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美味しんぼ問題

先生とKKとの面談あれこれとか、夏ディズニーのホテル予約状況とか。
書きたいことは色々あれど、まずはいちばんビックリしたこのネタを

鼻血うんぬんで「美味しんぼ」が炎上してるらしいのは知ってましたが、朝のワイドショー「スッキリ」でも取り上げられるとは!しかもワールドカップ日本代表ネタを抑えての冒頭特集で!

美味しんぼって、そんなニュースネタになるほど影響力あった=読者が多かったのか!?
まあそう言ってる私も、単行本が出れば買ってる1人ではあるのですが

私と美味しんぼの出会いは、確か小学生か中学生の頃。
朝日新聞の日曜版みたいなやつに、1話まるごと載ってたんですよね。中国残留孤児の人が、山岡士郎の探してきた「黒い魚」を食べて、肉親に関する手がかりを思い出すという。
戦中派の両親(加えて父は満州帰り)を持ったためか、当時から太平洋戦争に興味あった子供としては、「あの時みんなで食べました。父も母も姉も。みんなで食べました。とてもおいしかった」と登場人物が泣くという話が琴線に触れたのもさることながら、「こんなマンガがあったのか。大人用のマンガもけっこう読みやすくて面白いんだなあ」と初めて思った「大人用のマンガ」で。

長らく読んでいくうちに、コメ牛肉問題とか韓国人への差別とか浮浪者へのまなざしとか色々出てきて「ああこの作者って昔ながらの反米左翼なんだな」という印象を持ったものの、私自身も作者に近いスタンスなのでそれはOK
まあ長良川河口堰とか三浦の海とか、世論をかきたてようという意図がどんどんあからさまになってきたり、浮浪者辰さんと「浮浪者を差別しない」というポリシーで付き合ってるけど、それって差別意識に裏打ちされたポリシーよねとか。
(それがよくわかるのが、茶人へちかんの回。大茶人が浮浪者たちと一緒にお茶を楽しむところを目撃して、岡星さんが「素晴らしい。これこそ本物のお茶です」って目をうるうるさせながら言うんだけど、それって「あんな浮浪者ごときとつきあうへちかん先生の心の広さときたら」という、いわば目をうるうるさせるほど浮浪者を下に見てるからこそ湧き上がる感動であって(^^;))
そんな感じで、全面的に同意!って思いながら読んでたわけじゃないですけど、それも含めて(色んな意味で)面白く、また料理ネタが純粋に楽しくて、好きなマンガです。私の中では47巻・山岡と栗田さんの結婚話までがピークだったかなあ。

先週・今週の鼻血話は、実は雑誌では読んでなくて、twitter及び「スッキリ」でしか見てないんですけど印象としては「あーやっぱしな」。
元々この作者、「安心な食材」というのをものすごーーーく重視してましたもんね。農薬なんてもってのほかみたいな話は美味しんぼで散々描いてたし。こういう「エコ」って現在、サヨクの一環を形成するものとして確実に存在してると思うのですが(私はサヨだけど、エコ方面への関心はナシ)、美味しんぼを読むと、そういう「エコ」が、「反米」とか「大企業≒国家への反権力」といった思想に結びつくからサヨクになるんだなとよくわかる気がします
(あ、でもこれは作者みたいな筋金入り「左翼」で、サヨク系だと「反米」「反権力」じゃなく「無知な人たちは早死にするけど、知ってる私は長生きできる」という個人主義(?)や、「私だけが助かるんじゃなく、無知な人にも教えを授けて助けなければ」という啓蒙主義(?)の方が強い気が。ってめっちゃ偏見

で、長年「美味しんぼ」を読んできた読者としては、福島の原発事故が起こった時、作者はこれをどう描くかが、不謹慎ですけど興味シンシンだったんですよね。筋金入りの左翼体質な作者としては、風評被害を蒙ってる農家を含めた、福島の被災者に同情し、寄り添わずにはいられまい、しかしエコ体質としては「風評被害だ、福島がんばれ」と言い切ることもおそらくできまい、さあこの矛盾をどう描く!?という、ちょっとイジワルな期待が。
(そういえば、似たようなジレンマに陥った回として「タイ米の味」という話がありました。山岡士郎が味的に絶対に認められないはずの「タイ米」を、「タイのお百姓さん今までまずいまずい言っててすんませんでした」というスタンスで描きつつ、しかし山岡の口から批判はさせず「物知らずな」副部長に代弁させてるあたりが「コスい」と思ったもんです。アメリカ米のことは批判しっぱなしなのに、アジア≒弱者相手だと途端にこのスタンスかいとか
あとそうそう、先立って、岩手・宮城の被災地をめぐる巻が出た時も、内容には文句ないけど「あー福島のことから逃げたな」と思っちゃいました
しかし110巻「福島の真実1」では、思ったよりもそこら辺が両立されていて。
北会津の農家さんとか出てきたんですが、今までの美味しんぼのスタンスなら「ゼロベクレル以外は認めない」になりそうなところ、意外と「これは風評被害だ」と山岡たちが批判する話とかも出てきて。
さらに「実は山岡の根っこは福島にあり」なんつー、「絶対後づけでしょ」的な思わせぶりなエピソードも出てきて、111巻を首長くして待ってた今日この頃なんですが。

ここに来て、いきなり反対側に針が触れたのかな?という印象は否めません。読んでないけど
まあ会津と双葉町ではやっぱり線量が違うし、会津に住めるからって双葉町にも住めるなんては言えません。しかし逆に言えば、双葉町に住めないからって会津にも住めないともやっぱり言えないわけで(「スッキリ」で「だから私は福島県内に住むなと言ってるんです」みたいなセリフが映し出されてて、あららららと

