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今日のご飯

仕事を始めると、メニューの予定、食材の買い置き、および下ごしらえがけっこう重要になるんだな~ということに気づいた昨今。
ママの仕事は、朝が比較的遅い始まりなので助かるのですが、夕飯はやっぱり時間との戦争
帰宅してからなるべく短時間で夕飯を作るには、私の場合、朝のうちにいかに「後は焼くだけ」とか「煮るだけ」状態にしておくかが勝負のポイントという感じで。

で、1年たってもまだまだ試行錯誤しているのですが こないだ帰宅してからの調理時間(たぶん)過去最短を記録した料理があったので、喜びのあまりご紹介(たぶんとっくにやってらっしゃる方多々だと思いますが
そーれーはータコライス
会津若松では、リオンドールだけが唯一タコシーズニングを扱ってますスバラシー ちなみにどこのリオンドールでも大体、タコシーズニングとともにチリシーズニングや(トルティーヤ皮も一緒になった)タコスセット、タコスソースやサルサソースなども並んでいて、タコベルが若松に上陸するまでは、とりあえずリオンドールでしのげそうです(たぶん永遠にリオンドールでしのぐ予感
ここでタコシーズニングとサルサソースを買っておき、まずレタス千切り→冷蔵庫へ。
そしてトマトダイス切り→冷蔵庫へ。
みじん切り玉ねぎがジャムみたいになるまでよーく炒めたもの→冷蔵庫へ。
私は玉ねぎの食感が苦手なんで、カレーでもなんでもぐっちゃぐちゃになるまで炒めちゃいますが、玉ねぎ好きな人は、みじん切りにした時点で冷蔵庫へ入れちゃっていいと思います。冷蔵庫がオニオン臭くならないよう厳重に。
(てか玉ねぎは必要ないかもです。沖縄のタコライスには入ってないし。我が家は風味&分量アップのために入れちゃいますが
最後に豚でも牛でも、お好きなひき肉を冷凍庫から出しといて、さて行って来ま~す

帰ってきました~
さあここから勝負です 解凍したひき肉と冷蔵庫の玉ねぎを、途中に水とシーズニングと、我が家の場合ケチャップとソースも追加して、強火でがーっと炒めること5分くらい?
お皿に盛ったご飯にこのひき肉をのっけて、冷蔵庫から出した千切りレタス、ダイストマト、そしてスライスチーズをちぎって乗せれば完成です早~い! サルサソースは食卓に置いて、お好みでね

ここにスープを足しても、プラス10分くらいです
アオハタコーンクリーム缶の大1個を、バターでざっと炒めたら、ミルクで伸ばし、塩で味付けするだけ。お好みでホールコーンを投入してもグー ミルク系はピリ辛味を中和してくれるので、タコライスにはぴったりなんですよね
これも朝のうちに作って冷蔵庫に入れとけば、さらなる時短&冷製コーンスープになります。これからの季節にはそっちの方が冷たくておいしいかもですね♫

もう一品
このタコライスであまったサルサソース(サルサソースは瓶詰めなので、開封したら早く食べきるが吉です。冷凍保存という手もあるかもですが)の活用法を考えてたら、わりとおいしそうな料理を思いつき、次の日がお休みだったのをいいことに作ってみたら家族に好評だったので、喜びのあまりご紹介(たぶん「よくある料理じゃん」って方多々だと思いますが
目指すは「ヒメダイあるいはスズキのポワレ」です
なんかレストランとかでよくありそうじゃないですか「こちらヒメダイのポワレでございます」みたいな。よくわかんないけど高そうな感じの
あれを家で、いかに安く簡単に、そしてサルサソースリサイクルのために作れるかという
まずはお魚屋さんで、テキトーな白身魚を購入。スズキやヒメダイがあればいいけど、たぶんないしあっても高くて買わないので、テキトーに安いやつを 
今回は赤魚を選択。タラやカレイでもいけるかもしれません。ただ赤魚が4切れ398円で一番安上がりだったのでね~
つぎにお野菜コーナーで、長ナスとズッキーニ購入。どちらも夏野菜なせいか、このところ比較的安くなってきたのがうれしいです♫ 今回はナス70円、ズッキーニ128円。どちらも少ししか使わないので、1本ずつで十分です。プチトマトも、買い置きがなかったらここで買っときましょう

赤魚は、時間があったらミルクに漬け込み。なかったらたぶんそのままでもいいと思います
フライパンでバターを溶かしたら、赤魚投入。塩コショウ、ハーブソルトなどお好きな味付けしたら、後は蓋をして、表裏ぱりっとなるまで中火で焼くだけです。ポワレってたぶんこういう料理よね。え、違う?
その間にプチトマトをダイス切り。トッピングなので、そんなに量いらず。
ついでに長ナスとズッキーニもダイス切りにして、オリーブオイルで揚げ炒め。途中ニンニクをしこたま入れ、マジックソルトで味付けします。
これもトッピングなので、半分くらいしか使いません。残った半分は、トマト缶と一緒に煮込んでパスタソースか、いや待てオリーブオイルでこんがり焼いたチキンソテーのトッピングにもいいかもな。ソースはこちらもトマトでね。

といった感じにまたまたリサイクル可能 ちなみにチキンソテーも、暇な時にドレッシングに漬け込んで冷凍しとけば、後は焼き色がつくまで焼くだけなので、「帰ってきてからの戦争料理」にぴったりです。つけあわせのレタスやサラダはもちろん朝のうちにね 鶏を塊じゃなく、細かく切って冷凍しとけば、帰ってきてから長ネギと一緒に市販の焼き鳥のタレと炒めるだけで、これまた10分で焼き鳥の出来上がり

そうこうするうち、赤魚がいい感じにぱりっとなったかな~??
魚にしっかり火が通って、「これでOK」と思ったら、お皿に盛り付けです。
魚の皮の上に、ナス&ズッキーニを多からず少なからず、いい感じに乗っけて。
さらにその上にダイストマトもいい感じに乗っけて。
そしてその上に残ったサルサソースを乗っけて。ついでに水菜もちょろっとだけ散らしましょうか。水菜って安いし使いやすいんだけど、すーぐヘタレてしまうのが難点なのよね。ちょこまか使っていかないと。
最後にお皿のヘリに、緑のバジルソースをくる~り。これで「スズキのポワレと思えばきっとそういう味がするはずええきっと」の完成で~す
安いわりに見た目が豪華、そして魚をバター風味、ニンニクやバジル風味、サルサ風味と色んな味で食べられるのがポイント もちろん全部ごちゃ混ぜにして食べても良し

