、太鼓を下げて踊るのもエイサーと同じ。
念仏踊りから始まったといわれるエイサー。今でも旧盆には町ごとに色んなエイサーが周って、沖縄のお盆には欠かせない催しですが、調べてみるとこちら「彼岸獅子」も、江戸時代にはお盆時期、「盆踊り」「墓踊り」としてお墓やお寺で舞われていたとのこと。
お盆時期=死者・人間向けに、同じように太鼓ぶら下げて踊る文化ってだけで、沖縄好きとしては結び付けたくなってしまいますが、しかし沖縄の獅子舞は、ほんとに「異文化~!」という感じなので(なんというか、異国の動物という感じ)、直接的な関係はあんまりなさそう。
にも関わらず「同じような意味合いの文化がある」というのは、「土台が繋がってる」という感じがして興味深いです(沖縄と東北って、時々似てるんですよね。言葉とか)

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ちなみに会津彼岸獅子は、江戸時代の寛永年間、下野国(栃木県)から喜多方の下柴に伝わり、その「下柴獅子」から会津一帯に広がったと言われています。そうか~喜多方が元祖なのか!

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舞い終わった獅子の1人が、ひょっとこと言葉を交わしています。
と思う間もなく、今度はひょっとこが踊りの場へ。
見物している子供達の頭をなでたりして、いかにも「道化」な雰囲気です

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次の演目は、ひょっとこと獅子1頭による踊り。
それまで舞台の袖に控えていたひょっとこを見て「お、エイサーで言う「チョンダラー」が彼岸獅子にもいるのか。やっぱり何か繋がりが・・・」と思ってたのですが、サイトを見るとこのひょっとこ、チョンダラーとは役割が違い、本来は「子供」役だそう。

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右丁に二本ずつの鈴と幣束を持った「幣舞小僧」と、雄獅子によるこの舞い。
「天寧獅子」のサイト「演目」ページを見ると、以下のような説明がありました。
「幣舞小僧」は本来は子供がつとめるものであり、子供が演じるときはお面は付けませんが、子供の替わりに大人が演じるときにはお面をつけます。
その場合、“大人”小僧は、“道化”を演じます。
それで“ひょっとこ”のお面を付けているのです。

こちらの天寧獅子では、弊舞の主旨は「四方固め」「地祭り」だそうですが、北会津の(葵の御紋の)小松獅子では違う物語が伝わっているそう。

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小松獅子では弊舞の物語を次のように伝えています。
子供が一人で遊んでいるところに獅子が来て子供を喰おうとしますが、子供の持ってる鈴と幣束(魔よけ?)が怖い。
なんとかその目障りなものを奪ってしまおうと、子供と一緒に遊んでいる間にすっかり楽しくなってしまい、子供を喰わずに山へ帰る、と。
(「天寧獅子」ホームページより)

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確かに「心が通じ合った」的な踊りではあります
踊り終わった獅子が「水~・・・」と言いながら戻ってきたのも微笑ましく。
2番ぶっ続けですもんね。しかも今日は小春日和♪
春を呼ぶ獅子舞、確かに今日の鶴ヶ城は春の陽射しでした。

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ぬおっ!目が合った!?

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と思ったら、子供をかまってくれたのでした(弊舞みたいに、騙して喰おーとしてないでしょうね
握手もしてもらって、うらやましーぞーU!
ここは舞台袖で、舞を見るには正面の方がいいですが、バックステージを満喫したい方にはこちらもオススメかもです♪

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おっ!ずっと袖に控えていた弓がいよいよ出てきました。
これは「弓くぐり」。太夫獅子1人によって舞われます。

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太夫獅子が、弓に近づいては
「どうしよっかな。あ、やっぱやめた」(と戻ってくる)
「行ってみるべき!?」(と言わんばかりに、観客をキッと振り向いて近づくも)
「いやいやいやこれやっぱムリだわー」(と戻ってくる)
を繰り返す面白い舞い。
弓を持ってる方が、獅子が離れている時は横目で見てるのに、顔が近づくと目をあわさないよう「無の表情」になるのも、個人的にまた面白く

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ちょっと弓に触ってみたりして

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その後、獅子が意を決したようにピョンと跳ねた後、ガーっと弓をくぐって終わるのですが、それまで散々ヘタレぶりを見せられているだけに、無事くぐった時には観客一同「おお~~!」
「天寧獅子」のサイトによると、この「ピョン」が出たらシャッター準備!とのことですが、知らなかったので写真撮り逃しました~

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最後に再び3人で舞って、彼岸獅子はおしまいです。
踊り終わった獅子たちにワラワラと近寄る私らに向かって、保存会の方々「どうぞ一緒に写真とってください~い」
わ~~なんかTDRみたい もちろん私たちも、一緒に写真撮ってもらいましたよ(お友達も一緒なので、UPはご遠慮)

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あっと言う間に分厚い人垣になって、「頭なででくださ~い」というお姉さんや、「両手あげてポーズ取って」と注文つけるおじさんなどなど、この人気ぶりはまさにミッキー。
ちなみに写真撮る時にあれこれこ注文する、いわゆる「ワンショでポーズ指定」は、TDRではけっこう嫌われますのでご注意下さい
「次の場所に移動しなきゃいけないので、あと3分。あと3分~」と、獅子自ら叫ぶほど大人気でした♪これはキャストさんつけるべきだな

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おまけ。
鶴ヶ城で彼岸獅子を堪能した夕方、神明通りのリオンドールに行ったら、その隣のお店でも獅子舞やってました♪
獅子舞の後ろを、買い物するおばちゃんが自転車で通り過ぎてたりして、とっても「庶民の日常生活に根付いた年中行事」っていう感じ。
鶴ヶ城の、殿様に見せてもイケるようなショーも、街中で太鼓の音に誘われて立ち止まってみましたみたいな獅子舞も、どちらもそれぞれに趣があっていいな~♪

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というわけで、会津に春がやってきましたよ~

テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

人間は電脳より強し!?

いつもながらどーでもよくて、しかも旬は過ぎた話なのですが、「新型アイパッド」の発売模様。

これまたどーでもいいですが「アイパッド」って書くとなんだか安眠グッズみたいですね カタカナが持つ「何かを貶めるパワー」って相当だな~と(「フクシマ」とかさ)

あの、銀座店でアイパッドが発売!のニュース、朝のワイドショーで見ていてびっくりしました。
まあ行列はね、ちょっとびっくりしたけど「ああやっぱ人気なんだ~」と納得でしたけど。初ガツオ・・・じゃなくてドラクエとかwindows95とか村上春樹の本とか、話題のものに行列できるのも見慣れてるし。
しかし見慣れずびっくりしたのがオープン時。開店時間、店員さんがずらりと並んで「いらっしゃいませ」・・・じゃなくていきなりもろ手を挙げて「ヒエ~イ」「ヒョ~~」、なななんでたかが新型電化製品の発売でいきなりカリフォルニアなんだ!?(ってカリフォルニアへの偏見が)新型プリンタ発売した時にお客さんとハグしたり、新型洗濯機を買いに来た人と「ヒュ~」ってハイタッチしてたら変でしょ~よ~