放射能による鼻血、しかもたかだか何度か取材に来たくらいで鼻血が出るくらい被ばくしたってんなら、それ以外の、ぶっちゃけ命に関わるくらいの身体症状も出ているはず。そもそも原発作業員はどうなんだ。等々の批判はまったくそのとおりだと思います。
また「で実際、鼻血は出てるのか?」と疑問に思う県外の方向けに、会津在住の私の知る、狭~~い範囲では、ですが。
出てません
我が家では大人も子供もここ5~6年、鼻血出たことありません。周囲の人からも聞いたことありません。
井戸川さんは「言わないだけです」って言ってたみたいですが、私思うに、そういうのは「口に戸は立てられない」類の話題だと思います。だって他所から来る取材者じゃない、住民にとっては文字通り、命がかかってるわけですから。
仮に、いっくら「風評に繋がるから言わないようにしよう、騒がないようにしよう」という意識があったとしてもですね、実際にそこここで鼻血出す人が増えてたら(取材に来たくらいで鼻血が出るなら、そりゃもう住民の間では鼻血多発なはずですよね)「あらおたくも?」「やっぱり放射能の影響なのかしら」って、自然~~に話題になると思いますよ~~。むしろ「風評になるから言わない方が」なんていう全体主義的ストッパーがかかってる状態であればあるほど、「でもそうは言うけど心配だ」っていう思いを吐き出すため、余計に話題になると思います。繰り返しますけどこっちは命かかってますから。
(実際、2011年頃は「来週子供が○○町に合宿で行くんだけど、線量高いから心配だわ」なんていう井戸端会議in会津もありました。でもその時でも「最近鼻血が増えてるみたいよね」なんて話は聞きませんでしたけど)

そして今、町は平常運転です。
どう贔屓目に見ても、鼻血が増えてるようには思えません。
中通りや浜通りには、何回かしか行ったことないけど、たぶん同じ感じじゃないのかなあ。そんなに、ピリピリした感じはしないもの。町も新聞もTVも。
県外の方に、ぜひともそれだけは知っていただきたくm()m

余談ですが、どーーも私、美味しんぼ作者の、今回の福島に対するスタンスって、前述した浮浪者辰さんへのスタンスと同じだなあと思うんですよね。ある意味自分の無意識に正直なんだけど、ある意味理念が先走ってるというか、「浮浪者とも仲良くできるこの俺ときたら」が先で、つまりまず「浮浪者」という無意識のカテゴリーありきで、それをある意味利用して自分を良く見せてるというかなんというか。たぶん作者ほんとに、心から「差別」とかが嫌いなことは間違いないとは思えるんですけど。そんでこれは私も含め「差別嫌いなサヨクが陥りがちな差別」ではあるんですが。

ともあれ、それでも美味しんぼ111巻、そして今回の話が載ってる112巻の発売も待ってます 長年読んできた読者としては、海原雄山と奥さんの馴れ初め、及び山岡が海原雄山を父と呼ぶところは、ぜひとも読まずにいられないのでね~。
(てか110巻には「111巻は2月発売」って書いてあったのに、どうしたんだー
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テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

「脱原発論」を読んでみた

嫌いだアンチだと言いながら、ついつい小林よしりんの本は読んでしまうワタクシ
今回の「脱原発論」も、「どんなこと言ってんだろ?」とつい読んでしまいました。

で、読んだ感想は
「相変わらず、自説に対して都合のいいことは我田引水で拡大解釈、都合の悪いことはほとんど触れず誹謗中傷。結果的に印象操作で煽りまくりって感じだな~」
「読者がよしりんの操作どおりの印象を持つのがヤだな~」
よしりんの本を読んで、いっつも強く思うこの2点が今回も。
個人的にはよしりん本って細かいとこで同意することがもけっこうあるにも関わらず(しかもアンチとして悔しいことに、同意ポイントが年々増えてきてる)、どうしても好きになれないのはこの2点(特に後者)のためです。

けっこうタメになったとこも多かったですよ。
特に最終章、九州の洋上風力発電の研究なんかはまったく知らなかったので、へ~~~と思ったし。
最後に持ってきたのは読後に希望と余韻を持たせるためだと思いますが、まさに「未来への希望はけっこうあるんだな~」と、研究している方の真摯な様子が伝わってくることもあいまって、このアンチですら素朴に思えました。
代替エネルギーは絶対に必要でしょうから、その可能性は可能性として、それこそこの本みたいに煽って、世論を興して推進するのもアリだと思います。

そこから
「今はこういう可能性があり、それは近い将来必ず実用化されるだろう。つまり原発は近い将来不要になる」
という「段階的廃止」を訴えるならわかりますよ。けどよしりん「だから原発は即時停止」なんですよね。いやそれはさすがに無理があるだろうと。「未来の可能性」でもって「現在の状況」を置き換えるのはヤバいだろうと。

