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ネカフェよいとこ一度行ったらやめよう

いまだKKのお友達が遊びに来ないため、ヒマをもてあましている私たち。
鶴ヶ城はさすがに行き飽きたということで(すでに5回くらい行ってる)、このごろは「会津武家屋敷」や「日新館」などにも足を運んでみました。
これももう今すぐにでもレポしたいのですが、うちにネットが接続されるのは5月半ば。引越し前に「震災の影響で、何ヶ月先になるか・・・」と福島のNTTに言われていたので覚悟はしてましたが、案の定時間かかるというか、1ヶ月ちょいで復旧できるのは幸いというか。

しかし1ヶ月以上ネットなしだと、いや~何かと不便なもんですね。
おでかけスポットを検索してぱぱっと行ってみたり、この機会に読んでみたかった本をアマゾンでまとめ買いしたり、なんかが全部パー。引越し前に「銀魂」をyoutubeで全部録画しといたダンナは、先見の明がありました

というわけでこのブログ、前回と今回はネットカフェで更新しています。
はばかりながらオバチャンこの年にして、ネカフェ初体験!!はっずかし~~~いややっぱネカフェなんて、ちゃんとしたオバチャンが来るとこじゃねーよという偏見があるのでね~なのに来ちゃってごめんなさいね~(←誰に謝罪?)
で、来てみたら、けっこう設備いいんですね~~ どこもピッカピカでうちよりキレイなくらいだし、椅子はソファで座り心地いいし、BGMはジャズみたいなのがかかってるし、ドリンクバーはタダだし。しかも各種シロップがスタバより豊富に置いてあったりして(←カフェモカに、ここぞとばかりキャラメルシロップとチョコシロップとアーモンドシロップとシナモンを入れてみたバカ)。なんかそこはかとなくスタイリッシュな雰囲気まであったり。

こんなにキレイでオシャレっぽいのに、どっかビンボくさいのはなぜなんでしょね。「ゴージャスなカラオケ屋さん」とか「ピカピカの巨大仏」にも似た違和感が全体的に。不思議だ~。マンガとか週刊誌が並んでるせい?

というわけで、今後はちゃんとしたオバチャンになるべく、5月半ばまで更新はしないと思います。しないんじゃないかな。まちょっとは・・・って、関白宣言みたいにズルズルとネカフェに通っちゃダメだー自分ー!
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テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

引っ越しました~♪

福島県民になりました~♪
ブログタイトル「瑞穂の国」は、コシヒカリがたなびく新潟をイメージしてつけたのですが、ま、でも「日本」の意味もあるし、いっか♪今後は福島情報も多くなると思いますが、どうぞよろしくお願いします。

引越し先は白虎隊のお膝元です。
ここは福島の中でも原発からは遠い地域、また県中部の郡山などより地震の被害も比較的少なかったせいか、最初は「この時期によりによって福島入り!?だ、大丈夫かしら!?!?」と心配していた町は、至って普通で、何でも売ってて驚きました。納豆やヨーグルトなんかは、新潟より多い感じ。

そう、ジャスプラしかない村上から来ると、会津って何でもある、大都会なんです!(とこちらの人に言って笑われました
いやだってほんとに、タリーズはあるしユニクロはあるし、かっぱ寿司は2軒もあるし、どこ行ってもツタヤと大きいスーパーはあるし、しかもスーパーにはセルフレジがあるし・・・って言えば言うほど、どんだけ村上は田舎だったのかって話になりそうですが。いや村上いいとこでしたよ。とってつけたような言い方ですがほんといいとこでした。人もいいし、城下町の雰囲気もあって。

そういう点では、会津もいいですね~~♪もちろん城下町の雰囲気はあるし、その規模がさらに大きくて、さらにお店もいっぱい。七日町のあたりなんか、もう一目ぼれです。当分、飽かずに町歩きしてしまいそう。
もともとが「昔栄えていて、今それが落ち着いた町」ってのが好きな性分なので、会津は今のところ、まさにジャストフィット。いいところに引っ越して来れてよかったな~というのが、現在の第一印象です。