しかし見た目は豪華ですが白米は進まなそうな味なので(パンの方が合いそう)、ご飯は炊き込みご飯に
フェイクな料理に合わせて「松茸ご飯と思えばきっとそういう味がするはずええきっとご飯」、別名エリンギご飯です
昔どっかのTVでやってたご飯で、水をセットしたお米に、エリンギおよび永谷園とかの「松茸のお吸い物」の素を入れて炊くという。あんまりいっぱいお吸い物の素を入れると風味がくどくなるので、人数多いときはお酒や白だし、醤油などで好みの濃さに調節するといいと思います。わあ今日はヒメダイのポワレに松茸ご飯か~すご~い(虚しい上に四季が合ってない

副菜は、前にも書いた気がするブロッコリーとじゃがいものチーマヨ焼きで。これも「あとは焼くだけ」にできる便利料理♫
ブロッコリーとじゃがいもをオリーブオイルで揚げ焼きして、またまたマジックソルト。クレイジーソルトよりも安いのでお気に入りです
それを耐熱皿に入れた状態で出かければ、帰ってきてからマヨネーズとチーズ乗せて焼くだけでOK。子供受けする味なのもグーです ブロッコリーも、一時は高かったけど最近はだんだん値段が下がってきましたね♫ ありがとう夏

などなど、あんまり珍しくもない料理ですが、喜びのあまりご紹介してみました 何か参考になれば幸いです。
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テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

月9も捨てたもんじゃない

先週最終回を迎え、とっくに旬は過ぎたと思われる話題ですが、どうしても書きたい月9ドラマ「デート~恋とはどういうものかしら」。
いやもう最終回を見て以来、「頭の中は「デート」のことでいっぱいだ~アハハハハ」@鷲尾くん状態で なんでも鷲尾くんによると、ノートに思いを吐露すると落ち着くそうなので、裏磐梯ホテルレポを一時中断して、今回は「デート」への賛美を
(あれ鷲尾くんが言ってたのは「ヤなことをノートに書き出す」だったような

さて連続ドラマ視聴習慣なし、というかむしろドラマ嫌い、一番最近リアルタイム視聴したのは2年前の「八重の桜」オンリー・・・
という、ドラマ好きじゃない私が、うっかりハマってしまった今季月9「デート~恋とはどういうものかしら」。
1話目の、船の中での主人公2人の議論っぷりが琴線に触れて、以来たびたび(←毎回ではないあたりが基本ドラマ嫌い)見ていました。

このドラマの主人公は、「八重の桜」の前夫だった尚さん=ニート(本人曰く「高等遊民」)である「巧くん」、杏さん=かつて「人の心がわからないと14人に言われた」高学歴高収入理系女子である「依子さん」。ともに「恋愛不適合者」という自覚を持つ2人、というより「恋愛」というものを軽蔑すらしている2人です。
この2人が、巧は寄生先を親から配偶者に乗り換えるべく、依子は30歳の誕生日までに独身卒業すべく、という身も蓋もない理由で結婚しようと、八重のおとっつぁまやおっかさまなど周囲も巻き込んで色々悪戦苦闘するうちに・・・という、ちょっと捻くれたところから出発するラブコメ。
もともと私自身が「恋愛不適合者」と自覚しているので、マンガでも映画でもラブコメ嫌い、ひいてはこの「ラブコメ嫌い」が「ドラマ嫌い」に通じてしまったのだと思いますが(前にも書きましたが、私の青春時代のTVドラマといえばトレンディドラマで、トレンディドラマ=「誰と誰がくっついて別れてっつーラブコメ」という、「恋愛なんてくだらないby巧&依子」としか思えなかったもんだったので)。
そんな私にとっては、1話から「同感です。恋愛なんて暇人にまかせておけばいい」と主役2人が意気投合し、そこに「いや恋愛っていうのは素晴らしいものですよ!」と割って入る恋敵を「ほらこういう奴」とバッサリ切って捨てるドラマは、もうひたすら面白くて
と同時に、いかに恋愛不適合者でも、寄る年波で「(恋愛の基礎感情である)人情」や「結婚生活」などは「やっぱり悪いもんじゃない」としみじみ思い至るようになった昭和オババとしては、「今はこう言ってる固い蕾のような2人が、これからどう変わっていくんだろう」という楽しみもあり。

という根本テーマもいいのですが、そのドラマを成り立たせる膨大なセリフが何より面白かったのが、私的「デート」の最重要ポイント
正直、「デート」の中の誰と誰がくっつこーがどーでもいいという姿勢で見ていた私にとっては、このドラマの楽しみは、膨大なセリフにちりばめられたくすぐりや小ネタの数々や、それを猛烈なスピードで応酬する役者さんたち、すなわち「秀逸な喜劇を見る」という楽しみが第一義でした。
(ていうか、どう見ても最初の頃から巧と依子は気が合ってたし、反対に鷲尾くんや佳織ちゃんとのデートは「無理してる」としか見えなかったから、巧と依子がくっつく以外の結末はありえなかったもんね。オババになると「無理は続かない」ってのが骨身にしみてわかるから

私はドラマや演劇って、ラブコメじゃなくても台詞回しや動作、ストーリー進行などに特有の嘘くささを感じてしまうところが苦手なのですが、三谷幸喜さんだけは好きで、その三谷さんを知った「やっぱり猫が好き」や「12人の優しい日本人」などを彷彿とさせる空気が「デート」にはありました。舞台が固定されている室内劇で、登場人物も限定していて、セリフだけで話が進んでいって、なのにすごくドラマチック。話を作るんじゃなく、話が転がっていく、その転がり方が面白くてたまらないという。

三谷さんは「座付き作者だったから、一座の役者全員にスポットライトを当てたいという思いがある」とおっしゃってました。
私これにすっごく共感して。と同時に「三谷脚本の面白さのポイントはこれだ」と思ったものです。
「12人~」なんてまさにそうで、あの12人の中には「脇役」がいない!もちろん出番の大小による「主役/脇役」はありますが、あの中に欠けてもいい人は1人もいない。「話の都合上」で動かされる人もいない。限定された室内での、限定されたテーマをひたすら話し合う内容でありながら、その膨大なセリフの応酬から1人1人の、決してドラマに都合良く作られたわけじゃない(と見ている人に思わせる)性格・価値観が、大げさにいえばそれまで生きてきた歴史・生き方までがうっすら浮かび上がる。誰か1人欠けたり、別人だったりしたら、同じ話にはなりえない。
つまり、登場人物すべてが「かけがえのない人」なんですね。

人間を、人間が生きている社会を愛するには、「誰もかけがえのない人だ」と思えるかどうかにかかってる気がします。すごく大風呂敷広げた気もしますがまあまあどうか
で、この「デート」からも、三谷作品に共通して根底にあるこの思いを、毎回受け取ってた気がするんですね。実際は何回か見逃しましたが、見れば必ずそう思えて、なんかこの世にいることを安心できるような。
しかしこれを真正面から声高にセリフで説教しちゃうと、「恋愛とは素晴らしいもんなんです!」と同じで、心を打たないんですね。「感動させよう」というお涙頂戴的な意図の方がまず伝わっちゃうから。あくまでもコメディ、真摯で上質のコメディだから、そこに隠された真っ当な思いがじわじわと心に残るんです

