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不登校の始まりその2

3学期が始まった直後、「学校行きたくない」と、泣いて車から降りようとしないKK@中1。
KKが「おなか痛いから行けない」ではなく、「行きたくない」と意思表示して拒否するのは初めて。いや何よりも、いつも陽気で私よりも背がでっかくなったKKが、狭いシートにうずくまり、肩を震わせて泣いているなんてのを見るのが初めて!!!
どうしたの!?なんでそんなに学校行くのが嫌なの!?そんなに学校いくのが嫌だったの!?!?

おっきいKKがちっさくなって泣いてる姿を見て涙目になりながらも、それでもまだ「学校を休ませる」という発想はこの期に及んでもまったく出てこなかったママ。
パニクりながらそこら辺にいた見知らぬ先生に「子供が泣いて車から降りないんですどどどどうしたら」と助けを求めると、見知らぬ先生も「えっどうした。大丈夫か。とりあえず担任の先生呼んで来ます」とびっくりした様子でKKに声をかけつつ、フットワーク軽く。ああ見知らぬ先生なのになんと親身で頼れる、ありがたい。。。
やがて昇降口に現れた担任の先生「どうしました?」
「こっこっ子供が泣いてるんです。泣いて車から出ないんです」と訴えるママに、先生は動じず「はあ」
あれっ反応それだけ??
なんかこう、「ええっ!?」とすぐさま車に駆けつけるとか、そこまでフットワーク軽くなくても、「ええっ!?」と反射的に車の方を見るとか、なんかそういう反応が返ってくると無意識に思ってた。。。だって自分の生徒がそんなんなってるって聞いたら、びっくりしないかなあ?そこにいて泣いてるっていうなら、反射的に、しかも新学期で久しぶりに会う生徒の顔を、見たいって思わないかなあ??
「えっとえっとあのそれで、一緒に車から降りるのを手伝ってもらえないかと」
「ああはいわかりました」
ここで(やっと)靴を履いた担任の先生、先ほどの見知らぬ先生と一緒に泣き続けるKKを抱え、校内に連れて行ってくださいました。
ついでに、昨日小児科の先生に言われた「学校の先生にも理解を」の話をするいいチャンスだと思い、急遽担任の先生に面談もお願いし、この時は帰ってきたのですが。
帰り道、なんだか涙がこぼれてしょうがありませんでした。
あんなふうにうずくまって泣いてるKKの姿がショックで。それにまったく心を動かされず(と見えた)「で私はどうすれば?」みたいな先生の姿もプチショックで。

幼稚園の先生と比べちゃいけないのかもしれませんが、以前Uが卒園した幼稚園に、たまたま用事があってUと一緒にでかけた時。
Uは人見知り先生見知りなので車で待ってたのですが、「今車で待ってるんですよ~」と私が言ったとたん、「えっUちゃん来てるの♪」「どこどこ♪」と、担任だった先生はもちろん、その場にいた学年の違う先生たちまでもがいっせいに身を乗り出して、Uを一目見ようとする姿に、ただただありがたさを感じるとともに、「先生という職種の、「生徒への愛情」の力強さよ」と尊敬したことなんかを思い出しちゃって。
小学校の時の先生も、KKのことを(親よりも)心配して、文字通り親身に、あの震災で先生ご自身が大変な状況だったのに、本当に親身になってくださって。おかげでクラスでも安心して過ごすことができて。

が、私には担任の先生を責める資格ナシです。
この日からKKは「行けない」じゃなく「行きたくない」とはっきり言うようになり、やがてそのキッカケとなったことも、KKの口から言葉少なに聞くことができました。
それは2学期、個人面談で先生がおっしゃってた「KKは授業をサボっている。そしてそのために同じグループでの役割を果たさず、結果的に回りに迷惑をかけている。それを快く思わないグループメンバーも出るだろう」という、そのまさに快く思わないグループメンバーの存在だったようで(KKによると、なんと1学期からだった)。
なんというかまあ、うつ病サラリーマンとその同僚みたいな構図ですね 同僚の気持ちもわかるし、難しい。。。
KKにすれば「サボってるんじゃない。役割だって果たしたいけどおなかが痛くてできないんだ」というわけで、そのうちそのグループでの授業となるとますますおなかが痛くなるという負のスパイラルに。なまじ好不調の波があって、学校に来れば友達と和気藹々と騒いでいるので、余計に周囲には理解されづらかった様子。同じ小学校の子達は、先生の理解もあったので、みんなわかってくれて仲良くしてくれてたんだけど、別の小学校から来た子にはわからないわよね。
そして担任の先生にも、小学校時代のような理解はなく、ぶっちゃけKKの症状が「ズル」としか見えてないという。すなわち先生はKKのことを仮病だと思ってる、保健室に行こうとするとまたサボリだめいたことを言われる、その授業に出たくて頑張ったのに部活に出るためだと言われたe.t.c.e.t.c...
(念のためですが、その後担任の先生とは何回かお話した結果かなり理解してくださって、今はもう「ズル」とはまったく思ってらっしゃらないと思います
しかし繰り返しますが、私にこの時の先生を責める資格はありません。
なぜならそれらはすべて私がKKに対して言ってきたこと、思ってたこととまったく同じで。
「先生はKKのことをまったくわかってない。こんなにおなか痛くて頑張ってるのに全然わかってないで決め付けてる」
「ママ」を主語に、同じ言葉でKKに涙ながらに訴えられたこともありました。
けどいつも私には届かず、逆に「KKこそなんでわかってくれないの。そんなんじゃダメだってことを」としか思わず。
トイレにこもったまま登校時間が過ぎていくKKに「情けないと思わないの!?」とこちらも涙ながらに怒鳴ったことだってありました。「強い人」になってほしくて。