さらによしりん、「即時停止」を訴えたいあまり、上のような「段階的廃止」派すら「原発推進」派にしちゃうんですよね。「原発問題に中庸はありえない。反原発(即時停止)でないなら結果的に原発推進に与している」みたいな感じで。
これがヤなんですよ~~~。そんな論法で言ったら「自分の主張と少しでも違う奴は全部敵」じゃないですか。まあよしりん本ってそれが特徴なんで、言うも空しいんですが。そんでそうやって枠を狭めていった結果、後からAとBが変なふうにリンクして、どんどんつじつまが合わなくなって行って・・・みたいなことになってくんですよね。
なのでこういう「二者択一」みたいな論法は気持ち悪いのですが、それ以上に気持ち悪いのが、そんな論法に違和感覚えず、よしりん本を鵜呑みにしてやれ保守だサヨクだと「どれが敵か、どれを叩いてスッキリすればいいか」という方向のみにアンテナが発達してしまう読者の存在。よしりん今「ネトウヨ生みの親」と認識して(やっとかい)、必死にネトウヨを攻撃中らしいですけど、なんだかなです

まあよしりんのやり方も、頭では理解してるつもりです。例えば白をピンクにしたいとなったら、私なんかはそういう「変化」による思いがけない副作用の方が怖いので、念入りに少しずつ赤インクを1滴ずつ垂らしてった方がいいという考え方なんですが、よしりんは最初にどぱーーーっと赤インクをぶちまけろって感じなんですよねたぶん。そんな悠長なことしてられるか、だいたい一気に赤ぶちまけたって世の中そうそう真っ赤にはならない、希釈されてやっとピンクになるかならないかくらいなんだから、っていう。今回だったら「即時廃止を訴えても、せいぜい段階的廃止にしかならないんだから、段階を効果的に進めるにはこれくらいぶちあげなきゃ」っていう。
この違いはもう体質の違いとしか言えません。んでどっちがいいかっていうのは状況次第、結果論。

またよしりんがネトウヨ攻撃するのもわかってるつもりでいます。たぶんこれは「脱正義論・ネトウヨバージョン」なんだろうなと。自分が生んだネトウヨを日常に戻そうと、よしりん必死なんだろうなと思います。
けど本の描き方自体が全然変わらないんなら、同じじゃんね~とも思っちゃいますよ。神輿の違うネトウヨを生むだけじゃんとか ネトウヨって体質ですから。

この「体質の違い」って、一言で言えば「ハト派かタカ派か」みたいなもんです。「穏健派か急進派か」かな?たとえ目的は同じでも、この違いで手段が大違いになっちゃいがちなんですよね。で手段が違うともう敵になっちゃう。そりゃそうですよね、例えば同じ「人を助ける」が目的でも、その「助け方」が違うと結果も違うってことになりがちだから。

あるいは「(見方が)相対主義的か絶対主義的か」て違いもあるかな。
私は例えば「からくり民主主義」みたいな
「AとB、どっちにも同じくらい分があってしかもお互いからみあって存在している。どうしましょう?」
で止まってるみたいな本が好きなので、よしりん本みたいな
「絶対A。だってAはこんないい点があるしBはこんな悪い点がある」
みたいなのはもう体質的に大嫌いなんですよね。偏見を助長する質の悪い煽りにしか見えないから。反射的に「だってAにはこんな悪い点があるしBにはこんないい点が」と言いたくなってしまう(でそういう見方をしないよしりんファンを「プチよしりん」として嫌ってしまう

あれ気づけば私もよしりん本の印象しか言ってないな
そうそう「脱原発論」の感想。そんなわけでタメになったところもあったのですが、そしてよしりんの主張「即時停止」は、赤インクぶちまけてるんだろうな~と理解は出来るのですが。
ですがやっぱり受け入れられないな~と。企業とか必死で節電してやっと予備電力を保持しているという、この綱渡りみたいな状態を、新エネルギーが実用化されるまで長期にわたって続けるのは危険じゃないかと。さらにこれは妄想ですが、そんな状況を打破するために「電力自由化」なんてのが支持されるようになったら、そっちの方がなんだか怖い気がするし(「町山&松嶋さんの「未公開映画を観る本」で「水男爵」の話を読んだら、ライフラインに直結するもんを自由化することにめっちゃ用心深くなってしまい

そしてもう1つ、やっぱり福島の描き方がね~~~。あれ読んだら郡山なんかも「人が住めない場所(=てことは作物なんかも作れない場所=そこでできた作物は危険なもの)」ってことになっちゃいそうじゃないですか。
そりゃ線量は今の日本の中じゃ高いですよ。年間1mシーベルトだって守れるに越したことはありません。ただ、1mシーベルトを超えたからって、健康被害が出るかどうかは「わからない」んですよ。どんなデータをどう見ても、結局は「わからない」。年間20mだって「わからない」の範囲内です。低ければ低いだけいいのは当たり前で、事故前は年間1m未満も当たり前だったからそうなってるだけで(よしりんだって「ICRP基準に科学的根拠はない」って書いてるじゃないですか 真逆の意味でだけど)
それで色々勉強会とかやって、避難するリスクしないリスク、皆が真剣に考えて今ここに至ってるのに、「トロトラスト患者」の「放射性物質は蓄積していく。30年後に死亡者数があがった」なんて例を出して「内部被曝は怖いぞ」と煽り、上記のように「念のため」で決められた「閾値なし説」をもって、「「閾値アリ説」は「ホルミシス説」と同じくらいのトンデモ」と印象づけ、「大人が年間1mなら子供は年間0.25m」だと主張した後に郡山の線量を出して、対比でめちゃめちゃ高線量だと印象付け・・・
トロトラストってこの本で初めて聞いて勉強になったけど、今回のセシウムとは性格も取り込み方も違うじゃないですか それをもって「内部被曝」全般として印象付けられても。てなこと言うと「じゃあセシウムはいくら吸っても安全なんだな」という白か黒かみたいな反応をよしりんはしそうだけど。
また、ホルミシスなんて誰~も信じちゃいません。いや少数は信じてるかもしれないけど、避難しない人たちは別に「放射能は安全だ」とか「ホルミシス」なんてのを信じてるわけでも、そんなのにすがってるわけでもありませんたぶん。「わからない」というのを言葉通り受け止めているだけでしょう。すなわち「わからないほど差は出ないけど、わからないから気をつける」という。これまた「白か黒か」な思考法の人には難しくて、つい「わからないから気をつける、じゃあ危険ってことじゃないか」ってことになってしまうのでしょうが(よしりんも批判している「福島県の医療費無料化ならず」も、そこらへんが関係するんじゃないかと思います。「全員病院にかかりやすくするって、そりゃ危険だからだろ。やっぱり福島は危険なんだ」ということになっちゃうんじゃないかという。「わからないから万全にしたいんだ」っていうのは、そんなにわかりにくいものなのかしら??)
また「子供は年間0.25m」って、おざなりに「会津地方や県境を除く」とか書いてるけど、そんなの会津地方だって無理ですよ。てかよしりんいわく「0.05の東京」だって無理でしょう。福島に限らず、関東・東北のほぼ全域から子供を避難させないと。いっくら危険を煽りたいからって無茶言うわ~って感じです。

