会津まつり

行ってきました会津まつり!というか「会津藩公行列」!

会津まつりは、戊辰戦争で会津が降伏した9/22から3日間行われます(お祭り的にはいい時期に降伏したな~と
今年22日の提灯行列は、台風の影響により残念ながら中止。その後に行われる「会津磐梯山踊り」は無事開催。
そして23日がメインイベント・先人感謝祭と藩公行列です!
感謝祭&出陣式が行われる鶴ヶ城入り口は、朝9時ごろから人がボチボチと。
お城を出た行列は11時頃、神明通りに到着、午後からは中央通りから七日町の方へ廻ってお城での帰陣式へ向かいます。

私たちは新潟のジジババも来てくれるので、いい場所で見ようと有料観覧席を予約済み
観覧席は1人千円で、お城での出陣式・神明通りのリオンドール前・中央通りの公園前にそれぞれ用意されていました。
行列は、要所要所で剣舞など、ただ通り過ぎるだけではない催しがあり、これを見たいなら上記の場所で場所取り必須!しかし今イチ場所がわからない私たちは、楽して観覧席から眺めようと。
時間的に中央通りがいいかなと、数週間前、6名分予約しに行ったら「残り5席しかなくて・・・」
あっじゃあパパママは近くで立ち見にしようかな、と思う間もなく「席を追加しますので、用意できたら後日チケットを郵送します」って、なんてフレキシブルな
有料観覧席は今年始まった試みだそうで、色々試行錯誤している段階ゆえの柔軟な対応だったのかもしれませんね。いずれにせよ、無事に席が取れて一安心でした~

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↑有料観覧席を申し込むと、当日こんなお土産がもらえます

当日はあちこち時間差で通行止めなので駐車場への行き方がよくわからず、到着した時には最初のプログラム・白虎隊剣舞は終わった後 
目指すポイントの沿道はもちろんギッシリですが、私たちの席はしっかり空席 後から来てサラッと1列目に座って「ここおいくらなんですか?千円?千円ならね~これもいいわね~」などと後ろのおばさんにうらやましがられ(?)ながら、いよいよ初・行列見物です♪(ちなみに椅子席なので、後ろの人のジャマにはなってない・・・と思います

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ちょうど火縄銃の実演を行っているところでした。
目の前で撃つので、かなりの迫力です!!音がすごいんですよね~

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その間、沿道に控えているこの人たちが気になってたんですが↓

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お次の出番がこの人たちでした。
白熊&洋装の官軍vs.着物姿でなぎなた&刀の会津藩士(?)による殺陣演武です!
これが見たかったのよね~♪

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官軍全滅!歴史は塗り替えられた(!?)

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この「リメンバー・パールハーバー」ぶりが、なんともツボで
いや実際、帝のために人一倍頑張ってたのに、何でよりによってこっちが朝敵扱い!?何でこんなに殺されなきゃなんないの!?と、生粋の会津人じゃなくても素朴に思うくらいですからね~。せめてお祭りでこれくらいしても無理はないと思います~

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ここまでは前フリ。
かわいい赤べえパトカーが先導して、いよいよ藩公行列がやってきます!
(長くなりそうなので、続きは次回へ)
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会津藩公行列

いよいよ会津藩公行列の始まりです。
両側の旗を持ってるのは、確か今年の白虎隊を務める第一中学と大熊町の子だったかな?(うろ覚え)

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最初の行列は「会津藩・奴隊」
先頭で行列を盛り上げます。

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人数が多いので迫力あります!
半数が女の子なのも驚き

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続いていよいよ、歴代城主の旗が。
鎌倉時代から300年以上、会津を治めた「葦名」
葦名を破って会津入りした、独眼竜「伊達」
現代に至る城下町・会津の基礎を築いた、戦国の名将「蒲生」
上杉謙信の甥っ子で、新潟からやってきた「上杉」
この後、関が原で負けた上杉に代わって再度蒲生氏になりますが、その蒲生氏から会津を引き継いだ「加藤」
そしてついに、徳川2代将軍秀忠の息子にして3代将軍家光の異母弟である「保科」
保科正之の子孫であり、親藩・御家紋であった「松平」
・・・と、そうそうたるメンバーです

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これが、小室哲哉作曲「天と地と(炎)」の切なくも力強いサントラに乗って、ジャンジャジャジャジャンジャン・ジャジャジャジャンと登場するところを想像してみてください!も~~ゾクゾクするほどカッコいいったら
以下この音楽がエンドレスで流れつつ、次は「蒲生公時代」行列です。