こないだカウンセラーさんに初対面する時、今までカレンダーにつけていた「おなか痛い日」「休んだ日」等をまとめて表にしてみたら、改めて「こんなに長い期間苦しんでたのかKKは」と。
「10月○日 朝から腹痛 欠席 10月○日 学校へ行くも2~3時間目保健室 10月○日 朝~昼までトイレ 欠席」e.t.c....
毎日毎日見ていたはずだったのに。こんなに長い間苦しんで、それでも頑張って学校へ行っていたのに、私はズルだサボリだ弱い人間だと決め付けてた。。。



と初めて思い至って涙したのは1月末になってからで、ママのパニック状態はこの朝から1月いっぱい続きます
(続く)
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坂内書店から原信を経てTPPを思う

若松三中の近くに「坂内書店」という本屋さんがあって。
会津若松市内だと、私は主に「ブックスなにわや」またはリオンドールとドトールが完備のツタヤ(←超便利)に行っちゃって、ここには入ったことがなかったのですが、外観がすごーく私的ノスタルジーを感じさせて、三中に行くたび「一度は寄ってみたい」と思いながらも通り過ぎていたのでした。

そしたら最近、1年前に閉店していたことを今更知って。
確かにいつ通りかかっても店内暗いし、人見かけないしで、流行ってないのかな~とは思ってはいたのですが

「外観がノスタルジー」と書きましたが、この坂内書店、昔よく通った新潟・古町の本屋さんをすごーく彷彿とさせたんですよね~
すなわち北光社と萬松堂。どちらも2階建てで、いや萬松堂は3階建てだったな確か。
実家がある新発田市も、当時は意外なほど本屋さんがいっぱいあった町なのですが、それらはたいてい店内真ん中に雑誌棚、周りを取り囲むように文庫やハードカバーが、いずれも一目で見渡せそうな狭い空間にあって。1人が立ち読みしてたら通路がせき止っちゃうような、そんなこじんまり感。
それが古町行くと、入り口こそこじんまりしているものの、中へ入ると意外な広さ、加えて2階or3階建て!1階以外も本がギッシリなんて、新発田から来た目にはまるで夢のようでした
今からすれば、そうは言っても商店街の一角につき、今主流の郊外型とは段違いの狭い空間で、いかに大きな商売するための苦肉の策だったとも言えるわけですが、当時はこれぞ「資本力の差」「都会と田舎の差」に映ったもんでした。
(余談ですが、神明通りのスーパー・リオンドールも、今では数少ない2階建てで、これまたその昔、新発田駅前に会ったジャスコを思い出してノスタルジーです。「昔は「巨大スーパー」として崇められてたんだろうなあ」という記憶の片鱗が、2階の侘しさにうっすら残ってる感じがして)

残念ながら北光社は、坂内書店よりもお先に閉店してしまったのですが、残念がる人々多数でローカルニュースにもなった記憶があります。何しろ古町十字路の入り口で、本好きはもちろん、待ち合わせにショッピングの合間に帰りがけにと、かつて古町が賑わっていた歴史とともにあった本屋さんでしたもんね~

なんでこんな思い出がよみがえったかというと、ふと耳にしたニュース「減反政策廃止」。
これを聞いた瞬間、広々とした土地に巨大なamazon倉庫、その下に「一人勝ち」みたいな字幕が入った絵が思い浮かんでしまったからなのでした