いつも「世の常識」を心底正しいことと信じて従う真っ当さと、いつもそれを巧依子にぶった切られる可笑しさを兼ね備えた鷲尾くん。どんなに依子にフラれても、ひたすら追いかけ、しかし必ず依子を尊重し。やむなくクローゼットの中に隠れながら、依子が彼の恋敵・巧に迫って拒否されかけると「受け止めてやれよ!!!」と泣き叫びながら飛び出してきたシーン、依子にフラれて外でくすんくすん泣いているのを恋敵・巧に見られて、だっと駆け出す後ろ姿e.t.c....もう爆笑でした笑うなー。いや決してその人をあげつらう笑いではなく、「悲劇は時に喜劇である」という、このドラマが上質の喜劇であることを体現しているが故の笑い。

あるいは小学校時代からずっと巧に恋していた元ヤン佳織ちゃん。依子から巧へのクリスマスプレゼントが、「ニートから脱出するための資料どっさり」だったという(ここでも爆笑)、「人の心がわからないにもほどがある」ようなシロモノだった時、そこにびっちり書き込まれた依子のメモ、及びそこにこめられた恋敵・依子の真情に、いち早く気づいて巧に教えたのも佳織ちゃんでした 私的には佳織ちゃん=尚さんのEXILEダンスを引っ張り出してくれた功労者ですが そうそう佳織の兄ちゃんもいい味出してましたね。「脇役」がいないこのドラマでは、比較的「狂言回し」の役割を負った脇役らしい脇役でしたが、それでもこれまでの個人の歴史が垣間見えるようなキャラで、決して「ストーリーに都合よく作られたキャラ」という感じがしないのはさすがです

巧母=尚さんの義母=風吹ジュンさんも忘れられません。そもそも私が「ニート」じゃなくて「デート」を「あれ?このドラマ面白おかしいだけじゃないぞ」とはっきり認識したのが、前にも書きましたが、このお母さんがニート息子への思いを述懐するシーン、及びその述懐を聞きながら、ニート息子が膝を抱えているシーンでしたから。。。
息子がニートであることを、決して肯定も否定もしない。もちろん「(経済的に自立してくれたら)お母さん助かるわ~」とか、「うちの息子働いてませんけどいいんですか?」「あんな子でいいの?」とか、ニートという現実は現実としてけっこうシビアに受け止めてはいますけど、それを過剰に絶望もしない。なぜなら息子は昔のままの優しい息子として変わらず目の前にいるだけだから。なので自分も変わらず、元夫の世話を焼き、生活を楽しみ、いつも大らかで、しかしここぞって時には35歳のニート息子に009の完璧再現衣装を作ってやったり、息子が好きになった子が肩こり持ちなのを見てとって、宝物の肩たたき券をこっそり息子から渡すように仕向けたりe.t.c...
親としての目配りというか行動というか、「信じて遠くから見守る」距離感が絶妙で、個人的にとっても「お手本」になったお母さんでありました。「自分勝手に思いつめて、子供を(ひいては他人を)追い詰める必要なんてないのよ~」って、同じ境遇のお母さんへ、言葉じゃなく佇まいで示してくれてたような。
そうそう元夫=巧のお父さんが、個人的に好きな日本映画ベストテンに入る「蒲田行進曲」のヤスさんなのも、ツボでしたね~~~ 原作では早稲田で真面目に(=ネクラに)演劇を学んでいたという過去を持ち、人情の人でありながらどこか歪んでいて自己破滅型のヤスさん、巧父にぴったり♫

そして何より、八重のお父さん=依子のお父さんであるマッチゲさん このドラマ、半分はこの人を見るために見ていたと言っても過言ではありません 自分とはまったく違うから理解できない娘をひたすら案じ、しかし「こうした方が幸せになるぞ」なんては決して押し付けない。本音ではその役割を果たせそうな鷲尾くん一押しでありながら(だから鷲尾くんって、依子を尊重しつつどっか支配的)、ニート巧も「娘が愛しているなら&娘を愛しているなら」と受け入れようとする。娘に隠れて「ほんとはサンタさんやりたかった」と泣いたり、お雑煮のレシピを改ざんしたりと、あまり表に出さない愛情がことあるごとにダダ漏れになるのが、なんともお茶目なおとっつぁま。最終回でも「(巧と依子は)夫婦漫才みたいじゃね」という言葉に、「夫婦漫才とか言うなああ!!!」といち早く激高したり(←爆笑しました)、「いや困っちゃうよなあ若すぎるだろ」と喜び溢れる笑顔で困ったりと、八重のおとっつぁま=依子のお父さん=マッチゲさんの魅力全開でした

そんな愛すべき「かけがえのない人たち」が集まっての最終回。
私的には、「誰と誰がくっつこうとどうでもいい(恋愛不適合者ですから)。最後にあの壮絶なセリフの応酬が見れるのが楽しみ」というつもりで臨んだのに。
やられました。
泣かされました、2人の告白シーンに。
そこに至るまではまさに私の待ち望んでたセリフの応酬で、ま最終回につき、内容が今までの振り返りだったのと、ちょっと始まると周りが止めるので(「夫婦漫才とか言うなあ!!!」)、私がハマった1話目の船での議論よりは薄味だったのが残念でしたが、それでもそういう応酬しながら話がどんどん転がっていって。
そうまさに話が「作られる」んじゃなく「転がって」いくという、このドラマの面白さは最終回でも健在!
どこに着地するのかわからない、というか着地するまでのさまが面白くて目が離せないという緊張感。奇をてらって=「こういう着地点なら視聴者は驚くだろう」という作為が前面に出るが故の、決まった着地点に向かわせるがための無理やり感や、逆に考えなしに話を広げていくんじゃなく、緻密に積み上げて積み上げていった結果、「作りごと」なんて視聴者が思うヒマも隙もなく、話が転がっていく体感に身を委ねられるという。昔「やっぱり猫が好き」という、やっぱり三谷幸喜が脚本の1人として参加した上質な室内劇がありましたが、固定した室内でも、または殺人だの不倫だのとショッキングで目を引く題材がなくても、「スリリングな展開」っていうのは作れるんだなという感動が、この「デート」にも。ま「やっぱり猫が好き」を「スリリング」と言ったら異論噴出かもですが
(しかし目を引くショッキング題材を、あくまで興味本位の「題材」としてしか扱わず、そのくせ深刻ぶって目を離させない作りにするのに比べ、何でもないことを描いて目を離させない作りにするのは、ほんっとーーーーにすごいことだと思います。これ私がドラマ嫌いになった一因でもある脚本家・野島伸司に向かって言ってます