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「日野町・手作り甲冑事業委員会」と「YOROI工房あいづ」の皆さんです。
金ぴかの鎧で歩いているのが、蒲生氏郷公。
滋賀県の日野町は、蒲生氏郷の生まれ故郷だそうで、氏郷公に扮しているのも「日野町・手作り甲冑事業委員会」の副委員長さんです。
会津に縁のある色々な地域の方々が、こうして参加してともに行列を形作ってくださるのが、会津まつりの素晴らしい特徴

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間近で大量の鎧を見る機会なんてないので、ただただ目を奪われ。
あれ?直江兼続もいますね
次は、会津総合病院・野球部と、オリジナルソフトボールクラブによる「保科公時代」です。

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23年9月現在、鶴ヶ城の季節展示は「保科正之」、城内には「保科公を大河ドラマにしよう(=会津の観光客を増やそう)」との署名募集案内などもありましたが、もう「お江」やっちゃったから、当分大河には出ないだろうな お江にとっては憎い愛人の子供なのが残念ですね
先頭の馬に乗ってるのは、保科正之が養子に行った保科家当主=高遠藩初代藩主の保科正光です。保科正之の義理のお父さんですね。
高遠藩は現在の長野県伊那市ということで、伊那市の副市長さんが扮しておられます。

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マツケンサンバのようなこちらの人↓が、会津の城主・保科正之=会津若松市長です。
「LIVE福島in鶴ヶ城」でのノリノリ姿は、今も忘れられません

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続いて腰元がズラリと。
いよいよお姫様の登場です。

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保科正之の正室・菊姫と、そのご一行。
今年は第一中学の、主に生徒会役員さんたちです。
菊姫以下お腰元たちは、毎年市内中学校の持ち回りで、白虎隊士役と共にその任に当たるのですが、在学中に廻ってくるかどうかは運なので、当たると親子ともどもかなりうれしいとは、KKの小学校ママさん談。
確かに、お姫様役なんかに当たったら、もう一生の思い出ですよね~(それにはまず生徒会役員に選ばれなきゃだけど

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続いて「松平公時代」
ここからは新撰組や白虎隊をはじめ、幕末~戊辰戦争をともに戦ったチームが続々出てきます。

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まずは「横須賀開国甲冑隊」。
馬に乗っているのが、浦賀奉行・戸田伊豆守。「横須賀開国甲冑隊」の隊長さんが扮しておられます。
浦賀は、外国船が姿を現すようになった江戸後期、後に浦賀奉行にその任が移るまで、会津から移住してきた多数の藩士によって警備されていたそうです。
横須賀市では、そうした彼ら「会津藩士の墓」を、市の指定史跡として保存してくださっているそうで、ありがたいですね~

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この「横須賀開国甲冑隊」は、人数も多く見た目派手でよかったです
明らかに間違っている人も混じってますけど↓

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ジャックスパロウの後ろにいた人も、若干間違ってるな~。
だって頭に矢が突き刺さってるんですもん

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「矢が刺さってる~」と言いながらカメラを向けると「頭がイテーんだ」とか言いながらポーズを取ってくれて
カッコよくてサービス精神も旺盛という、ナイスな「横須賀開国甲冑隊」でした

次は、桑名市観光協会による「京都所司代」です。

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馬に乗っているのは、桑名藩主・松平定敬。
最後の会津藩主・松平容保の実弟で、京都守護職の兄を助けるべく、京都所司代に任命されました。
三重県桑名市観光協会の青年部長さんが扮しておられます。

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会津藩と共に新政府軍から疎まれていた桑名藩。
松平定敬は、戊辰戦争時には会津から函館まで転戦しました。
「桑名藩主・松平定敬公、兄のために馳せ参じられた~~~」みたいな口上を、沿道のナレーターが思い入れたっぷりに述べていたような(うろ覚え
「エイエイオー」「いざ、しゅっぱ~~~つ!」これが、しつこいですが「天と地と(の中のおそらく「炎」)」の音楽に包まれた中でやられるともうね、たまりません

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お次は「待ってました」の(?)新撰組。
故郷・東京都日野市からの一団です。

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馬に乗っているのが、洋装の土方歳三。
近藤勇亡き後、いっとき会津・東山温泉に滞在していたそうです。