この「とってつけた感」は、前にもTVで見たことがあります。それは上昇気流真っ只中だった頃の「ライブドア」忘年会(だったかな?)。
「会社の忘年会」という字面から想像されるもんとは程遠く、ステージでホリエモン以下上層部がなんか踊りまくったり、変な替え歌歌ったりして、そうなんか「パーティー(笑)」みたいな
「「会社の忘年会」のくせにこんな型破りなことをしてしまうこの俺たちのカッコよさときたら」みたいなのがダダもれで、カリフォルニアなアイパッドを見た時と同じこっぱずかしさが。ねえこれまさかカッコいいと思ってる?あんたらこんなことしなくても充分上昇気流なのに、なんでこんなアピールまでしなきゃなんないの?とか。

別にアイパッドそのものは悪くないんですけど。むしろ電化製品にはあんまり興味ない私ですら、指でシャッとページが動いたり、ぐいーんと拡大したりするのは面白いと思えますし。なんか気持ち良さそうですよね。
車や飛行機が発明された時、最初にあったのは「利便性」じゃなく、「早く移動する気持ちよさ」「空を飛ぶ気持ちよさ」という「快感」だったと聞いたことがあります。「利便性」はむしろ後付けで、世に定着するためには一役買ったけど、最初の動機としてそれがあったわけじゃないと。
そう思うとアイパッドは、まさに「ものづくり」の志を忠実に継承している発明品ですね。

ネットがらみで最近もう1つ思ったのが、ツイッター。
今更ツイッターを覗いて見るようになったんですが、いや~見てると1970年代のSFを思い出します。
そもそもツイッターを見始めたのは、福島に関するデマがらみ。
「どうやらこれはツイッターで拡散されている話らしい」というのが、ツイッターやってなくてもわかって、それなら本物を見てみたいと。
で、見てみたら、なるほど~~拡散されてたな~~。特にtogetterという、ツイッターまとめ記事なんかで見ると、1つの話がおそろしいほど拡散されていたのが一目でわかるという。
これ見たら、唐突に「地球へ・・・」(と書いて「テラへ」と読む)というマンガを思い出したんですよね。
超能力ゆえに、人間に迫害されるミュウが「一人が得た知識・情報は、テレパシーによって一瞬のうちに他の人間たちにコピーすることができる(←ウロ覚え)」などの、ミュウならではの能力を使って逃げ出すというシーン。
「拡散」とか、まさにこのとおりじゃないですか!

あるいは、ツイッター上のつぶやきを眺めることが出来るタイムライン。
今まであった掲示板は基本的に、ある話題に沿って参加者が意見を述べ合う形なので「会議を眺めている」感覚に近かったんですが、ツイッターはぜんぜん違うんですね!(なので慣れるまでは見にくいな~と思ってた)
普通の挨拶や、なんだか難しいAという意見や、それに反するBという意見や、更にそれらとまったく関係ないCという意見が同時多発的に画面に入ってきて、加えてあっちでは熱い討論が交わされていて、こっちではゆる~い会話も話されていて、気になった人がいればチェックすることで、その人のつぶやき一覧から仲間内まで一目で見れちゃうという。
これはアレですよ!もう筒井康隆の「七瀬シリーズ」の世界ですよ!
人の思考を読み取れるテレパス「七瀬」、このシリーズを読んでから、学校とか電車とかで「もしここに七瀬みたいな人がいたら、私が考えてること全部読んでるんだろうな。こわいな」と、無言で並んでいる人たちの顔を見ながら思ったりしたこともありました。
たぶん七瀬以前からも、そういう「超能力」モノは、私たち世代にはけっこう浸透していて、テレパシー(思考送受信)とサイコキネシス(念力)なんかは、同世代なら一度は練習したと思われるのですが
ツイッターのTLに、なんの脈絡もなく入ってくる色んな人の思考、これは私的には満員電車の中でテレパシー受け取ってるのと同じです。隣に立ってる人や前に座ってる人の思考が、遠慮会釈なく頭の中に入ってくるっていう。

人間は、練習しなくても機械の力で、ミュウみたいな超能力を身につけちゃったんだな~~と思ってしまいました

もっとも、機械の力を借りたテレパシーって、別に今に始まったことじゃありませんけど。
そもそもネットがそういうもんだし、ネット以前の新聞やTVといったメディアは、まさにその役割だったわけで。
だから「印刷」が「世界三大発明」にしっかりノミネートされてるわけで。

ツイッターの「拡散」とかを、どうも大ごとに考えてしまう、プラス面もあるけどマイナスも5面くらいあるよな~とか思ってしまう私のような旧世代と、もう生まれた時からツイッターがあって、そうした正負の面ひっくるめて「あって当たり前」な感覚であるこれからの人たちじゃあ、きっと考え方とか、どっか行動規範(?)か何かの根本が変わってくるんだろうな~と思います。ちょうど、メディアが一般的じゃない時代の人と、メディアが生まれた時からあった私たちじゃ、価値観が大違いというのと同じように。
「TVで見る戦争」が現実になったのは、湾岸戦争でしたっけ?その前でしたっけ?
ガンダムⅢで、今まさに宇宙でやってるモビルスーツ戦を、酒場で「うお~~がんばれ~~」とかサッカー戦のようにTVで見ているお客のシーンに、当時の私たちはけっこうショックを受けたんですが、今はもう当たり前になりつつあるし。
このシーンにショックを受ける・受けないっていうのは、「戦争」の意味をかなり変えるような気がしますが。
これを「人間の進化」というのかなあ?

と思うと同時に、「いや人間はそんなに進化してない」ともまた、ツイッターを見て思ったりも。
だってツイッターって、ほんと学校とか電車みたいで。休み時間にワイワイやってるクラスみたいな。シカト(=ブロック)もあれば内緒話(=カギつき)もあるし。「拡散」なんかほんと、噂話ですもんね。規模の大きな。
「一番情報が早いのは、実は「文化的に遅れた村」みたいなところだ」って説がありますよね。TVも電話もないような村こそが、実は一番口コミが発達していて、ちょっと物珍しいものでも来ようもんなら、あっと言う間に村中に伝わっているっていう、田舎の恐ろしさ。日本でも時々実感できますけど、要は「密な共同体の特徴」。

これだけ文化が発達して、やっとそんな密な共同体からオサラバしたのに、やってることは文化が発達してない時代と変わらない。すごくお金をかけて、技術をかけて、共同体の井戸端会議をしている。
ちょうどアイパッドが、すごくお金かけて技術をかけて、やってることは「体感の気持ちよさ」だったりするのと同じように?
「TVで見る戦争」だって、どんなに変わった変わった思っても、やってる戦争そのものは変わりませんもんね。お金かけて技術かけて、やってることは相変わらず人が殺し殺されるという。
「人間の進化」って、こういうものなのかもなあ。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

K-Uの実況

KKはyoutube好きで、ゲームの実況、手品のネタ、海賊版のアニメ、お菓子などの開封等々、よくまあ色々見つけてくるもんだと感心くらい、多種多様な動画を見てます。
最近ではゲームしながら実況して、それを自分で編集して見返しては喜ぶというところまで行ってしまったのですが
なんでもにーちゃんの真似したいUが、それを見逃すはずはなく。
この頃は、ちょっとお菓子を買ってあげた時とか、気がつくとブキミにボソボソつぶやいていて、耳を済ませるとこんなことを↓
「はいっどうも皆さんこんにちはこんばんは。今日はこの○○○を買ってもらいました。え~このシリーズはですね~」
5歳児が開封動画してるう~
「ではさっそく開けてみましょう。・・・んっちょっと開かないですね・・・あっラムネが出てきました。食べてみましょう・・・うん・・・あ、これはグレープ味ですね」
そりゃ「グレープがいい」って選んだんだからな~~
「これはですね、ボク前にイチゴ味を食べたことあるんですが。その時は~(以下延々続く)」
うわあ~5歳児のクセに「ボク」とか「これはですね」とか、口調がシャラくさくて気持ち悪~~

ETVの「アイ・カーリー」という海外ドラマ、我が家お気に入りで毎週見てるんですが、「しかしど~もこの世界がよくわからない」とかねがね思っていたママ、KK&Uが実況にハマりはじめてやっとわかりました。あれはつまり「youtubeの実況」みたいなことをしてたんですね。海外の子供たちにも「動画で実況」って大流行なのかしら?