「デートは楽しかったです!!あのサッカーだって・・・」と必死にデートの思い出話をすればするほど、「それはサッカーについてだ。鷲尾くんとの話を」「早く鷲尾くんを出せ」と巧に突っ込み入れられる結果になる依子 依子のボケに対し、巧の言うことが的確なツッコミになってるのがまず笑えるのですが、純粋な助け舟のつもりの巧のツッコミが、地味に鷲尾くんのHPを削っていく結果にもなっているという、この残酷な笑い。まさに「悲劇と喜劇は同じもの」。
しかしそこで最後の力を奮い起こす鷲尾くん。指輪を取り出し依子にプロポーズを。ああもうどうなるんだか。依子は受ける気満々。いいのか依子。ここでおそらく全視聴者が「おおっ」とどよめいたであろう、伏線をはり巡らせた脚本の妙を感じる展開に。

と、一つ一つシーンを上げていくと長文になってしまうので(え?もうなってる?)、いっちばん感銘を受けたところ。それがここからなだれ込む2人の「魂の叫び」シーン。
多数決で決まった2人の恋人関係に、涙ながらに訴えていわく
「依子さんは恋をしたいんだ。鷲尾くんに恋することで依子さんはすごく変わった。あの不器用な人がすごく努力してたんだ。なのにその相手が僕じゃ依子さんがかわいそうだ」
「せっかく佳織さんと付き合って仕事もするようになったのに。巧さんはすごく繊細な人。「心がない」と14人に言われた私では、またきっと巧さんを傷つけてしまいます」
そして2人揃って土下座して「どうか巧さん/依子さんを幸せにしてあげてください。お願いします。お願いします」(セリフ意訳)

もう何も言うことありません。ただひたすら、2人の思いに打たれて目が熱く。ああもうダンナの前で涙目になってしまったのが照れくさい ちなみにダンナも最終回一緒に見ていて、けっこう笑ってたのが「よっしゃ」でした。男衆にもウケたぞ「デート」♫
そうそう途中、経過を見ていないダンナに「こいつはニートで」「なんでニートになったの?」「最初はアーティスト希望だったのが、挫折して就職面接言ったら、お父さんのこと言われてさ」みたいな説明してたら、横からU@小2が「お父さんのこと言われて、一緒に笑っちゃったんだよね。それがショックだったんだよね」と、本質を掴んでる発言を そういう類のショック、子供にもわかるんだ~~!!子供って侮れないな~~

もう1つ、最終回で印象に残ったのが、「実は子供時代、巧と依子は出会っていた」というワンシーン。
詳細はいかんせん長くなったので省きますが、これはぶっちゃけおまけみたいなエピソードで、おそらくなくてもストーリー上はまったく差し支えないエピソード。「運命」を補強する働きこそありますが、こんないかにも後付けのエピソードに頼る必要ないくらい、これまでの描写でこの2人の関係成立は無理なく受け入れられているから。
にも関わらずあえてこのエピソードを入れたところに、「洒落たドラマだな~」と感心してしまいました。
昔の、例えばヘップバーンやジャック・レモンといった時代のハリウッド製ロマンチックコメディ風味というのかな?(これは子役巧の演技によるところも大!まだ子供なのに、よくあんな一昔前の洋画みたいなくっさい仕草を、板についてかっこよく見せられるもんだと)  「夢見る頃を過ぎた大人向けに、ちょっとだけ夢を見させる仕掛けと、大人だからこそのテレが醸し出す洒落が詰まった映画」みたいな。
入れる必要もないのに、あえて入れた「2人は子供の頃に出会っていた」エピソードは、制作側の「視聴者に、ひいては自分たちの作り上げた世界に夢を」という愛情みたいなもんをすごく感じます。

そして何より、この思い出を2人がまったく覚えていない、てのがポイント てことはおそらく未来永劫2人がこのことを知る時は来ず、間違っても「あなたがあの時の人だったのチャララ~ン」なんてウザ臭いシーンが生まれることはまずなく(野島伸司ならきっとそういうベッタベタな話にするに違いない)、そういう事実は事実としてあったまま、時は流れていく・・・てところに、夢見る頃を過ぎた大人であるが故のテレ=含羞を感じます。
この「恥の感覚」こそが、「洒脱」や「粋」、「ドラマ上のバランス感覚」を生み出す元じゃないかと思うんですよね。自分がこういう「洒脱」や「粋」から程遠く、一から10まで恥もなく書き連ねたい性分なので、余計に「そういうのは恥ずかしい」と思ってしまって。このドラマ賛美の感想に「良質」「上質」という言葉が散見されるのも、また個人的にはドラマの好き嫌いを決めるのも、たぶんそこらへんじゃないかしらんと。

洒落てるといえばもう1つ。このドラマ、最終回になっても「すべてがすっきり白黒決着」ではないんですよね。
一応2人は恋人同士になったとはいえ、いわばこれは2人でやっとスタートラインに立った状態。佳織ちゃんと始めた「営業活動」=「ニートからの卒業」もどうなるかわからないし、その香織ちゃんや鷲尾くん、お兄さんと元妻、依子父や巧母のそれぞれの恋愛模様などなど・・・「これからどうなるのかしら」「ほんとにこれでいいのかしら」と未だ迷う思いと、「ここからはじめよう」という未来への希望とが、本人たちの中に同時に共存していて、それが汲めど尽きせぬ余韻となって「夢見る頃を過ぎた視聴者たち」を包みます。このドラマ、設定やセリフがぶっとんでいでゲラゲラ笑えるにも関わらず、どっか地に足がついているリアリティを感じるのも、たぶんこの「現実はそんなはっきり割り切れない」という、現実世界なら当たり前の、シニカルな視点が根底にあるからかもですね。

と、長々吐き出して、ようやく頭もすっきりした気が
ここまで長々賛美を連ねましたが、しかしこのドラマ、決して「後世に残る」とか「人生が変わる」とか、そんなご大層なドラマではありません。道端の花にふと気がついて、「ああきれいだな」とちょっと思えて、またすぐ忘れていく、でもその幸せ感はちょっとだけ心を満たしてくれる、そんな数ある「いい映画・本・ドラマ」の1つ。
視聴率は芳しくなかったそうですが、そんな素敵なドラマを届けてくださった「デート」制作側の方々に、これを含めた膨大な「GJ」という返事が届くことを祈って。

テーマ : テレビドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

デート~最後の家族

あけおめです ってもう2月も末で道路の雪もかなり溶けてますが ことよろです

今年の年末年始は、飛露喜に加え、会津娘を初体験♫
の話や、年末から持ち越してる星野リゾートスキー旅行に加え、今月行ったアルツ磐梯など、作成中のネタは色々あるのですが、どうもこの頃パソコンでがっつりとレポ書く時間がなく(写真入りレポは、なんだか異様に時間がかかる
なので今日は日記がわりに軽~く、だけど久々に「おおっこれ書きたい!!」と思ったことをつらつらと。