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会津に引っ越してくるまで、土方が会津に来たなんてことはもちろん、新撰組が「会津藩(=京都守護職)お預かり」なんて肩書きだったこともまったく知らなかった私 そもそも新撰組自体「有名だけどなんで?」程度のシンパシーという
なので、この大人数を見ると「やっぱり人気あるんだな~」と思うとともに「こんな人気グループと縁があって会津ラッキー」とか思ってしまいます(でも「会津藩が目の敵にされたのは、京都守護職で新撰組とかが薩長あたりの志士をバシバシ取り締まったからだ」とも言いますから、ビミョ~なとこですが)

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そして女子率が高い
私の場合「新撰組」と聞くと「のぼってこい、のぼってこいヤス!!」「銀ちゃん・・・カッコイイ・・・」とかがまず思い浮かぶんですが(あるいは「マヨラーの土方」とか)、彼女たちが思い浮かべている「新撰組」はきっと違うんだろうなあ(てか「鎌田行進曲」や「銀魂」を思い浮かべる方が間違ってる気もしますが

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次は「斗南藩」
斗南藩とは現在の青森県、戊辰戦争で負けた会津松平家及び会津藩士たちが、会津の地を追われて移住した場所です。
当時の斗南藩での生活はか~な~り過酷だったそうで、元家老の息子が留学先から「ハラヘッタ」と実家に手紙を書いたら「斗南藩では皆そりゃもう苦しい生活をしているというのにお前ときたら」みたいな返事が母から返ってきて、なんだかんだあって切腹してしまったという少年のエピソードなんかもあります(真偽は不明ですが)

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馬に乗っているのが、最後の会津藩主・松平容保の息子にして、初代斗南藩主・松平容大。
むつ青年会議所の理事長さんです。
会津はもちろん、斗南藩なんてのもまったく知らなかった私ですが、ここら辺のことは昔の大河ドラマ「獅子の時代」でも取り上げられていたそうですね。
ええ~~「獅子の時代」見てた~~!!オープニング曲と菅原文太が大好きだったのよね~~~
でも会津の話だったなんてまったく知らなかったな~(何見てたんだか)小学生時代にタイムスリップしたつもりで、もう一度見てみるか。

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次は会津藩のオッサン部隊・・・じゃなくて「朱雀隊」&「青龍隊」です。

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会津の部隊が「白虎」以外にも「朱雀」「青龍」「玄武」とあったなんて、ご存知でしたか!?え?常識?
私はちーとも知らなかったんですが、こないだKKに教わりました なんでも学校で習ったそうで(「白虎隊の死体を最初に見つけたのは盗賊だったんだって」とか)さすが会津!
4つの部隊は年齢で別れていて、白虎隊が16~17歳、朱雀隊18~35歳、青龍隊36~49歳、50歳以上が玄武隊だそう。

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朱雀隊に扮するは富士通系列の会津若松工場、青龍隊は日本テキサス・インスツルメンツ系列会津若松工場の皆さんです。
中でも一際きらびやかな衣装を着て歩いているのは、越後口隊総督(朱雀隊)と、日光口隊総督(青龍)。
それぞれの工場長が務めています。

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この両隊の引く大砲が、会津まつりの見せ場のひとつ。
各総督の号令に従い、大砲発射!
その迫力には思わず「うお~~!」と声が出ます

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興奮冷めやらぬ路上に、満を持して現れたのは白虎隊!
「白虎一番隊&二番隊」が行進してきました。

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原発事故で、会津に避難してきた大熊町の中学生たちです。
「大熊町立大熊中学校」の旗が力強くはためいていました。
沿道からの拍手も、この時はひときわ大きく

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大熊中学校は現在、鶴ヶ城近くの建物に「会津若松分校」という形で置かれています。
大熊町は原発最前線につき、町全体で避難を余儀なくされている場所です。
今回の参加者は大熊中学のごく一部ですが、それでもこの人数の多さに、改めて事故の重大さを思わせられます。
しかし同時に、町ぐるみの避難だったために、学校や町役場など共同体としての機能が保持できたことは、大変な中にもわずかに「良かった」と言えることかもしれない、などと思ったり。

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ともあれこれが、会津生活での良い思い出の1つになってくれれば、ほんとにうれしいです
沿道の拍手も鳴り止まず

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続いていよいよ「本陣」、会津松平家ご当主などが登場しますが、長くなったので続きは次回へ!