いやこれはよしりんの場合、危険を煽りたい「だけ」じゃないというのも頭では理解できます。この人の「読者である子供への恩義、及び愛しいと思う気持ち」は本気だな~と、今までの本でも折々思いましたから。今回も「福島の子供のことを、純粋に心配してくれてるんだな~」と、このアンチにすらその心情は伝わってきます。自分でも言ってますけど、基本「情」の人ですからね~この人は。それは確かだと思います。

しかし、そこに反原発としての主張が上塗りされて、という感も否めないんですよね。
まあ参考文献見ると、かな~~~り危険寄りな本が並んでるので(武田センセとか)、よしりん本当に不安なんだなとはよくわかりますが。
心配なのはよくわかる、しかし「即時停止」を主張したいあまり、たとえ福島への風評被害につながろうとも「放射能はとにかく危険」という赤ペンキをぶちまけてる本ですからね。広島の産婆さんの間では奇形児の噂話が多かったという肥田医師の話をあえて紹介した後に「事実は事実として伝え、覚悟を促し、そして何かあった場合国と東電が責任を負うべきだとはっきりさせておく。本当に福島のことを考え、偏見を防ごうとするならそうするしかない」とぶちあげたって・・・よしりんが言ってるような「放射能怖い。郡山危険」に、福島にいる人たちは1年以上晒され、自分らで勉強し、覚悟して今に至ってるわけなのでね~・・・なんかお家のゴタゴタがやっと整理されて気持ちが前向きになったってとこに「聞いたわよ~今あれがこんなふうにゴタゴタして大変なんですってね~。覚悟しなきゃね~」ってわざわざ口だけ出したがるおせっかいオバチャンみたい そんでこういう人って得てして、思い通りの反応が返ってこないと「何よせっかく心配してあげたのに」とか怒り出したりして

実際よしりん書いてますもんね。「福島の住民に不安を与える煽り派と言われぬように、わしも今後は見て見ぬ振りするか?」とかって。「不安を与える」以外では関われない、不安を共有しないなら勝手にしろってことですかね?コワ~ なんでそう白か黒かなんでしょ??
福島のほぼ全域で放射線障害が出ないと、反原発は訴えられませんか?町ごと故郷を追われた人が多数いるだけでも大惨事なのに、それじゃまだ足りませんか?
「今回の福島の放射線障害は幸いにも、チェルノなどに比べるとなんとか軽症で済みそうだ。しかしこれは幸運が幾重にも積み重なったおかげで、しかもこれほど幸運で済んだにも関わらず、浜通りでは町ごと住めなくなって終わりのない避難生活を余儀なくされている住民が多数いる。風評被害により苦しんだ地域は更に広い。幸運であってもこれだけの被害をもたらすのが原発だ。だから原発やめよう」
でいいじゃないですか。って、強く強く思うんですけどね~。日々「福島は負けない」とかで苦労話てんこもりな新聞とかに晒されてない県外の人には、それじゃまだインパクト足りないのかしら?
 
この本でいっちばん気になったのが、上の「福島」の描かれ方ともう1個、「進歩主義」についてのとこだったんですが、長くなったのでまたいずれ とりあえず「悪のレッテル」として「進歩主義」を使うのは(よしりんの常套手段だけど)いただけないなと。

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌

求む!こんな脱原発デモ♪

こんなのどうよ♪っていう、単なる思いつき・妄想なんですが(^^;)

脱原発デモ、盛り上がったそうですね~!官邸前とか代々木公園とかで、教授も参加して、なんと10万人とか17万人とか。
YMOや戦メリ、はたまた芸者ガールズとか好きだった私としては、教授見たさに参加したいくらいなんですがしかし相変わらず、こうした「脱原発デモ」にはイマイチ乗り切れない気分が。。。

これは去年9月のデモや、あるいは3.11デモなんかも同様です。大江健三郎とか、沖縄の集団自決の時には心底「頑張れ」と思っていたし、今も別に脱原発そのものは「まあそうだよな」とも思うのですが、ですがしかし、そこに心一つに参加したいとは思えない。