さてTVドラマというものを、基本ほとんど見ないワタクシ。
トレンディドラマ真っ只中が青春真っ只中だったせいか、どうもドラマならではの嘘くっさい演技やセリフまわしがまず気になっちゃって、ドラマの内容に入れ込めず(たぶん半分はW浅野のせい)、「TVドラマってつまんない」という固定観念がどーんとできちゃったので、あんま積極的に見る気がしないんですよね。
たぶんこれは慣れの問題で、例えば読書習慣があんまりないと、文体や何かにまずひっかかっちゃって、内容がすんなり頭に入ってこないというのと同じなんだと思います。表現がしっくり来れば入れるんだけどという、体験が少ないゆえの間口の狭さ。
加えて、「毎週同時間見なきゃいけない」という縛りのきつさ。我が家のTVライフはだいたい、夕飯時みんなが集まった時にテキトーにチャンネルザッピングして「今日は何見るー?」「あっこれ面白そうじゃん」でバラエティ番組→その後その局つけっぱなしのまま誰も見ない、というのが身に付いちゃってるので、「決まった時間に決まったものを」というのがけっこうシンドいんですよね まこれも慣れの問題が大なのでしょうが。(なので、1年視聴し続けた「八重の桜」は、私的にはかなーり画期的なことでした

余談ですが、こういう選択の仕方の元ほとんどバラエティしか見ない我が家では、日テレ圧勝です なにか「気づくと日テレ」というパターンが非常~~に多くて。
昭和のマンザイブームを覚えているママ的には、「楽しくなければTVじゃない」といえばフジ、という感覚があるので、この日テレ圧勝具合は「いつの間に」という感じで、かなり不思議です。ダウンタウンの笑ってはいけないも鉄腕ダッシュもイッテQも、我が家で数少ない「だいたいこれを見る」と決まってる番組はぜ~んぶ日テレだもんなあ。ついでに朝のワイドショーもZIPとスッキリ
ここら辺はフジの凋落と何か関係あるんでしょうかね~。ダウンタウンの「ガースー」とか、プロデューサーやディレクターの色が前面に出てくるとことか、なんかフジっぽいもんなあ。

それはさておき
そんな感じである日もつけっぱなしだったTV画面。
21時になってドラマが始まってたのですが、いつもどおり、夕飯終わったので誰も見ることなく、そのままちゃぶ台(死語)で各々うだうだ。
してたんですが、なんかこのドラマのセリフまわしがこの時は妙に耳に入ってきて、しかもそれがなんか異様に面白くて
普段はBGMにすらならないつけっぱなしTVなんですが、この時はみんなして時折画面をチラ見しては、時に笑って「何これ面白い」と。
それが月9「デート~恋とはどんなものかしら」でした。
いや~月9なんて、ママそれこそ20年ぶりくらいの勢いです ママの「ドラマって嘘臭くてわざとらしくて」(←だからドラマなんですけど)という偏見をある意味作り上げたのが月9といっても過言ではないですから。
しかしこれは面白かったですね~。嘘やわざとらしさも、これくらい突き抜けたらもう芸として見入っちゃうという
この点、「八重の桜」の尚さんがかなり貢献してます。とにかくこの人のペラペラした長ゼリフが、まず聞いてて気持ちいい、次にそのセリフが異様に面白いという♫
そう「八重の桜」を1年見続けた者としては、尚さんとおっかさまが親子、そしてマイベストキャラだったおとっつぁまが、尚さんの恋人のおとっつぁまであるという配役もツボでした おとっつぁまの、真摯で口ベタでお茶目なおとっつぁまぶりがまた見れてうれし~~~♫
またこれは、そうした役者さん方の力量によるものか、あるいは脚本の力量によるものか、おそらく両方なのでしょうが、そういう「嘘やわざとらしさを突き抜けて、ほとんど荒唐無稽」なつくりだからこそ、その奥に「誠実」とか「芯」みたいなものが、嘘くさくなくわざとらしくなくほの見えるという、その塩梅の素晴らしさ 「おしるこに塩」と同じで、表に出すぎちゃダメ、立派なことを声高に堂々と述べ立てるようじゃただの自己満足、荒唐無稽な奥にひっそりとあるからこそ、塩がしみるんですよね~。
とりわけ不登校児の親としては、おっかさまの述懐がしみました~~~ まるで三谷幸喜の室内劇を見るかのような、秀逸かつ膨大なセリフの押収に心惹かれ、笑いながら見れるドラマと思ってたとこに、まったく予想外に出てきたこともあって、余計に心つかまれちゃって。昔から優しい子で、子供時代のあれこれを今でも覚えてる、自分に責任がある、自分が死んだ後は、あの子なりにやっていくだろう・・・
「自分が死んだあとは、あの子なりにやっていくだろう」って、片面から見れば随分無責任な、勝手に放り出す親みたいな言葉ですが、しかしもう片面から見ると全然違って。親として(あくまでも子供によかれと思って)道筋つけてやったり提案したり、親の望む方向にそれとな~く向かわせたりっていうのは、やっぱり「支配」であって。何よりも「あの子なりにやっていくだろう」っていうのは、底に子供に対する全幅の「信頼」があるがゆえで。
不登校のまま1年たって、なんとな~~~く、前よりそういうのがじわじわとわかるような気がしてきている今日この頃だからか、この時のおっかさまの言葉もまた、じわじわ~~と来ました。同時に、そうしたおっかさまの述懐を物陰に潜んで聞きながら、幼子のように膝を抱えてうずくまってる高等遊民30歳の姿も。
(この次の回だったかな、いよいよ自分からデートに行こうとする息子にカンペキな009のコスプレを作ってやるおっかさま&「なんだか恥ずかしいな30歳にもなっておふくろにこれ着せてもらってるなんて」と早口で浮かれてる高等遊民尚さんもツボりました 他にも、おとっつぁまの思い出話や、無表情のまま怒ったり駆けつけたりする杏さんの切なさ等々)

日記がわりに軽~くのつもりが、なぜこうも長文になるのか
今ちょっと我に返りましたが続けます。そんなわけで「デート」が私的に久々に面白いTVドラマで(と言いつつ、昨日は忘れて見逃しちゃったけど)、「他の人はどうなんだろう」と、ドラマ感想サイトなんかをネットで見ていたら、ここでやっと今日の本題です「55歳からのハローライフ」というドラマの感想サイトが、なんだかすごく気になっちゃって。
(ちなみに「デート」の感想は軒並みけっこう高評価で「そうでしょうそうでしょう♫」と)
「55歳からのハローライフ」というのは、1話完結の連続ドラマで、NHKだったかな?どっかでけっこう前にやったドラマだそうです。還暦間際の年代になった各主人公が、退職の危機を迎えたりその妻だったり、ホームレスに転落するのを怯えたり同級生がホームレスになってたり、といった感じの。
それだけならよくあるドラマですが、気になったのが「原作:村上龍」ということ。そういや村上龍ももう還暦頃だよなあ。しかしいつの間にかこんな小市民な話を書いてたとは。これはちょっと読んでみたいぞ!