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会津藩公行列その2

会津藩公行列・続きです。
頭の中で、映画「天と地と(の「炎」)」のサントラをガンガンと流してご覧下さい

続きは、会津藩の重鎮ぞろぞろコーナーからです。
まずは会津若松観光物産教会副会長さんによる、家老で白河口隊総督・西郷頼母。

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この人の場合、本人よりも(?)妻子一族の悲劇が有名ですね。
みな自害して果てた中に一人、息も絶え絶えに生き残っていた姫を薩摩藩士が見つけたところ
「敵か味方か。味方ならばとどめをさしてくれ」
と苦しい息の下から頼まれ、赤熊も思わず涙したという場面の再現が、西郷頼母屋敷を復元した「会津武家屋敷」でも見られます。
白河口の戦いは、会津の敗戦がこれで決定付けられたものだそうで、白虎隊の陰に隠れがちですがある意味もっと悲劇的だった「二本松少年隊の戦い」なども、ここから派生します。そうそう敵側に、板垣死すともがいたってのも個人的にビックリでした。え?常識?

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続いて、城代家老・田中土佐。
戊辰戦争で自刃し、今は近藤勇のお墓もある天寧寺に眠っているそうです。
扮するは、歌手・俳優の岸浩太郎さんという人(ですがウトい私たちは「誰?」
この馬が暴れ馬(?)で、他の馬のようにおとなし~く歩かず、くるっと後ろ向いてみたり足をガツガツいわせてみたり。
他にも2~3、こういう気の荒い馬に乗ってる人がいましたが、こればっかりは運としか言いようがありませんね

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いよいよ本陣です。会津の旗がやってまいりました。
御大登場です!

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最後の会津藩主・悲劇の殿様、松平容保公です。
ほんとこの人は、知れば知るほど「気の毒だったなあ」としか。
鶴ヶ城に、若かりし頃(というか、おそらく幕末の一番大変だった頃)の写真や書が飾ってありますが、どちらも神経質そうな、几帳面な印象で、「ひたすらマジメに頑張ってただけなんだろうにな~」とか。

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馬に乗ったこの松平容保公が、会津松平・本家第14代ご当主です。
すごい!本物が残ってるのね~
ちなみに先代=第13代は、残念ながらこの夏亡くなられたと新聞で報じられていましたが、なんと松平容保公のお孫さん!(てことは馬上の方は曾孫さん!)
ちなみに故・秩父宮勢津子妃も、同じく容保公のお孫さん!勢津子妃の甥っ子さんは、後に会津松平家から徳川へ養子に入り、現・徳川宗家第18代ご当主!
「幕末」なんて遠い時代だけど、こうした方々の存在を通すと、確かにそこにあったんだな~と思えてきますね。

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続いて若殿・松平喜徳公。
扮するは第一中学校・生徒会副会長です。ちなみに生徒会長は、保科正之ご正室・菊姫で、そういや私らの頃はどんなに頭や人柄が良くても、女子は副会長どまりだったな~と、昭和オババしみじみ
喜徳公は、最後の将軍・徳川慶喜の実弟にして、容保公の養子だった方です。さっきから私、容保公を「最後の会津藩主」と連呼してますが、本当の「最後の会津藩主」はこの喜徳公でした。ただその時期はあまりにも短く、名目上という感じではあったのです。
この人もまた、気の毒としか言いようのない「歴史の不運」をモロに浴びてしまった人ですね。養子に来たタイミングも不運なら、その後に実子が生まれて家督がそっちに行っちゃったりと、置かれた立場も不運。
激動の歴史にまきこまれ、やっと明治として安定した時代、妻子ないまま37歳でこの世を去ったそうです。

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続く本陣家老・神保内蔵助。
先ほどの、暴れ馬に乗った田中土佐とともに自刃した人だそう。
こちらは「厳選なる審査の結果選ばれた」一般の方が扮しておられます。
パンフレットを見ると、一般の方も、市内・市外、東京埼玉山形新潟と、各地から応募して来てくださったようです。ありがたや~

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もう1人本陣家老・萱野権兵衛。
天寧寺でお墓を見た時「どっかで聞いたことある名前だな」と思ったら「早野凡平」でしたというどーーでもいい話はさておき(そもそも「萱野ゴンベエ」と読んでるのが間違ってる気も
この人は実際、よく知られているみたいですね。戊辰戦争終結後、主君・容保公の罪をかぶることでその命を救い、自らは処刑されたという「忠臣」として。
この人の息子さんが、「斗南藩」のところでちょろっと触れた、食べ物どうこうで切腹してしまったという話が伝わっている「郡長正」です。何もアンタそんな死ななくても・・・とか庶民としては思ってしまいますが、元・家老息子だったり、父親がこうして偉大だったりすると、そうも言ってられないこともあるんでしょうか??