KKが「youtubeの実況」にハマりはじめたのは、去年あたり、「CO-DAの実況」を知ってからです。
CO-DAさんっていう人が、ホラーやマリオ、ディズニーなどのゲームを実況してる一連のyoutubeがあるんですが(KKの実況は、まんまこの人の口調
実況も面白いけど、この方、なんと各ゲームのテーマ曲も自作して歌ってらして。
それがま~、どれもいい曲!
最初はこれらの歌、KKがハマって、今やPSPにも取り込んでるくらいですが、何度か聞くうちにママもすっかりファンに
基本ラップなんですが、歌詞もいいし曲も気持ちいいし、声が乾いた感じなのも耳に心地よく

2008年実況はじめました
2009年ホラゲはじめました
2010年何をはじめるかな?今からwktkなんだ~イエーイ
(略)
一番クラスで太っちゃっても
一番クラスで小っちゃくても
自分だけの人生を歩むことがハッピーなんだな~イエーイ

(かくれんぼLAP)

こういうお兄さんが子供世界の要所要所にいてくれるなら、親は安心。
第一曲いいし。とりあえず、この人のCD出たら買うな♪と
どれもちょっと切ない感じなのが心に残るんですよね。

心の その痛みも この思いも 全部電波で伝えたいよ
もう辛いと言わせて 楽になりたい
期待通りの未来にはならなかったよ

(LAST CALLING)

しかし切ないといえば、ママが最近KKのyoutubeで知って一番切なかったこの歌↓

力合わせて、戦って、食べられて
でも私たちあなたに従い尽くします

立ち向かってって、黙って、ついてって
でも私たち愛してくれとは言わないよ

(ピクミン愛の歌)

か、か、かわいい声して歌ってることが切なすぎる~(←切なすぎて笑ってしまう)
何なのこの歌!これ子供向けの歌なの!?

と思わずKKに言ったら
「だってピクミンってこのとおりじゃん」
あっこれピクミンの歌なのか!(KKもゲーム持ってます「スマブラX」)
「♪白ピクミンは~」ってホノボノしたピクミンしか知らなかったけど、そうか、そう言われればピクミンってそういう存在か。しかし子供向けのゲームでこんな歌を使うとは。
なんでもこの歌、サラリーマン世代の共感を呼んで、かなりヒットしたそうで。それもなんか二重に悲しい話だわね

そういえば、一時期KK&Uがハマって、ツタヤで全巻制覇した「星のカービィ」も、絵柄はピクミンみたいにかわいいのに、内容は見事に「社会風刺」でびっくりした記憶が(ステッペンウルフとか出てきて、ネタチョイスの渋さにもびっくり)
子供文化は、なかなか奥が深いんですね~~~

テーマ : 育児日記 - ジャンル : 育児

浪江焼きそば

こないだスーパーでこんなの発見!

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東北地方だけで売ってるのかな?全国販売??

ポテト系じゃなく、コーンスナックで、食べた感じは「スコーン・ソース味」みたいな。ソース味好きな方にはオススメです♪
KKのお友達が遊びに来た時に出したら「ああこういう味ね」とか言いながら、5分でなくなりました(いつものことですが)
このごろのお菓子って、値段は据え置きなのに、入ってる量がどんどん減って、たまりませんわ~

「浪江焼きそば」って、実は食べたことないんですよね。
そもそも、焼きそばにもやしが入るのが、あんまし好きじゃなくて(やっぱキャベツと豚肉でしょ)。なんかこう、加熱すると変にすっぱい感じになるじゃないですかもやしって。「もやしと麺だけ」なんて、私的にはチャレンジャー過ぎるとしか。
たま~にスーパーにも「浪江焼きそば」って置いてあるんですが、麺がほんとに太いですね!これまたどちらかと言えば細麺派なので、あまり手が伸びないのですよね~。一度は食べてみたいとも思うんですけど。

太麺と言えば、喜多方ラーメン、及び会津ラーメンも太麺ですね。
実際こちらのスーパーには、見事に太麺ラーメンしか置いてなくて、「やっぱし会津・喜多方は太麺文化なのか!」と、最初はそりゃもうカルチャーショックだったんですが。
お店で食べると、特にラーメンなんかは、熱いスープに入れても細麺より比較的のびないので、最後までシコシコなのがいいですね♪太麺の実力、思い知りました。
が、家で作ると、ど~もうまくいかないんですよね。細麺だと、どんな料理ベタなママでも比較的しゃっきり茹で上がるんですが、太麺はなぜかネトネトしちゃって。鍋が小さいのかな~?それとも蕎麦みたいに、実は最後流水で引き締めるとか?(まさかね

と、試行錯誤しながらも、会津・福島文化を楽しんでいます

そうそう浪江と言えば「鉄腕ダッシュ」!って、原発事故になってから知ったんですが。
こないだの鉄腕ダッシュは良かったですね~。最後、川俣町でヒヨコのマスコットがいっぱい並んでましたが、福島民報で読んだ記事を思い出して、ちょっと涙目。
川俣町=シャモの町。ということで、シャモを育ててる方のお話だったんですが(細部うろ覚え)。
あの大震災の時、卵や孵化したばかりのヒナが、停電で保育器その他が使えなくなったので全滅しそうになり、寝ずの番をしてあっためて守ったんだそうです。あの混乱の中。
しかし春過ぎから、「鶏肉も危ないんじゃないか」と、数値は大丈夫だったにも関わらず問い合わせが来るようになり。。。取引は激減。結局、寝ずの番して守ったヒヨコたちを、10羽、20羽と、自らの手で袋に詰めて「処分」せざるを得なかった、という。。。

「私たちは立ち直った。だから日本も大丈夫。あきらめるな」
というロシアの人の言葉が本当にうれしい「鉄腕ダッシュ」でした。
ダッシュ村がいつか浪江町で復活する日が、来るといいな。。。

テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

あの病院が!

日曜日、珍しく「眠い」と16時頃お昼寝したU。
起き上がった後も
「あれ~なんか目の前がフラフラする」
と言いながら歩いてたのですが
「あ~ねむいとね~」
と、まったく気にしてなかったママ。Uは
「ねむいのとは違うよ。あれ朝でしょ~。今はなんかぐらんぐらんするってゆ~か~」
と、つたない口調で一生懸命状態を説明していたのですが、そう言いながら
「寝たらおなかすいたからポテトチップス食べていい?油好きにはたまらない
とか、まるで脂ぎった中年オヤジのようなセリフを吐きながら、ふとんからお菓子置き場へ直行してたので、ただねむいだけだろうとママは頑固に信じてたのですが(ちなみにUは5歳児にして自分を「油好き」と自覚してます。ほんとにこってりしたのが好きなのよね~
なんかあったかかったので、念のため熱を測ってみたら、39.4度!ひええ~~こんなに熱あるのに、いつもながらなんでそんなに元気なの~!?