というわけで、久しぶりに図書館へゴー 久しぶりなんで、背表紙見ると読みたい本てんこ盛りで、「55歳からのハローライフ」始め、タイトルに惹かれた、同じく龍ちゃんの「最後の家族」、山田風太郎のエッセイ「秀吉はいつ知ったか」や、瀬戸内寂聴の「わたしの源氏物語」等々、入り乱れて借りてきました 頭が水を欲するように本を読みたがってる時って、こういうふうに入り乱れて読むと、それらがミックスジュースになってまた別の味わいも楽しめるんですよね♫

で、すごーーく印象に残ったのが、「最後の家族」。
いや~龍ちゃん、いつの間にこんな小市民な話を、小市民に寄り添った話を書くようになったんでしょう
まあ「ひきこもり・不登校」というテーマは、「共生虫」とか「希望の国のエクソダス」とかでも書いてたから、ある意味お手の物かもだし(しかし私は未読)、「普通の女子高生」みたいな話も「インザミソスープ」とか、あるいは女子高生何十人だかにインタビューした本もあったから(これはともに読んだけど、なんかあまり心に響かなかった)、それらのミックスと思えば、村上龍が「最後の家族」を書いても不思議じゃないんですが。
しかし私にとっての「村上龍」といえば、電車で暴力騒ぎを起こす仲間を眺めながら「お腹すいたわ」と言い放つ「限りなく透明に近いブルー」や、「この世をすべて破壊してやるぜダチュラ」な「コインロッカーベイビーズ」、あるいは「弱者は死ね」という「愛と幻想のファシズム」。非常に昭和な感覚で申し訳ないですがそういうイメージしかなかったので、かなーーりびっくりでした。「吉祥天女」から「BANANA FISH」「YASHA」に連なる作品を描いた吉田秋生が、「海街diary」で普通の、ごく普通~~~の日常を、しかし鋭く描いて琴線触れまくりみたいな衝撃が。いや吉田秋生はまだわかる気がするけど、村上龍の今までの作品なら、この「最後の家族」に出てくるような人たち、とりわけこのお父さんなんかは「弱者だから死ね」って言われて終わってたような気がしてたんだけど、何この寄り添い方、そしてこの明るさ、ハッピーエンド具合。

そう、「最後の家族」、明るいんです。「おとぎ話」っていう読後感が湧くほど、最後が明るいです。内容はそんなに明るくなくて、さすが龍ちゃんリアルですけど(と言ってもそれまでの、細部を視覚的にグロいほど描写するリアル感じゃなく、登場人物たちの心理描写が小説家的にさすが上手くて、すっと入り込めちゃうのでリアルに感じる)、なんか「村上龍がこんな希望に満ちたものを書くなんて」という驚きが。

といっても、もともとこの人は昔のフジテレビ並に明るい人で、例えば自伝的小説「69」の頃からもう、「楽しく生きなきゃ人生じゃない」という強い決意を明確に現してました。もちろんそうできない人もいっぱい出てきて、あとがきでも「そういう人をあえて悪く描いた」と、確信犯的に書いてましたが、そうできない人にもつい目が行ってしまう、人柄というか作家としての資質みたいなもんと同時に、「でもあえて悪く描いて振り切る」という決意みたいなもんが、この人の作品の特徴だと思ってたので、今まで振り切ってた人に寄り添い、しかも希望に満ちたラストを用意するという「最後の家族」を貫く優しさみたいなもんにびっくりして、どういう心境の変化なのか村上龍、と。(還暦にもなるとそうなるのかなあ

「最後の家族」は、「高等遊民」の息子がいて、尚さんとは違ってたまに暴力もふるって、おとっつぁまは「家族の幸せのために俺は働いてるんだ」という、高度経済成長を引きずった企業戦士で、「夜の10時になっても俺が帰ってから、みんなが笑顔で食卓を囲むのが家族の幸せなんだ」という家庭を作って、いち早くそれに反発した娘は「本当の意味での自分の進路」というのを考え始めていて、そうした家族に対しただ受動的なだけに見えてたお母さんは、ひきこもりNPOや何かを通じて、受動というよりじっくりと見つめて、色々なことがわかるようになっていく、という、そういうお話です(どういうお話なのか)。そういうお話なので、不登校児の親としてはすーーーっと引き込まれちゃって。我が家とは状況の違う部分はもちろん多々あれど、「海街diary」みたいに、直接関係ないシーンや言葉が、自分にとっても関係あるものとして心に来る、しかもそれが全編にちりばめられてるという感じで。
中でも一番印象に残ったのが「「一緒に食事をする」っていうのは、目的じゃなく手段。それが目的になるのは違う」。ああとってもわかるわ~~。頭ではとってもよくわかってるのに、こと学校のことになると「学校に行きさえすれば」「進学さえすれば」って、どうしても考えちゃうとこがあるなあ。まだまだ心の底から体感できてないんだなあ。

そしてもう1つ、ぐぐっと心に来たのが「誰かを救おうとすることは、誰かを支配しようとすることと、容易に入れ替わる」
そう!そうなの!!ほんとそうなの!!!
頭ではわかってるの!!!そうじゃないかな~???と思ってたの。こうしてそれをはっきり言語化してくれるものに出会えて、ほんとによかった!
あとがきいわく、「この作品は、数う・救われるという人間関係を疑うところから出発している」のだそうです。
すごくよくわかる、気がします。私も、自分が実際にできるできないはともかく「「気の毒な人」は救うべき」というサヨク精神旺盛だから(ある程度はみんなそうだと思いますが)。そして「でもそれはどっかで「支配」に通じる」とうっすら思ってるから。「救う」に限らず、「愛情」とかもね。
「最後の家族」では、各々がその呪縛から解放されたとたん、川が流れて海にたどり着くように「収まるべきところに収まった」という幸せな大団円が訪れます。あまりに収まりよすぎて「おとぎ話」という読後感がわく所以 もっとも「愛の幻想のファシズム」とかも、途中経過はかなりおとぎ話感がありましたが
しかしこのハッピーエンドぶりは、身につまされながら読む側としては、やっぱりうれしかったです。こういう幸せな読後感=希望を得ることは、たとえ作り話のおとぎ話ではあっても、不登校家庭には小さなパワーになるんじゃないか、少なくとも無駄にはならないんじゃないかと。

あ、「55歳からのハローライフ」も面白かったですよ。最初に「55歳~」を読んだせいか、「最後の家族」はその続編みたいに思えました。なんかやっぱり、どの話も「希望」があるんですよね。龍ちゃんどうしたのだ