ただ、いろんな手続きのために市役所なんかに行くと「被爆テストはこちらです」とか「○○町災害対策本部」なんかの看板がどどんとあったり、銀行に行くと被災してきた方が相談してたり、転校手続きや転校先の学校でも、避難してきたご家族が大勢いたりと、新潟ではあまり身近ではなかった今回の災害が、こちらではやっぱり新潟より身近で、胸に何か詰まったような気分になることは、やっぱり新潟より多い気はします。避難場所に指定された施設の前をよく通ることもあって、「この運命の差は何なのだ」とかね、やっぱりちょっと思ってしまいます。「死」と「生」みたいに、それは誰にでも起こりうる紙一重のことなのに、こっち側にいるとどっか決定的に遠い、そういう、「どう受け止めていいかわからない」みたいなジレンマが、新潟にいるときより身近というか。

福島在住にとって目下「身近な現実」といえば放射能汚染ですが、これはもう、会津にいるとジレンマなしで「遠い」です。もちろん、避難してきた方とお話しする機会なんかがあったりすると「大変だなあ」とは思いますが、実際に住んで生活に放射能の影響があるかという点では、あんましありません。県産野菜をスーパーであまり見かけないのは、さびしいですが(でもこれ、よくよく考えればエライコッチャレベルですね実感ないけど)

というわけで(?)引っ越してきてから子供らと、今日は鶴ヶ城、明日は飯盛山という感じで、毎日のようにお出かけしてます。KKは「銀魂」好きなので、松平公や新撰組ゆかりの場所があちこち残ってるのも連れ出しやすいというか(しかし新聞のローカル面に「山口・萩から義捐金が届いた」ってのがニュースネタとして載るのには笑ってしまいました「歴史がある」ってそういうことでもあるんでしょうね~)ここら辺もまた、ここで紹介していきたいな~♪

KKの転校、Uの転園も、おかげさまで、いまのところなんとかうまく溶け込めそうです。ただKKが、転校前は毎日のように友達連れてきてたのが、今はまだ誰も来ないってのが、とってもさびしいですね。。。(Uはもともと人見知りなんで、仲いい友達もそんなにいなかったけど)まだ1ヶ月もいないから無理もないけど。。。家では明るくしていて、朝行きたくないとか言うこともないけど、やっぱり学校ではそれなりに疎外感を味わうことも多いんじゃないかな。。。仕方ないけど。。。ママも転校生だったけど、ママは転校前の学校がヤでヤでたまんなかったから、むしろ「ラッキー」と思ってたんで、あんまりそういう疎外感を感じなかったのよね。。KKは前の学校すごく楽しそうだったから、かわいそうだな。。。前みたいにいいお友達できるといいな。。。

ただ1つ救いなのは、前の学校と比べて、こっちの学校はなんだか「お行儀いい」っぽく見えることです。「ならぬことはならぬ」って、白虎隊みたいな言葉が学校でもどこでもスローガンになってるせいでしょうか ここと比べると前の学校の子たちは野蛮だったというか、言葉遣いからして荒かったというか何と言うか 逆なら大変だったけど、前の学校で色々鍛えられてるから大丈夫じゃないかしら??と思いたい親心です。

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じーちゃんの昭和

お前たち人間には信じられない光景を俺は見てきた
オリオン座の肩の近くで炎を上げる戦闘艦・・・
暗黒に沈むタンホイザーゲートのそばで瞬くCビーム…
そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう
雨の中の涙のように・・・


私の父ことじーちゃんが、83歳で亡くなりました。
昭和2年1月1日生まれ(と公式ではなってますが、昔はいい加減だったらしいので実際はどうだか
昭和元年は12月最後の1週間しかないので、実質昭和の始まりとともに人生の幕が開いたようなもの。

7歳で母親を亡くし、父親との、ちょー貧乏&侘しい2人暮らしの中で見た、戦前新潟(紫雲寺)の、のどかな農村風景。
戦雲高まる中で渡った満州。その光景、生活。終戦後の混乱。
親戚に置いていかれ仲間たちと必死の思いで日本に帰り着くまでのドタバタ劇、等々・・・

じーちゃんの記憶の中にあった、これら「かつては確かにあった光景」が、じーちゃんの死とともに消滅してしまうのはもったいない!

