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ばーちゃんが病気になった時のこと

放射能による人間への被害・影響、みたいなのを思うにつけ、それと関係ありそでなさそで、時々思い出すのが、私の母ことばーちゃんが倒れた時のこと。
と言っても別にばーちゃんが放射能浴びたとか、そういう直接的な関係はまったくないので念のため

私の父ことじーちゃんが、ガンで亡くなる半年前頃。
もう病院で打つ手はなしとのことで、ほとんど寝たきり、食べられる物もほんとごくわずかになっちゃった自宅療養中のじーちゃんを、献身的に看護していたばーちゃん@77歳。
ついにこの冬、風邪と過労でバタンキュー。じーちゃんももうハタ目には「栄養失調&肺炎になっちゃうんじゃ!?」てくらいだったので、急患ということで急遽入院させていただき、今度はばーちゃんが自宅で寝たきり療養。
初めは「風邪と疲れだから、寝てれば治るだろう」と本人も私も思ってたのですが、めちゃ高熱!ってわけではないのに自力でトイレまで歩いていけない、そしてトイレに到着しても見えなくて座れないというほどの強力なめまいでフラフラ、常に吐き気で食べ物取れず、どころか水飲むだけで吐きそうに。
1週間近くたってもこのままなので、じーちゃんが入院してる総合病院で診てもらったんですが、脳外科でMRI撮っても原因わからず。
とりあえず脱水症状が怖いので点滴だけしてもらい、「めまいなら耳鼻科系かもしれないから」とのことで、日を改めて今度は耳鼻科へ。
確かにメニエールとかと似てる気もするし、耳鼻科で何かわかるかもしれないわね。幸い近所の耳鼻科は腕がいいことで評判だから。
と期待するも、やはり原因わからず。
とりあえず寝たきり療養を続けますが、とにかくめまいと吐き気で動けない、食べられない、飲めないと、どんどん体力が落ちていくのに加え、ここにきたらもう目の焦点が昔のテリー伊藤のようにあわなくなっていて、さ、さすがにこれはヤバイことになってない!?
で、再度総合病院を受診し、やっぱり点滴だけで終わりそうなところを
「いや前もそうしたけど症状変わらないから来たんです~。もう病院の往復すら辛いんです~。お願いだから検査入院だけでもさせてください!!!」
とばーちゃんと2人で必死に訴え
初めは「ベッドの空きが・・・」とか何とかしぶっていた病院側でしたが、ここにもう1人先生が登場!
「もしかしたら、フィッシャーかギランバレーかも」
と、何の呪文ですか?みたいな言葉をその先生が発した途端、状況好転!なんとかベッドも確保され、その場で入院させてもらえることに♪

この呪文、そんなわけで効果抜群でしたが、もちろん呪文でも漁師でもなく病名です。なんでも「難病」だとかいう
後に、大原麗子さんもこれにかかっていたと聞きましたが、その時はまったく聞いたことない病名で、それだけに「どどどどうなるんだろばーちゃんは」と不安でしたが。

今は病気についてはもちろん、薬1つ注射1本に至るまで病院の責任回避のために・・・もとい患者が納得するために説明してくれるのがいいところですね。
この先生も、専門的なことを気さくな口調で素人に講釈してくれて、その講釈がまた「へ~~~~~」と、すごく興味深く。
と言っても、その内容はほとんど忘れていて、以下に書くこともかな~りあやふやですが、ま大筋として(「面白~~~~い」と強烈に思ったことだけは覚えているのですが)。
先生が、メモ帖に落書きみたいな図を描きつつ、ベッド脇で井戸端会議のように立ち話で説明してくださったところによると。

フィッシャー症候群&ギランバレー症候群は、どっちも神経がおかしくなっちゃう病気。
神経は神経細胞からできているわけですが、この細胞だか細胞の中だかはマンガのホネホネのように連なっているらしく(あやふや)、で、そのホネホネ同士をつなぐ物質だかホネホネを守る物質だか(あやふや)が、そのホネホネの中だか外だか(あやふや)にあって。そんなこんなで情報を伝達し神経を守る働きをしてるわけですが。
ここに例えば風邪のウイルスだかそのウイルスを撃退した抗体(?)だかが入り込むと、それが何かに似てて置き換わるだか、それから見ると周りの物質が叩き潰すべき敵に似てるだかで(あやふや)、結果的に神経が情報を正常に伝達できなくなり、体がうまく動かなくなる、ということらしいです。
って、こんなあやふやな説明じゃ到底、「へ~~~」という目からウロコどばどばな感覚は伝わりませんね

つまりは、自分の体を守るために備わった免疫系が、自分の体を守ろうとするあまり、敵じゃないものを敵とみなし、いたって職務に忠実に、使命感に燃えて叩いてしまうという、ま、これ自体はよくある(?)症状なのかもしれませんが。
しかしこんな神経みたいな細いものをさらに分解して、もう目じゃ見えないようなレベルでも、まだ人間世界と同じようなことやってるというすごさ。
そしてそんな目に見えないところまで人間世界のように動いているってことを解明した人間の、科学のすごさ。
加えて「火の鳥・未来編」を読んだ時のような、もう自分が目玉のオヤジになったように視界が変わる(先生の説明を聞くと、神経細胞がもう1つの立派な組織みたい、神経1本なんかに至ってはすごいコングロマリットな世界に思えてきます)、その世界のすごさ。
そんな怒涛のすごさにもうひたすら「へ~~~~~~」。

セシウムがカリウムに置き換わるとか、あるいは「放射能」が生活の中にポンと入ってきたことで(私も含めて)急に敵味方に分かれて叩き合うようになるとか、ああなんか同じだなあと思って。

さてこの病気の治療法としては、大量の点滴みたいなのがまずあるそうですが(あやふや)、これは血液総とっかえみたいなもんなので、ばーちゃんにも相当負担がかかるし、もしこの病気じゃなかったらムダだし(ま違う病気だとしてもこの点滴自体に害はないそうですが)なので、もうちょっと病名確定するまで様子見てみましょうということになったのですが。

なんとばーちゃん、2週間ほど入院したらけろっと治っちゃったんですね~!特に治療・服薬もなく。
入院以来、MRIとか血液検査とか色んな検査してもまったくわからずじまいのままでしたが「ま元気になったんならいいでしょう」ということで、そのまま退院しました♪
一応、1週間たったら経過観察のため外来に来て、1週間たたなくてもおかしくなったらすぐ来て、ということだったのですが、退院後もずっと(今に至るまで)あの時のようなことはなく。ほんとなんだったんだろう??

ちなみにばーちゃんが退院する日、身支度を整えて待ちかねたように一番最初に行ったのは、1階下のじーちゃんの病室でした~
じーちゃんはとにかく寡黙な人で、自分のことでもばーちゃんのことでも「心配だ」なんてもらすことは「沽券に関わる!」とでも思ってたフシのある昭和一桁男でしたが、その実かな~~り心配してたのは数少ない言葉の端々からガシガシ伝わってきてましたし、そんな寡黙なじーちゃんの(単なる心配だけじゃなく)万感の思いを誰よりわかっていたのは、やっぱりばーちゃんだったのでしょう。。。病衣を着ている間は、決してじーちゃんの病室に行こうとしなかったばーちゃんでした。

さて1週間後。もはや懐かしい気もする先生が、相変わらず気さくな口調で、MRIした脳の断層写真を見せながら説明してくれたところによると
「もしかしたら「脳髄出血」だったのかも」
ののののーずい出血!?ただの脳内出血も怖いのにのーずい!?何それめっちゃ怖い!

なんでも入院時に撮った写真を見ると、脳のほんのちょっとした一部分が若干普通の時とちょっと形が変わってるそうで
(とはいえ素人には「そう言われればうっすらそう見えなくもないけど」程度ですが、脳写真を見慣れた専門家の目には大きな違いとして認識できるようで)
てことは、もしかしたらギランバレーとかではなく、ここから出血したのが、一連の症状の原因だったのではないかと。
そして血っていうのは、ここから体をぐる~~っと循環していくうちに、なんと自然に吸収されてしまうそうで(「へ~~~~~~」)
何の治療もせず自然治癒したのもこのためではなかろうか。ただそうだとしたら、もう血は消えてるので、今から証明することは出来ないが、と。

体を巡っていくうち、勝手に血が吸収されてしまう!?すごい!人体の神秘だわ~~~~~!!!

見えない物質1個で瀕死のテリー伊藤状態になるのも人間なら、脳髄から出血しても薬一つ飲まずケロリと治ってしまうのも人間。
そんな見えない物質までも解明できちゃったのが人間なら、それでもわからないことがまだまだいっぱいあるのが人間。わからないにも関わらず無意識に、勝手に動いたり治しちゃったりするのも人間、なんですね~。

もっとも、今こういうふうな形で書けるのは、ひとえにばーちゃんの運がよかったからですが。
そして渦中にいる時は次々変わる状況に対応するのが必死で、終わった後「運がよかったんだね~~」と、渡ってきた綱を振り返ってその細さにビックリする、みたいな感じではありますが。

運が先か法則が先か。人間(1人の体も社会も)、精密機械のようにある種の法則によって動いているのは確かですが、それをあっさりくつがえすような運もあり、そしてそれすら時には、ひとつの大きな法則のような。
大きい法則を解明するにはより細部へ細部へと降りていかなきゃいけないけど、降りていった先にはまた大きいものと同様の世界が広がっている。
これはまさに「火の鳥・未来編」の世界だなあ。

よくわからないけど、かくも世界(人間)はわからない、だから世界(人間)は面白いということで(?)
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

裏磐梯をひとめぐり

日曜日、秋の裏磐梯・ゴールドライン~レイクライン~スカイラインをぐる~りとドライブしてきました♪

上記3つは本来、有料道路なんですが、今年は11月15日まで無料開放中!
折りしも紅葉シーズン、最近どうも週末になると天気悪くて、この日も曇り空&磐梯山もすっぽり雨雲かぶってますが、え~いタダには変えられん!と

会津若松市街をお昼に出発
49号線を郡山方面にまっすぐ行き、猪苗代湖に近づいてくると、「ゴールドライン←」の道路表示が。
ここからはどこも初めての道です

走っていくと白い道路標示に「アルツ磐梯↑」「猫魔スキー場↑」など、名だたるスキー場の名前が「どうだ!」とばかり一挙勢ぞろい!
わ~~ここら辺、新潟にいた頃行こうと計画立ててはポシャった、憧れのスキー場ではないですか!!
「七つ森ペンション村↑」なんて手作りっぽい標識も立ってて、そうそう確か「アルツ磐梯」が予約いっぱいで、ネットでこのペンション村を検索したこともあったわ。その時は「未知の場所」って感じだったけど、今年はこんなに近くなったのね~~~