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続いてやって来たのは、ご存知!白虎隊。
大熊町の白虎隊と共に、本陣を前後から守ってるんですね。

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こちらは第一中学校の生徒たちです。
その学年に在学中、当番校に当たる確立は決して高くないですからね~♪歩いてる皆さん、ラッキー

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沖縄戦におけるひめゆり学徒隊のごとく、会津戦争なら白虎隊って感じで、今や会津に欠かせない代名詞的存在ですが、これが19名+1名だけじゃないってご存知でしたか!?え?常識?
私は引越し後に飯盛山に行って、初めて知りました その数なんと350人余だそうで、けっこうな大部隊だったんですね

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そして、白虎隊と言えば「愛しき日々」♪
ってわけでもないですが 今年のスペシャルゲスト・堀内孝雄の登場です。
ちょうど小雨が降ってきてしまって、寒そうにフードをかぶってらしたんですが、ここら辺に到着するときっちりフードを取って。
ひょうきんな仕草やスピーチで、観客を沸かせてくれました

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先ほどの岸浩太郎氏とともに、「会津親善大使」であるらしい堀内孝雄氏。
「おかげさまで会津を歩いていると「愛しき日々」「愛しき日々」と声をかけられてうれしい」と話してました
「愛しき日々」は、その白虎隊ドラマを見たことない私でもなぜか知ってるという不思議な主題歌 そんなにヒットしてたっけなあ??
この後、鶴ヶ城での帰陣式で歌われたそうです。

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次は、長岡藩銃士隊。
新潟県長岡市の「米百俵まつり実行委員会」の皆さんです。
新潟ってことで「いよっ♪待ってました!」という気分に

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とはいえ、同じ新潟でも長岡藩なんかはこのおまつりのとおり、会津藩とともに戊辰戦争の激戦を戦い抜きましたが(新潟市内中心部のちっちゃい公園なんかにも、戊辰戦争跡の碑がぽつんと建ってたりします)、私の実家・新発田なんかは、奥羽越列藩同盟を裏切って新政府側に寝返っちゃったりしてるので、ビミョーなとこですけど

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ともあれ長岡藩銃士隊は、そのガトリング砲が行列の目玉の1つ
号令に合わせて、いざ発射!
どんな大砲なんだろうと思ったら、パパパパンという連発銃なんですね

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米百俵まつり実行委員長さんによる、軍事総督・河井継之助。
「新潟日報」ではこの人についての連載コラムがあるくらい、越後史の中で有名人物なようですが、私にはなんだか難しそうで「要はエラい人だったんでしょ?」と読まないままだったのが、悔やまれます
戦闘中に負傷し、新潟から山越えして県境の南会津にかろうじて入るも、その傷が元で、こないだの豪雨によりかなりの被害が出た南会津・只見町にて亡くなった由。

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続いて照姫の輿車
こちらは皆さん、一般参加です。
照姫とは容保公同様、会津松平家8代当主の養子となった人で、容保公の義理の姉にあたるそう。
戊辰戦争時には、鶴ヶ城に篭城してともに戦ったそうです。
当時の鶴ヶ城では「迷惑にならないよう城に入らず自害する」という西郷頼母の婦女子一族のような例もあれば、「ともに篭城して炊事・治療などに当たる」と戦った女子たちの例もあり、照姫はさしづめ後者のリーダー格。
現場は「鶴ヶ城ボロボロ写真」でおわかりのように、官軍の砲弾がバンバン打ち込まれる、まさに戦場で、砲弾を爆発しないように布で押さえるなんつー危険な任務も、これら婦女子が行っていました。
写真が遠いですが、輿車の後ろを歩くカップルは、ヘンリー・スネルとおけいさん。
スネルとは当時の武器商人で、当時は日本に3つくらいしかなかった先の「ガトリング砲」その他の最新鋭武器を調達し、奥羽越列藩同盟にも影響を与えた人物だそう。
おけいさんはスネル家の子守をしていた少女で、戊辰戦争後に他の会津人たちと、当時ゴールドラッシュ(だったのね)に沸くカリフォルニアへと移住しました。「日本人女性移民第1号」だそうで。
こちらに扮しているのは、当番校である第一中学校女子です。