だってあまりにも興味深い光景なんですもの。
こういう時代を、ついこないだみんなで経験したなんて、信じられない。
ついこないだ、だけどあまりにも違いすぎるからあまりにも遠くて、つい忘れてしまう時代の出来事。
けどどっか確実に地続きな光景も存在する時代の出来事。

「ブレードランナー」のレプリカントが見た光景は、レプリカントの死とともに永遠に消え去ってしまったけれど、幸いじーちゃんは、生前に思い出あれこれを書き残していました。
なので、じーちゃんが消えた今でも、その光景は蜃気楼のごとくではありますが、読むたびウッスラとよみがえります。同時に娘としては、見たことなかった若かりし頃の父親の姿もね(書き残すって大事ですね!!)

ということで(?)じーちゃんの書き残しをぽつりぽつりとアップしたいと思います。
あくまでも個人の主観たっぷりの記録ですので、史料的価値があるかどうかはギモンですが、「昭和史」にほんの少しリアルな色を足すための、画材の1つになることができたら幸いです。
(尚、タイトルは私が勝手につけたものです。また、旧仮名遣いや漢字表記は現代式に改めました)

昭和2年~15年
「俺、誕生」
「純情可憐な幼少時代」
「ハハ、シス」
・「泣き笑いビンボー暮らし~入学はしたけれど
「泣き笑いビンボー暮らし~悟り」
「泣き笑いビンボー暮らし~学用品」
「泣き笑いビンボー暮らし~学校生活」
・「小学校時代は神童!?」
・「I.C先生の思い出」
「明治男のど根性~盗電騒動」
「明治男のど根性~おカイコ様騒動1」
「明治男のど根性~おカイコ様騒動2」
「明治男のど根性~不倫騒動」
・「越後の四季」

昭和16年~20年
「高等科卒業~訓練所へ」
「満州鉱工青少年訓練所」
「満蒙開拓青少年義勇団の思い出」
「ヤマトバタラキ」
「一路満州へ」
「昭和製鋼・実教寄宿舎」
「実教寄宿舎・教習生の生活」
・「寄宿舎の思い出」
・「新入生はつらいよ」
「鞍山昭和製鋼所~鉄の都よ高炉の炎」
「昭和製鋼~頭が良くてはつとまらぬ!?」
「昭和製鋼~金と命の交換仕事」
「昭和製鋼~二き三すけ」
「悠然たり赤トンボ~鞍山の空襲1回目」
「悠然たり赤トンボ~鞍山の空襲3回目」
「徴兵検査」
「ついに赤紙!?」
昭和20年~
「ソ連軍との遭遇~時計編」
「ソ連軍との遭遇~女編」
「八路軍あらわる」
「八路軍入隊!?」
「八路軍入隊~O君の死」
「O君の死~続き」
「八路軍からバックレろ!その1」
「八路軍からバックレろ!その2」
「今度は国民党!?と思ったらブタ箱へ!」
「いよいよ引き揚げ!」
「ついに引き揚げ!・・・と思ったら」
「祖国目前・・・斃れた人々」
「さらば満州!」
「闇屋稼業」
以下続く

テーマ : 歴史大好き! - ジャンル : 学問・文化・芸術

じーちゃんの肖像

「じーちゃんの昭和」ということで、父ことじーちゃんが書き残したものを、ランダムにポツポツとアップしてるのですが。
いや~~笑えるというか、楽しいです♪じーちゃんが若気の至りてんこもりで、ハツラツとしてて(まティーンエイジャーですしね)
もちろん本人の脚色も多少はあるでしょうし、カンペキに昔話となったからこそ笑って話せる、伸びやかな語り口のおかげもあるでしょうけど、それにしても。