走っていくとほどなく、高速道路のような入り口が。あ、今まではゴールドラインじゃなかったのね
「無料開放中」と看板がかかった料金所を素通りして、いよいよゴールドラインです。
ゴールドライン入ってすぐの「アルツ磐梯」では、今日は「新そばまつり」をやってるそうで、ノボリがずら~り♪
お昼食べてきちゃったので素通りですが、会津地方では10月~11月頃は、毎週末のようにどっかで新そばまつりやってます「俺はそばにはちょっとうるさいよ」って方は、紅葉見がてらぜひどうぞ♪

ここら辺はまだ磐梯山の下の方なので、紅葉は8分染め(なんて言い方あるのかな)くらい?日が差さないのが残念ですが、こんなに紅葉に包まれて走るのも久しぶりです。
上にのぼっていく途中、気づけばリフトと併走していたのはびっくり。アルツ磐梯のリフトかな?
ちなみに11月、無料期間が終わると、ここら辺の有料道路は冬季閉鎖期間になってしまいます。

途中途中で停車して、滝を見たり湖を見たり。

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そのうち、やたら重厚な外観の裏磐梯高原ホテルや、やたらきれいな外観の猫魔ホテルなどが現れ。
あっここが「一度は行こう」と言っていた「猫魔」か~~~!
ここら辺は桧原湖や五色沼を抱えた高原で、リゾート地と景勝地と観光地が混ざってるようなとこ。夏は山の緑と湖の青、今は紅葉、そしてもうちょっとたったら一面の銀世界になるはず。
地元情報だと、雪質等でオススメスキー場なのは猪苗代やアルツなど表磐梯より、ここ猫魔などの裏磐梯だそう。
家族で一番スキー好き&上手なパパは「日帰りも出来るけど、こういうとこに1泊して来るのもいいな~」
おおうそれは、千葉県民なのにミラコスタに泊まるみたいな、究極の贅沢ってやつね!?(←贅沢レベル低い一家
ここら辺はホテルにも周辺パーキングにもわりと車が止まってて、予想以上に人がたくさんいました。昔懐かしい形の「高原一周バス」も賑わって♪ありがたいですね~~~
やっぱりこういう場所は、賑わってないと寂しさも一際ですもんね。

「五色沼でも行ってみるか」
と、ゴールドラインに入ってから決めた、行き当たりばったりのドライブ一家 しかし先ほどの賑やかな場所が五色沼入り口だとはつゆ知らず通り過ぎ、かわりに見つけたのは、昭和な万博の香りプンプンの「磐梯山3Dワールド」
これこそ素通りしたいところですが、KK&Uが「3D!3D!なんで入らないの~~!?
あのね~飛び出すだけでうれしかった昭和の3Dは、KK&Uが今思い浮かべてる3Dとは違うのよ あんたたち3Dって言ったらもうTDRのフィルハークラスを当たり前と思ってるでしょうが、あんなの夢でしかなかったんだから。ほらわざわざ「ソニーが作った世界初の3D!」とか書いてあるとこがもう昔でしょ。
と言ってもピンとこない現代っ子KK&Uなので、とりあえず入ってみることに。

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中は360度に画面が配置してある、手すりのみの立ち見形式で、フィルハーどころかミートザワールドにタイムスリップです
内容は磐梯山の噴火を若干、そして春夏秋冬の景色で、決して悪くないと思うのですが、いかんせん地デジに慣れた目には映像が粗いのと、大画面1つじゃなく小画面がつながってる感じなので、広がりと飛び出しに欠けるのがどうしてもね(フィルハーを知った今では尚更)。
滝や雪の時は風が吹いたり、ほんとフィルハーの原点みたいなもんなんですが、りんごが転がってきたり、スキーヤーがストックをわざと突き出したりと「ほら飛び出すだろ?すごいだろ?」な場面が随所にあるのが、今や悲しいという 本とかも、どんな名作でも時代や世代をはずすと感動できなくなっちゃうことがあるけど、これもまさにそんな感じでした。いつまで潰れないでいられるだろうか??

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自分たちが「見たい」と言った手前「つまらない」と言えず、一応おとなし~く見ていたKK&U
しかし3D館の人に教えてもらった五色沼への入り口へ向かうつもりが、間違えてレイクラインに入ってしまったから、もうブーブー(特にKKが)
さっきまでは「え~~歩くのなんかヤだ~~。峠を走っていたい」と、頭文字Dのようなことを言ってたのに、峠道に入ってしまった途端「え~~~五色沼行くんじゃないの~~!?ずっと車乗ってるのやだ~~~」
ほんとに子供ってワガママ しかしレイクライン、反対車線が大内宿のようにずら~~~~りと渋滞してるので、戻るに戻れず、いいやこのままスカイラインまで行ってしまえ、と。
ここら辺は紅葉がほんとキレ~~~イ 基本オレンジ色~黄色の中に、真っ赤な木がポツリポツリとあって。

やがて到着したのは「中津川渓谷」。
あっここさっきの3D館に出てたな。渓谷を歩けるみたいなのでKKもようやく機嫌を直し、降りてみることに。
(降りたら駐車場にこんなの↓があって、もうすっかりご機嫌

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しっかしここは、混んでました~~~~~
我が家まったく知らないスポットだったんですが、けっこう有名なとこなんでしょうかね?
車も、県内ナンバーはもちろん、東北新潟関東の各地、和歌山なんてナンバーも!ここじゃないけど、品川ベンツ(しかも黒)なんていう怖い車も見たな~。
3本の有料道路が全部無料なんて、さぞかしお客さん来てないんだろうな~と思ってたんですが、とんでもない!ほんとに、ありがたいな~という気分になりました

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駐車場から渓谷入り口へ。
なぜかこの入り口手前だけがカメムシスポットでした
ここから渓谷までは「徒歩10分」だそう。

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「10分なら楽勝」と思ってたんですが、下りが急で、け、けっこうこれはハードだぞ
足場が悪く、泥で滑りやすいので、ウォーキング用シューズ必須です。
けど景色はほんと、キレイ

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渓谷が見えてきました!
しかしここからの下りがまだハード

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ついた~~~~~

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KKはスタスタですが、Uよく頑張りました
さっそく水遊びを始める2人。

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思ったより冷たくなく、そして思ったより数段透明でびっくり。
色とりどりの落ち葉が、水中で金魚みたいに繰り返し舞い上がってました。

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帰りのハードさはもう・・・
KKはもちろんですが、Uがスタスタのぼっていくのには驚きでした。ママは途中で貧血起こすかと思ったほど疲れたのに

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疲れた体に磐梯サイダー・桃味がしみます。

「家族で一番体力がないのはママ」という事実を突きつけられ(「絶対パパだと思ってたのに」@ママ)、ガクゼンとしながら次の目的地・スカイラインへ向かいます。

スカイライン入り口は、福島市方面との分岐点。
へ~~もう福島市か!随分遠くまで来ちゃったんだな~~。磐梯って広いんだな~~~。

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しばらく上って行くと「国見台」到着。
作家・井上靖がここからの眺めに感動して「磐梯の落日」と名づけたそうです(って見たままな気が
今日はご覧のとおり↑分厚い雲で、落日はおろか山の頂上すら見えませんが、KK&Uは「今からあの雲の中を走るんだ~」とワクワク

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↑雲から差し込む光を「天国の階段」と言い張って聞かないKK&U。
ロックンロールなポエマーね

さてでは最終目的地・スカイラインの頂上を目指します
来た~~~雲だ~~~~

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ここら辺はいよいよ峠道で、カーブもきつくなってきますが、一寸先は雲。道の脇も雲。
「絶景なのに何も見えん」とダンナは嘆きますが、これはこれで楽しい気がするママKKUは「ストームライダー」や「インディジョーンズ」の曲をかけて「うお~~~スリル~~~」と大盛り上がりです(←バカ
「標高1400」「1500」と、着々と上っていくにつれ、あら?気づけば視界がクリア。
雲を突き抜けたのか!?と思う間もなく、目の前に煙が!

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「山火事か~~~!!!」とバカ3人はまた大騒ぎですが、パパいわく「ああ噴火だな」。
噴火と聞いてまたまた大騒ぎですが(バカは何でも大騒ぎ)、もともとここら辺一帯は活火山、それがなんでも最近(震災後?)煙が増え始めただか再び上がり始めただかで、パパの会社でもちょっと注意して様子を見ているところだそう。「これがその山か。しかしこんな近くで煙が見えるとは知らなかった」@パパ。
(余談ですが、現・伊達市出身の私の母ことばーちゃんが子供の頃も(てことは昭和10年代?)、ここら辺の山が噴火したそうで。なんでも2~3日前から、夜寝てると「どーん」と地下の方から地響きがして「なんだろうね?」とか言ってたそうです)

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やがて着いたのは「浄土平」そして「吾妻小富士」
ええっ浄土平って、吾妻小富士って、聞いたことはあったけどここだったの!?(知らないで来た一家
浄土平は大きなドライブインになっていて、普段は有料駐車場のようですが、今年はこれまた無料開放中
てっきり新潟・弥彦のスカイラインみたいに、駐車場から頂上での景色を見て終わりかと思ってた一家、予想外に再び現れた登山道に、すっかりなパパママとなKKUでした。
だってこれですもん↓

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ヤダヤダダメダメムリムリ!!
と言ってもKKUがスタスタ行ってしまうので仕方ない、のぼりますが、もうね、息は上がるわ足は上がらないわ
おじちゃんおばちゃんもけっこういましたが、皆さん健脚だな~~~

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なんとか着きました~~~~!!!
駐車場があんなに小さく、そして煙が出てるとこもはっきり見えます。
さすが山の上って感じで風がびょーびょー吹いてますが、そのためかあたり一帯、うっすら温泉の香り。
そしてのぼりきった目の前には、これ↓がどどん!!

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噴火口が!!
写真で見ると、子供のすり鉢型すべり台みたいですが、高さ直径とも、かなりあります!

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ここをぐる~っと周遊する形で、さらに上の方まで歩いて行くことができるらしく、噴火口のすそに人のシルエットがポツポツと。
地の底がぽっかり口を開けたみたいな噴火口のかたわらを、折りしも日が射して明るくなった空に向かっていくかのように、さらに上へ上へとのぼっていく人々の影。
ここを「浄土平」と名づけた人、センスありすぎです(ま厳密には「浄土平」ってこの山のことじゃないですけど)

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KKもさっそく「ちょっと行ってみるね」とスタスタ、Uもくっついて行きますが、ええ~~~っま、まだのぼるの~~~~!?
しかもこの道、行く手が岩でジャマされてますけど

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こ、この岩を超えていかなきゃいけないのね。。。
やっと岩を超えると(KKUはヒョイヒョイ)この先は風が横殴り!耳が痛い!「まっすぐ歩けない~~~」「飛ばされる~~~

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福島の町(?)一望で、景色はキレイですが、このまま行ったら町の方に転げ落ちて、ほんとに浄土に行ってしまうかも!!
というわけで、途中で引き返してきました
階段を降りたらもう暗くなってて、やっぱり途中で戻って来たよかった、と胸をなでおろし。
ちょっとドライブのつもりが、思いがけず裏磐梯を堪能してきた半日でした。

いや~だけど浄土平、なんとも言えず印象的なとこだったなあ。
あの荒涼とした山を、光に照らされてのぼっていく人たちのシルエットが。

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テーマ : ちょっとおでかけ - ジャンル : 旅行

柏のセシウム

柏のセシウムが原発由来らしいと、TVで見てびっくり
これも、世田谷とは条件が違うけど、やっぱり状況証拠的に普通に降ったもんじゃないだろう=原発由来じゃないだろう、仮に由来だとしても、人為的にそこに運ばれたか何かしたものだろう、と思ってたのですが。
まさか工場の雨どいから来たものだとは!!