月曜日、相変わらず38度は超えてたので、近くの小児科へ。
前も書きましたが、天井は高く窓は大きくフローリングはピカピカで、おもちゃ絵本ティーサーバー完備、薬もその場で出してもらえて、薬袋や診察券も子供ウケするキャラクターという至れり尽くせり具合なのに、なぜか5分以上待ったことがないという、不思議な小児科です。もちろん予約なんかも不要。昨今の、予約してすら1時間待ちが普通である小児科から見ると、「ワケありか?」と邪推するほど私的には不思議な病院。
実際、この病院から車で5分も行けば「朝6時に並ばないと予約が取れない」という小児科もあるそうです。話を聞いただけで行く気が失せましたが
そうそう以前、KKが熱出した時に、某総合病院の小児科にも行ってみたことがあるんですが。こ~れ~も~えっらく待たされて。
予約ナシ&初診だったせいもあるんでしょうが、わりと古~い感じの病院で気分が暗くなる上に、1時間待っても診察前の体温計すら配られない。待ちきれず「やっぱしやめます」と急遽診察を取り消して(短気なママ)、Uかかりつけのこちらガラガラ小児科に来てみたら、初診なのにやっぱり5分で診てもらえて。
KKはもう大きいので、小児科専門よりも外科や内科が揃ってる病院の方がいいかな?と思って総合病院に行ったのですが、根性ナシは当分こっちのガラ空き小児科にお世話になることにしました

んが、そんなガラ空き病院(←失礼)のはずが、月曜日行ってみたら玄関に靴がずらっ!大人用のスリッパがない!なななんだこれは・・・?
と訝しみつつ中に入ったら、わ~~10組以上が座ってる~~~!!この病院がこんなふうになるなんて~~
こないだインフルA型が猛威を振るっていた時も、その後B型が流行った時も(これは今も流行ってるけど)5分待ちだったのに、なんだこのパンデミック状態は!?

1時間ほど待ってやっと診察。この病院で1時間待つこともあるなんて~~
一応インフル検査もしてもらって、また待つことしばし。
ちなみに注射の時はタガがはずれるUですが、インフル検査はなぜか「ボクはこれ大丈夫」という自信があるようで、全然うるさくなく。助かるわ~
1組前で待ってた人は「B型ですね。今日から1週間幼稚園休んで、土曜日来てください」と宣告されていて
「そうだ。日~月に発症すると、1週間つぶれるんだよな~。水曜以降なら土日を挟むから3日くらいで済むけど」
と、恐れおののきつつ待ってましたが(ママの優雅なティータイムが~)。
結果は「のどかぜ」ということで、拍子抜け。
1日たったらもう下がっていて、今朝無事に登園しました。

そういやKKも小学校に入るまでは、月1くらいで意味不明な熱を出してたっけ。知恵熱ってやつかしらん?

というわけで、「会津に謎の奇病でも流行ってるのか!?」とまで妄想した混雑具合だったけど、結局なんともなかったという、わりとどーでもいいお話なんですが。いや~あの病院がこんなに混むこともあるんだ~と、ただただビックリで(朝6時に並ばなきゃいけない病院は、どんなことになってたんだろう?)。

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会津の3月11日

昨日は「3.11ふくしま復興の誓い」というのが、県内数ヶ所で行われ。
ママもKK&Uを連れて行ってみようかと思ってたのですが、KKは「マインクラフトしてる」Uは「マリオしてる」という返事が
ママそのイベントの中で、ちょっと見てみたいものがあったので、KKのマインクラフト仲間であるダンナに子供を託し、1人でちょろっと覗きに行ってみたのでした。

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お天気良くてよかったです
会場は陸上競技場と、隣接の県立博物館。夜からは鶴ヶ城でキャンドルナイトがあります。
ママの目的は博物館。

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ところで県立博物館前が、鶴ヶ城の三の丸だったんですね!
鶴ヶ城広いな~~

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お初の博物館。立派ですね~。
子供の頃、学研ひみつシリーズ「化石のひみつ」を読んでた方ならきっとお馴染みのフタバスズキリュウ、実は福島物産でここに飾られてるってご存知でしたか!?え?常識?
私はこないだ博物館前を通った時に初めて知って、かなり驚きました

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入館するとどーんと迎えてくれるのは、二本松のちょうちん祭りで使う屋台。
初めて見聞きするお祭りですが、見上げるほどのデカさ!派手でいいですね~~
そもそも有名な「野馬追い」すら知らなかったママですが(猪苗代湖ズの歌で初めて知った)、その分、福島ってほんっと色んなお祭りがあるんだな~~と、毎月のように驚いてます。
さてママがちょっと見てみたかったもの、それは・・・

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大熊町・楢葉町・双葉町の写真展。
イベントの一環として、今日この博物館エントランスに飾られているのです。
大熊町はここ会津若松に、楢葉町はお隣会津美里に、双葉町は埼玉県に、それぞれ役場機能を移して全町避難を余儀なくされている自治体。
事故以来、ニュースで名前を聞かない日はないくらい、よく知っているような気がする町ですが、特に大熊町は同じ市に住んでいるということでほのかに親近感すらあるのですが、事故前はまったく知らず。行ったことがないので具体的なイメージも浮かばないという。
どんな町だったのか、少しでも知りたいな~と。
大熊町の子供たちへのメッセージは、静岡や京都などの国内はもちろん、ドイツやドバイといった海外からも寄せられていました おっ嵐のサインもあるぞ!
以下、相変わらず写真ベタではっきり見えませんが、飾られていた町の様子の一部を。

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大熊町の写真。町内運動会や獅子舞など、町の催しの写真多々。そうそうクマのキャラクターの写真もありましたよ(名前が・・・なんだっけな??)
というか獅子舞が!獅子舞が、私の知ってる獅子舞とぜんぜん違う!私が知ってるのは歯をカタカタ鳴らす4つ足の動物なんだけど、これは人間(の子供)ではないか!?これってもしや、新潟CMでしか見たことない「越後獅子(=角兵衛獅子)」と親戚ではあるまいか!?
と、思いがけずまた1つカルチャーショックに見舞われた、大熊町の写真でした

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楢葉町。天神岬公園の立派さにドギモを抜かれました。
そして清隆寺しだれ桜の素晴らしさと言ったら!こんなご当地名物があったんですね~

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楢葉名物と言えば、こちらも忘れちゃいけない(!?)「マミーすいとん」
命名・トルシエ監督ですって!
昔は一流のサッカー施設、今は原発事故収束の拠点となってる「Jビレッジ」って、楢葉町にあったのね。。。(知らなかった) 
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ここで双葉町の写真もあるべきなんですが。。。すみません、見事なほどピンボケで、UP断念
巨大なだるまを引っ張るだるま綱引きや、その会場となってる街角とか、すごくいい雰囲気だったのに。。。ううっ双葉町の皆さんに申し訳ないm()m

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もうちょっと早く行けば、大熊町に伝わるという「布芝居」も見れたんですが、残念。
帰りがけ、お隣の陸上競技場にも寄ってみます。

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行く途中にはこんなのも↑↓
「松平保定」とは、会津松平ご本家13代目。
「秩父宮勢津子妃」とはその名の通り、昭和天皇の弟・秩父宮殿下のお嫁さん。
お2人はイトコ同士にあたりますが、勢津子妃が皇室に嫁ぐ時、華族の身分を得るために勢津子妃の叔父さん=保定氏のお父さん=保男氏の養女になったので、義理の兄妹であるとも言えます。

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会場の駐車場にいた獅子舞↓ 一瞬「沖縄のエイサー!?」と思いました。私的にはすごく異文化に見えます
さっき見た大熊町の獅子舞に似ているな~とも思いましたが、これは「天寧獅子」という、会津の獅子舞です。福島の獅子舞は「四つ足・唐草模様で歯をカタカタ」じゃないのかな??
こちらは3月のお彼岸で舞われるものらしいです。ちなみに新潟・村上では、8月の七夕で家々を周ります。ほんとところ変われば品変わるですね~。今日は会場のステージで行われたみたいです(見逃した!)。

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こじんまりした会場は、テントいっぱい人いっぱい!