まったく違って「おおっこれは書きたい」と思った、山風さんエッセイのことも書こうと思ったのですが、いかんせん長くなったので、これまで

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今年のクリスマスディナー

あぶくま洞レポ、及び裏磐梯ホテル&グランデコスキーレポと、UPしたい旅行記はあるものの、写真の整理が追いつかず さらにUが冬休みになって、子供にパソコンを明け渡す日々になり、ますますレポ作成時間が少なくなり

というわけで今日は、写真のない記事かつ来年用の備忘録として、今年の我が家のクリスマスディナーについて

まずはパエリア
ホットプレートで作ります。この利点は、「ほっとけばホットプレートが勝手に作ってくれる」&「なんとなく非日常感」&「テーブルの真ん中にホットプレートどーんなので、お料理を置くスペースが埋まる」e.t.c.
作り方は簡単で、みじん切りにした玉ねぎをオリーブオイルでじーっくり炒めたら(ここらへんは好みで。私は玉ねぎの原型を留めない方が好きなので先に炒めちゃうけど、玉ねぎ好きな方なら、他の食材と一緒に炒めちゃってもたぶんOK)、生米、鶏肉、冷凍エビやイカ、あさり、キノコにニンニクなんかを投入して、お米が透き通るくらいまでテキトーに炒める。ほんとはエビイカなんかは別で炒めた方がいいのかもですが、キニシナイ
炒め終わったら、生米と同じ分量の水+酒をどば。味付けには顆粒系、すなわちコンソメ、鶏がらスープ、昆布茶も入れてみようかな、などなどお好みで。そして上にトマトとピーマンの輪切り各1個分を並べ、ふたをして保温~とろ火くらいで放っておくと、そのうちできあがります 貝が殻つきだったり、サフランを入れたりすると非日常感も高まりますが、なくても味は変わらないのでキニシナイ ふたを開けた時の湯気&見た目と、そこにしゃもじをいれてかきまぜる時が快感です♫

パエリアをほっとく間に、野菜炒め
パエリアで余った鶏肉、キノコ、さらにお弁当で使い残したブロッコリーやナス、じゃがいもなどを、テキトーにぶちこんで、オリーブオイルで揚げるように炒めます(ブロッコリーやじゃがいもは軽く茹でておくとより短時間でOK)。
これを炒める時に、ニンニクをうんと効かせてマジックソルトをぶっかけるだけで、イタリアンなお惣菜のできあがりなのですが、今日はニンニクを控え、マジックソルトのみ。これを耐熱皿に移してマヨネーズどばどばかけ、とろけるチーズものっけて、オーブントースターでチーズマヨ焼きに。他がわりとあっさり系なので、これでボリュームを出そうという

タコのマリネを、事前に作って冷蔵庫に入れときます。といってもタコ切ってイタリアンドレッシングかけるだけですけど レタスやトマトの上に乗っけて、食べる直前、ニンニクを炒めたあっつあつのオリーブオイルをかけるとまたうましですが、今日は他でけっこうオイル使ったので、さっぱりとイタリアンだけにして♫

そしてメインはローストビーフ 生協で買った、100g198円のやっすいアメリカ牛で作ります
塩コショウニンニクあるいはシーズニングなど、お好みで肉にすり込んで下味つけたら、フライパンで全面をこんがり焼き、ホイルできっちり巻いて、魚グリルへ。そう、本格オーブンがなくてもできちゃうんですよ~ローストビーフってステキ
肉の大きさにもよりますが20分くらいかな~?焼いたらそのままほっとくという、これまた私の好きなほっとく系なのもグー 
ソースは、お醤油にお酒、KKが皮をむいてそのまま放置していたル・レクチェも入れてみるか これは桃と梨をかけあわせた新潟産の果物で、香りと甘さが濃厚な一品。りんごのすりおろしでもいいかも。
ほっといたローストビーフの、アルミホイルにたまってる肉汁もここに投入して、煮込めばソースの出来上がり。

どれも、けっこう簡単なわりに見栄えがするのがいいですね~♫
ちなみに一番難しいのが、焼いてほっとくだけのローストビーフかな。焼き加減が難しくてね~~

今年はローストビーフが比較的好評で「明日も!」とリクエストが来たので、次の日はまたまたローストビーフ、そして余ったタコやレタスで生春巻き、そしてすじこにご飯という、非日常に日常が加わってきたというメニューに そして今日は、そろそろ和食が恋しくなってきたので芋汁&納豆にしようかな~と思ってるところです

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選挙にまつわるどうでもいい雑感

選挙、終わりましたね~~
皆様の選んだ候補者は、無事に当選されましたでしょうか

私は当選どころか、結局選挙行きませんでした 「戦後最低の投票率」に心ならずも貢献してしまった次第ワハハ

一番の理由は「大雪ふったから」。自分でもどうよそれって思う理由ですけどなんか雪かきしたり子供の靴買いに行ったりしてたら、めんどくさくなっちゃって(だって3軒回ってもぴったりサイズが売り切れだったり、果ては靴屋さん前の道路で駐車待ち渋滞が起きてたりするんですもの) それを推しても1票投じたいという熱意というか人というかが存在しなかったんですよね。

そう二番目の理由は「誰に入れようか最後まで決まらなかった」。これでも誰に入れようか、ず~っと迷い考えてはいたんですよ、大雪降るまでは

一応、元会津若松市長に敬意を表して「菅家さんかな」とは思ってたんですが、しかしこの方は自民党から出馬なんですよね。
私の投票目的は今も昔もただ1つ「だーっと票が集まりそうなところに票を集めないための投票」なので、今回圧勝が予想されてる自民党は、ほんとなら真っ先に選択肢から外れるべきところ。
しかし会津の立候補者って、菅家@自民以外だと、前にも書いた気がしますが維新・社民・共産なんですよね。これまた前にも書いた気がしますが、なんでよりによって思いっくそ右と左しかいないのだーーーーー
(まあ他の党がいたとしても、それはそれで判断に迷ってると思いますが)

親の代から社会党だった自分としては、こういう時は迷わず社民でOKだったのですが、これまた前も書いた通り、原発事故以降は個人的に社民ってシンパシーがた落ち ほんとなら社会党の長い歴史が今回ついに終わってしまうかもしれないとのことで、1票投じて助けてあげたい気持ちもなきにしもあらずだったんですが、それ以上にやっぱり、いまだ復活しない自分のシンパシーに素直になりたい思いの方が強く。
(なので今回2議席残ったのは、投票しなかったけど「よかったね」という気分ではありました)