理由はただ1つ。脱原発デモに参加している人たち=いわゆる「放射脳」じゃないの?という疑いがぬぐえないからです。この手の人たちには、随分イヤ~~~な思いさせられましたからね~福島
おっと急いで念押しですが、別にこれが全福島県民の思いだってわけじゃありません。福島に住む人たち、避難を余儀なくされている人たち、色んな考え方があるので、脱原発デモにそれこそ心一つに参加できる福島の人だって大勢いると思います。
反面、現在の脱原発デモに「どうも乗り切れない」という思いを持つ私のような福島県民も、わりといるんじゃないかと思います。例えば葬式デモとか、様々なデマとか、そういうのが積み重なってすっかり不信感が形成されちゃったんですよね。
もしかしたらそれは脱原発の人たちが根本的に持ってる「今までの対応を見る限り政府や東電は信頼できない」という憤りと同種なのかもしれません。「なんだかんだ言っても結局は自己保身でしょ。こっちのことなんか真剣に考えてない、いざとなれば切り捨てでしょ」という不信感。

「福島の被害が大きかった→だから原発はやめよう」で始まったはずの脱原発がいつの間にか「原発はやめよう→だから福島の被害が大きくなければ困る」になっちゃって、いつのまにか「福島(の被害)」は「手段」になっちゃって。「利用できるもの」になっちゃって。
という思いがどうしてもぬぐえないんですよね~。この手の「目的と手段が入れ替わっちゃう」ってのは、わりと「運動」が陥りがちな基本的ポイントで、だからこの手の「運動」には距離を置きたいという元々の感覚もあり。

あとはやっぱり風評被害。「たとえ1ベクレルでも危険は危険。福島産は避けといた方が無難」とかね。もう1年もたって、色んなことがクリアになってきた感もあるのに、まだ事故当初の意識止まりか、という気持ちもこちらにはあって。いやまあ百歩譲って気持ちはわかります(気持ちはね)。だから福島の生産者とか、すごい頑張って流通に乗せられるようにしたり、検査結果がわかるようにしてるんだけど(そういえば会社名は忘れちゃったんだけど、どこかの製麺所はHPで、品物名と消費期限年月日か何かを入力すれば検査結果がわかるようなページを載せてました。ま流通している以上、検査結果は私が見た限りではすべて「問題なし」でしたが。しかしあえて違う日付で試してみたら「データがない」とちゃんと弾かれたので、何やっても「問題なし」な結果が出るというインチキ設定なんかじゃなく、1品1品のデータを全部入力して把握してるんだ~と、その労力の一端に触れた思いが)。

「いや1ベクレルでもダメなんてのは極端だよ。脱原発デモの人全部がそんなわけない。福島の風評やデマに心を痛めてる人も大勢参加している」
という声もきっとあると思います。私もそうだろうと思います。というかそう思いたい。

と、ここで冒頭の妄想になるわけですが、せっかくあんなに大勢集まってお祭り騒ぎ(に思えてしまうんですよね残念ながら)するなら、いっそ福島物産の屋台をいっぱい出して、本当のお祭りにしてしまえ、と
浪江焼きそば、ソースカツ丼、玉こんにゃく、伊達の鳥からあげ、喜多方ラーメンバーガーe.t.c...それらの旗が翻る中、デモ参加者がおいしそうにパクつきながら「だってNDでしょ?そんなら気にしないし。それより私たちは福島の人たちとともに闘いたいんです(キリッ」とか、TVカメラの前で言ってくれたら・・・ああそれから猛暑日には水分補給も重要ですね 酪王カフェオレや金山町の天然炭酸水、磐梯サイダーもいいですよ♪それらを片手にデモ行進しながら「こんなおいしいものが原発事故によって無くなってたかもと思うと恐ろしいですね。だから原発は絶対反対!(キリッ」とか訴えてくれたら・・・
って私の妄想では、やればやるほど「ダブか?ラーマ奥様インタビューか?」という胡散臭いCMになってしまうのが残念ですが でも本当に見てみたいです。そういう大規模な「脱原発デモ福島コラボバージョン」。そしたらただの充実感だけじゃなく(どうしてもそれを求めてるだけにしか見えないんですよね残念ながら ワールドカップで盛り上がりたいのと同じでしょみたいな)、実際に福島を助けることになって一石二鳥だし、もしかしたら「脱原発の人がそう言うなら大丈夫なのかも」と、ちょっと気分が落ち着ける放射能恐怖症の人もいるかもしれない。何より福島は本当に本当にうれしいですよ~~。たぶんTVの前で泣く福島県民多数だな。え?大げさ?

「いや「脱原発デモ」と「福島」は別ですよ。これは別に福島のためにやってるわけじゃなく、広く日本のためなんだから「食べて応援」とか求めないでよ」
という答えが返ってくるなら、それはそれでスッキリします。「ああやっぱしね」と
それならそれでいいんです。ただ福島のためにやってるんじゃないんなら、福島の被害を過剰に煽って福島を利用するのもやめてね。って言えて気持ちがラクだな~とか。
「いや福島を応援したいけど、やっぱり食べるのは無理ですよ。でもすっごく同情してるのも事実なんですよ」
という答えが返ってきても、「ああやっぱしね」と納得できてちょっとスッキリ 私も時々思います。「今回の事故は幸い、福島の土地や食べ物全滅なんてことはなく済んで、今は「遊びに来ても大丈夫」「食べても大丈夫」と言えるようになったけど、運が悪かったら本当に酪王カフェオレや天然炭酸水その他が、キノコや山菜並みになって、福島全体が沈没するってこともありえたわけだ。そしたら私も同じことを思うだろうなあ。ただ今は幸運だっただけで」と。実際「同情するけど何も出来ない」という町=帰還困難区域が、浜通りには既にいくつもできてしまっていて。。。