と言っても減反廃止そのものを「反対!」とか言いたいわけじゃありません そもそも農家や農業自体まったく知らないレベルだし、そんなレベルの私ですら、米農家に「米を作らないなら金を出すよ」って命令する減反政策って、元々にかな~り無理があるな~という印象で。

ただね~~。かと言って、でかく資本力あるところは、その資本力を武器にどこまでもでかくあれ、その陰で破れていく坂内書店や北光社は、もうしょうがないんだからそのまま消えていきなさい、みたいなのは、資本主義の常とは言え、それでいいのか?と。もう資本主義行き詰ってんのに、まだそんな資本主義真っ盛りみたいなイケイケやってて、この先どうなるのか??みたいな、具体的にはわからない素人ならではの漠然とした不安も、うっすら浮かび上がるんですよね~。

折りしもこないだ新発田に帰省したら、巨大ジャスコ周辺がちょっと様変わりしていて。
数年前、西新発田駅前に満を持して完成した巨大ジャスコ。ほんとに巨大で、それまでファストフードはマック1軒みたいな町・村上市に住んでた目には「都会の香りがする~♪」(←と言って新発田在住の友達に笑われた)と感激するくらいのジャスコでしたが、ここはそもそも土地が巨大だったんですよね。確か当初は、巨大ジャスコを中心に、色んな種類のお店を誘致して一大ショッピングタウンに、いやいや各種個人医院や薬局を集めて、メディカルタウンに等々、いずれにせよ「新しい街づくり」という計画があったはず。
ところが思ったよりお店や医院が集まらず、ま若干は集まったのですが、当初の計画よりスケールダウンな印象は否めず。夜なんかけっこう暗くて、地元小中学校には「夜はちょっと注意」みたいな警告も。

それが最近、帰省ついでにジャスコに行ってみたら、そこから車で1分のところに、なんと巨大原信が
原信ってご存知でしょうか。新潟でここ数年、あちこちに巨大店を展開しているスーパーで、ジャスコがトップバリュならこちらはCGCです。会津でおなじみリオンドールや、新潟でおなじみウオロクも同じCGC系列。
これが、まさにジャスコのトップバリュに対抗するように、どーんと建ってたのですね~!ユニクロやサンキを敷地に従えつつ。
(ユニクロも、それまでは新発田初の郊外型ショッピングタウン・コモタウン付近にあったのですが、このたびついにこちらに移転。またひとつ寂れていくのかしらコモタウン;;)

新発田ばーちゃん談では、原信オープン告知のチラシでは「今まで同系列ということで、ウオロクのあるところにはなるべく出店しないようにしていたのですが、このたびついにオープン!」みたいな説明が載っていたそうです。上記のコモタウンは、まさに「ウオロク」がメインのショッピングタウンですからね~。さらにジャスコ&原信から車で5分くらいのところには、ウオロク住吉町店があるし。
ちなみにこのウオロク住吉店は、ばーちゃん御用達です。うちからだと、ジャスコへ行くのと時間はほぼ変わらないんですが、何しろジャスコは巨大すぎて、キャベツやお魚買う程度なら、ウオロクの方が断然早く、疲れず買い物できちゃうんですよね。特に年寄りが多い住宅地には、これがわりと重要なポイントで。

しかしこうして、同系列すら食い潰しつつ、巨大店と巨大店が食い潰しあうという構図を、資本主義の常ではありながらもあからさまに見ると、やっぱりうーーーんと思ってしまうのです素人は。これがお米で、世界的規模でそうなるわけか~、果たして日本のお米の立場は原信なのかジャスコなのか、それとも住吉町のウオロクか? どっちが勝つのか、というかこの先どうなるのか。こうして巨大なもの同士が競い合い、潰しあって、やがては「ワンワールド」みたいな陰謀論的世界に落ち着くのか?とか。

まあ実際はそういう、当初「減反廃止」のニュースを聞いて思い浮かんだように、でかいところが資本の力づくで一人勝ちする、ってわけではなく、案外住吉町ウオロクのように「その小ささこそが思わぬメリット」という感じで、多種多様な世界になっていくのかもしれませんけど。
これについてはもう1コ、思い浮かぶお店があります。
飯館村にあった「ほんの森いいたて」。行ったことはなく、「3.11あの日を忘れない」というマンガシリーズを読んで知った本屋さんなのですが。