だって私の覚えてるじーちゃんは、まるっきり正反対なんですもの!
じーちゃん、というか「お父さん」は、いっつも物静か~にどっかと座って、映画見てるか本読んでるか音楽聴いてるかで。
冗談なんかめったにとばさないし、そもそも口数からして少ないから、会話らしい会話もそんなになく。
無口で、マジメで、歴史や文化の造詣に深くて、なんというか「文科系リベラル」?そんな感じ。

そんでいて時々「この人オチャメね~」なところもありつつ
後年思うに、たぶん、無口でマジメな人柄の奥底に隠し持った、反骨精神のゆえだったのでしょうか。

基本おとなしい人だけど、新聞は朝日、政党は社会党、野球はロッテ(オリオンズ)、そしてそういう「マイノリティ」ぶりを誇り(?)にしていたようなとこがあったので、根はかなり反骨だったように思います。まあ、子供の頃から貧乏・家庭環境等で、ある種の「疎外感」を持ったままあの戦争に巻き込まれちゃって、弱い立場の人間たちが先に死んでいくのを目の当たりにしたら、それが背骨になるのは当然と、思想的にはお父さんに近い私なんかは、やっぱり思っちゃいますけどね~

けど「お父さん」の場合、それが正義臭くなく、押し付けがましくなく、かわりにオチャメと結びついていました。そう、ちょうど「じーちゃんの昭和」の語り口同様に。
思い起こすと、なんか時々、オチャメなこと言ったりしたりしてたんですよね

子供の頃、京浜東北線で川崎を通ったら、普段あまり話しかけないクールな(?)お父さんが
「おい前見てみろ。ロッテの帽子かぶってる奴いるぞ。ヘヘヘ
と、ヒソヒソうれしそーに話しかけてきたり
川崎以外じゃ、なかなかロッテファンなんかお目にかかれなかったですもんね

あるいは高校の合格発表。帰宅して「みんな受かったけど、友達の1人が落ちちゃった」と報告したら、普段あまり長々と話さない無口なお父さんが
「あのよ。長い人生なんだから遠回りしたってどおってことないから~~ウンヌン~~。と伝えろ」
と、何度頭の中で練ったのかってくらい滑らかな長文を、待ってましたとばかり語りだしたり

私が上の子の陣痛でうんうん言いながら、それでもガッツリすき焼き食べてたら、お父さん一人箸が進まず
「今日のすき焼きは甘すぎる」
とかすき焼きに文句つけて、途中で食べるのやめちゃったり(親の心子知らずだった私は「そお?じゃあ醤油かけて食べれば?」

お父さんのガンがわかった時、私に突如「車買ってやる」と言い出し、しかももったいぶって
「ここが俺の変わったところだが(←と、なぜか得意げ)、俺が選んだ車じゃないと買ってやらない。自分の好みに合わないなら、自分の金で買え」と言ってみたり
(結局それは「これからお金がかかるから、治ったらね」と、ばーちゃんと2人で阻止しましたが。気持ちはとーってもよくわかる、ような気はするけどね;;)

元気なうちにと親戚と行った小旅行で、観光地を訪れた人が一言書き残していくような備え付けノートをパラパラめくって
「みんな「○○ができるように」とか「××がうまくいきますように」とか小さい小さい。俺ならこうだ」と言って
「世 界 平 和」
と書いてきたとか

無口だったのは、話すことがないからじゃなく、照れ屋だから。
マジメだったのは、別にそれが正しいと思ってるからじゃなく、人に遠慮して辛抱してしまうタチだから。
照れ屋で遠慮深いと、反骨が陥りがちな「はた迷惑な正義」に堕さず、かわりにオチャメになるんですね。

最後に入院していた頃、回診で「今日はどうですか~?」と聞かれると、毎回、まるで昔の映画俳優のように一言
「可も無く不可も無く」
と答え、「私もそんな境地になりたいです」とお医者さんに言わしめたあたり、辛抱強い昭和ヒトケタ男の面目躍如、といったところでしょうか??

そんなお父さん、好きでした。
照れ屋さんで遠慮しーで忍耐強くて、本や音楽や映画が好きで、型に属さない自由な精神と同時に和の精神が好きで、そしてオチャメ。お父さんの娘に生まれてよかったよん

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