あ~でも本当に、そういう脱原発デモ、見てみたいです。誰かやってくれませんか?(と人任せ

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

放射能についての授業

というのを、こないだ小学校の授業参観でやっててびっくり。
いや放射能関連の授業が新設されたとは聞いていたのですが、こういう「放射能勉強会」みたいなのに参加したことも、原発について必要以上に学んだこともないママ的には、いきなり放射能の話が始まったのでけっこう驚き
というわけで、時々生徒に戻ったような気持ちになって、興味深く参観してきました
以下、相変わらず主観の塊で参考になることは少ないと思いますが、個人的にとっても印象に残ったことを。

まずはなぜ今のような事態になったか。それはマグニチュード9.0、震度6強の地震と津波が福島・浜通りにもやってきて、東京電力福島原子力発電所が事故ったからだ。
というところから話は始まったのですが
「ところでなぜ「東京」がつくかわかりますか~」「ハイそれは東京に電気を送るためです」
って、うお~しょっぱなから印象に残った~~! 会津の子たち、これが「東京(関東)の電力のための施設」って、ちゃ~んと学びましたよ~~ 私的にこれは今回の事故を考える際のけっこう重要ポイントなので、「よくぞ先生触れてくださいました」って感じであると同時に、「こうして戊辰戦争も語り継がれたのであろうか」とかもうっすら思っちゃいました ま、これはあくまでも福島原発の基本説明なだけで他意はないかもしれませんが。

先述のとおり、原発の詳しいことはいまだにさほど学んでない私。この時の説明で、非常用電源を回す「タービン」は、東北電力の電気で動かすとか、その電源が津波をかぶったのでダメになったとか知って、生徒と一緒に「へ~~~」でした
中でも「へ~~~」だったのが、この非常用電源、竜巻被害の多いアメリカでは地下に埋めてある。しかし津波が多い日本は、アメリカからこの原発一式(の設計?)を買う時、「津波に備えてうちの非常用は屋上に置かせてくれ」と頼んだのだが、アメリカの答えが「そんなら売らない」だったので、アメリカ同様、下に置く設計になった、という話。へ~~~日本も考えてたんだな~。なのになんでアメリカだめ出ししたんだろう?なんかライセンス料とかお金の問題??

ちなみに震度6強に見舞われた浜通りのとある小学校では、下駄箱が全部倒れたので出入り口がふさがれ、先生方の必死の復旧により開通するまでの1時間、生徒たちは教室に閉じ込め状態だったそうです そうか、そういう状況もありえるんだな~。まあいざとなったら屋上とか(津波)、1階の窓から出るとか(火災・倒壊)、何かしら逃げ道はあるのかもしれませんし、ここまで大きい災害だとすべてはもう運・不運ってとこもあるから、そういうまさに「想定外の事態」が意外と「あの時ああなったのは逆に幸運だったんだ」と後から思う場面になりえる場合もありますが、それでもその1時間の生徒たちの恐怖と、先生方の焦りたるや如何。

放射能については、特に目新しいことはなかったかな。ま基本というか。
放射線の種類、放射性物質と各々の半減期、見慣れた文部省作成・県内の濃度色分け地図e.t.c. 
この色分け地図を見た時の子供たちが、うちの子含めて「へ~~~こんななんだ~」と初めて見るような反応だったのが、こっちも「へ~~~」でした。大人と子供の目線の違いというか、大人にはもう見慣れて飽きたとか思われるような地図も、子供には意外と情報として入ってなかったんだなそりゃそうだなと。

そうした話の中で
「会津は大丈夫だけど、うちんとこにはこれも飛んできてます。今の家は今年中に出なきゃいけないんだけど、この飛んできたやつが半分に減るのは数億年後。もう帰るところねーよどーすべー」
と笑い飛ばすように語られる言葉を、実際に浜通り(の中でも原発直下とも言うべき町)から避難してきた先生の口から聞くと。
個人的には
「放射能は(醤油や油なんかと同様に)量の問題。そして今現在、その量からして福島県内それほど心配する必要ない地域が多い」
という感覚ですが、まさしくその量の問題で帰れない地域も確かにあるという、私が考えてもどうしようもないから普段は若干封印っぽくしている厳然たる事実が、リアルに浮上してきてしまうというか(しかし浮上したからといって、やっぱり「・・・どーすべー」なのですが)。

と、基本「へ~~~」だらけだったこの授業の中で1点だけ、異を唱えたくなったのが、ここで説明された
「しかし放射能を闇雲に怖がることはない。なぜなら事故以前から放射線はレントゲンで使われてたし、宇宙線として地球上に来ていた。放射性物質は花や食物にもある」
というところでした。
いやこの説明自体はまったくその通りなのですが、それを受けての結論が
「だから放射能全部が悪いわけじゃない。事故以前の放射能は良い放射能、事故でばらまかれた放射能が悪い放射能」
めいてたのがどうも(ここで「ああ自然の放射能はいいんだよね」という声も子供の中から上がってたし)。
子供にわかりやすく教えるためには、善玉悪玉に分けるのが有効だとはよくわかるのですが、そして
「事故以前からあった放射能は気にすることナシ、事故でばらまかれた放射能に注意が必要」
なのはそのとおりなのですが、しかしながら、放射能に善悪はありません。事故以前の放射能を気にする必要ないのは、別に善玉菌だからじゃなく、量が問題にならないほど少なかったからです。事故後の放射能に注意しなきゃいけないのは、それまでとはケタ違いの量が一気にやってきたからです。「自然」というエコな響きにだまされるのはやめましょうよ。いつ「自然」からしっぺがえしくらうかわかりませんよ~。