雨どいが壊れてて、そこから放射性物質が水と一緒に地中に流れ込んだのでは、というのが今の見方だそうですが、それにしては57μシーベルトって、ちょっと高すぎじゃありませんか?いくらホットスポットとは言え、1~10μだってそんな簡単には溜まらないと思うのですが。
考えられるのは、雨どいが一般家屋のものではなく、工場のだからってことでしょうか?面積が大きい分、降下し流れ落ちる放射性物質も大量になるんでしょうかね。
あと、流れ出た先が下水とかじゃなく、土だったから希釈されず、そこに留まり続けて数値が高くなったということもあるんでしょうね。「セシウムは水に溶けず土にくっつきやすい」という性質が、こういうふうに現れることもあれば、畑なんかだと土にくっついたまま野菜に吸収されにくいというふうになって現れることもあると。

しかしこれ、たまたま空き地でよかった。
ここに庭でもあって、趣味はガーデニングなんて人が住んでる可能性だって充分あったわけで(ただの通りすがり程度なら問題ないけど、実際にその土を日常的にいじってたとしたら、さすがに安全厨な私でもちょっと危険と思います)。
というか、たまたま空き地だったから調べられたけど・・・という気がしきりとするニュースではありました

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想像と推理の違い

「テストの花道」って番組を教育TVでやってて。
うちは幸い、子供2人ともまだテストに一喜一憂しなくていい年頃なので、たまたまつけてたら始まっちゃったって感じで見ることが多いのですが、それにしても出てる子が秀才ばっかで「記憶力を上げるには」「集中力をつけるには」とやってるのを見るとなんかコシャクで あんまし全部見たことないんですが
しかし今朝の「テストの花道」は「推理しよう」みたいなテーマで、これがめっぽう面白かったんです

「自由席券1200円、指定席券1800円で売ってる駅で、指定席券を買いたい女の人が何も言わず2000円出し、駅員さんは何も言わずに指定席券とおつり200円渡しました。さて駅員さんはなぜ女の人が指定席を買うつもりだとわかったのか、推理してみましょう」

「手話で伝えた」とか「実は指定席と書いたプラカード下げてた」とか、そういうのはダメなんだそうです。
なぜかと言えば、それは「推理」ではなく「想像」だから。
文中にないことを勝手に想像して付け加えるのは「推理」にあらず!あくまでも文中から読み取れる情報だけで勝負するのが「推理」!
なるほど~~~~~~
故・ナンシー関の名言を思い出しますね。
「(今TVに出ている人を評するのに「あの人はこう見えて実はああで」とか、その「裏側」とかを付け加えるのが流行っているけれど)私はTVに映っている姿=顔しか見ない。しかし穴のあくほど見る。そして見破る。これを顔面至上主義という」
ナンシー関さんの言葉に説得力があったのは、「想像」じゃなく「推理」だったからなんですね~~~

まあ現実には「想像」を「仮説」として検証するってのもアリだとは思いますが。でもいきなりお手軽に「仮説(という名の「想像」)」にぶっとぶんじゃなく、まず文章=情報からどれくらい読み取れるか、そこを鍛えないと「推理力」はつかないし、そうしないと結果的に「仮説」が正しかったとしても、きっと零れ落ちることがたくさんあるんだろうなとは推測できます。

さてでは、上記の問題文「だけ」を手がかりに導き出せる、その答えは何でしょう!?
答えは「千円札と500円玉2枚出したから」でした~!なるほど~~~~それなら少なくとも「1500円以上のものを買いたいんだ」ってわかるわね~~~~(なので「500円玉4枚」も正解!「千円札と100円玉10個」とかも論理的にはアリでしょうが、普通の人は100円玉8枚出すわね

こういう論理クイズみたいなの、得意な人は得意なんでしょうね~(私は不得意だけど好き
子供のうちからこういうの得意だと「お前は屁理屈ばっかり言って」とイヤがられる子になりそうですが、情報が溢れるこういう時代を生きてかなきゃいけない子供たちには、必須スキルとして必要なのかもしれませんね。

では最後に同番組からもう1問。
「教室に、赤い帽子と白い帽子が2つずつ。そして生徒A、B、Cが前から順番に並び、Cの横に四方をついたてで囲まれてDがいます。
この4人に先生が、テキトーに帽子を1こずつかぶせていきます。生徒は自分がかぶせられた帽子を見ることなく、後ろを振り返ったりすることなく、その色を当てようというゲーム。自分の色がわかったら「わかった」と言います。
さあABCDのうち、確実に(=常に)「わかった」と言えるのは誰!?」
答えは下のカギカッコ内を反転してご覧下さい。なるほど~~~~~~でしょ?(「フッ、こんなの朝飯前さ」という人がいたらごめんなさい尊敬します

あ、くれぐれも「ついたてからこっそり覗いてたのでD」とか、そういう「想像」はナシですよ まそういう「想像力」も大事だとは思いますが。

答え:
B。Cは、ABが赤なら自分は白とわかるから「わかった」と言える。しかしAが赤でBが白の場合、自分は両方の可能性があるからCは「わかった」とは言えない。
Bは、Cが「わかった」と言えば、自分はAと同じ色だとわかる。Cがわからないと言えば、自分はAと違う色だとわかる。ゆえにB。AとDは論外(^^;)

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僕らはみんな生きている

ずっと「ええ~~それはどうなの」と、なーんか納得いかない気分でいた放射能騒ぎあれこれについては、「危険厨」だの「放射脳」だのいうレッテルを最近(←遅!)知って、なんか気分的に整理されたというか、あまり気にならなくなってきたのですが(しかしレッテル貼りって、「サヨク」と小林よしのりに決め付けられて以来軽蔑してたけど、なるほど便利なもんですね~ 私的には「ネトウヨ」に引き続き効果絶大です)。
そうしたあれこれの中で気になったままなのが、「福島は金に目がくらんで原発誘致したんだから自業自得」という言説です。
まず中通りや会津地方は関係ないでしょ。という強い気持ちも1つありますが、じゃあ「福島は」じゃなく、例えば「大熊町は」なら自業自得か?いやもう世代的に異なってるんだから、今の大熊町民は関係ないでしょ。いやインフラ整備など、間接的に恩恵を受けている、それにその世代も残ってる、だから自業自得。

なーんか納得いかないわ~

これは個人の価値観によるので、以下はほんと個人的な雑感・感想です。
「僕らはみんな生きている」という、ジャパニーズサラリーマン応援映画があったのですが(マンガの原作もあったかな?)、その中のワンシーン。
発展途上国に赴任したサラリーマン・真田広之が、現地の空港に着いた途端、物乞いの子供たちにわーっと取り囲まれてしまい、身動きできない。その時、迎えに来た現地長期滞在中の上司・山崎努がバッと小銭をばらまくのです。
その途端、真田から離れ、一斉に地面にはいつくばって無心に小銭を子供たち。ボーゼンとする真田。蔑んだような笑顔で見ている白人観光客。
ま、戦後「ギブミーチョコレート」してた日本人が、今やアジアで当時の米兵と同じようなことしてるって構図なわけですが。
この子どもたちは蔑みの対象ですか?必死に小銭を拾う姿は醜いですか?山は死にますか?風はどうですか?(おっとつい昭和ソングが
そりゃま~、立派なことしてるわけでも美しい姿でもないのは確かでしょうが。
でもこの醜さって、生きる姿と同じじゃないですか?この子供たちが醜いなら、生きてる私たち多かれ少なかれ醜い姿をさらしてるわけで、とりたててこの子供たちが醜いとは言えないはず。そういうのが念頭にあって、その姿を醜いというなら納得ですけど、「自分は醜いことしてないがこの子供たちは醜い」ってんなら、なんか想像力不足だと。
そしてもう1つ。そういうわけで私的にはこの子らを「醜い」とは言えないし、ゆえに蔑むわけにもいかないって感じですが(しかし「哀れ」だとは思います)、他にはっきり「こいつは醜い。蔑んでやる」と思う奴らがこのシーンの中にいます。それは、これ見て笑ってる白人観光客。
自分の手も汚さず、たまたま自分がその立場にならなくて済む幸運のもとに生まれただけなのに、そのことにも気づかず「あらあらひどいもんね」と嘲笑できる、その感覚はなんなわけ?そんなあんたこそを醜いと思い蔑んじゃうよ。

昭和30年代、浜通りのこのあたりはまだ出稼ぎしていたくらいの貧しい地域、福島の中ですら後進部という位置づけだったそう。
そんなところに、当時の「ニッポンの未来を支える夢のエネルギー」を背負った巨大企業が来る。建設現場で働けば、東京で出稼ぎするのと同じくらいの日当が、東京に行かずに手に入る。しかもその日当は年々アップする。雇用がないから外へ行くしかなかった町に雇用ができる、インフラは整う、町に人が定着する。
当時の日本は高度経済成長。「豊かな未来がある」と、みんなで未来を夢見た時代。東北地方の一農村が夢を見たって、当たり前じゃないですか?そしてその描いた夢だって、現代なら平均水準程度のささやかなもん。
今、福島民報で、その経緯を連載していて、私もそれ読んでここらのことを知って書いてるのですが、その「明るい未来を目指した思い」に、読みながら思わず涙目になってしまいました
今ある原発がほとんど地方の片隅なことを思えば、原発誘致がある意味「金に物を言わせた」結果であることは、誰もが周知の事実だと思いますが、それでもこんなふうに「明るい未来を思い描いてた」ってのを読んで実感すると、なんかこう。
ちょうど、「豊かな未来」を目指した高度経済成長の奥の奥には、ただ漠然とした「贅沢な暮らしをしたい」とかだけじゃなく、「日本の精神論が欧米の科学に負けた。これからは科学でなきゃだめなんだ」という技術者の、悔しい、無念な、それだけに強い、リアルな思いがあったてのを知った時と同じような、実感として納得できる感覚。