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ソースカツ丼、カレーやきそば等、会津地鶏などなど、会津の味が並ぶ中で、ママが買ったのは、金山町の天然炭酸水「アクアイズ」!

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金山町がどこにあるかもピンと来ないテイタラクですが「モンドセレクション受賞」のコピーと「残り2本です!」の呼び声に心惹かれてしまいました♪
飲み心地は、炭酸がきつくないペリエという感じでした。金山町って、どっかに炭酸水がわいてるのかな??

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楢葉町のブースもいくつかありました。

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手作業で作った布ぞうりは高かったので、シュシュをお買い上げ♪
そのままお隣のお店で、KK&Uのおみやげにクッキーも♪

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美里町に避難している楢葉町の人たちが、美里町の人たちと共同でプロジェクトを立ち上げて作っているクッキー。
ブタさんなどの顔の中にアーモンドやジャムが入っていて、素朴な手作り~っていう味でした(KK&Uがあっという間に食べつくしました

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13時からの「無料ふるまい」ブース。
トン汁、おもち、すいとん、こづゆなどがぜ~んぶ無料という太っ腹具合なんですが、14時近くに行ったら、見事に売り切れでした~(まあこづゆだけは15時からでしたけど)
チラシにあった「楢葉すいとん」(ってたぶんあの、トルシエ命名・マミーすいとんですよね?)を食べてみたかったけど、残念!

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西会津のお店の前には、「西会津雪国まつり」で見かけたこゆりちゃんもいました
この後帰宅して、14時46分、TVにあわせて皆で黙祷。
しばらくすると、鶴ヶ城の鐘の音が聞こえてきました。

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福島民報、見開き一面。。。

ちなみにこの日の福島民報の一面はこちら↓
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今日の1面は、去年の3月11日を振り返る記事かと思ったら、今も福島で進行中の記事でした。
獅子舞の町。だるま綱引きの町。マミーすいとんの町。

夜、鶴ヶ城のキャンドルナイトにも行くつもりだったんですが、夕方、Uが急に熱出したのでキャンセルしたのでした
夜に降り出した雨は、雪に変わり、次の日まで降り続けました。

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アルツ磐梯で春スキー♪

2月中は、パパのウツが復活したり(ほんとウツって波があるんですよね~)、Uがインフルにかかったりして、「来週は行きたい」「来週は行くんだよね」と毎週KK&Uにせっつかれながらもご無沙汰していた週末スキー。
やっとパパが波から上がりかけた3月最初の週末、ひっさしぶりに行って来ました
場所はKKのご希望により、アルツ磐梯。
私たちが今季初スキーに行って「ここが初級者コースなんてウソよ・・・」とママが雪に埋もれてビバークも覚悟した、あのアルツ磐梯です。
KKは2月に、学校のスキー授業でアルツに行き、中級者コースを滑ってきたのがえっらく楽しかったそうで。てか新潟人にはほとんど「憧れのアルツ磐梯」でスキー授業なんて、会津の小学校いいなあ♪
しかしアルツは表磐梯・南側斜面。出発時の会津若松も雪ザクザクだったし、雪質はどうかな~?あの「ママ的には絶対中級者コース!」である初級者コースを、果たしてUが滑れるかな~??
と若干心配しつつ、出発

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河東IC入り口を通り過ぎ、「七ツ森ペンション村→」などの看板が見えてくると、いつもながらテンションが上がります♪

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来た来た~~♪
「表磐梯/裏磐梯スキー場「群」」ってのが、すごいですね~。「うちはもうスキー場は腐るほどあるからさ~、いちいち書いてらんないんだよね」みたいな

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車窓からあわてて撮ったので何がなんだかな写真ですが、アルツへ上っていく山道の途中にある「榮川酒造」です。今日は車少ないけど、年末アルツに行った時は車ずら~りでした。
「磐梯山の美味しい水で作ったお酒」ということで、ダンナ会社同僚さんのオススメ№1の日本酒、本当に磐梯山の麓にあるんですね~!

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市街地はだいぶ雪が溶けたけど、山を上っていくとまだまだこんな感じ。
雨も雪に変わって、さあ着きました3ヶ月ぶりのアルツ磐梯!
3ヶ月前同様、第1駐車場は満車で、第3へ。

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第3駐車場も車ずらっ!!
しかも県外ナンバー多々!足立、横浜、千葉、茨城・・・福島ナンバーを見つけるのが困難なほどです。中には鹿児島ナンバーも(ええ~~っ!!な、何時間・・・!?)
先日の新聞に、今年の福島スキー場の壊滅具合が載ってましたが(見事なほどずら~りと前年比マイナス。アルツは確か2万人くらい減ってたかな?)、そんな中、遠路はるばる来て下さる方々には、本当に感謝してもしきれません

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リゾートセンターでチケット買って。
子連れの皆様、くれぐれも出発前に「モバイル宝」会員になるのを忘れないでくださいね。料金がぜんぜん違います。
さあゲレンデへゴー♪

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と行ってみたら、や、やっぱりこの斜面はUにはちょっと厳しくないか??
グランデコにすべきだったか?でももうチケット買っちゃったしな~。。。と、パパママ不安がりつつ、とりあえずリフトへ。

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年末に来た時は、雪が少なくて、リフト前なんか「丘」みたいになってましたけど、今はさすがにそんなことはなく
めちゃめちゃ狭くて急坂だったリフト降り場も、普通のゲレンデになっていて安心しました。まああの時はシーズン初滑りだったんで、こちらの技術の問題も大でしたけど

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では行きますよ~。果たしてUは大丈夫か!?