で、じゃあどう注意すればいいか、対策等。
放射性物質が多い時や場所(木や草、地面、屋根、雨どい、または風が強い時の土ぼこり等々)とその理由、そういう時はどうするか(窓を閉める、手洗い・シャワー等々)などで、これもまあ基本。
「外部被曝」と「内部被曝」という言葉を使っての説明だったのですが、ここで印象的だったのが
「外部被曝恐れるに足らず。洗えば落ちる
という感じで、それはまあそうかもしれないですが、それが強調されてるような印象を受けたのが(←個人的印象です念のため)「やっぱり福島は最前線なんだなあ」という気がしてしまったこと。
そしてそれ以上に印象的だったのが、「内部被曝」=「それら外部被曝の要因(土ぼこりや水たまりなど)を、うっかり経口摂取してしまう」だったこと。ある意味「福島問題(?)」がここまで大きくなってしまった最要因ともいえる「食品による内部被曝」の話は一切スルーでした これはかなり印象的、というかほとんどびっくりの域。

確かに、この話を福島の子供にうまく教えるのは、かな~り難しいと思います。だってヘビーな話ですもん。
県外の子なら「福島の食品」と「内部被曝」をつなげるのは何の痛みもなくできるかもしれませんが、県内の子にとって「福島の食品」=「日々食べてるもの」で、しかも「自分の家族や親戚、知り合いが作ってるもの」かもしれないわけで。
だからこそ教えなきゃ、という考え方もあるかと思いますが
「ええっ福島のものってダメなの!?じーちゃんばーちゃんは危険な物を作って売ってるの!?」
なんて子供たちが単純に思っちゃったら。
「内部被爆は危険→しかしながら今現在の数値ならさほど気にしなくてもいい→じーちゃんばーちゃんたちは決して危険な物を作ってるわけじゃない→しかしながら専門家の間で意見が分かれている部分もあるので食材によっては注意しよう」
なんて話をですね、「レントゲンも放射線の一種」という放射能に関する基本知識すら「へ~~~」なんて反応がかえってくるような、ある意味真っ白状態な子たちに、どうやったら過剰に思い煩わせることなく、ニュートラルに理解させることができるのか。大人だってわからなくて右往左往したあげく、ネットで醜い争いしては「で結論はどうなんだ。答えを善玉悪玉に分けて教えてくれ」ってな感じの風潮なのに。難しいです。

この難しさを思うと、私の中で浮上してくるのが「自虐史観」です(って唐突ですが)。
私は自虐史観って、そんな自虐言うほどひどくない(まそこまでひどくない頃に教育を受けた世代ってこともありますが)、むしろそういう「自分たちは加害者でもあった」という視点は成熟の証というか、必要な視点だとすら思ってます。
しかし、それが終戦からあれだけ時間がたった後にやっと出てきたというのは、やっぱりそういう客観的な視点を得られるのは、喉もと過ぎて熱さを忘れてから、つまり他人事になってからなんだな~なんて、この授業を見てしみじみ思ってしまい。
と同時に、サヨクで自虐史観を必要なものだと肯定している私は、先の大戦で中国とかには「申し訳ないことしちゃったな」とけっこう本気で思ってる・つもり・だったのですが、それは「昔の誰か他人がしたこと」という意識が、やっぱりどっかにあったのかもなと、初めてリアルに思ってしまいました。よしりんが、孫に極悪人呼ばわりされるじっちゃんに同情して「じっちゃんの名誉のために」と戦争論を書いた真情が、今ならわかる気がするというか(アンチよしりんは変わりませんけど)。
日本の大変さ、つまり空襲や原爆や軍隊や銃後や戦後の混乱や・・・といった「被害」は、子供の頃から色んな本で読んで身にしみてるつもりでしたが(だからいかなる意味でも戦争肯定する気には絶対なれない)、そうした被害者だった自分は実は加害者でもあった、なんて、そんな納得できない、あんなにひどい目に遭ったのに、どうしてさらにそんなことまで言われなきゃいけないの、という、自分が2つに引き裂かれるような痛みを伴った「自覚」は、したことありません。それは取りも直さず「他人事だから物分り良くなれてた」っていう証なわけで。

めちゃめちゃ話がそれてしまいました
念押しですが、私は福島を「加害者でもあった」なんてまっっっったく思ってません。
ただこういう自分の思いも含めて「当事者が客観的な視点を持つことの難しさよ。てかもしかしたらそれは不可能だって歴史が証明してんじゃね?」といったことを、自虐史観を例に思いつきましたってだけです、授業中に(←ちゃんと授業聞け