当時原発を受け入れた村とは大違いの、物に恵まれインフラに恵まれてもまだあーだこーだ言ってる現代の私たちが、なんで当時の人たちの選択を「金に目がくらんだ」と蔑むことができるのか。
ここら辺は「先の戦争をなぜ始めたのか」というあたりともかぶりますね。自分がその時代にいたら、果たして戦争(や原発)に反対していたと、自信を持って言えるかという。
それから「原発の恩恵にあずかっていたんだから事故にあっても自業自得」って、その原発でできた電気の恩恵に預かって豊かになったのに、この期に及んでも安全な物を食べたいってピーピー言ってる私たちが言えますかね?ましてや金に物を言わせて作らせといた側が。あっちを自業自得って言うなら、そう言ってるこっちだって自業自得じゃない?
さらに「先の戦争を~」とかぶらせて考えると、当時のその村でも別に全員が積極的に誘致したわけじゃない、おそらく大多数の人は「なんか知らないけど大きい会社が来て、それで暮らしが楽になるらしい」程度の認識だったと推測されます。それは後世の人間から「自業自得」と言われても仕方ないほど責められることでしょうか?当時の人を断罪するのと、当時の人の「過ち」を教訓にするのとじゃ、似て異なるはずなのですが。
しかし何が「過ち」だったのか?となると、よくわからないんですけどね 結局は「結果論」にもなりそうで。

「僕らはみんな生きている」の上述のシーンでは、真田広之が「子供が離れてくれたのはよかったけど・・・でもこれはちょっとひどくないか?・・・この上司も、この子供たちも、子供たちがこうせざるを得ないこの国も・・・じゃあどうすりゃいいんだって言われても困るけどさ・・・」て感じでボーゼンとしてますが(モノローグは私の勝手な想像)、個人的に感覚が一番近いのはこの人です。蔑みまではしないでも、受け入れられずに憐れんでる。
「蔑みはしないが哀れと思う」というのも、いかがなもんでしょね?「蔑むと憐れむ」って同じ根から出た花みたいなもんで、それが「さげすむ」になるとはっきりとした差別になる、「あわれむ」だとうすぼんやりとした差別になる、程度の違いでしょうか?

なので、タイプは真田だけど、憧れこうなりたいタイプなのは、小銭をバラまいた上司・山崎努なんですね~。
決してそこらのエサやり人みたいに、施しを与えて満足するためでも、ましてやそれを見て笑うためでもなく、ただ現状を受け入れ、そこで生活するための手段として割り切ってやるだけ。いやおそらく赴任当初の頃は真田みたいに割り切れなかっただろうし、だから今そういう手段を平気で使う自分を、部下がどう見てるかもわかる。けれど、自分がこうして子供たちがこうするのは、立場の絶対的な違い、ただそれだけなんであって、そこには正しいも醜いもない。だから子供らを蔑むこともなければ同情することもなければ、自分の行為を言い訳して正当化することもない。ただ「用意しとけ常に」と部下に「処世術」を教えるだけ。
「福島は自業自得」なんて心無い言葉に一喜一憂せず、こんなふうにクールになりたいわ~

けどこうなると「自業自得」と割り切るのも、一寸の理があるのかもしれませんね。それが「前に進むために過去は諦める」という意味で使われるなら。原発のおかげで潤ったのは事実、あれはあれでいいこともあった、それは正しいとか間違ってるとか、そういうことじゃない。ただその結果として今がある、仕方ない的な「諦めたゆえの強さ」発動装置。
けど、それは当事者が思うことであって(だから「自」業「自」得)、決して、何の痛みも感じてないような他人が、責任逃れのために相手に投げつける言葉じゃないと思うんですよね。そう、一番ムカつくのはそこなのよ!罪なき者まず石を投げ打てうてなのよ!(と書いててわかった
山崎努は、痛みを感じてないからクールにふるまえてるんじゃなく、痛みを感じながら割り切るために必死にクールにふるまってるだけですから。この違いは大きいのよ。

捨て猫から観光地の猿から、果ては発展途上国のボランティアまで「憐れむあまりエサやるのは一時的にはいいが、長期的にはお互いのためにならない」というのはもはや世の中の常識で、この「原発事故」も「基地問題」なんかと同様、その延長線上にある「依存しすぎてダメになった」という論調で語られることもありますが(ま東電や基地はボランティアじゃないですが)。
それはそれで大事な視点なんでしょうが、どうも今回の原発事故は「貧乏クジ引いちゃった、失敗の先駆者」って気がして仕方ありません。だって自治体が原発に「依存」してようが「自立」してようが、今回みたいな事故が起こったら被害は変わりませんしね。
ちょうどアポロ13が「輝かしい失敗」と言われたみたいに、ここから(「依存」も含め)数多くの教訓を学べるものでありこそすれ、自治体が叩かれる筋合いはないんじゃないか、と。

浜通りに知り合いがいないので、あくまでも情報として表面的に流れてくるものからイメージしただけの雑感ですが。とりあえず書いたらスッキリしました

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トレジャーマウンテン

「会津磐梯山」って歌をご存知でしょうか?
そう、「小原庄助さんはなぜ身上を潰したのか」としつこく問いかけては何度も納得する、あの歌です(ってどんな歌だ

私は「♪朝寝朝酒ホッカイロ~が大好きで」という昭和CMで、かろうじて覚えてましたが、踊りなんかは当然見たことナシ。
しかしさすが会津、幼稚園の夏祭りはもちろん、小学校の運動会でもなんと〆は「会津磐梯山踊り」。

これほど地元密着な民謡って、新潟とかにあったかなあ?あっ佐渡おけさがあるか。でもさすがに運動会じゃやらなかったな。佐渡の学校ならやるのかしら?
こういうふうに「これぞ我が故郷だ。どうだ」って、地元が胸を張って愛してるようなものって、なんか好きなんですよね~
そういや埼玉時代には「たたら音頭」ってのがあったな。あれも今思えばいかにも「キューポラのある町」って感じで好きだったけど、盆踊り時期にしか出なかったのが残念。

おっと話がそれ。
というわけで急遽踊ることになったんですが、最初は「ええ~踊り知らないよ~」と言ってた私でも、終わる頃にはもうバッチリ
というのも、曲が長いんですよね~~ フリは少ないのに、歌が鬼のように何番もあって「もう小原さんのことはそっとしといたげて。聞かないであげて」と言いたくなるくらい長いので、終わる頃にはきっちり覚えてしまうという もっともこのお囃子の回数や歌詞なんかは、流派?によって違うみたいですが。
ちなみにKKいわく「学校で言ってたけど、歌詞の「黄金」っていうのは稲のことなんだって。「宝の山」ってそういうことなんだって」だそうで。「会津磐梯山」の歌詞が学校でレクチャーされるっていうのがまたすごいなと。

肝心の振り付けはというと、右に左にヨイヨイと1回ずつした後「あらよっと」とキメて、その後手をブラブラしつつ進んで一拍、て感じです。さあ果たしてこんな説明で伝わったのでしょうか!?もしもこの説明を聞いて踊ったら、人の数だけ会津磐梯山踊りがあるって感じになりそうですが、それもまた世の真実かもしれません(って自分の説明下手をなんかいい感じにまとめようとしてますが

で、なんとか無事に踊り終わってしばらくたった先日。
KKがまたまた学校で小耳に挟んできた「会津磐梯山の振り付けの意味」を聞いて、へ~~~と感心。
KKいわく
右に左にヨイヨイ=手をかざして磐梯山を仰ぎ見る様子
あらよっと=広大に広がる猪苗代湖
手をブラブラ=風になびく稲穂
一拍=磐梯山の形
だそうで。
KKの聞きかじりに加え、最近とみに記憶力が衰えたママの又聞きなので、全部あってるかどうかわかりませんが。

でもなんだか、ああ~いい光景だな~~~とかしみじみ思って。
なんかもう、一幅の絵画のようじゃないですか

農家の人が丹精こめた黄金色の稲が重そうに揺れ、向こうには一面広がる真っ青な猪苗代湖、それら広大なすべてを懐に抱いてどっしりと存在する、会津磐梯山。

なんて雄大な光景!
会津磐梯山、まるでガーディアンのごとし。
これを次世代へ守り伝える仕組みになってるなんて素晴らしい

実際にはこのでっかい山のおかげで、夏は暑いし冬は豪雪だし、登山するとなかなか大変だしで、不都合なこともいっぱいあるんでしょうけど。
それでも地元に愛されてるってのはいいですね。

「会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金がなりさがる」

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そういえば昭和って(笑)

世田谷の一件、こう書くと不謹慎ですが面白い事件でしたね
数m四方という極小範囲で飯館村より高い値なのに、そこから離れるととたんに数値が下がる→雨や風でその辺り一帯に降ったものではない
排水溝もある道路より、地上数mの方が値が低い→雨水や何かで堆積したものではない
という状況証拠から、福島由来ではないのは明らかでしたが、まさか昭和時代の遺物だったとは。

そういえば昭和って、今のこの清潔な時代から思えば、まだまだ随所がヤバンだったもんなあ
私の子供の頃(昭和50年代)は、公害がやかましく言われてた頃で、公害病なんてもう過去のものって感じだったけど、それでも「光化学スモッグ警報」とかなつかしく思い出せるし(平気で校庭で遊んでたけど
その頃住んでたのは埼玉・荒川支流付近の社宅でしたが、その川はメタンガスボコボコで、ある日魚の大量死体が流れて来たこともあったわ。アラちゃんとか来たら1分で死ぬだろうみたいな
洪水になると校庭が一面ヘドロでカピカピになってね~、次の日は生徒総出でヘドロレンガを素手で片付けたものよ(しかしバスケットゴールにカエルがひっかかってたのは驚きでした。あの死の川に生息してたとは)
土手によく犬猫を捨てる人がいて、その犬猫が社宅の方まで下りてくることもよくあったけど、悪ガキどもがその犬を「死の川」に投げ捨てたのは今でもトラウマ(さらにどうやって上がって来たのか、川の水でくっさくなったその犬が、つぶらな瞳で再度社宅に現れたのはもう恐怖以外の何物でもなかった
そうそう、「毒入り缶コーラ事件」なんてのも当時ありましたね。公衆電話の「いつ誰が置いたかわからない口の開いた缶コーラ」を、平気で飲んじゃう人が当時はいたというおそるべき事件
夏になると、社宅の壁にはウヨウヨ~っと毛虫たちが這い登り、それを的に子供らが石投げするのも風物詩だったわ。親たちは「はずすな~。当てて殺しなさい」と後ろで笑って観戦してたわね
チェルノブイリが起こったのは高校の頃だったかな?「先生~~雨降って来たからマラソンやめようよ~~ハゲるよ~~」と訴えつつ完走したわ。