で、前回は社民党のかわりに生まれて初めて共産党に入れたんですが、やっぱし「共産党」って私にはちょっと真っ赤すぎて敷居が高いんですよね。いや言ってることは今や社民党の方が時に赤一色なのかもしれませんが、しかし共産党の長い歴史およびそこから培われた子供時代からの偏見からすると、私にとってほとんど「社民の代わりに共産」って、「コメがないから草を食う」くらいの感覚というか、「そんなにうかうかと票を入れていいもんじゃないぞ共産党は」と覚悟して入れるというイメージが根強く
(だって赤旗とか読むと、「○○支部の読書会に新たに○人の青年参加」とか「△△支部では赤旗日曜版の読者増ノルマ達成」とか載っててこわいんですもん 私的にはこういうのって近づいたらヤバい組織なんですけど
ましてや今回は、私と同じような「入れるとこないから共産」という人が大幅増なのでは、という予想も事前にあったので、じゃあますます私は入れるわけにはいかないなと。選挙終了後、共産党が案の定議席を増やしたというニュースには、「ええ~~~」と同時に、「わかるよ~~~」という気持ちでした。みんな昔の社会党的存在=与党のストッパーを欲しているのよね。民主党&社民党、みんな待ってるのよ。頑張って立て直してよ~~~~~

今回民主党が伸びなかったのは、やっぱし「一度任せたけどダメだった」「安易に政権交代とか望んでバカを見るのは俺ら」という、苦い後悔が私ら投票する側に残ってるからなんでしょうね。
でも民主党って、私がまあ薄ピンクなサヨク党を欲しているからなんでしょうが、そんなにひどいこともなかったというのが私個人の印象なんですよね。たぶん今回「このままでいいよ」と自民党に投票した人たちと、私の民主党への思いはほとんど同じというか、「全部が全部いいとは思わないけど、でもコロコロ政権変わって根っこが不安定になるよりは、このままもうちょっと様子見で」という程度のシンパシー。東日本大震災当時に与党だったので決定的にダメ出しされた気がしますが、自民党だったらビシバシ対処できてたかというと、う~んどうかな~という感じしかしません。問題のかなりの部分が「時の運」という気がするので(個人的印象)。

なので、もしも会津に民主がいれば、今回はたぶん民主党だったと思うのですが、渡部恒三はいないしなあ
ちなみに地元の人いわく「菅家さんも、それまで恒三に入れてた人が投票先を失ったから当選したんであって、もともと勝てる人じゃなかった」とのこと。あくまでも地元の人個人の意見ですけど
しかし、いくらなんでも、自民の代わりに維新って選択肢はねーでしょーーー 維新なんて、自民党よりもっと右の、もっと新自由主義の、もっと過激な党じゃないですか 私には今回消えた次世代と維新の区別があんましつかないんですが次世代が消えて維新はほぼ現状維持で共産党が増えたというこの状況がよくわかりません。なんか極端に行きやすくなったのかなとか、目に見えてわかりやすいものがウケるのかなとか。

そう会津は今回、なんと菅家@自民と維新が接戦したあげく、維新ですって なんでよーーー
まあ上にだらだらと書いてきたとおり、他は社民と共産で選択肢がなかったというのは大きいです。しかし、自民にNOと言いたいから維新っていうんなら、それはちょっと間違ってないかと。「自民のやり方は昔の民主みたいでなまぬるい。もっと貧乏人が出ても周辺国とのトラブルが多くなってもいいから、強気でガンガン行け」っていう意図で維新に入れるなら正しい選択だと思いますけど。

まあ菅家さんも比例で返り咲いたし、よかったねです。きわめてどうでもいいことですが、別な地元の人いわく「室井市長はおおざっぱだから楽。菅家さんは細かくて」だそうで(あくまでも地元の人個人の意見) 市長時代はやり手だったのかしらん?私はその話聞いて「ひそかに相性悪いのかしら現市長と元市長は」とか勝手に思って楽しんでたのですが選挙特番で菅家さん事務所が映った時、「必勝 安倍晋三」とか「必勝 森まさこ」とかの半紙と並んで、「むろい照平」の半紙もありましたね 並んでっていうか、かなり下の方に貼ってありましたけどまあまあそれは やっぱしちょっとでも「関係良好」って思えると、ちょっと安心だなと。

しかし私、もし小渕優子さんのとこに住んでたら、ぜったい彼女に入れてたな だって私が会津に来た時はすでに室井市長だったのに、「元会津若松市長」ってだけで、やっぱり菅家さんに当選してほしいと思っちゃうんだもの これが小渕優子だったら「あんたのお父さんの頃から知ってるよ~。大丈夫うちらが助けてあげるから」って、きっと地元として思ってるに違いない 昔の自民党選挙みたいな「義理と人情」から逃れられてないわけですが、これがいい面にも悪い面にも働いて簡単に切り分けられないのが人間社会の困ったところですよね~♪
そうそう「昔ながらの自民党」ってことで、亀井静香当選もおめでとう。しかし選挙の特番で「政界の長老」というキャッチコピーがついてたのはびっくりしました。私の感覚では「若頭」だったので ダメだ~おばちゃんの感覚は昭和で止まってる~~
なんてことも改めて思わせられた今回の選挙でしたが、中でもひときわ「昔の自民党」ぽかった人が、いわきで当選した・・・誰だっけな?名前も党も忘れててスミマセンですが、おじちゃん。「当選確実」ということでTVが入っても、ニコリともせず、集まった人たちにぎろりぎろりとガンを飛ばし。スピーチする時も目玉ぎろぎろ。そしてこれは私の聞き間違いかもしれませんが、原発作業にロボットを、ひいてはいわきをロボット開発の先進地にみたいなスピーチの中で「議員バッヂを外すまでに」。うお~当選した瞬間にもう辞めるまでのこと考えてる!なんという覚悟!!当選して喜んでる場合じゃないってか!?
もっともそのあと、間をおいて再び中継が入った時は「ばんざーい」と盛大に笑っていて、これはこれでほっとしましたが(TVのアナウンサーも「笑顔が見えました」ってなんかほっとしたような感じだった)。「当選確実」の時に笑顔がないってのは、かなり異様というか「つわもの」って感じに見えちゃうもんですね~~

最後にどうでもいいこと極まれりですが、選挙特番、面白かったですね。
私は日テレ系の「ゼロ選挙」を見てたんですが、当選した人の紹介というか一行プロフィールが非常に面白かったです。「アイスクリームが好物」とか「行きつけの「庄や」が閉店したのが悲しい」とか
選挙の重大さ・選ばれた存在の重大さと、えりすぐりのどうでもよさを放つプロフィールが、「意味と無意味の乱反射」という感じで、「こういうエンタメな報道の仕方もアリなんだなあ」と感心してしまいました。しかし我が会津4区の維新の人(これまた名前忘れた)「家に帰ればイクメン」ってのは、無意味に徹しきれてなくてイマイチだったな。ちょっといい話系で人気取りに思えるというか、ちょっとかゆくなるというか

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