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続いて、中野竹子と「娘子隊」
「むすめっこ隊」じゃなく「じょうし隊」でした。え?常識?
扮するは今年の当番校(高校部門)、ザベリオ学園高等学校です。
中野竹子も有名な人だそうですね。イメージ的には「会津のジャンヌダルク」??
照姫護衛のため自発的に娘子隊を結成、後に鶴ヶ城へ向かう途中、湯川の柳橋で官軍と激突、薙刀をふるって戦うも、銃弾に倒れました。
薙刀には辞世の句が巻かれていたという話が伝わっています。
「武士(もののふ)の猛き心に比ぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」

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続いて薙刀隊。
「会津なぎなたスポーツ少年団」です。

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こちらも人数多くて壮観!
そしてさすが日々練習している子達だけあって、ぴしっと角度の決まった動きが素晴らしい

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さて行列もそろそろ終盤。
会津若松市区長会による、留守備「玄武隊」です。

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玄武隊は、当時は隠居世代である50歳以上のシニアチーム。
「白虎隊」と同じく、あくまでも予備隊でしたが、戦況の悪化の前には実戦隊も予備隊もへだてなく。
再来年の大河ドラマ主人公「山本八重」の父も、玄武隊士で戦死しているそう。

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ということで、後ろに続くはその「山本覚馬・八重」兄妹。
福島復興応援大河ドラマ「八重の桜」決定につき、今年急遽参加した輿車です。
一般参加のこちらのお2人も美男美女でしたが、TVでは誰がキャスティングされるんでしょうね~?楽しみです♪(実際の八重さんはあの~、そんな特別美人ってわけじゃなかったそうですが
この人も、照姫同様「篭城組」でともに戦い、「会津のジャンヌダルク」ならぬ「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれたそう。
有名な篭城組には他に、山川捨松なんかもいます(こちらは逆に「鹿鳴館の花」と呼ばれたほどの美人さんだったそう。「逆に」ってすごい失礼なこと言ってますが)。ちなみに山本八重は後に、同志社大学創設者・新島襄の、山川捨松は後に、明治の元老・大山巌の奥さんになっています。

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最後の行列は、会津新撰組。
「会津新撰組同好会」の皆さんが扮しておられます。

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会津に残った、新撰組三番隊長・斉藤一が、「会津新撰組」のリーダー。
後ろを振り返っているのがその人です↓

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七日町・阿弥陀寺にお墓があり、連休最終日には会津まつり共催行事として、墓前際を含む「会津新撰組まつり」も行われます。
やっぱり人気あるんですね~~新撰組

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しんがりを務めるはおはやし太鼓。この車が通ると、今年の会津藩公行列も終了。
いや~~見ごたえありました

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KKの小学校ママさんによると「でも今年は人数少なかった気がする。前は米沢とかあったんだよ」とのこと。
やっぱし原発騒ぎとかの影響なのかな?
しかし初見の目にはも~う充分すぎるくらい、会津まつり堪能させていただきました~~

行列に参加してくださった各団体・学校の皆様
および市内市外果ては県外から一般参加してくださった皆様
そして、時を越えて会津のために遠路はるばる馳せ参じてくださった
「蒲生公時代」滋賀県蒲生郡日野町の皆様
「保科公時代」長野県伊那市の皆様
「浦賀奉行」神奈川県横須賀市の皆様
「京都所司代」三重県桑名市の皆様
「新撰組」東京都日野市の皆様
「斗南藩」青森県むつ市の皆様
「長岡藩」新潟県長岡市の皆様

素晴らしかったです!
ありがとうございました!!!