口調がついつい昔語りのオバアのようになってしまいましたが 世田谷の事件を見て思い出したのはこんな感じのことでした。
こんな感じだったので、現在の放射能騒ぎも「過剰反応じゃないの?」という思いがどうしてもぬぐえず、「他にもあるんじゃないのか!?怖い」という声を聞いても「そりゃあるでしょう。けっこう平気で暮らしつつ」としか個人的には思えないのでした。
もちろんこれは、個人的な性質から来る、根拠のない思い込みみたいなもんで、危険だと騒ぐ人が「データがないけど危険。つかデータがないから不安」というのと同様「データがないけど安全。つかデータがないから危険とは言えない」という、ベクトルが真逆なだけで実は同じという意見に過ぎません。
ただ個人的には、被災もなかった私ら消費者が、そういう単なる「気分」の問題で、ただでさえ被災して大変な生産者側に「私たちが安心できるようにしろ」と言わんばかりにあれこれ要求をするだけして「それが義務だ」みたいに言うのはね~。どうかと思ってしまうわけです。お客様は神様だとお客様自身が言っちゃうのは恥ずかしくないか?ただサービスを受けるだけなのに、みたいな。
そもそも「暫定基準値が危険だ」ってのも、私には「そうか?」としか思えないですし。門限18時が21時になったからって、そりゃ「危険な可能性」は増えるかもだけど、「門限18時」が絶対安全とも、過保護じゃないとも言い切れない。そもそも昭和の「社会全体的な基準値」なんて上記のように「門限24時」くらいだったかもしれませんしね(と、何でも「昔はこうだったのに」と言うオババを、昔は「わからん奴だ」と思ってたはずなのに
もともと、国内産の安全性より、アメリカ産中国産の値段の安さを重視していた方なので、急に安全志向になれるはずもなく。これはこれで国内農家の皆さんには困ったことでしょうが(と書いて今更のように気がつきました。もともと安全志向で国内産を買っていた人には、ほんとに困った事態だということが

そんなこんなな私としては、何も口出しせず要求せず、ただ生産者側のことは「決して敵とは思わない」というスタンスで見守っていたいな、と思ってたのですが。
「農家の婿」さんのブログを拝見して、「そういや「生産者側の内部被爆」ってのには、まったく思い至らなかったな」と。
私的には、今現在の空間線量(0.いくつ程度)で大騒ぎするのはなんか違和感あるし、「コンクリートなんかに付着して落ちなくなるぞー」と言われても「じゃあホコリで吸い込むことはなくなるから良かったじゃん」としか思えないのですが(空間線量なら、海外とかもっとビックリな町もあるんでしょ?)、農家、特に原発周辺近くの農家の人は、農作業をしている間、線量低い街中を歩くのとは比較にならない量を、直に体内に摂取する可能性があるわけですよね。「あれこれ言われる生産者側はかわいそう」と思っても、実際に農作業したことない私は、それにまったく気づきませんでした。

一消費者としては「消費者のためとかよりまず先に、自分の体のためにできるだけ除染してください」と言いたい気分です。というより「除染できるようシステムを整えてください」とお上に言いたいというか。
それ以外のことは一消費者として、ただ見守っていたいと思います。もちろん、要求し口出しし行動に移す人たちがいたから、ヤバンな昭和時代が終わってくれたのでしょうが、私個人は多少ヤバンに逆戻りしてもOKですなのでただ見守っています。

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運動会も終わり

KKとUの運動会も無事終わって、ほっと一息。
いや~会津の運動会は長い!濃い!
幼稚園はランチ挟んでがっつり午後まで。小学校は地域運動会と合同で、チーム分けはクラスとかじゃなく、町単位。
って、全国的にはけっこう普通??でもパパママ子供時代の運動会も、前いた村上でも、幼稚園は午前で終わり、小学校も各クラス内で赤白に分かれて、町内会とか一切関係なし(あ、でも保護者席は町ごとだったな)だったので、こういう会津形式がけっこう新鮮で「おお~気合入ってるな~。でもおかげで長いな~」と、疲れつつも印象深く。
ちなみに小学校の運動会は、同日開催の小学校が他にもけっこうあって(@幼稚園のママさん情報)、やっぱり地区の運動会を兼ねてるそう。面白いな~。共同体意識ってこういうとこからも育まれるんでしょうね。

そのためでしょうか原発騒ぎのせいでしょうか、たかが小学校運動会の開会式にわざわざ市長が来るのも驚きましたが、さらに渡部恒三までもが挨拶してビックリ
と言っても「渡部恒三!?」と驚いてたのはダンナの方で、私の方は「ええ~~っ!?・・・って誰だっけ?」というテイタラクですが(なんだか民主党のエライ人ですってね)国会議員がわざわざ運動会に出席ってだけで、私的にはかなりの衝撃。
とりあえず「みなしゃ~ん、ワタナベコウゾウです!!!」という「選挙カーか」な肉声を聞けたのが面白かったです(←話聞いてないという)。こ~ゆ~人たちは、たとえ相手が子供の群れだろうと票田だろうと、変わらず街頭演説口調なんですね~。ていうか、街頭演説=子供相手ってことなのかもしれませんが
室井市長サンはLIVE福島で覚えた人ですが、その後会津まつりで馬に乗ってバカ殿みたいに登場したり、さらにその日の夜に行われた鶴ヶ城イベントでも挨拶してるのを知って「市長ってどんだけハードワークなんだ」と、ひそかに好印象な人。しかしまさかうちの小学校だけ出席なんてはずないし、とするとこうして(渡部恒三とともに)市内18校を全部廻るんだろうか?今日なんて他の学校もやってるのに、大変だな~~
というのを裏付けるように「・・・今福島は大変な時期ですが(といった内容)、こうしてギョーニンの皆さんと一緒に頑張って・・・」
行の人?忍の人?つまり行動力と忍耐力ある皆さんと一緒にってこと?いやあまだまだ知らない日本語っていっぱいあるな~
と本気で思ってたら「・・・あっ、○○(←ここの小学校名)の皆さんと一緒に」
ギョーニン小学校のことか~い!! しかしこれで「あっほんとに市内の小学校全部廻るんだ」とわかって恐れ入りました。これからも会津のため福島のために頑張ってください(でも運動会に出なくても差し支えないと思いますが

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幼稚園にて

こないだ、Uの幼稚園で運動会のリハーサルがありました。
こまい子たちが一生懸命何かやってる姿ってのは、無条件に愛らしいもんですね~

中に「保護者が3歳児をおんぶして走る」という競技があり。
当日はもちろん親の出番ですが、この日はリハーサルなので、私らお手伝い要員が、見知らぬ他人様のお子を背中にかっさらって爆走するハメに。
子供も緊張でしょうが、こっちもけっこう緊張するわ~
それでも「よろちくね」などと声をかけると、ニコなんてケナゲに返してくれるのがまたかわいく
そして、ばふっと背負って走り始めると・・・あらっ!軽~~い
昔、特に1人目のKKが3歳の頃なんかは、も~う重くて重くて泣きたくなるくらいだったのにな~。
2人目Uが生まれた時も、大きい子持ちの友達の第一感想が揃って「小さ~~い!」だったのを面白く思ってたけど。
子供ってこんなにもろく、小さいものだったのか~
他人様のお子を背負って初めて、そのもろさを実感しました

そんなリハーサルの中で印象的だった出来事が。
クラス対抗競技みたいなのがあったんですが、一方のクラスにルール違反続出
担任の先生も途中「お約束守らなきゃダメですよ~」と注意しますが、お約束守らない方が明らかに点取れるし、そうなると子供のこと、一人やり始めちゃうとどうしてもね~
Uはもう一方のクラスだったんですが、みんな律儀にお約束守ってて、片方のルール違反ぶりを見ると、私とか「もしかしてUは「バカ正直」ってやつじゃないのか?相手チームは「要領いい」ってことなんじゃないのか?」とか思い始めたりして。
そして結果発表。は当然、要領いいクラスの方が得点数も多く「○○組の勝ち!・・・なんですが~!」とここで担任の先生。
「今回○○組さんは、お約束を守れませんでした!だから今回は、××組さんの勝ち~!○○組さんは気をつけて、本番でもう1回頑張りましょう!」
××組さんUの、大喜びな図といったら
それにしてもさすが幼稚園の先生です。私なんか「場の論理」にきっちり流されてるのに、先生はきっちり教育をしつつ「本番」という救いを残すという、素晴らしい対応
本当の「本番」である世の中も、こんなふうにわかりやすければ、救われる人は大勢出るんでしょうね~。それとも逆に救われない人が大勢出ちゃうのかな??

ともあれ、もうすぐ小学校と幼稚園の運動会が立て続けにやってきますああ~今から既に疲れが。

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超絶どうでもいい雑感

いつにもましてどーでもいい「ウヨサヨ」雑感です
さて小林よしのりの「戦争論」で「自分はサヨクなんだ」と知った私。
それ以来折に触れ「サヨクのどこが悪いのよ!」と思ってたんですが。

私がサヨク体質になったのは、やっぱり「自虐史観」が大きいのかな、とか時々思います。
もっとも、子供の頃から好きな本も灰谷健次郎さんとか松谷みよこさんとかだったし、新聞は朝日、政党は社会党、野球はロッテ(これは関係ないか?)という家庭環境だったりしたので、もともとその素地があったのかもしれませんが。
同世代より高齢な両親だったので、小学校の頃とか授業参観で「「戦争」について話してくれませんか」と親が先生に頼まれるのがちょっぴし誇らしかったり、その頃だったか、ちょうど朝日新聞の「声」欄で「戦争」にまつわる思い出話の連載が始まったりしてこれが子供心にめっぽう面白かったりして、自然、当時「主流」だった(と現在言われる)「自虐史観」にもすんなり馴染み。

と、そういうサヨク体質の私が言うことですからバイアスかかってるかもしれませんけど、少なくとも当時の「自虐史観」って、今まことしやかに語られるような「日本を貶める」とか「軍人をけなす」とか、そんなんじゃなかったと思います。
昭和20~30年以降、戦争が終わった、というか負けたことで「(主に終戦直前の)戦争生活は大変だった」という、それまでタブーだったことが堂々と話されるようになって、「飢えが」「銃後が」「軍隊生活が」「空襲が」「引き揚げが」と、あらゆる面で「大変だった」という体験談がどわ~っと出てきて。
で、そうした「日本人が体験した大変だったこと」というのが出尽くして一段落した頃、「日本は大変だった大変だった言うけど、同時に他の国を大変な目にあわせてたって側面を忘れてないかい?」みたいな視点が出てきたのが、たぶん昭和40~50年代以降じゃないかと。つまり「それまであったのが一段落して(=飽きられて?)新しい視点が出てきた」という、誰の陰謀とかそういうのじゃまったくない、ちょうどそれまでのサヨク言説が飽きられた頃に小林よしのりが出てきたってのと同じような、なんつーか自然の流れみたいなもんだったと思います。
この「新しく出てきた「加害者日本」視点」は、私が「声」欄とか読んだ頃はたぶんまだ出てきたばかりで、一般に広まり始めた時期だったと思うのですが(だから私とかも面白がって読んだんだと思いますが)、今でも「真っ当な考え方だよな」と思います。自分が被害者被害者言ってるばかりじゃ、あまりにも想像不足ってもんでしょうっていう。
そして当時は、出てきたばかりってこともあってか、紋切り型に「軍人は悪かった」とか「中国は被害者だった」とか、そんな感じじゃなかったという実感もあります。軍隊生活のしんどさとか、(A級はともかく)BC級戦犯やシベリア抑留兵などへの同情とか、そういうのはまず大前提としてあったし、中国引き揚げも「関東軍なんじゃそら」ってのと同時に、中国現地民への恐怖も語られていた。ただしそこに「でも現地民がそうなるのも、無理はないという事情もあったとも言える」という視点がつけくわえられた、というだけです。これは決して「満州開拓民がそういう目に会うのは当たり前だから甘んじろ」ってのとは違うんですよね~。そんなこんな含めて、それが「先の戦争が描き出した姿」だったという。
しかし、私が子供の頃に出会ったそうした「新しい視点」は、時を経るほどどんどん贅肉がついて、行き過ぎて、そして紋切り型になって、「姿」じゃなく「イデオロギー」を伝えるものになってしまったんでしょうか?確かに「戦争反対」というイデオロギーは大切だと思いますけど、というか私自身そういうイデオロギー持ってますけど。でも少なくとも、小林よしのりとかが言うような「日本のために戦った軍人を悪く言い、日本よりも中国の方が大事だと言うのが、反日・自虐史観」ってのは、私の実感では違うと思いますよ~。満州帰りの戦中派だった私の父ことじーちゃんも、戦争反対で右翼嫌いだったけど、本間中将とか昔の日本とか、ある種の思慕・敬愛を持ってたと思いますし。もし本当によしりんが言うような教育がなされていたのだとしたら、それは時を経たあまり前提を忘れて「先の戦争が描き出した姿」が変わってしまったんだと思うし、その後に反動でネトウヨが大量発生するのも無理はないと思います。