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意外と滑れてる!(KKはもちろんスイスイ)
一度体で覚えちゃうと、1ヶ月くらい空いても大丈夫なもんなんですね~
雪質も、思ったよりは悪くなかったです。さすがに裏磐梯の鴬張りとまでは行かないけど、ちょうど雪降ってるおかげか、まあまあ滑りやすく(もっとガツガツのツルツルになってるかと思ってた)。
ただ時々雪が引っかかるというのか、ゴゴゴゴと自分が重機になったような気分が味わえるのはなんとも
しかしアルツは、途中からすっごく坂が急になるんですよね。
ママですら「ひ~~こわ~~~い」。Uはもちろん転びまくりでしたが、パパの介助は拒否して「1人で滑る~~~」と自力で起き上がり、兄ちゃんの後をついていく!すごい根性~~

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この最大の難所前に、前はなかった「磐梯温泉ホテル→」という林道コースができてました。
ここを行くとキッズエリア方面に着くらしいですが、めちゃめちゃ急坂だったりすると怖いので、私たちは行かず。

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なんとか滑り終えて「もう1度もう1度♪」なUとは反対に「ね~中級コース行きた~い」とKK。
まあもともとそれが目的だったしね。
というわけで、パパKKはゴンドラで中級へ、ママUはその間キッズエリアで待つことに。
ちなみにマップを見るとゴンドラのコース、中級と平行して最後は初級コースに合流するんですが、下から見るコースは「中級しかないじゃないの!」という感じで

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さてアルツのキッズエリアは、無料のスノーエスカレーター完備
エスカレーター向かって右がソリコース、左がスキーコースで、ここで練習しているボーダーさんなんかもいました(だってあの初級者コース、初級じゃないもん
坂が短いのがたまにキズですが、けっこう広くてなだらかで、練習にはグーです。

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んが、このエスカーレーターが、坂の中腹からついていて。
なんてことない角度と距離なんですけどね。パパと兄ちゃんに置いていかれたという不満たっぷりで、リフト乗り場からキッズエリアまで移動する間、ず~っとブチブチ文句言ってたU(そもそもこの距離がえっらく長くて、移動だけで疲れました)、とどめの「スキー履いたまま上り坂」に「できない~~~
「横向いてカニさん歩き・・・」「できない~~~」「板を内側にこうして・・・」「できないってば~~~
イラつくママ&意地っ張りUという最悪チームで、なんとか2回ほど滑り、それだけですっかり疲労困憊した頃に、パパKKが戻ってきました。
けっこう急だったそうで、パパ「疲れた~~~」。KKも一度滑ったらもう気が済んだらしく「みんなで初級コース行こう」とすんなり。
その前に疲労回復せねば、と、遅い昼食を摂るべくセンターハウスへ。

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センターハウスには、こうした軽食ワゴンやカフェ、お店なんかが完備。
この設備の立派さは、「さすがアルツ」って感じです。

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KKのオススメ「磐梯食堂」に行ってみました。
3階のレストランも、チラ見した感じではいい雰囲気でしたが、今シーズン休業だそうで残念。
お疲れなのでエレベーターで移動です

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「一口食べてまずかったら返金します」が売りの、カレー専門店「磐梯食堂」。
KKがスキー授業で来た時、ここを貸切にして食べたんだそうええ~けっこう広いのに!小学校すごいな~
辛さやトッピングなども選べます。エビフライやトンカツ、カニクリームコロッケ(だったかな?)などなど、トッピングも様々で迷いますが、今日はKKオススメのハンバーグで。
ご飯が磐梯山の形してるんですね

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↑カレーをかけると「噴火した磐梯山」

ちなみに、磐梯食堂に通じる階段前には、応援メッセージがいっぱい飾ってあります♪
年末に来た時は横断幕1枚だったけど、今回は3枚に増えてて!
うち1枚は茨城県日立市の高校(第一高校だったかな?)

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「お隣さんどうし」「ともに」「一緒に」という言葉がとてもうれしく

「もう15時過ぎだし、疲れたし、あと2本くらい滑ったら帰るか」と、の~んびり食べて飲んで、第2部開始
リフトに乗ったら、不思議な足跡(?)がありました。

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ネット外に、突如ズシャッと現れる、おそらくボードの滑り跡。
ええ~ネットをジャンプしてこっち入ったのかな~~~???
スキー跡に合流してましたが、そもそもここコース外なはず。

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反対側にはもう1本スキー跡が。
この人上手ですね~~~!!写真じゃわかりにくいけど、ぴたっとくっついた2枚の板跡がどこまでも。隣の跡と比べると一目瞭然です!(って比べられてる人はとんだ災難
繰り返しますがコース外です。リフトから追跡していったら、さすが達人、なんだかすごいとこ滑ってきてました

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さて第二部は、我が家№2の達人KKご提案「カルガモ横断滑走」をしてみることに。
すなわち、あのきっつい斜面を直滑降せず、KKの後についてぐ~ねぐ~ね横断しながら滑ってみようと。
で、ビュンビュン走ってくる車、じゃなくてボーダーさんたちの前を、カルガモのように1列に並んでぐ~ねぐ~ね。ってかなり迷惑滑走だったかも
しかしこれがよかったんですね~ 斜めに横切ると、この急坂も全然角度を感じない!
Uもすっかり滑れるようになり、KKの後を正確にトレースするまでにすごい!ママなんかどうしても曲がり切れず、一人コースアウトしては「Uみたいに反対側の肩からこう」と、パパにレクチャーされる始末なのに。ママついに5歳児Uにも追い越され、我が家№4の座に輝いてしまった予感

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こんな感じに↑コース上に置いてあるトンネルなんかも、余裕でスイスイ。
今回はこのトンネルもそうですが、林道コースとか、モーグルコースとか、年末にはなかった色んなコースができてました。
リフト降り場にもプチ林道コースとか、軽いジャンプができるところなんかがあって、ママは怖くてムリだけど、KK&Uは平気でキャーキャーと♪

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これが初級コースから繋がってるモーグルコース↑
距離が短いのでほんの練習ですが、ママなんか横のまっ平らなとこ滑っててもコケました
初級コースより若干斜面が急なんですが、KKはもちろん、Uももはや平気で滑るのは驚き!
「恐怖心」を克服すると、子供はほんと上達早いです。

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↑「イエ~~~~~イ♪」

そんなわけで「2本滑ったら帰ろう」のはずが、まあ何度往復したことか。
16時過ぎには、動いているリフトはこの初級コースのみになってしまい、ゴンドラ方面でガンガン滑ってたボーダーさんとかが全員こちらに集合。人口密度が高くなる上に、皆さんめっちゃハイスピードで滑るので、けっこう怖かったですが、なんとか事故にもあわず、最後まで楽しんできました♪

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帰り際、出口に面したカフェでお茶して。

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ここは雰囲気もよければメニューも一工夫で、お気に入り♪
カレーでお腹いっぱいなわりには、カボチャスープ&つけパンとか、ポテトやチーズケーキ(ブルーベリーとかイチゴソースがお皿に配されていて、見た目がやけに本格的)、カフェオレやココアなんかをガンガン頼んで平らげました

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にしても今回は滑ったな~。
皆で滑れるようになると、こんなにリフト乗る回数が増えるんだな~。
アルツで始まり、アルツで終わった今シーズン。
いや、あともう1回くらい、どっか行けるかな?
裏磐梯はGWまでやってるしね

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↑帰る間際まで雪山遊びのKK&U

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3.11in鶴ヶ城

こないだ、幼稚園のお迎え帰りにヨークベニマルでお買い物してたら。
「キャンドルカバーを描きませんか~?」
と、道行く買い物客に呼びかけるお姉さんの声。
なんでも、3月11日に鶴ヶ城でこんなイベントをやるそうで。

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ここで灯すキャンドルのカバーに、絵とかメッセージとか描いてみませんか?ということらしいです。
こういうことに目がないUは、さっそく「描きた~い♪」