飯館村には平成7年まで本屋さんというものが1軒もなく、待ちに待ったという感じで生まれた村初の、そして全国初の「村営書店」(!)だったのだそうです。もちろん規模はちっちゃいのですが、その規模の小ささ及び「村による、村のための」本屋さんだからこそできたという面も、マンガを読むといっぱいあったようで。
例えば酪農関係や天体観測等、意外な本の豊富さ。飯館村はそれまでもわりと自主独立路線というか、村ならではの産業に誇りを持っていて、「飯舘牛」など、野菜や畜産など独自ブランドも多々立ち上げていたそうです。またそういう自然豊かな環境ゆえの澄んだ空は、天体マニアには「知る人ぞ知る有名な場所」だったらしく。
「酪農ジャーナル」や天体系など、全国展開の本屋さんでは取り寄せないとないけれど、村の生活に根付いた「ほんの森」では確実にあるという独自の品揃え。と同時に、村の生活に根付いている=顔見知りが多く規模が小さい本屋さんゆえにできる、きめ細かいサービス。例えば、普通の本屋さんだと「タイトルがわからないとお取り寄せはちょっと・・・」で終わってしまうところ、ここではおばあちゃんの記憶のカケラから、店員さんが一緒に1時間近く検索して、お目当ての本を探し当てたり、客が毎号買う本は言わずとも取り寄せておいてくれたりe.t.c... これらはもちろん、店員さんの営業努力の賜物なのですが、こうしたきめ細かさにより、村では大人気の本屋さんだったそうです。
(しかし個人的には、例えば店員さんと顔を合わせた途端に「今月号のエロトピア、取り寄せておきましたよ」とかニッコリされたら、感謝と衝撃で二度と行けなくなっちゃいそうでもありますが 常連≒地域密着型コミュニティの良し悪しではありますね。念のためですが私はエロトピアとか絶対読んでませんええほんと)。

「ほんの森」、現在は原発事故により一時休業中ですが、こんな本屋さんがあったんだ~と、マンガを読んでしみじみ感動、というかほとんど敬意を覚えてしまいました。

というわけで、「なるほど小さいお店には小さいお店ならではのメリットがあるんだな」というのが、このほんの森やウオロクなどからも伺えるのですが、しかしそれにはやっぱり、親元の飯館村やCGCがしっかり機能してるから生き残れるみたいな面もきっとあるはず。これでCGCが、ジャスコと戦った末に手痛い傷を受けたら、住吉町ウオロクも「立地や条件は従来どおりいいんだけど、肝心の中身が品薄に」みたいなことになって、あえなく閉店とか、そういうこともあるかもしれませんよね、素人なのでよくわかんないけど ここら辺は村上龍の「愛と幻想のファシズム」で描かれていた、「アメリカの超巨大資本に支配されても、日本が自主独立路線を突き進んでも、どっちにしろ弱者には地獄だよ」という構図とダブる印象です。もっとも「愛と~」の世界では、アメリカ資本に支配された方がまだマシとしか思えませんでしたが

コモタウンも、出来た当初は新発田のシャッター街化に拍車をかけた存在ではありましたが、時間がたつうちに当初のにぎわいと、来る人の「ワクワク感」はなくなり、やがてジャスコによってさらに寂びれ。しかしそのジャスコすら、原信の攻勢で今後はどうなるのか。
食い潰しあってるように見える巨大店ですが、しかし一方、そのおかげで明らかに新発田は、昭和の頃より町全体が大きくなってはいるんですよね。中心街のアーケードは相変わらず、開いてるお店の方が少ないくらいのシャッター通りなのですが、コモタウンも当初より寂れたとはいえ、ウオロク電気屋さんその他確実に根付いているし、何より宅地が広がったし。ジャスコも、昔は田んぼの真ん中を犬連れて散歩したもんですが、今はぜーんぶ住宅街になってるし。

減反政策廃止は、TPPによる「いよいよ日本の米が海外との戦いに入っていくぞ」の第一弾であるわけですが、私の脳内に広がる「海外の農場」って、ほんっと広くて、国土の小さい日本じゃ、どんなに大規模経営にしても土台がもはや違うレベルでしょうよとしか思えないので、ついつい悲観的なイメージに走りがちなのですが、これも考え方で、規模が小さいからってそんなに悲観することはないのかしら?
まあ元の知識がない素人があれこれ考えても時間の無駄なんですが、北光社やウオロクみたいな、小さな田んぼによる小さな生活の歴史が消えるのは、後世から見たら大いなる生活苦の前触れなのか、それとも単なる感傷なのか。外来巨大モールの抗争というTPPにより新発田全体が発展したのを教訓にすべきかしないべきか。自分に確実に関わる問題ながらもどっか他人事のように(知識がないので他人事のようになってしまう)考えていると、改めて、歴史の渦中にいながらにして未来を判断しなければならない当事者の困難さを思ってしまうのでした。いやほんと、八重の桜とか見るにつけ、歴史がどっちに転ぶかなんてわかんないな~と
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