で、なんでこんなことを書いてるかと言うと、やっぱり原発事故なんです。
私、「サヨク=「加害者としての自分」ってのを視野に入れる」もんだと思ってたんですよね~。
そういう視点がどっかにあれば、簡単に「自分は正しい」なんて言えない。そう言えないところから出発しようぜみたいな考え方が、例えば「自虐史観」になったり、あるいは(「被害者の人権」てのはみんな考えるから)「加害者の人権」に寄り添う立場になってみたり、「差別的発言」ってのがもうたまらなく嫌だったり、「共存」ってのがなんだか好きな言葉だったり、みたいなとこに現れてくる。
これが「優等生的なきれいごと」ってのもよくわかるんですけどね。ちょっと突くと矛盾が吹き出てきますし(ま、矛盾を内包しない考え方の方が、逆に怖いとも言えますけど)。

で、原発事故に当てはめた場合、私は思ってたんですね。福島擁護に回るのはサヨクの方だろうと。
どっかで「加害者意識」を感じないと、バランスが取れなくて落ち着かないサヨク体質だと、「福島で東電の原発事故」と聞けば(まるで「戦時中は日本のために中国に迷惑かけて申し訳ない」と思ってしまうように)「自分たちが使う電力のために、福島に迷惑かけて申し訳ない」というのがまず来てしまうし、そういう「自分たちがやってることは正しいとは言えない」という感覚が出発点にあれば、原発事故をモロにくらって生活に打撃を受けた生産者側に対して、「毒をこっちに持ちこむな」なんて口が裂けても主張できない、「こっちのせいで申し訳ないことになってしまったんだから、何とか共闘しよう」という方向に行くか、せいぜい「まあしょうがないな。自分の生活をかけて加害者になるのはお互い様だから、お互い文句は言えないね」と、なるようになるのを見守るくらいで、少なくとも鬼の首取ったように迷惑迷惑騒ぐことだけは、体質的にできないだろうと。
今自分が福島県民だから福島をかばいたくてそう思うのかな?いや、私はたとえ東京にいても新潟にいても、こう思ってたと思います。もうなんてか、そういう「思考回路」「体質」だから。
サヨクの言うことが優等生的キレイゴトであるゆえんは、「誰もが弱者であって悪者ではない」って点ですから(と思いますから)。困ってる人はもうそれだけで批判対象からはずれてしまう(=てことは、ほとんどの人が批判対象から外れる)はずなんですよね。
実際、ネトウヨが「サヨク」として忌み嫌うマスコミなんかは、基本こういう「みんなで助け合おう」なスタンスですよね。「首都圏の電気のために福島が」って言葉も、何度か聞きましたもん。

しかし、ネットで勢いよく福島を擁護するのはネトウヨ系が多いんですね~私にとってはかなーり意外なことに。
なんでネトウヨかと言うと、言葉の選び方とかがネトウヨ独特だったりするから(もっとも反対側も同じなので、なんとも言えませんが)。ま要は「ウヨク」方面の考え方がしっくりくるって人たちでしょうか。「正義」とか「義務」とか「真善美」とか言いながら、実際はそれを方便にした差別が大好きで、弱者を見たらさらに引きずりおろさずにはいられない人たち
と思ってたんで、そういう人たちが今回の原発事故に際して、「福島は同じ日本人。だから救う義務がある」「「野菜が怖い、自分が助かりたい」なんて感情は捨て去るべき臆病なエゴ」という感じで、擁護にまわるのを見ると、「真善美とか口だけじゃなかったんだ」と、かな~り意外で「見損なってましたごめんなさい」と若干反省(これは今自分が福島県民だからだと思います。他県民だったら、そのありがたさより、その「純粋な動機がはらむ危険性がこわいのよ」とか思うかも)

翻ってサヨクはこういう時、弱いですね~。「野菜が怖い、自分が助かりたい」という人を「エゴだ」なんてバッサリ切り捨てられないですもん。むしろ「エゴのどこが悪いのか。当たり前じゃないか」と、どうしても一方で擁護したくなる。「当たり前だから、そう思うみんなが助かるような道を見つけたいんじゃないか」と思うんだけど、その道を見つけるのが困難で、結果的に「どっちの味方なんだ」とか「結局キレイゴトでおしまいじゃないか」になってしまう、情けないことに。

「反原発」も、元はと言えば「みんなで助かろうぜ」という気持ちから出たものです。だから昔、忌野清志朗が反原発ソングを歌って東電(というか東芝EMI)から発禁食らった時、渋谷陽一は「原発反対なんてテーマには断固反対、そんなのロックじゃない、だって事故になったら放射能浴びて死のうぜってのがロックでしょ!?」とロングインタビューでからんだんですし(「権力に反抗する」てのがロックだと思ってた私は、そのぶっ飛んだ「ロックな言葉」に目からウロコ)、その「みんなで助かろう」は「戦争反対」と同じ根っこから出発してます。そしてその「戦争反対」は「だって殺し殺されるなんてヤでしょう」っていう、それこそ当たり前なとこから出発してる。
だから「サヨク」で「戦争反対」な私なんかは、このご時勢だしもう絶対に「反原発」のデモにでも参加するところなんでしょうが・・・しかし、なぜか参加する気になれない、違和感があるんですね~。大江健三郎とか、あの沖縄の時なんかは、もうまったく「がんばれ」としか思えなかったし、今でもそれは変わらないですけど。
なのに、なぜかあの反原発デモには乗り切れない自分が。そう、例えれば「ウヨクはバッサリ切り捨てられていいね。私はどうしてもそんなにバッサリどっちかにつけないわ」というのと同じような気分、その「屈託なさ」にどっかついていけなさを感じるような。

しつこいですが私は「9条って素晴らしい理念だよな~」と本気で思ってる「戦争反対」派だし、あの沖縄戦の集団自決は「皇民化教育」てのがかなりの影響を与えたと思ってるし、個々の隊長には若かったり置かれた立場だったりで同情すべき点は多々あるから「悪魔だ」みたいには思わないけど(むしろ自分と変わらない人間がそういう立場に立たされてしまうってのがこわいところだと)、やっぱり「守るべき住民が死んで軍人である自分の方が生き残ってしまった」という、いわば「過失致死」という「結果責任」だけはやっぱりあると思うし(上記のように「情状酌量」の思いはヒシヒシとありますが、「過失致死だけど情状酌量につき無罪」てのと「まったく事故とは無関係な無罪」ってのは、結果は同じでもまったく違いますから)、「皇民化教育」てのも同じだと思います。素晴らしいものに行き着く教育でもあるけれど、怖さもある。そういう認識を持てたのが、あの犠牲を経たからこその「成長」じゃないかと。その点は今の「原発」に対する思いともまったく同じです。

ですが、そんな「筋金入りの(?)戦争反対」な私は、そこから「沖縄の基地反対」へはすっと行けないんですね。なぜかと言うと、同時に「そんなひどい「基地」と一緒に生きている街があり人がある。そして私はなんだかそういう町が好きだ」という感情の方が、「基地反対」という感情より強いから。
「戦争反対」が「基地反対」に行くのはよ~~~くわかります。でも、もしも「共存」という意識が「戦争」をなくすものならば、「基地と共存」という「敵すら味方であらざるを得ない」というスタンス、強さこそ「戦争」からもっとも遠いものなのでは、とかと思ったりして。
いや実際は、色々な歴史や事情があってそうなってるだけで、別にコザの町とかが「戦争反対イデオロギー」でそうなってるわけじゃ決してないです。でもそういう「事情」を考えるにつけ、すっぱり割り切って「基地反対」を叫べない、というのも自分の中でまた確かなもので。
「基地反対」を叫びながら、なおかつ基地と共存している町を切り捨てないようになれれば一番いいんだろうけど、それは「みんなが助かろうぜ」という道を探す困難さと同様、私にはとっても難しくて(だからって「基地賛成」なんてのもとっても言えないですよ。それとは違うんだけど、でも・・・という忸怩たる思い)
加えて「基地の人間を鬼畜米英みたいに見たくない」という、これまたキレイゴトながらしかし本心、という思いもあるんですね。たぶん「加害者の人権」を重視するサヨク体質が、多分にそう思わせるんでしょうけど。「基地反対」を叫びながら、その基地にいる人間のことは切り捨てないというのも頑張ればできるんだろうけど、「基地反対」の思いが強くなればなるほど、彼らを「鬼畜米英」として見る思いも私は強くなりそうで、それがどうにも。
それもこれも「極力敵を作りたくない」という「戦争嫌い」体質がなせるわざなんですけど、現実の前にはやっぱり「キレイゴト」で「どっちの味方なんだ」になってしまうんでしょね。思いは同じなのに。

というわけで、「反原発を叫ぶ」のが「福島に残って頑張る」という人を切り捨てる、あるいは追い詰めるのと同じになるんじゃないか?と私には思えてしまって。「原発とか放射能とかほんとカンベンなんだけど」と、福島に残っている人こそ一番思ってるんですけどね(当たり前ですね。実際にそこに住んでるんですから)、なぜか遠い場所で騒ぎが大きくなればなるほど、そこに住んでいる人を追い詰める結果になるような気がするのは、私の気のせいでしょうか??どうしたらそうならずに済むんだろ??
それと同時に、東電もね。どうしても「鬼畜米英」みたいに「敵」とするには違和感がある。もちろん「過失致死」の罪はあると思いますよ。だから被災した人にはできる限り誠意を持って、補償をきちんとしてほしい。ただそれとは別に、東電個々の人に対しては「情状酌量」の思いも、やっぱり同じくらいあります。沖縄集団自決の個々の隊長みたいな、あるいはたまたま沖縄の基地に配属されたアメリカ田舎のあんちゃんみたいな立場になっちゃったね~大変だね~という(人ごとみたいな言い方ですが、住民の大変さ気の毒さとはまた別に「気の毒」とほんとに思います)。だからこそ、誠意を持ってあたってほしいと。ってエラそうに望みすぎですかね?私たちがこの立場に立たされたら、という時のお手本になってほしいというのは。