測定器で生徒たちに実際に教室を測らせたり(なんと玄関よりも教室の方が高い!先生いわく、コンクリート(もちろん事故前からのもの)から出ているので、数値は変わらないと業者さんに言われたのだそう。もっとも高いったって0.12でしたけど)、色々興味深い本編が終わって、最後は質問コーナー。
ここでまた印象深い質問が来ましたよ「なぜ東京の原発が福島にあるんですか」
キターーー 私も生徒だったらこれ聞くな。てか今でもそう思ってるな。だってやっぱ理不尽だもん
先生いわく
「色んな説があってわからない。土地がなかったってのもあるし、危険だって知ってたんじゃないかって説もあるし(ここで「えっ危険だって知ってて福島にって・・・」と反応した子GJ)、浜通りが自分から手を挙げちゃったという説もあるし」
うんうんこういうビッグプロジェクトは、色んな理由が絡み合うから「これが理由です」なんて簡単に言えないよね。でもこの理不尽さを子供たちと共有できた気がして、ママちょっとうれしい(ああ戊辰戦争もこうして語り継がれ
続く質疑応答もまた面白かった 「花の蜜吸っても大丈夫ですか」「アリに触っても大丈夫ですか」
そこで先生が
「ヒマワリがあまり放射性物質を取り込まなかった。だから大丈夫じゃないかとは思うが、調べてないからわからない。不安ならやめとけ」
と答えた途端「しまった吸っちゃったよーーー」という男子の声が一斉に。どんだけひもじいんでしょうね てかママ子供の頃花の蜜なんて吸ったことないんだけど、今の子もけっこうワイルドなのね。
アリは「触っても大丈夫」との答えに対し「食べても大丈夫?」食うなーーー 放射能とは関係なく食うなーーー
その後、先生の「南相馬の内部被曝検査で、数値の高かった人が共通して食べていたものがあります。何でしょう?」との問いに生徒「アリ」。だから食うなーーー(答えはイノシシ肉と山菜、あと鹿肉だったかな?うろ覚え)

そんなこんなで、大爆笑も混じりつつ興味深い授業参観だったのでした。

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新聞による雑感

GW後半は白根のジジババ宅に1泊してきました。
ジジババちゃんと遊ぶのを楽しみにしていたKK&Uは、滞在中はまったくママに寄り付かず、ママ大変ラク~~
子供をすっかりジジババちゃんに押し付け・・・もといジジババちゃんにありがた~~く相手してもらい、ママはその間久しぶりの新潟日報をば
旅行先で現地の新聞読むの好きなんですよね 「今違う場所にいるんだな~」と、旅行気分がすごく盛り上がって。
「粟島が島開き」なんて記事を見ては、あ~懐かしいな~粟島!と村上を思い出したり。
「妙高のはね駒」なんて記事を見ては、お~福島なら吾妻山の雪うさぎだ!と、所変われば品変わるを実感したり。これが見えると田植えの始まりなんてのも同じで、興味深し♪

ついでに先週末1泊した新発田のババ宅では、普段は福島民報というローカル新聞御用達につき、久しぶりの全国新聞という感じで、これまた朝日新聞を興味深く読み漁ってきたのですが。

しみじみ思ったことは、今更ながらですが「やっぱり福島の新聞は放射能関係の記事がダントツに多い」という、あったりまえと言えば当たり前のことでした。

なんかネットか何かで誰だかが言ってたそうじゃないですか。「福島では放射能の詳しい情報が流されていない。情報統制されてる」といったようなことを。「だから福島の人間は逃げないんだ。なんも知らないから」というような論調で。

ま~これ自体がネット上の聞きかじりなので、実際は違うのかもしれませんが、もしそう言ったのが本当なら、その誰だか(とその言葉を信じてる福島県外の方)に聞きたいです「どこ見てそう思ったんですか」と。

新潟日報で「トキの卵が孵化(だったかな?GWの頃の新潟日報はトキフィーバー記事が多かった)」が一面デカデカだった頃、福島民報の一面は「セ シ ウ ム 移 動」でしたよ。一字ごとにスペースあけて 山に蓄積したセシウムが、雪解けとともに移動して新たなホットスポットが、という記事。
(ちなみにGWの新潟日報は、県内に避難している家族との再会記事も多かったです。避難者を受け入れる側・新潟としての視点ですね)

朝日新聞だって少なくとも私が見た限りでは、放射能関係の記事って真ん中あたりで特集してた1ページ(他にチョコチョコ)という感じでしたが、福島民報ではその特集ページが丸ごと1日分の新聞みたいなもんですよ。放射能、原発、復興、被災者・・・それらの記事がないページなんて、地元出身選手がいない時のスポーツ面くらいじゃないかしらん?TV欄だって、おそらく全国どこでもやってるであろう夕方ローカル情報番組は福島の場合、やっぱり原発事故が絡まないことはないですし。

いや新潟日報がトキトキ言ってるのは全然OKなんです だってローカル紙ってそういうもんですから。地元以外はあんまり関心ないけど、地元にとっては一大事ってことは、やっぱり地元こそが伝えなきゃいけません。
逆に言えば福島ローカルの場合、福島第一・放射能・被災・復興こそが地元にとって今一番関心あることだという証なわけで。なので全国紙がローカル新聞と同じになっちゃったら、それはそれでやっぱりバランス崩してまずいので、朝日新聞の放射能記事が福島ローカルより少ないなんてのも全然OKです

ただね、そういう新聞やメディアの中にいる福島県外の人が、それとは段違いに放射能関係の話題が多い福島に対して「情報統制されてる。何も知らない」って、それはどうかと。地元の一大事として、他の地域とは比べ物にならないくらい連日新聞に出てるのに。

もちろんそのニュアンスが基本的に「だけど復興に向けて頑張ろう」なのは確かです。前述の誰だかは、そこら辺が気に入らないんでしょうけど、でもこれは地元として当然の心境じゃないでしょうか。遠い人は危険危険言って遠ざければ済むんでしょうけど、地元はそうはいかないでしょう。あったりまえですけど。

ちなみに下は今日の福島民報のとある見開きページ。
市町村ごとのエリア・農産・畜産物の放射能測定値などが、ご覧のような感じで、毎日のように載ってます。
新潟日報にも新潟各エリアや農産物などの測定値は載ってましたけど、こんなにこと細かく、ページ全面つぶすほど載ってはいなかったわ、当然ながら。

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