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最後に番外編もありま~す

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会津まつり~番外編

さて藩公行列を堪能した帰り道。
中央通りからの~んびり歩いていきます。
神明通りには屋台がズラリ♪

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と、その中にひときわ気になるお店発見!
「懐かしい・・・青春の味・・・今も・・・」という、怒涛の「・・・」攻撃がツボを刺激する「トミーフード」

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「ミート焼きそば」が看板の屋台みたいですが、元・新潟人としては
「ちょ~っと待った~それはイタリアンじゃないのか~~!?」
新潟・みかづきの「イタリアン」は、新潟で中高生時代を過ごしたことのある人間にとっては、学校帰りの空腹をみたした、まさに「懐かしい・・・青春の味・・・」ですが、会津の人にとってそれは「トミーフード」なのかしらん?
お店は野口英世青春通りにあるそうで、これはいつか食べ比べてみなければ

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神明通りも通過して、鶴ヶ城のお堀に近づいてくると、おや?向こうに歴代城主の旗が粛々と。

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どうやら鶴ヶ城での帰陣式へと向かう行列と、再度かちあったようです。
わ~ラッキー♪

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この十字路は人も少なく、容易に最前列で見れました。しかも行列がちょうど止まって(というか前がつかえて?)ゆっくり見れる上に、口上を述べる場所でもあるらしく。
イケメン武将がマイクを響かせ「いざ、しゅっぱ~つ!」とやる大通りもよかったですが、行列の人自らが地声で「兄のために馳せ参じた~~」とか叫ぶのは、また違った臨場感があってよかったです。
距離が近いので、行列とのコミュニケーションも取りやすく、姫の知り合いらしい中学生とか「わ~♪」とお互い手を振り合ったりするのも、またほのぼの

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「キャプテンスワロウだ!」とUが言ってたら、さっきも写真撮らせてもらった気さくな重傷兵
「おう、ジャックスパロウだよ。こいつの名前じょにーでっぷっつーんだ、なあおい」
とか言いながら、またまた写真撮らせてくれました
しかしサービス精神旺盛なグループだなあ横須賀開国甲冑隊


おまけとして、最終日を飾る子供たちによる鼓笛パレードも、ちょっとご紹介。

出発前の集合場所。
日新館童子パレードと鼓笛隊の小学生がゴチャマゼのテンコモリ状態。
楽器積み込みのお手伝いで行ったのですが、旗とか大太鼓とか、けっこーー重いんですね
これず~っと持って歩くなんて、すごいぞ子供たち

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さて始まった鼓笛パレードですが。
こっちは昨日の藩公行列とは違い、我が子の雄姿を撮りまくるという一大ミッションを完遂すべく、ず~~っと1つの小学校に密着して歩いてたので、お見せできる写真はほとんどないという
我が子が出ない「日新館童子行列」に至っては、最初に見送ってオシマイみたいな
というわけで、まったくレポできずごめんなさいですが、ま雰囲気だけでもお伝え・・・という感じで。

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沿道に到着してびっくりしたのが「これって昨日の藩公行列より観客多くない!?」
昨日の行列と違い、大通りで午前中だけというスケジュールゆえの一極集中もあるのでしょうが、市内中の家族縁者がここに結集したのか!?と思われるほど。
なんせ市内18校・総勢2200人が練り歩くわけですからね~

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そして昨日の藩公行列と違って、沿道が動く動く!
観客は一ヶ所滞在型も多いですが、2列目以降は、行列と同じ速度で歩く家族あり、走りこんで行列を待ち構え、我が子が通り過ぎるとまただーっと走り去って次のポイントでスタンバイ・・・を繰り返す家族あり、と、ほとんど「車道はパレード、沿道はマラソン」状態
これはこれで感激というか、いい光景だなあなんて思ったり。

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この鼓笛パレードが通り過ぎたら、今年の会津まつりもおしまいです。
子供たち、よく頑張りました

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〆は花火!
おまつり最終日のこの夜は、なんと鶴ヶ城を眺めながらの花火大会がありました。
写真がボッケボケでごめんなさいですが、左側にちっちゃく写ってる白い物体が、ライトアップされた鶴ヶ城です。まったく判別不可能ですね
おそらくは復興祈願なのか、ニコニコマークみたいな花火もいくつか上がって、KK&Uも「あっ笑ってる~~♪」と指差しながら、祭の終わりを最後の瞬間まで楽しみました。

お祭りっていいですね~♪
みんなが笑顔になるところもいいし、自分が住んでる場所への愛情を再確認できるのもいい
個人的にお祭り大好き体質ってのもあるんでしょうが、学生時代から今に至るまで、引越し・転勤族の目には(埼玉新潟練馬横浜新発田村上会津)、こういうお祭りをしっかり持っている町=住んでいる人に愛されている町って感じで、本当にステキな場所として映ります
今回はそれに加えて、福島が大変な状況にある中、それを乗り越えて再度「援軍」に来てくれた参加者・観客の皆様の志がとりわけ身にしみるという感激もあり。
改めて、ありがとうございました

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