ああ~~取り留めなく書きなぐってたら収拾不可能に
この原発騒ぎで、ウヨサヨはそれぞれどういう立場にたってるんだろう、あの「首都圏にガレキ受け入れ反対」と言ってるのは、果たしてサヨクなのかどうなのかとか考えてたんですが、よくわかりませんでした。でもど~~もウヨクではなさそうだってのが、サヨクとしてはほんとガッカリっていうか(ウヨクの皆さんごめんなさいね~)
ともあれ今回福島に来てやっと「サヨク的キレイゴトの限界・卑怯」とか「サヨクが枝分かれして対立していく構造」なんてのが、実感として一部わかったような気もします。気分はほんと、優しいこと言ってるくせに自分の息子一人も救えないアムロ・レイの母です(そして「虫も殺せない子だったのに」と泣いて突っ立ってるだけという

しかし世の中、ウヨサヨなんて関係なく、捨てたもんでもなくて。
昨日の「報道ステーション」でも、毎日夕方やってる福島ローカルTVでも、「福島の出店や観光地にお客さんがいっぱい来てくれた」というありがたいニュースが流れていました。お客さんのおばちゃんとか、ほんと素朴に「頑張ってという気持ちでね、来ました」みたいな。
最終的に人を救うのは(逆に人を苦しめるのも)、きっとウヨサヨとかとは別次元のところにあるものですね、とわかりきったような結論で〆。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

会津は日本の雛形か!?

ってやたら大上段から構えたタイトルですが。
単にこないだ会津まつりで「トミーフード」を見ての思いつきなんですけど

「トミーフード」に「懐かしの味・ミートやきそば」ってのがあったんですが。
これは「イタリアンじゃないのか~!?どっちが本家なんだ~!?」と、新潟人ならおそらく過半数がつっこむと思われる一品。
で、食べ比べる前に事前調査(=単にネットで検索)してみたら、やっぱりそれを調査した方のブログがあって、それによるとど~~も新潟の方が本家らしいぞ、と。
ちなみに「会津村」その他では「会津の味・カレーやきそば」などのノボリも見かけますが、これも「新潟のイタリアン」の流れを汲むものらしく。

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新潟関連ではもう1個、春の鶴ヶ城で見かけた驚愕の看板が。

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「笹団子は新潟のソウルフードじゃないのか~!?どっちが本家なんだ~!?」
と、これまた新潟人なら叫ぶであろう看板ですが、wikiなんかを見ると、どうも会津まつりにもいた新潟出身・上杉景勝が会津に持ち込んだのではと言われるとか言われないとか。なるほど~なんだか納得。

あるいは、会津の町を歩くと「会津ラーメン」(てのがまた、喜多方ラーメンとどこが違うのか素人にはイマイチ判別不可能)のノボリや看板とともによく見かける「会津名物・ソースカツ丼」

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カツ丼と言えば卵とじ派な私には、「確かに珍しいな~。でも福井にもあった気がするな~」
で、またまたネットで検索してみたら、福井だけじゃなく、色んな地域が「ご当地」として名乗りを上げているらしく。
まるで新潟における「ぽっぽ焼きvs.蒸気パン」や「セイヒョーvs.ダイイチのもも太郎」みたいに、どーでもいい熱いバトルになっているらしいのが面白いです
wikiで見た限りでは、どうも発祥・早稲田→福井→その他というラインが濃厚なのですが、その中に「(会津は)「ソースカツ丼に最初にキャベツを入れた町」として、店舗が伝統会津ソースカツ丼の会を結成し、町おこしをしている」という一節が!
「会津は歴史のある町」「白虎隊精神(=ならぬことはならぬ)が息づく町」とかはよく聞くけど「最初にキャベツを入れた町」って、ああ~~会津のイメージがガラガラと~ いやこういうどーでもいい情熱、好きですけどね(しかしどういう経緯で会津に伝わったかは不明)

他にも、ひそかな「会津名物」として忘れちゃならないのが「カツギョーザ」

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単なる揚げ餃子かと思ったらさにあらず!見かけはトンカツ。しかし齧ると、しゃぶしゃぶのように薄~い肉にギョーザの具が包まれているという、まさに「カツギョーザ」。ギョーザ好きにはたまらん一品
食べるたびに「果たして正解はトンカツソースか?それともやっぱり醤油がベストか?青じそポン酢も捨てがたい」と悩ましいのも味わいが増します
会津に来て初めて「カツギョーザ」を知った私、「なるほどこれは「会津名物」だ」と信じてたのですが、これまたネットで検索してみると、なんだか「栃木県」にヒット多数。
栃木と言えば、ご存知「餃子の町・宇都宮」を有する県。う~~むこれはやはり、隣県・栃木から伝わって「会津名物」になったってのが真相か??

というわけで、主にB級グルメに関する限り「会津名物」=「よその名物を自分とこのって言ってないか?」という疑惑が今んとこぬぐえないのですが
しかしこれは別な言い方をすれば「柔軟性があって進取の気性がある」ってことでもありますね。
一概に「何これヘン」とか「うちには合わないよ」なんて決め付けず、いいと思ったらどんどん取り入れてしまうという。

ここで面白いのが、だからと言って土地柄も柔軟で「OKOK細かいこた気にすんなガーハッハ」みたいにあけっぴろげかというと決してそうでもない、むしろ逆ということです。
俗に「会津の三泣き」と言われるほど、進取の気性どころかそう簡単に他所を受け入れない性質ってことに、公称ではなってるようで(もっともこれは昔のことって気がします。今は観光地なので余所者にも慣れているし、学校や幼稚園でもママさんがた皆さんそんなに固まってないですしね)。
この性質はやっぱり、山に囲まれた盆地ゆえだったんでしょうかね~?領主が変わったり、旅人が訪れたりして「文物」としての異文化は来ても、山という天然の城壁に守られたおかげで、本質的な(それは往々にして「外敵」という形を取って現れる)異文化との接触はなく、自分たちの文化・生活を長らく保ってきたゆえの。

あら?こういう場所、なんだか知っているような気がするわ。

海に守られたおかげで、異民族支配の副産物ではなく「文物」としてやってきた、仏教や文字、車などその時代時代の最新技術。
それら異国の文化を、いいと思えばどんどん取り入れ、さらには独自のアレンジまで加えてしまい(まるでソースカツ丼のキャベツのように?)、ついには「自国ブランド」として逆輸出するほど自分のものにできてしまう、柔軟な進取の気性。
かと思えば、海に守られたゆえの「島国根性」と揶揄されるほど、時に閉鎖的で余所者をうけつけず、しかしいったん懐に入ってしまえば、「会津の三泣き」のごとく心地よい。というのもその閉鎖性は、単に穏やかで遠慮深い性質から来るだけのものなので他意はなく、「俺が俺が」とガンガン行くより和を重視するという、長年の生活の知恵の裏返しでもあるから。
そう、まさに「日本」そのもの!?

こうした性質は良し悪しでしょうが、個人的にはこういう「日本」のイメージ、とっても好きなんですよね~
ルールや理念よりも合意を重視して、穏やかでありつつ融通無碍、変幻自在なのにどっか独特な個性とポリシーがある。
まるで、水が海になり雲になり雪になっても、水は水であるがごとく(?)
「日本オリジン」にこだわるあまり、排他的・独善的になったりする国粋主義とはまったく逆の意味で、こういう「優しい日本人」像、好きだわ~。あくまでも像、イメージですけど。
「会津名物」笹団子やカツギョーザに、会津の歴史や地勢や友好関係といった、「会津そのもの」が現れているように、「何でも受け入れる雑多な日本」の中にこそ、真の日本の姿が浮かび上がる!?

もっとも「「日本」を失っても日本人は日本人たりうるか」という壮大なテーマを描いた「日本沈没」その「第二部」では「日本を愛するように他の国を愛する。それは実体験として他国を知らないからだ。だからそうした理想を語ることが出来る」と、コスモポリタンに対して、自らは決してそうはなれないと悟るナショナリストが痛切に語っていますが。

はっ気づけばミート焼きそばから何千光年もへだたってしまいました
こういう焼きそばみたいな各論1コからできた総論てのは、たいてい「大風呂敷」以外の何物でもないので、あんまし気にしないでくださいね
ともあれ、引っ越してきて早半年になる会津は、相変わらず興味深いものがテンコモリ、見所いっぱいの好きな町です

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会津まつり

行ってきました会津まつり!というか「会津藩公行列」!

会津まつりは、戊辰戦争で会津が降伏した9/22から3日間行われます(お祭り的にはいい時期に降伏したな~と
今年22日の提灯行列は、台風の影響により残念ながら中止。その後に行われる「会津磐梯山踊り」は無事開催。
そして23日がメインイベント・先人感謝祭と藩公行列です!
感謝祭&出陣式が行われる鶴ヶ城入り口は、朝9時ごろから人がボチボチと。
お城を出た行列は11時頃、神明通りに到着、午後からは中央通りから七日町の方へ廻ってお城での帰陣式へ向かいます。

私たちは新潟のジジババも来てくれるので、いい場所で見ようと有料観覧席を予約済み
観覧席は1人千円で、お城での出陣式・神明通りのリオンドール前・中央通りの公園前にそれぞれ用意されていました。
行列は、要所要所で剣舞など、ただ通り過ぎるだけではない催しがあり、これを見たいなら上記の場所で場所取り必須!しかし今イチ場所がわからない私たちは、楽して観覧席から眺めようと。
時間的に中央通りがいいかなと、数週間前、6名分予約しに行ったら「残り5席しかなくて・・・」
あっじゃあパパママは近くで立ち見にしようかな、と思う間もなく「席を追加しますので、用意できたら後日チケットを郵送します」って、なんてフレキシブルな
有料観覧席は今年始まった試みだそうで、色々試行錯誤している段階ゆえの柔軟な対応だったのかもしれませんね。いずれにせよ、無事に席が取れて一安心でした~

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↑有料観覧席を申し込むと、当日こんなお土産がもらえます

当日はあちこち時間差で通行止めなので駐車場への行き方がよくわからず、到着した時には最初のプログラム・白虎隊剣舞は終わった後 
目指すポイントの沿道はもちろんギッシリですが、私たちの席はしっかり空席 後から来てサラッと1列目に座って「ここおいくらなんですか?千円?千円ならね~これもいいわね~」などと後ろのおばさんにうらやましがられ(?)ながら、いよいよ初・行列見物です♪(ちなみに椅子席なので、後ろの人のジャマにはなってない・・・と思います

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ちょうど火縄銃の実演を行っているところでした。
目の前で撃つので、かなりの迫力です!!音がすごいんですよね~

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その間、沿道に控えているこの人たちが気になってたんですが↓

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お次の出番がこの人たちでした。
白熊&洋装の官軍vs.着物姿でなぎなた&刀の会津藩士(?)による殺陣演武です!
これが見たかったのよね~♪

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官軍全滅!歴史は塗り替えられた(!?)