私にとって、3.11(=津波・震災被害)って、なんというか「遠い」んですよね。。。
その頃いた新潟は、揺れはしたけどライフラインは生きてたし。
救援活動に行ったダンナも予定日数で無事戻ってきたし。
当初は連絡取れなくてやきもきした、伊達市のばーちゃん実家もみんな元気だったし(電気屋さんなんですが、停電断水もなんのその、自家発電で地下水くみ上げて電気もつけて普通どおり生活してたそうです。電気屋さん最強だな~
スーパーとか品薄にはなったけど、なきゃないでいいなっていう物がほとんどだったし。
計画停電とかも、意外とあっさり終わったし。
ガソリン行列も新潟では起こった記憶ナシ。村上だけかなあ?でもお隣の山形でも行列発生していた(ダンナ談)のに、なぜこっちは起こらなかったのか、今でもナゾです。隣であっても東北圏か否かで違うのかな?あるいは人口密度の差?
そんな感じだったので、「3.11の時は大変だった」という実感がないんですよね。。。
もちろん、TVは全国・ローカル関わらずず~~っと震災報道だったし、市内に避難所も開設されて、寄付や募金もあったりしたけど、「新潟が、自分の周りが大変なことになった!」という実感は。。。

なので、こういうイベントに、どう考えても当事者じゃない私みたいなのが、イベント気分で行くのもどうかとは思いつつ。
思いつつもやっぱり、参加したい気持ちもあって。

その頃一番気になったのは、既に転勤先として決まっていた福島の被災状況&放射能で、実際「単身赴任したら?」なんて話も外野からはあったのですが、わりと早いうちに「会津は比較的OK」という情報は入ってたので、引越しの予定自体は変えることなく。
実際、4月3日(だったかな?)に引っ越してきたら、「3月は大変だった」と聞いたガソリンも、どのGSでも「フル」と看板が出てたし(というか、わざわざ「フル」入れられますよ~という看板が出ているのが、新潟から来た目には「そんなに大変だったのか!」と驚きでもありましたが)、スーパーも物によっては新潟より豊富で。
放射能も、わりとず~っと「0.18」~「0.15」くらいで、「これくらいなら大丈夫」としか思えず。
ただ「会津って道路状態悪いな~ボコボコで」と思ってたのは、今思えば地震の被害だったのかもしれません。。。
会津って盆地のせいか、浜通りや新潟で地震が起こっても山がせきとめるのか、意外と揺れないんですよね。浜通りが震度5なら中通り震度4、会津震度3みたいな。
てことは3月の震災では会津も震度5強くらいはあったわけで。実際、会津坂下の方とか昔ながらの家々も多いので、建物倒壊率はかなり高かったようです。

しかし新潟では、そんなに被害でなかった(むしろその後の長野地震の方が、長岡とか大変だったと思う)ので、生活感覚は新潟の時と同様、3.11前とほとんど変わらない感じで、今に至ってるんですよね。。。

これは4月になってから来たっていうのが大きいと思います。
転校したての頃は、いつまた大地震が来るかわからないということで、子供たちは全員集団下校&付き添いだったのですが、その時近所の子達に話を聞いただけでも、3月はほんとに大変だったんだなという感じで。
「お店に食べ物がなくて、このままだったらどうしようと思った」って、子供が言うんですもん。「うちのお父さんなんか、ガソリン盗んで警察に捕まっちゃったんだよアハハ」なんて話も。お父さん運転手らしいんですけど、ガソリンがどうしても手に入らなくて、こっそり路駐車からやってるところを、運悪く見つかっちゃったそうです ガソリンの話は、新潟のローカルTVでも「うちはガソリンあったから新潟まで来れたけど、近所にはガソリンなくて避難できないでいる人が今でも大勢いる」なんて話を聞きましたから、「あ、ほんとに大変だったんだ」と(余談ですが転校したての頃、クラスでとある先生がKKに「ガソリン入れられなくて、新潟で満タン入れてきたのよ~。だから助かったわ~」と言ってくれたんだそうです。まだ友達もそんなにいなかった頃、そんな話をしてくれた先生がほんとにありがたく)。
そして放射能も、3月の事故当初には、この会津若松さえ1~2μくらいあったんですよね。それでもまだ低い方で、もっと線量高い地方=震災被害も激しかった地方なんかでは、あの頃はガレキ片付けなどの屋外作業がどうしても多かったわけで。

そんなことを思うと、一番大変だった時期、及びそこから来る恐怖感・不安感を共有してないくせに「会津・福島いいところ♪風評被害許せない!」なんて、勝手に応援団のつもりで盛り上がるのもどうかという気持ちは、常にどっかあるのですが、しかしこの応援したいという気持ちもまた確かなもので。

来て1週間もたたない頃、「とりあえず飯盛山には行っとかないとだろ」ということでお墓参りした白虎隊。
くっだらない話ですけど、私オバケってわりと真剣にこわくて
白虎隊の美談もあんましシンパシーわかないタチなんですが、そんなこと思うと恐れ多いので「あなたがたが愛し守ろうとした会津に、これからお世話になります。見守っててください」と、わりと本気で手を合わせてきたのですが
お世話になるんなら、やっぱこっちも愛し守ろうとしないとバチ当たるだろ、というか白虎隊に怒られるだろ、という思いがヒシヒシと。白虎隊が枕元に立ったらコワイですから
加えて、会津ってほんとにいいとこだな~と、お世辞抜きで思うことが毎日のようにあって。大都会だし。とこないだKKの学校ママさんに言ったら「きっと期待しないで来たからよかったのよ♪」とのお答えでしたが、ほんとにこれほど会津が歴史ある町で、歴史上の有名人がこんなに絡んでて、猪苗代から奥会津まで見所が色々あって、大都会だなんて、まったく知らなかったので、そりゃもう知れば知るほど好きになるという感じで

しかしそれだけだったら、やっぱり新潟時代と変わらなかったかもしれません。
4月3日の引越し日、前泊した会津若松の「中町グランドホテル」で朝食を摂ってたら、テーブルの半分に「大熊町ご一行様」の札が立ってて。
疎い私たちは「確か大変なことになってる町だよな。じゃあボランティアに行く人たちがここに泊まってるのかな」としか思ってなかったのですが、その後引っ越し手続きのために行く先々、すなわち市役所で、銀行で、学校で、幼稚園で、そして落ち着くまでは我が家のお風呂は日帰り温泉だったのですが、東山温泉はじめ各施設で、大熊町始め南相馬や楢葉町などの浜通り及び東北から避難してきた方々と隣り合わせになることが多く。
自分に何も出来ない以上、あまり深く考えないよう、ただ「今福島は大変なことになってるんだな」とだけ受け止めて、ただ会津の町や魅力をどんどん発見していこうと思う日々の中。
震災の影響で、やっとインターネットが開通した5月半ば。余談ですが今思えば、それまでネットに触れなかったのも、過剰に放射能に怯えなくて済んだ要因の1つかもしれません。一番情報が錯綜していた時期を強制スルーしてたわけですもんね。
で、やっと開通したネットで2ちゃんとか見てたら(3月、事故が起こった頃なんか2ちゃねらーと化してた)、ひどい!!!ひどすぎる!!!福島への罵倒が!!!福島こんな大変なことになってんのに、お前らどうしてそんなことを言えるんだ~~!!!
怒りを抑えきれず書き込んだら「危険なのは事実」「お前が福島だからそう思うんだろ」e.t.c.く、く、くやしい!!くやしいけど言い返せないのがまたくやしい!!
精神安定のために、以後あまりこういうのは見ないように書き込まないようにしましたが、この時の(そしてその後も続く)悔しさは、私をはっきりと「福島応援団員」にしてくれました。この気持ちが、郡山やアクアマリンへ行く原動力になり、延長して岩手や宮城を思う、ひいては「故郷」を思う芯になってます。ありがとうあの時のバカたちってなもんです