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この「リメンバー・パールハーバー」ぶりが、なんともツボで
いや実際、帝のために人一倍頑張ってたのに、何でよりによってこっちが朝敵扱い!?何でこんなに殺されなきゃなんないの!?と、生粋の会津人じゃなくても素朴に思うくらいですからね~。せめてお祭りでこれくらいしても無理はないと思います~

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ここまでは前フリ。
かわいい赤べえパトカーが先導して、いよいよ藩公行列がやってきます!
(長くなりそうなので、続きは次回へ)

テーマ : ちょっとおでかけ - ジャンル : 旅行

会津藩公行列

いよいよ会津藩公行列の始まりです。
両側の旗を持ってるのは、確か今年の白虎隊を務める第一中学と大熊町の子だったかな?(うろ覚え)

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最初の行列は「会津藩・奴隊」
先頭で行列を盛り上げます。

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人数が多いので迫力あります!
半数が女の子なのも驚き

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続いていよいよ、歴代城主の旗が。
鎌倉時代から300年以上、会津を治めた「葦名」
葦名を破って会津入りした、独眼竜「伊達」
現代に至る城下町・会津の基礎を築いた、戦国の名将「蒲生」
上杉謙信の甥っ子で、新潟からやってきた「上杉」
この後、関が原で負けた上杉に代わって再度蒲生氏になりますが、その蒲生氏から会津を引き継いだ「加藤」
そしてついに、徳川2代将軍秀忠の息子にして3代将軍家光の異母弟である「保科」
保科正之の子孫であり、親藩・御家紋であった「松平」
・・・と、そうそうたるメンバーです

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これが、小室哲哉作曲「天と地と(炎)」の切なくも力強いサントラに乗って、ジャンジャジャジャジャンジャン・ジャジャジャジャンと登場するところを想像してみてください!も~~ゾクゾクするほどカッコいいったら
以下この音楽がエンドレスで流れつつ、次は「蒲生公時代」行列です。

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「日野町・手作り甲冑事業委員会」と「YOROI工房あいづ」の皆さんです。
金ぴかの鎧で歩いているのが、蒲生氏郷公。
滋賀県の日野町は、蒲生氏郷の生まれ故郷だそうで、氏郷公に扮しているのも「日野町・手作り甲冑事業委員会」の副委員長さんです。
会津に縁のある色々な地域の方々が、こうして参加してともに行列を形作ってくださるのが、会津まつりの素晴らしい特徴

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間近で大量の鎧を見る機会なんてないので、ただただ目を奪われ。
あれ?直江兼続もいますね
次は、会津総合病院・野球部と、オリジナルソフトボールクラブによる「保科公時代」です。

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23年9月現在、鶴ヶ城の季節展示は「保科正之」、城内には「保科公を大河ドラマにしよう(=会津の観光客を増やそう)」との署名募集案内などもありましたが、もう「お江」やっちゃったから、当分大河には出ないだろうな お江にとっては憎い愛人の子供なのが残念ですね
先頭の馬に乗ってるのは、保科正之が養子に行った保科家当主=高遠藩初代藩主の保科正光です。保科正之の義理のお父さんですね。
高遠藩は現在の長野県伊那市ということで、伊那市の副市長さんが扮しておられます。

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マツケンサンバのようなこちらの人↓が、会津の城主・保科正之=会津若松市長です。
「LIVE福島in鶴ヶ城」でのノリノリ姿は、今も忘れられません

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続いて腰元がズラリと。
いよいよお姫様の登場です。

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保科正之の正室・菊姫と、そのご一行。
今年は第一中学の、主に生徒会役員さんたちです。
菊姫以下お腰元たちは、毎年市内中学校の持ち回りで、白虎隊士役と共にその任に当たるのですが、在学中に廻ってくるかどうかは運なので、当たると親子ともどもかなりうれしいとは、KKの小学校ママさん談。
確かに、お姫様役なんかに当たったら、もう一生の思い出ですよね~(それにはまず生徒会役員に選ばれなきゃだけど

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続いて「松平公時代」
ここからは新撰組や白虎隊をはじめ、幕末~戊辰戦争をともに戦ったチームが続々出てきます。

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まずは「横須賀開国甲冑隊」。
馬に乗っているのが、浦賀奉行・戸田伊豆守。「横須賀開国甲冑隊」の隊長さんが扮しておられます。
浦賀は、外国船が姿を現すようになった江戸後期、後に浦賀奉行にその任が移るまで、会津から移住してきた多数の藩士によって警備されていたそうです。
横須賀市では、そうした彼ら「会津藩士の墓」を、市の指定史跡として保存してくださっているそうで、ありがたいですね~

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この「横須賀開国甲冑隊」は、人数も多く見た目派手でよかったです
明らかに間違っている人も混じってますけど↓

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ジャックスパロウの後ろにいた人も、若干間違ってるな~。
だって頭に矢が突き刺さってるんですもん

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「矢が刺さってる~」と言いながらカメラを向けると「頭がイテーんだ」とか言いながらポーズを取ってくれて
カッコよくてサービス精神も旺盛という、ナイスな「横須賀開国甲冑隊」でした

次は、桑名市観光協会による「京都所司代」です。

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馬に乗っているのは、桑名藩主・松平定敬。
最後の会津藩主・松平容保の実弟で、京都守護職の兄を助けるべく、京都所司代に任命されました。
三重県桑名市観光協会の青年部長さんが扮しておられます。

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会津藩と共に新政府軍から疎まれていた桑名藩。
松平定敬は、戊辰戦争時には会津から函館まで転戦しました。
「桑名藩主・松平定敬公、兄のために馳せ参じられた~~~」みたいな口上を、沿道のナレーターが思い入れたっぷりに述べていたような(うろ覚え
「エイエイオー」「いざ、しゅっぱ~~~つ!」これが、しつこいですが「天と地と(の中のおそらく「炎」)」の音楽に包まれた中でやられるともうね、たまりません

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お次は「待ってました」の(?)新撰組。
故郷・東京都日野市からの一団です。

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馬に乗っているのが、洋装の土方歳三。
近藤勇亡き後、いっとき会津・東山温泉に滞在していたそうです。

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会津に引っ越してくるまで、土方が会津に来たなんてことはもちろん、新撰組が「会津藩(=京都守護職)お預かり」なんて肩書きだったこともまったく知らなかった私 そもそも新撰組自体「有名だけどなんで?」程度のシンパシーという
なので、この大人数を見ると「やっぱり人気あるんだな~」と思うとともに「こんな人気グループと縁があって会津ラッキー」とか思ってしまいます(でも「会津藩が目の敵にされたのは、京都守護職で新撰組とかが薩長あたりの志士をバシバシ取り締まったからだ」とも言いますから、ビミョ~なとこですが)

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そして女子率が高い
私の場合「新撰組」と聞くと「のぼってこい、のぼってこいヤス!!」「銀ちゃん・・・カッコイイ・・・」とかがまず思い浮かぶんですが(あるいは「マヨラーの土方」とか)、彼女たちが思い浮かべている「新撰組」はきっと違うんだろうなあ(てか「鎌田行進曲」や「銀魂」を思い浮かべる方が間違ってる気もしますが

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次は「斗南藩」
斗南藩とは現在の青森県、戊辰戦争で負けた会津松平家及び会津藩士たちが、会津の地を追われて移住した場所です。
当時の斗南藩での生活はか~な~り過酷だったそうで、元家老の息子が留学先から「ハラヘッタ」と実家に手紙を書いたら「斗南藩では皆そりゃもう苦しい生活をしているというのにお前ときたら」みたいな返事が母から返ってきて、なんだかんだあって切腹してしまったという少年のエピソードなんかもあります(真偽は不明ですが)

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馬に乗っているのが、最後の会津藩主・松平容保の息子にして、初代斗南藩主・松平容大。
むつ青年会議所の理事長さんです。
会津はもちろん、斗南藩なんてのもまったく知らなかった私ですが、ここら辺のことは昔の大河ドラマ「獅子の時代」でも取り上げられていたそうですね。
ええ~~「獅子の時代」見てた~~!!オープニング曲と菅原文太が大好きだったのよね~~~
でも会津の話だったなんてまったく知らなかったな~(何見てたんだか)小学生時代にタイムスリップしたつもりで、もう一度見てみるか。

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次は会津藩のオッサン部隊・・・じゃなくて「朱雀隊」&「青龍隊」です。

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会津の部隊が「白虎」以外にも「朱雀」「青龍」「玄武」とあったなんて、ご存知でしたか!?え?常識?
私はちーとも知らなかったんですが、こないだKKに教わりました なんでも学校で習ったそうで(「白虎隊の死体を最初に見つけたのは盗賊だったんだって」とか)さすが会津!
4つの部隊は年齢で別れていて、白虎隊が16~17歳、朱雀隊18~35歳、青龍隊36~49歳、50歳以上が玄武隊だそう。

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朱雀隊に扮するは富士通系列の会津若松工場、青龍隊は日本テキサス・インスツルメンツ系列会津若松工場の皆さんです。
中でも一際きらびやかな衣装を着て歩いているのは、越後口隊総督(朱雀隊)と、日光口隊総督(青龍)。
それぞれの工場長が務めています。

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この両隊の引く大砲が、会津まつりの見せ場のひとつ。
各総督の号令に従い、大砲発射!
その迫力には思わず「うお~~!」と声が出ます

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興奮冷めやらぬ路上に、満を持して現れたのは白虎隊!
「白虎一番隊&二番隊」が行進してきました。

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原発事故で、会津に避難してきた大熊町の中学生たちです。
「大熊町立大熊中学校」の旗が力強くはためいていました。
沿道からの拍手も、この時はひときわ大きく

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大熊中学校は現在、鶴ヶ城近くの建物に「会津若松分校」という形で置かれています。
大熊町は原発最前線につき、町全体で避難を余儀なくされている場所です。
今回の参加者は大熊中学のごく一部ですが、それでもこの人数の多さに、改めて事故の重大さを思わせられます。
しかし同時に、町ぐるみの避難だったために、学校や町役場など共同体としての機能が保持できたことは、大変な中にもわずかに「良かった」と言えることかもしれない、などと思ったり。

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ともあれこれが、会津生活での良い思い出の1つになってくれれば、ほんとにうれしいです
沿道の拍手も鳴り止まず

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続いていよいよ「本陣」、会津松平家ご当主などが登場しますが、長くなったので続きは次回へ!

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