なので、「3.11」の悲しみは共有できないけど「復興祈願」という気持ちを共有して行ってみようかな。
と自分で自分に言い訳しつつ、ブースでいただいたチラシを眺めつつ、キャンドルカバー製作。
県立博物館で、大熊町・楢葉町・双葉町の写真展示をするらしいんですよね。
見てみたいな。どんな町だったのか。ほんの一時すれ違うだけだけど、同じ町で生活している方たちの故郷。

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「Uはね~まずピカチュウ描く」
なぜピカチュウ?
「光ビームと、あと炎描いて、それから花火!」
おお景気いいね~
「花火全色使う!」
おお派手でいいぞ~
「それから赤べえと黒べえ」
会津若松IC手前のコンビニに売ってたのよね。鼻先に磁石入ってて、ぶっちゅ~とくっつく、赤べえと黒べえ
「メッセージはどうする?ママ「会津大好き」って書こうかな?」
「ええ~やっぱし「がんばろう福島!」じゃないの?」

5歳児でもすらっと出てくる「がんばろう福島」。
悲しいような、うれしいような。

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会津若松でTDR気分

雪がてんこもりならば沖縄に避寒したくなり、雪が溶けて空気があったかくなればTDRが恋しくなり・・・と、常にどっか旅行したがってる今日この頃。

しかしお金も休みもないので、行くところは普段どおり、アピタの火曜特売

郡山には巨大ジャスコがあって、TVでも耳懐かしい「火曜市」のCMが流れてるんですが(しかし最近、「どまんなか♪どまんなか♪」とか「♪1,2,3♪1,2,3」とかのCMがかなり違和感なく聞こえるようになったな~)、会津にはジャスコってないんですよね。「とりあえずジャスコ行っとけ」ってくらい、どこの町にも最低1コはジャスコがある新潟から来ると、かなり意外。
しかしそのかわりに、まるで新潟におけるジャスコのような位置づけで存在してるのが、ここアピタ会津若松店。
とりあえずここ来れば、なんでも揃うという。

新潟人にとっては、いや私だけかな?ジャスコって上記の通りなので、わりとありがたみなくて
もちろんお店によっては超巨大なので、そこ行くだけでレジャー感覚みたいな楽しいジャスコもあるんですが、新潟(市?)でそういう「行くだけでレジャーな楽しい巨大モール」って、実はアピタが最初なんですよね。
亀田にでっかいアピタが建った時は、とりあえず用はなくても1度は行って、「どこまで歩けばはじっこの店に行けるんだ!」と呆れ返るのを楽しんだもんです
その後小新アピタを初めそうした巨大モールが当たり前になり、とどめの亀ジャスことイオン新潟南店がご近所にどどんとオープンして、アピタすっかりさびれちゃいましたが
そんな記憶が残ってる私にとっては、毎日アピタに通える環境っていうのは、ちょっとうれしかったりします(実際新潟の友達に「会津にはアピタがあるよ」と言うと「へ~~~!」と驚いたり。もっとも友人の頭の中では、会津若松のとは微妙に違う、超巨大アピタが浮かんでいる気がしますが)。何より村上では決してお目にかかれなかった「タリーズ」や「ミスド」「ケンタッキー」なんかが、ここに来れば一挙揃うっていうのがもうね♪
え?ショボい??でも私が「会津若松って大都会だな~」と思ったのが、まさに「タリーズやミスドやケンタッキーが町にいっぱいある」ってことだったので

余談ですが、会津には「アピタ」だけじゃなく「アピオ」っていうのもあるんですよね♪
で行ってみたら、新発田のコモタウンでした(って新発田人にしかわからない例え)。
「アピオ」っていうお店があるんじゃなくて、リオンドールその他が一堂に会したショッピングタウン(?)みたいな。
新潟・新発田のコモタウンっていうのは、リオンドールならぬウオロクその他が一堂に会したショッピングタウンで、これもできた当初は「都会っぽ~い♪」とウキウキしたものですが(こんな郊外型ショッピングタウンができる時点で都会じゃないんですが、それはさておき)、やっぱりシバジャスことイオン新発田店ができて、若干そっちにお客さん取られてるような印象を受けます。ま仕方ないことではありますが。

と、そんなわけで火曜特売に限らず、アピタにはちょくちょく行くのですが、いっつも気になってるのが、店内放送。
店員さんの声じゃないMC(?)で
「○時をお知らせします」
とか
「この後もごゆっくりお楽しみ下さい」
とかってアナウンスしてくれる、ファンファン大佐みたいな深みのある男声がよくかかるのですが。
これTDRで
「まもなくメディテレーニアンハーバーで、講談社がお送りする「レジェンドオブミシカ」が始まります」
とか
「東京ディズニーランドは本日、午後10時まで開園しております」
とかアナウンスしている人じゃないでしょうか!?会津若松の皆様どうですか??
たぶんエコーのかかり具合とかが似ているせいもあるんでしょうが、声としゃべり方がそっくりで!「ごゆっくりお楽しみ下さい」なんて言われると、その瞬間アピタじゃなく、ディズニーシーステーションに立ってるような錯覚にザワ~~っとおそわれることも。いやマジで。

どこかの空間を思いがけずザワ~~っと思い出すのって、個人的にはまず嗅覚、次に聴覚の力が大きいな~とかねがね思ってるんですが、そんなTDRファンの方には、パークにいる感覚が味わえる場所としてアピタをおすすめします ってますますTDRに行きたくなっちゃうのが困りものですが

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会津名物

会津名物と言えば、鶴ヶ城、磐梯山、赤べこ、起き上がり小法師、こづゆ、粟まんじゅう、榮川e.t.c.e.t.c...数え切れないほどあるのでしょうが。
これも「会津名物」の1つ↓

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霧!

「ナニコレ珍百景」でも以前「霧に沈む町」をやってましたが、盆地ならではの名物ですね~

埼玉時代も川の町だったので、たま~に霧(若干スモッグ混じりだったかも)が発生して、荒川土手の先が見えず「あそこまで行ったら土手がなくなるよ~キャー」と、ランドセル背負った友達同士、ウキウキ登校したものですが
さすがに会津ほど多発しなかったな~。

会津では、おそらく川と空気の温度差が激しくなる時、すなわち気温が下がり始める秋と、気温が上がり始める冬の終わりに、霧が多発するような気がします。去年の秋、毎朝のようにお出迎えしてくれる霧を見ては「会津名物だな~」とカルチャーショックを受けましたが、ここ最近、再び朝霧が多くなりました。
ママなんかは霧でウキウキした子供時代の記憶が残っているので「キャー霧すご~い♪」とか、いまだに毎朝驚いてるのですが、KKは至って冷静に「霧なんてしょっちゅうじゃん」とクールに登校 この差に「やっぱり会津名物なんだな~」とかしみじみ。

新潟では、冬のご挨拶は雷です。「雪下ろし」という雷が「こんにちは~」と鳴ると、次の日からかっなっらっず雪が降り続き、約3ヵ月後「さよなら~」と「春雷」が鳴ると、次の日からぴたっと雪が降らなくなるのです。自然の神秘。

ここ会津の冬は雷ではなく、霧で始まり、霧で終わるんだな~。
どこもかしこも煙ったようで、目はパッチリ覚めているのにどこか景色が遠く感じるような、不思議な空気に包まれながら、もう季節が一巡りしようとしているのを、毎朝実感している今日この頃です。
春が来ますよ~~

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